能 「敦盛」を観る2007/08/11

古典芸能というと、今まで歌舞伎、浄瑠璃、狂言を観たことがあります。
その中で一番好きなのは浄瑠璃ですが、この頃見に行っていません。
能初心者としましては、「歌舞伎鑑賞教室」のように解説がある方がいいのではと思い、矢来能楽堂で開かれる「第7回のうのう能」に行ってきました。

最初に観世喜正の「敦盛」についての解説が20~30分ぐらいあり、その後に装束の着付けを見せてくれます。
今回は「敦盛」の後シテの若い武者の出立ちでした。

能は室町時代に現代の様な形になったそうで、普通は能と狂言が一緒に行われます。能は悲劇、狂言は喜劇を演じます。

「敦盛」は平敦盛のことで、彼は平経盛の息子で清盛の甥になります。
1169年生まれで、彼が生まれた当時は平家は貴族のような生活をしていて、色白の美男子(らしい)敦盛は笛の名手として知られていたそうです。
平家物語、第九巻に「敦盛最期の事」があり、能や幸若舞、文楽、歌舞伎などの題材になっています。
能の「敦盛」は、敦盛が死んだ後のことが描かれています。
平家一門が壇ノ浦で滅び、鎌倉幕府の世。
一ノ谷の合戦で敦盛を手にかけてしまった板東武者・熊谷次郎直実は自分の息子のような敦盛を殺したことで、殺生のむなしさに気付き、その供養のために出家をして、蓮生(れんせい・れんしょう)と名乗っていました。
敦盛の供養のために、その最期の地、須磨の浦を訪ねた時、一ノ谷で笛の音を聞きます。
草刈りの帰りらしい若者が三人通りかかったので、話をしている内に、その中の一人が笛を吹いていたのが分かります。
そのうち他の2人は村へ帰っていき、ただ一人帰らない若者がいるので、不思議に思って問うと、自分は平敦盛ゆかりの者で、毎日毎夜の弔いに感謝すると言ってどこへともなく消えていきました。

いつしか夜が更け、今度は敦盛の霊が在りし日の姿で現れます。
蓮生の供養に感謝すると共に、我が世の春を謳歌した都での日々、都落ちして戦いに身を置く境遇となった哀れさを語るのでした。

台詞が古典なので、分かる所と分からない所があります。
特に今回シテ役(敦盛)をした人の台詞が聞き取り難く、残念でした。
特に現代劇と違い、動きが少なく、そこがおもしろみに欠けるようです。
敦盛の霊が出てくる場面からが見物です。
当時敦盛は16歳だったので、面は「敦盛」専用で、美男子だったらしいというので、面は美しいものです。
この面をつけた敦盛は美しいですよ。(写真参照)
私はこの敦盛の姿を見るだけで、満足してしまいました。
次回はちゃんと平家物語を読み、謡本も読んで観てみたいものです。

来月の国立能楽堂のチケットを買いました。さて、寝ないで我慢できるでしょうか、笑。
そういえば薪能が盛んですが、暗闇の中で、松明の火がチラチラする中で観る能は、この世のものとは思えないほど美しいのだろうなと思いました。