フィリップ・プルマン 『黄金の羅針盤』2008/04/01

『ライラの冒険』おもしろかったですよ。
第二部の『神秘の短剣』が家の近くの2件の書店で売り切れになっていたので、すぐには読めなかったのですが、たまたま用事で行った恵比寿の三越の書店でやっと買えました。売れているんですねぇ。
もちろん、映画は本とは違い、場面が入れ替わっていたり、ちょっとしたことが変わっていたりしています。
例えば、コールター夫人が母親であると知るのは、映画ではコールター夫人から聞くことになっていますが、本ではジプシャンのマ・コスタに教えてもらい、マ・コスタがライラの乳母だったりします。
こういうような変更は映画化する上で、仕方ないんでしょうね。
一番びっくりしたのが、登場人物の性格です。
ライラが映画よりもおてんばで、嘘つきで、行動的。
アスリエル卿は利己的で、何よりも自分を優先し、映画よりも怖いキャラです。
一番本と合っているのがニコール・キッドマンのコールター夫人かもしれません。
頭がよく、自分の美貌を知り尽くしており、彼女にはどんな男もなびいてしまいますわ。

映画の続きでは、ライラは父親のアスリエル卿を助けに行きますが、一緒に行ったロジャーが、父親のある実験に使われてしまい、命を失ってしまいます。
ライラが死んだロジャーに会ってわびたいということが、さらなる冒険を呼びます。
いろいろな人物が登場し、意外なことが起こります。
アスリエル卿とコールター夫人は…。
言えませんわ。
ネタバレしちゃうとつまらないので、書かないことにします。

是非、本を読んでください。ハリー・ポッターより大人向きで、面白いですよ。

奉納靖国神社 夜桜能 第一夜 狂言「寝音曲』」 能「蝉丸」2008/04/03

「夜桜能 第一夜」に行ってきました。
思ったよりも寒かったです。
一時暖かだったのに、この頃は寒い日が続いています。服を薄着にしたためか、とても寒かったです(泣)。
九段下駅から靖国神社まで歩いていくと、千鳥が淵が見えます。桜が綺麗なので能がなければ、花見をしたのです。
桜を横目に靖国神社まで歩いていきました。
靖国神社の中も花見ができるらしく、夜店がたくさんでていて、人通りが非常に多いです。
靖国神社はたぶん初めてです。結構立派ですね。
開場が6時20分と遅く、列ができていました。
座席はSS席にしたのに、能楽堂でいう脇正面でした。
ひょっとして舞台に近い方から高いのかしら。
どちらかというと能楽堂のように、能が好きな人がくるというのではなくて、夜桜に引かれたという人たちが多そうな感じです。
普通はつかないアナウンスがありました。フジテレビ(だったかしら)が協賛していたせいでしょうね。
火入れ式は参議院議員やどこかの企業の社長がやっていました。
トイレが三箇所あったのですが、どこも混んでいました。
私は「寝音曲」を見たかったので、第一日目にしたのです。

<演目>
火入れ式
舞囃子「海人」(あま) 大坪喜美雄
狂言「寝音曲」(ねおんぎょく)   野村萬斎/野村万之介
能「蝉丸」(せみまる)   田崎隆三

「寝音曲」は難しい狂言だそうです。
というのも、上体を倒しての謡があるからです。
能楽関係者の人が上手い人じゃないと…と言っていました。
あらすじは、太郎冠者(萬斎)の部屋から謡を謡う声を聞いた主人(万之介)が、太郎冠者に謡うようにと命じます。
これからたびたび所望されては困ると思った太郎冠者は、いろいろと嘘をついて謡わなくてもよいようにしようとしますが、主人は結構しつこいのです。
そこで、酒を飲まないと謡えないとか、妻の膝で寝ながらじゃないと歌えないとか嘘をつきますが、謡を聞きたい主人は太郎冠者に酒を飲ませた上に、自分の膝まで貸します。
冠者は謡いはじめますが、寝ていると声が出るのに、起きると声が出ないふりをします。
ところが謡っているうちに間違えて、膝枕の時に声をださず、起こされた時に声を出してしまい、果ては謡いながら舞い始めてしまいます。
結局嘘がばれてしまい、逃げる冠者、追う主人…。
萬斎を見るのも3回目ですが、私は彼とは合わないようです。
どちらかと言えば、太郎冠者が万之介の方を見たかったです。

「蝉丸」は天皇家にかかわる話しです。
盲目に生まれた醍醐帝の第四皇子蝉丸は、盲目ゆえに出家させられ、逢坂山に捨てられます。
(ここで私の馬鹿さ加減がわかるのですが、何故か皇子が女に見えてしまいました。目が悪いとこういう勘違いが多くて困ります。)
身体に不自由なことがあると、例え天皇家に生まれても(天皇家に生まれたからこそかな)、捨てられるんですね。
蝉丸が一人淋しく、藁屋で琵琶を弾いていた時に、醍醐天皇の第三皇女で、物狂いになってしまい、放浪の旅をしている逆髪(さかがみ)が通りかかります。
彼女は出てくる時に笹を手に持っていますが、この笹、「狂い笹」と言って、物狂いになっていることのシンボルだそうです。(「能楽ハンドブック」より)
逆髪というのは、その名の通り、髪が逆さに生えているからだそうです。
実際の能でも、前髪が立っていました(笑)。
逆髪は琵琶の音がするのを不審に思い、立ち寄ります。久々に顔を合わした姉と弟…。
二人は互いに手を取り合い、悲運を歎きます。
やがて姉はいつまでも名残は尽きないと、いずこへともなく去り、弟は声の聞こえなくなるまで見送っておりました。
何分外なので、飛行機が思ったよりも多く上空を飛んでいました。
そのたびに声が聞こえにくかったのですが、まあ、何を言っているのかを理解するのではなくて、こういう運命に生まれた姉弟の悲しみを感じとれればいいのでしょう。
二人で手を取り合い、涙を流すという場面や別れを惜しむ場面は、流石の私もジーンときました。

夜桜能は一度体験してみたかったので、満足しました。
たぶん、もう二度と行かないでしょう。
だって、寒いんですもの。ホッカイロ二個もつけていたのに…。
今度野外で見るとしたら、真夏の薪能にしたいものです。

たかのてるこ 『ダライ・ラマに恋して』2008/04/04

この本を買ってしばらくしてから、チベットの事件が起こりました。
なんてタイムリーだったんでしょう。
たかのてるこの本は『ガンジス河でバタフライ』を読んでますので、2冊目です。
彼女の人なつこさとバイタリティーには本当に関心します。
この本でわかったのは、なんとボーイフレンドまで旅(ラオス)に行って作っちゃったとか。日本人では満足しないのね。
残念なことに失恋したそうでせす。ご愁傷様。

彼女のいいところは、会いたいと思ったら、会いに行っちゃうところです。
とにかく行動してみる。駄目元なんだから、できるだけのことをして、天命を待つ。
結果が出るまでに、とにかくチベットに行ってみようと思う。この心がけが幸運を招くんですね。
というか、ダライ・ラマの偉ぶらない態度にはびっくりしました。
彼ぐらいになると、一般ピープルには会わないとかいいそうなのに。
あ、マザーも気さくに会ってくれたか。
人間の偉大さとは何かと考えさせられます。

この本、2004年に出ています。ということは、内容はそんなに古くはありません。
中国のチベット自治区内は原則的に外国人が自由に行動することが禁じられていると書いてありますが、今でもこういう場所があったんですね。
私が中国を旅したときも、そういう場所がありました。(現在違っていたら、教えてください)
外国人が自由に旅ができないということは、チベット人の家に遊びに行ってはいけないということでもあるんですね。
もし行ったとしたら、後で警察がチベット人の家に行くそうです。
チベットでは「ダライ・ラマ」という言葉もおおっぴらにいえないそう。(29頁)
もっと驚くのは、チベット人と中国人の給料の格差が10倍だそうです。
これだけで、差別があるんだということがわかりますね。
本の中でニマというチベット人が言うことは胸を打ちます。

「チベットに、自由はないんだ。僕は自分の故郷を愛しているけど、愛しているからこそ、自由のないチベットにいることが辛くてたまらないよ。」

チベット自治区では自由に旅行のできなかったてるこは、インド領にあるチベット文化が色濃く残っているラダックへ行くことにします。
そこにはたくさんの優しいチベット人がいました。(詳しくは本を)
その中で私もてるこさんと同じように目から鱗になったことは、お寺で祈る時に何を祈るかということです。
日本人はたいてい自分と自分の家族のことをお願いしますよね。
でも、チベット人はお願いはしません。
「生きとしいけるものの、すべての幸せ」を祈るのだそうです。
「生きとしいけるもの」の中には自分も含まれているのです。
世界が平和になれば、自分も自動的に幸せになる。
この単純なことを、私を含め理解していない人が多いんですね。
チベット文化は深い。

もちろん、てるこはダライ・ラマに会えます。
そこで聞いた彼の言葉は次のような含蓄のあるものでした。

人間にとって一番大切なのは、「幸せな人生」。幸せな人生を送るには、物質的な便利さだけでなく、優しい心が必要です。感情的にならないように注意し、他者を思いやる心を持ち続けながら、お金を稼ぐ。

幸せな人生を全うするために、大事なものはふたつあります。物質的な発展と、心の発展です。このふたつは、どちらも必要なのです。

物質的な豊かさを否定しないところがすごいですね。私たちはなんとなく、物質的な豊かさを求めることは悪で、精神的な豊かさを求めることは善であると思わせられています。
前世とか後世とかにこだわらずに、今、ここである現世を生きることの大切さを教えているように思います。

有川 浩 『阪急電車』2008/04/05

有川浩は名前を見ると、男性のようですが、実は1972年生まれの女性です。
この小説は、宝塚市の宝塚駅から西宮市北口駅を経て今津駅を結ぶ、阪急今津線が舞台です。
有川さんが大学時代に住んでいたそうですが、夫のなにげない一言から、このような小説を書くことを思いたったそうです。
調べてみると、宝塚駅から今津駅まで14分と15分という説があるのですが、実際は何分なんでしょうか?
1分ぐらいたいしたことないですが、ちょっと気になりました。
8つ駅があるので、1往復分、16話。
大学生の恋あり、中年女性の悲哀あり、女の執念あり、いじめあり、そして、前に出てきた人同士の出会いもあったりして、どこでどう繋がっていくのか、楽しみです。
日常生活でひょっとしたら起こるかも、と思えることがさらっと描かれています。

特に印象に残った話のひとつが、寝取られ女の話です。
同じ会社でなんとなく仲よくしていた女が、結婚するはずの男を寝取り、妊娠しちゃったというよくある(?)話です。
寝取られた女は、別れる代わりに自分を結婚式に招待するようにと言います。
結婚式の日、彼女は花嫁の色である白いドレスを着ていきます。
周りから見れば、何があったのか一目瞭然。
結婚式を途中で抜け出し、今津線に乗ります。その時にある老女との出会いが…。
自分を裏切った男の結婚式に出るなどということをする女というのも理解できませんでしたが、読んでいるうちになんとなく、彼女の気持ちがわかってきます。
そして、それ以上に彼女が出会った女性の言葉が心に染みます。

どの話もそれぞれに心が温かくなり、勇気を与えられる話です。
ちょっと少女漫画チックかな?

「この森で、天使はバスを降りた」を観る2008/04/06

邦題に賛否があるでしょうね。最初私はどの人が天使?と思ってしまいましたが、映画を観ているうちに納得しました。
原題は"THE SPITFIRE GRILL"。

1996年製作
監督:リー・デイヴィッド・ズロートフ
パーシー:アリソン・エリオット
ハナ:エレン・バースティン
シェルビー:マルシア・ゲル・ハーデン

刑務所で、メイン州観光局のテレフォン係をやっていたパーシー・タルボットは、刑期満了になり、刑務所から出ることになります。
彼女が新しい人生を始めようと思った先は、インディアン伝説のあるギリアドという田舎町でした。
『オデッセイ』を読んだりしているのをみると、パーシーは結構読書家です。
そんな彼女はどんな罪を犯したのでしょうか。

彼女は夜行バスでギリアドに到着します。
窓からそっと彼女の様子を見る人々。
このショットで、ここが閉鎖的な町だということがわかります。
刑務所の職員の知り合いの保安官が、”スピットファイヤー・グリル”を紹介してくれました。
”スピットファイヤー・グリル”はハナというちょっと偏屈な老女が経営しているレストランです。
最初は上手く行くのかしらという感じでしたが、腰痛を持っているハナが上にある荷物を取ろうとして、椅子から落ち、骨折をしてから、二人の間に信頼感が生まれてきます。

町の人々はパーシーのことが気になってしょうがありません。
隙あれば、詮索しようとします。
パーシーは自分の身の上を隠すのではなく、おおっぴらにします。
自分は刑務所から来たと。
ハナの甥で不動産屋をしているネイハムは、そんなパーシーのことをおもしろく思っていませんでした。
一体なんのためにハナの所にいるのだ?絶対何かある。
そう思ったネイハムは、パーシーを見張るために、いつも役立たずだと馬鹿にしている自分の妻、シェルビーにレストランを手伝わせることにします。
自分に自信がないシェルビーはいつもビクビクしていましたが、レストランで自分の料理の腕を認められるにつれ、自信を持ち始め、パーシーとも信頼関係を築いていきます。
ハナはパーシーにあることを頼みました。
夜に麻袋の中に缶詰を入れて、裏庭の斧の横に置いておいてほしいというのです。
不思議に思ったパーシーはある夜、誰が取りに来るのか確かめます。
それはベトナム戦争で精神を病んだ、ハナの息子、イーライだったのです。
そんなことを知らないパーシーは彼をジョニー・Bと呼ぶことにします。

ハナはレストランを売ろうとしていましたが、不況下では売れません。
それを聞いたパーシーは、前に聞いたことのある作文コンテストをしたらどうかと言います。
レストランが欲しい人が100ドルの応募料を払い、店をどうしたいかを書いた作文を書きます。
最優秀賞をもらった人にレストランをあげるというものです。
嬉しいことに、続々と手紙が来始め、予想以上のお金が集まりました。
一体何が起こっているのかと、好奇心いっぱいの村人たちですが、そんな彼らを無理矢理作文の審査員としたところなんか、笑ってしまいます。

そんなハナたちを苦々しく思っていたネイハムはパーシーの過去を探り、彼女の目当ては金だと断定し、保安官にチクリに行きますが、保安官は相手にしません。
そこで、彼は…。

パーシーがイーライと密かに会っていることに気づいたハナは、戻ってきたパーシーに怒りをぶつけます。
その次の日、パーシーはいなくなり、お金もなくなっていました。
ネイハムのパーシーが裏庭で誰かに袋を渡しているのを見たという証言で、村人たちは森の中に共犯者がいると思い、山狩りをすることにします。

映画の中で次のようなセリフがあります。

パーシー:傷が深いのなら 治るのも それに比例して苦しいのかしら
ハナ:   たぶんね

美しい自然の中で、心の傷を癒そうとしている人々がいます。
でも、人は残酷なものです。
どうしてそのような心の行き違いが起こるのか、それは永遠の謎です。
人は過ちを通してしか、自分の過ちを理解できないのでしょうか?
そんなことを思わせられる映画でした。

三浦しをん 『あやつられ文楽鑑賞』2008/04/07

三浦しをんが文楽好きなのは、『仏果を得ず』を読んで知っていましたが、好きってもんじゃありません。熱狂的ファンなんですね。
しをんさん、文楽を観るためにだけ、大阪の国立文楽劇場に行っちゃうんですよ。
それも普通の公演じゃあ、ありません。「通し」ですよ。
朝から夜の9時半までぶっ通しで、一つの演目を上演しているのです。
そんな公演になんか、私は行こうなんて思いません。それこそ腰が…。
普通の公演は見せ場となる段だけ抜粋(「見取り」という)して上演しているらしいです。
昔の人って、今より暇なのか、体力があったのか?
長時間文楽を見たり、能を見たり。
ひょっとして、適当にいい場面とか好きな場面だけしか見てなかったりしてね。

この本は演目の説明(もちろん、しをんさんの私的観点からですよ)あり、突撃!楽屋訪問あり、太夫と語るあり、人形を繰ってみようあり…。
私なんか、しをんさんの語る文楽と歌舞伎の違いには、思わず「そうか」と膝を叩いてしまいましたぞ。
ミーハーなところいっぱいですが、いい文楽入門書になるでしょう。
彼女に触発され、国立劇場小劇場の文楽5月公演のチケットを思わず取ってしまいました。
が、しかし、文楽人気恐るべし。
発売2日目にして、土日はほぼ完売。
私が取れたチケットは後ろから2列目でした。
買ったオペラグラスが活躍しそうです。

奥田 英朗 『町長選挙』2008/04/09

例の伊良部、大活躍です♪(誰かわからない人は、名前をクリックしてね)
前半は、実在の人物で世間をお騒がせした人たちをモデルにしています。
たぶん、たぶんですよ、ナベ○○やライ○ドアのあの人、そして、私の予想では女優の黒○さん。
ご本人が読んだら、どう思うでしょうか?
ナベ○○なんか、怒りすぎて、危ないかも。
ひょっとして彼らはこの本のようだったりして・・・と想像するだけでもおもしろいですよ。

題名になっている『町長選挙』は、他の短編と違ってモデルがいません。
伊良部、父親にはめられ、離島に行く!という話です。
この離島は町長選挙の真っ最中。二人の候補者が争っています。
毎度毎度、袖の下が出まくりで、町民はどちらを応援すると得かで動きます。
伊良部はケロっとしたもので、どちらからもちゃっかり貰う物を貰っています。
ホント、彼はただ者ではない。
結局両方から貰っていることがばれてしまい、どちらを応援するか迫られ、出した答えが、笑っちゃいます。
ネタバレになるので、書きませんが。
ヒントは、運動会で男子がやる競技です。
その競技を両候補者陣営で行い、勝った方が町長になるというものなのです。
相変わらず奇想天外な、伊良部です♪

ローリー・リン ドラモンド 『あなたに不利な証拠として』2008/04/10

アメリカの5人の婦人警官を主人公にした短編集です。
婦人警官というと、日本では小さなパトカーに乗っている、交通違反を取り締まる人という印象がありますね。
そういえば、未だに交番に婦人警官を見たことがありませんね。何故なんでしょうね。
アメリカでは、婦人警官というと、男の警官と同等に渡り合っているという印象があります。
パトカーに乗って、何かがあったらすぐに現場に行くということに、男女差があるとは思えませんが、本の中に書いてありましたが、防弾チョッキをつけ、拳銃を装備していると、体格差(性差ではない)により、大変さが違いますよね。
身体が小さく力がないと圧倒的に不利ですね。
考えてみると、日本とは違い、アメリカはいつ撃たれるかわからない、そういう状況が多いので、警官の苦悩も強いように思います。
自分と同じ性の人がレイプされ、惨殺されているのを見て、正気を保っていられる人がどれぐらいいるでしょうか?
正当防衛で人を撃ってしまって、仕方なかったと思える人がどれぐらいいるでしょうか?
いくら精神的にタフでも、生身の人間ですから、いつしか精神が病んでいくと思います。
彼女たちの苦悩が身近に感じられます。

私が特に好きなのは、最後のサラの物語です。
「生きている死者」で、サラは通報者に会いに行きます。
隣の女性、ジャネットの姿が見えないというのです。
家に行ってみると、ジャネットはひどい死に方をしていました。
サラたち女性の警官たちは、被害者のために、女だけの集いをしていました。
彼女たちはジャネットのために、集いを開くことにします。
集いの夜、サラたちがジャネットが死んだ現場である家に着いてしばらくして、誰かが家にいることに気づきます。
サラたちは、そこでしてはいけないことをしてしまいます。

「わたしがいた場所」では、良心の呵責に耐えきれずに警官を辞めたサラは、自分のいた場所を去り、目的もなく車を走らせて、ニューメキシコにたどり着きます。
ある町はずれに貸家があり、サラは直感的に「これ以上いい場所はない」と思い、その家を借りてしまいます。
隣人のメキシコ人の家族と知り合いになり、配送の仕事をしてくらしているうちに、サラはいつしか自分を赦すことを学んでいきます。
これはサラの「再生」の話なのかもしれません。
傷ついても、いつか人は癒されるという…。

訳者の付記がいいので、載せておきます。大家の老女の言葉です。

「恐怖を抱えていたら、自分を赦すことも希望を持つこともできない。多くのことを知っているつもりでも、本当は少ししか知らない。何もかもわかっている者などいないと理解するまで、幸せには生きられない。自分が強いとうぬぼれてはならない。人は自らの弱さを抱きしめるとき、強くなれる」

三好春樹 『老人介護 じんさん・ばあさんの愛し方』2008/04/13

題名を見ると、なんて老人を馬鹿にした題名だと思うでしょう。
でも、本を読むと違うんです。
「老いる」ことに対して、新しい視点を与えてくれる本です。

何年か前に、特別養護老人ホームを見学したことがあります。
その時感じたのは、「ここには入りたくないな・・・」でした。
ホームでくらしている老人達を見て、「かわいそう」とも思いました。
何故なのでしょうか。
まず部屋が病院の病室のような感じだったのです。
なにも飾り付けがなく、人がそこで暮らすという感じがしていなかったのです。
そして、プライバシーが全くありません。
なんか人生の終わりを過ごすところとしては、これはないな、とちょっと悲しくなってしまいました。
だから自宅で過ごしたいという人が多いんではないでしょうか。

「老いる」のは誰でも平等に起こることです。自分だけが特別ではないのです。
三好さんは、高度成長を支えた世代を襲った自らのアイデンティティを突き崩すショックとして、オイルショックと、「老いる」ショックをあげていますが、なるほどと思いました。
「老いる」ショックとは、うまい。座布団一枚!ですね。
50代、60代になってから、「老いるショック」を受けないように、徐々に老いを受け入れる準備をしていくといいのかもしれません。
そのためには、「老人と若者では時間の流れ方が違うこと」に気付いていくことが大事なようです。
そうすれば、動作や理解の遅いことにも腹が立たなくなるでしょう。

この本を読んでいて、つくづくとそうだと思ったことがあります。
それは、年をとると人間丸くなるということは嘘だということです。
三好さんによると、「人間が丸くなるどころか、人格が完成するどころか、年をとると個性が煮つまるのだ。真面目な人はますます真面目に、頑固はますます頑固に、そしてスケベはますますスケベに」
や~、親や義理の親、同僚などを見ていて、日頃思っていたことが腑に落ちました。
そうなんです。老いると、人間ますます個性が強くなっていくのです。
それがいい悪いと言うんじゃないのですが、接していると結構きついものがありますが。
この頃、自分のことを振り返っても、全然丸くなっていないから、これじゃあ駄目じゃんと思っていましたが、これが当たり前なんですね。
そう思うと気が楽になりました。
もっともっとワガママになって、若者に嫌われてやるぞ!!とも思いましたが、介護してくれる人に迷惑かけそう。
でも、これから老いていくに従い、どういう風に個性が煮つまっていくのか、楽しみかも。
「老いる」ことがちょっぴり怖くなくなってきました。

ジェイン・アン・クレンツ 『すべての夜は長く』2008/04/15

「ロマンス界の女王が精緻に紡ぐラブ・サスペンスの名作!」ということです。
作者はジェイン・アン・クレンツ。前にロマンチック・サスペンスとして『夢見の旅人』を紹介しましたが、今回の本は「ラブ・サスペンス」だとのこと。違いは何でしょうか?
別に違いはなくて、訳あり女が男と出会って、いろいろとあり、最後はうまくいくという、おきまりのパターンです。
じゃあ、読むな!と言われそうですが、ついつい買ってしまいました。

マイナーな地方新聞「グラストン・コーブ・ビーコン」の記者をしているアイリーンが、17年ぶりに故郷に帰ってきました。
彼女の両親は悲劇的な死に方をしており、彼らの死以降故郷に戻っていなかったのです。
たった一夏の友人であったパメラが、アイリーンに、重要な過去に関することを話したいというメールをよこします。
そのため、アイリーンはパメラに会いに故郷に帰ることにしたのです。
<サンライズ・オン・ザ・レイク・ロッジ>にチェックインし、パメラに連絡するのですが、連絡がつきません。
おかしく思ったアイリーンは、真夜中にパメラの家に行くことにします。
ロッジのオーナーのルークは、アイリーンのことが気になってしかたありません。
彼女が深夜出かけるのに気づくと、後をつけることにします。
アイリーンとルークが見つけたのは、死んだパメラでした。
パメラは自殺したと結論づけようとする周りとは違い、アイリーンはパメラが殺されたのだと確信します。
そして、ルークを引き込み、パメラと自分の両親の死の真相を探っていきます。

ラブ・サスペンスのラブは誰と誰か、もちろんわかりますね。
サスペンスの方はおいおいそっちに行くのかという感じで、最初は全くわかりませんでいた。
まあ、読んでもソンはないでしょう。
あくまでもラブ・サスペンスですから。