コレッタ・スコット・キングの死2006/02/01

新聞で、アメリカの公民権運動の指導者だったキング牧師の妻、コレッタさんが亡くなったそうです。
キング牧師についてはいろいろと取りざたされることもありますが、バスボイコット運動の本を読んだり、いろいろなドキュメンタリーなどを見たりした限りにおいては、彼は信念の人であったと思います。
コレッタさんは、夫の死後、その意志を継ぎ、公民権運動を指導したといいます。
自らの信ずるところにおいて、その信念を貫くことの難しさを思うこの頃です。

村上龍 『半島を出よ』2006/02/02

村上龍の『半島を出よ』を読み始めました。
はじめの登場人物の多さに圧倒され、ちょっと最後まで読めるかどうか自信がありません。
村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は結構好きだったのですが。

「遠い空のむこうに」を観る2006/02/03

炭坑町に育ったホーマーは、ソ連の人工衛星スプートニクが空を飛んでいくのを見て、自分もロケットを作りたいと思いました。
炭坑夫の息子は炭坑夫になるのが当たり前と思っている父親にとって、これは苦々しいことで、ことごとく二人はぶつかります。
しかし、それにも負けず、ホーマーは友人と4人で、試行錯誤をしてロケットを作り上げていきます。
物理(?)の女教師はそんな彼らに、サイエンスフェアに出て、大学の奨学金を取るようにと励まします。
彼女は、彼らに叶えられない夢を与えるなという校長に、夢を与えるのが教師の役目だと言います。
自分の身の程を知り、それにあった夢を見ることも必要だけれど、遠くに見えても、それに近づくようにと頑張ることがなければ、進歩はないのではないでしょうか。
地下に潜り、体を壊しながらも、その生活から逃れられない炭坑夫の世界から、宇宙へと広い世界を目指し、努力し、最後はNASAに勤めるようになったホーマー。
その姿に、夢見ることの大事さと、夢を叶えるために努力することの大切さを教えられます。

「風の谷のナウシカ」を観る2006/02/07


久しぶりに『風の谷のナウシカ』を観ました。
先週テレビでもやっていたようです。
今でも古さを感じさせない、いいアニメだと思います。
人が自然や虫たちと共存していくことの大切さを訴えています。

エリス・ピーターズ 『聖なる泥棒』2006/02/08

修道士カドフェルシリーズ19巻目『聖なる泥棒』では、殺人は起こらず、その代わりに聖ウィニフレッドの聖骨箱が、洪水で水に浸からないように、低い土地にあるものを移動しているときに、盗まれたのです。
さて、誰が、何が目的で、聖骨箱を盗んだのでしょうか?

洋書の方(A Hannah Swensen Mystery with Recipes, "Peach Cobbler Murder")は、予想どおりライバル(男も仕事も)だったShawna Lee Quinnが、Lisaの結婚式の日に殺され、主人公のHannahが容疑者として疑われます。
犯人を捜すにあたって、協力してくれている歯科医のNormanと良い感じになっています。
この本はおいしそうなお菓子のレシピが載っていて、お菓子を作るのが好きな人は二倍楽しめます。
日本語にも訳されていて、ソニー・マガジンズから4冊でています。
『チョコチップ・クッキーは見ていた』以下題名のすべてにお菓子の名前が入っていて、著者はジョアン・フルークです。

放浪の詩人2006/02/09

2月13日発行の『アエラ』、現代の肖像におもしろい人がのっていました。
詩人、高木護。
九州の野山を放浪し、100種類以上の職業を経験。
看護師の妻に養われ、好きなように生きている人。
(関係ないけれど、放浪は男につきものという感じがありますね。男女差別だと怒らないでね。女は放浪できない生き物かしら?)

現代は放浪のできない時代だといわれています。
見知らぬ人が歩いていると、田舎では不審者だと疑われて通報され、都会では若者に襲われます。

彼の詩を載せます。


返す

むずかしいことは判らない
この世にうまれてきた理由も
判らない
生きている理由も
判らない
なぜ、といわれても判らない
すみません
あの世へ逝ったら
あなたに骨を返します

宮沢優 『放浪と土と文学』2006/02/10

アマゾンで高木護を調べてみると、『放浪と土と文学』澤宮優著が見つかりました。
すぐ買うことにしたところ、もう着きました。さすがアマゾン、速いです。
その本をペラペラとめくっていると、こういう言葉にいきあたりました。

「人間も動物と同じなんです。犬や猫と同じなんです。それを忘れたらいけません。人間は働いた、食べた、垂れた、寝ただけです。必要以上に儲けちゃいかんとです。・・・」

「私は日本がもっとも駄目だと思いますね。日本で一番偉いのは野良犬、野良ねずみなど、野良のつくものばかりです。ちょっと名の出た人間は全部駄目ですね。こんな人になろうという夢の対象にはできませんね。一生懸命働いても冷や飯を食っている人たちを取り上げたらいいと思います・・・」

「もう未来には絶望していますね、日本に限れば沈没前という感じです。もう滅びてしまうでしょう。無差別に人を殺すことや、虐めの原因を追及しても何もならないと思います。子供も大変なんです。夢も希望もない時代なんですから。殺した子供が特殊なのではなく、10人中10人が同じ考え、行動をすると思います」

「・・・生まれると人間はいろんなものを身につけてしまいます。年を取ると、肩書、学歴を捨てて裸で自然に帰って行けばよいのです。そのまま生き物の肥えになればいい。むしろ人間は滅んでしまって、後は虫に任せてしまえばよい」

なんという深い言葉でしょう。虚飾をとりさったら、何が残るのか。
素のままの人間として、これからの生き方の手本にしたいと思いました。

北村薫 『詩歌の待ち伏せ 1』2006/02/12

国文学を学び、それに基づいたミステリーを書いている北村薫が詩歌との出会いを書いた本、『詩歌の待ち伏せ 1』(ということは2以下続くということでしょう)を読んでいます。

その中にセロリの歌があります。

サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝(なれ)を愛する理由はいらず        (佐佐木幸綱)

セロリにに関して、どういう印象を持っていますか?
昭和24年生まれの北村は、いろいろな解釈をします。
その中でおもしろいのは、セロリは金持ちのキッチンにあっても、彼の家の台所にはない野菜で、耳に聞くだけのものだったと言います。
彼にとってセロリは都会的なものであり、聖なるものであり、『サキサキとセロリ噛』む女性は非現実で抽象的な存在だそうです。
雲に乗る女性だからこそ、いっそう愛らしい、らしいです。

私は、この短歌の中の女性は、佐佐木の娘で、新鮮なセロリを無心に噛んでいる、娘の無垢な姿を歌っているのではと思ったのですが・・・。
人により生活感が違うからこそ、いろいろな解釈がありうるのですね。
それが、おもしろくもあります。

さて、あなたにとってセロリは?

蝉は一匹?2006/02/13

『詩歌の待ち伏せ』から、もう1句。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声

さて、蝉は何匹いると思いますか?

私は何匹もうるさいぐらいに蝉が鳴いているのではないかと想像するのですが、人によっては蝉が少数しかいないと思う人もいるそうです。いいえ、学校で、俳句界の定説を教えたら《蝉は少数》という流れだそうです。

北国で育った私は、京都や奈良に行って初めて、日本の田舎はこういうものなのだ、とつくづく思いました。人は自分の育った環境からしか類推できないものです。だからといって、どれが正解というものでもなさそうです。だからこそいろいろな解釈があり、おもしろいのでしょう。

重松清 『幼な子われらに生まれ』2006/02/14

アメリカでは当たり前になっている、ステップファミリーを描いた作品です。

互いに離婚を経験し結婚した夫婦がいました。
一見幸せにくらしていたのだけれど、彼らの間に子供ができたことによりいろいろな行き違いが起こります。
その出来事を、父親の立場から書いた小説です。

父親には一緒にくらしていない娘がいて、その娘は誰でもかわいいと思う子。
年に4回会うことを楽しみにしています。
母親には二人娘がいて、その子ども達を連れて結婚しました。
上の子は前の父親を覚えていて、いつも斜に構えていて、かわいげのない子。
母親が妊娠したことから、自分の本当の父親に会いたい、もうあなたをパパとは思わないと言い出します。
下の子は小さすぎて、前の父親を覚えていないため、主人公を本当の父親だと思いなついています。

家族になるとはどういうことなのでしょう。
全く家庭環境の違うものでも、一緒に生活していくうちに、家族になれるのでしょうか。
血のつながりがなくたって、家族に慣れるだろうと思うのは、甘いのでしょうか。

息子が生まれたときに、父親は思います。
『幸せとは、一番近くにいる人を一番好きでいられることで、遠く離れてしまった人に「お帰り」と言えることで、助けを求められたらいつでもどこへでも駆けつけられること』だと。

父親になるとは、結構辛いことなのね、と思えるほど、主人公の気持ちが伝わってくる小説です。