帚木 蓬生 『エンブリオ』2008/10/02

実りの秋ですが、この頃職場の人からもらう物があって、食いしん坊には誠に嬉しいかぎりです。
今日は秋の味覚の栗とミョウガをもらいました。
明日はサツマイモをもらう予定です♪

駅の書店に文庫本の『エンブリオ』があったので、買って読んでみました。
「エンブリオ」とは、受精後八週までの胎児のことです。
この本は、『インターセックス』の後半部分に繋がります。
医療に関する問題提起が今までの本にはありましたが、どちらかというと産婦人科医・岸川が自分の病院の秘密を守るために、どうしたかという話に重きがおいてあり、そこが残念です。

印象に残った部分は、日本と外国の法律の違いで、「日本は赤ん坊が体外に取り出された時点でヒト」になり、「体内にいる時は、この世の摂理や慣習、法律は及んでいない」ということです。
だから日本では人口中絶は罪にはならないし、中絶大国と言われている由縁なのです。
主人公の岸川はこのことをいいことに、人工中絶をした胎児の臓器を使い、臓器移植をしたり、死者の卵巣から卵子を取り出し培養して、体外受精をし、遺伝的繋がりのない男性に移植したりと、好き勝手なことをしています。
すべて、患者のため、不妊のカップルのためという大儀で。
そして言います。
「反倫理なことは反自然なことであり、医学と医療は反自然ではないか。
しかしそれも慣習化すると倫理性などという議論はなくなっていくのだ」と。
心臓移植の時もそうでした。
なんでも初めてやる人は批判されます。
しかし、先例ができて、手術が成功するにつれ、当たり前のことになっていきます。

医学の進歩は望ましいけれど、どこまで許せるのかは難しいところです。

帚木蓬生 『安楽病棟』2008/10/03

このところ帚木蓬生の本を続けて読んでいます。
今回の本は終末期医療のことです。
ある病院の痴呆病棟の患者の一人一人の人生をはじめに紹介し、その後に現在の状況を描くことによって、誰でも若いときがあったという当たり前のことでありながら、忘れられていることを思い出させられます。

初老とはいくつからだと思いますか?
本にでていたのですが、それは40歳からだと言うことです。
若いと思いますか?
私はなるほどと思いました。
30歳台はまだまだ若く、無理のできる時期です。
でも40歳からだんだんと自分の体力の限界を感じ始め、40代後半から病気が出てきます。
50台になると、親との別れがあります。
自分の老いを止めることは誰も出来ません。
この本にでてくる人達を笑うことはできないのです。
どう老いるのか。
そのことをそろそろ考えなくてはと思います。

オランダの安楽死についても書いてありました。
オランダでは「安楽死」とは言わずに、「ライフ・ターミネーティング(生命終結行為)」というのだそうです。
その方法として、致死的薬を与える、治療の副産物として生命を縮める、治療中止の3つがあります。
私は安楽死は病気にかかった人が自分の意志で決定するのだと思っていました。
ところが、そうでない場合が多いのです。
例えば重篤な障害を持った新生児や痴呆症患者なども対象になっているのです。
その上驚いたことに、親族の同意があってもなくても、医師に安楽死の最後の決定権があるのだそうです。
オランダの例では親が障害を持って生まれた新生児の治療をして欲しいと頼んでも、してくれない医師がいたそうです。
統計によると、オランダの全医師の半数が安楽死に関わった経験があり、年間の死亡数の四割が安楽死だそうです。
医師に判断されるということに、ひっかかります。
医師なら誰でも適切な判断ができると言えるでしょうか。
先天異常の新生児や昏睡患者、末期癌患者、重度痴呆患者などは生きる価値がないなどと言えるでしょうか。
本にでてくるどの患者も、生きている価値がないなどと言えるでしょうか。
「ケアすることで、自分がケアされる」と病棟の看護師が言っています。
人はみな老いるということを肝に銘じ、老いについて考えることが必要でしょう。

帚木蓬生の本を読みながら思うのですが、最後にミステリー色を出したがりますが、それが必要なのかどうか…。
淡々と痴呆病棟を書く小説であってもよいように思いますが。
まあ、少々不満はありますが、それ以上に色々と考えさせられる小説です。

「王妃の紋章」を観る2008/10/05

北京オリンピックは何となく終わりましたね。
あまり興味がないので、チャン・イーモウ演出の開会式と閉会式はみませんでした。
後でいろいろと暴露話がありましたが、映画監督としての彼は才能のある人です。
初期の作品の「赤いコーリャン」や「菊豆」、「紅夢」などはスクリーンで観ました。
その後はだんだんと有名になっていき、金にものを言わせる派手な映画を作るようになってきてから観ていませんでした。
この映画も同僚が貸してくれなければ観なかったでしょう。
中国の歴史はからっきしダメですが、後唐の時代というと923年から936年の13年間しか続かなかったのですね。

国王(チョウ・ユンファ)と王妃(コン・リー)の仲は冷え切っていました。
そのためか、前の王妃の息子である皇太子・元祥(リウ・ウエ)と王妃は不義の関係になっています。
そのことを知った国王は王妃を暗殺するために、医官に命じて、王妃の薬にトリカブトを入れさせます。
自分は病気ではないと思った王妃は、薬に何が入れられているのかを調べさせます。
そして国王の意図を知るのですが、薬を飲むことを止められません。

皇太子・元祥は自ら自分は国王の器ではないと悟り、跡継ぎを他の王子にするようにと国王にお願いしていました。
外地にいた第二王子・元傑(ジェイ・チョウ・写真)は重陽節のために王宮に戻ってきます。
彼は母思いの息子だったため、王が自分を殺すつもりであると知った母親の陰謀に引き込まれていきます。

一方元祥は王妃との不倫関係を止めたいとは思いつつ、医官の娘と付き合っていました。
このことが後で取り返しのつかない不幸を招くことを知らずに…。

絢爛豪華としかいいようのない黄金の王宮のセットとは裏腹に、国王一家の間にあるドロドロとした関係にはすざましいものがあります。
衣装などに使われた金糸などを考えると、相当なお金がかかったことでしょう。
最後の戦闘場面など見事です。
第二王子がいいですね。
もともとは歌手で最後の歌を歌っています。
台湾のアイドルらしいのですが、日本の顔だけが自慢の歌が下手なアイドルと一緒にしてはいけませんね。
私は第二王子の最期の悲しさを思うにつけ、国王の厚かましさに、一瞬王妃のコン・リーの気持ちになり、殺してやりたいと思いました、笑。
一国の王はこうでなければ勤まりませんがね。

こういう映画もありですが、「紅いコーリャン」みたいな映画の方がやっぱり私は好きですわ。

帚木蓬生 『臓器農場』2008/10/06

帚木蓬生さんの話が昨日の朝日新聞に載っていたそうな。
ネットで調べてみると、ありました。
彼は「無関心」と「無知」がもっともいけないことだと言っています。
『蟹工船』が売れているのに対し、「小林多喜二が読まれているのは現代作家の怠慢。読んだ人の人生が変わるくらいの小説を書かないと、作家の存在意義はない」とも言っています。
『蟹工船』は文学史上に残る名作ですから、現代作家の本と比べちゃあいけませんわね。
でも『蟹工船』に負けないようないい本を書くぞという心意気が大事ですが。

彼が医学部在学中に教授が論文をでっちあげる事件があったそうです。

医師の倫理観のあいまいさやうさんくささに直面したことが小説執筆の原動力となった。「だから主人公は、告発する人や権力にたてつく人にならざるを得ない」

だから彼の書く主人公達は戦うんですね。

駅ナカの本屋に行くと、50台ぐらいの女性が、書店のお兄ちゃんに朝日新聞の切り抜きを見せながら、「『エンブリオ』を探してください」と言っていました。
お兄ちゃんは「雑誌か何かですか?」とお馬鹿な受け答えをしています。
笑えましたが、新聞の書評の影響はすごいものがあるんですね。
彼の本もそろそろもういいかなという感じになりつつありますが、この『臓器農場』が今まで読んだ中では一番ミステリーっぽいです。

主人公の規子は看護学校を卒業し、家からケーブルカー通勤のできる聖礼病院の小児科で働き始めます。
最初は聖礼病院で働けることを誇りに思っていたのですが、ケーブルカーに乗って山頂に行ったとき、レストランで聞いた「ムノウショウ」という言葉から、病院に対して疑惑を持ち始めます。

聖礼病院は幼児の臓器移植で有名でした。
妊娠中のある時期ににビタミンAを多量に取ると無脳症児になります。
そのことを利用し、無脳症児を作り、その臓器を移植に使用し、そこに金銭が行き来しているのではないかと規子は思ったのでした。
たまたま花見の場所を探していた時に出会った的場医師と同級生で産婦人科の看護師、優子に、規子は自分の疑惑のことを話します。
二人はそれぞれ独自に病院の内部を探り始めます。

無脳症児は人間と言えるのか?
副院長は言います。「不幸にして無脳症児をみごもった妊婦にも…臓器移植によって何人もの他の赤ちゃんを救うことができると言ってやると、ほとんどの妊婦がほっとした顔をします。…無脳症児からの臓器移植というのは、二重の意味で救いになるのです」

本来なら死ぬしかない命が、臓器移植によって生きながらえる。
そのことはよいことであるけれど…。
深いテーマですが、それをミステリーで書く必要があるのかどうか。いつも疑問に思います。

「スタンドアップ」を観る2008/10/08

原題は"North Country"ですが、今回の邦題はいいかも。
炭坑というと、圧倒的に男性の職場であると思いますよね。
しかし、流石アメリカ。どんな職場にも女性はいるんですね。

ジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)は暴力夫と別れ、父と母が住むミネソタ州の北部に、息子と娘と一緒に帰ってきます。
彼女は高校生の時に妊娠してしまい、それ以来父親とは仲違いをしていました。
帰ってきた娘に父は、「浮気がばれたから殴られたのか」と言うのでした。
美容院に働き口を見つけますが、父の家を出て暮らすまでは稼げません。
美容院に友達のグローリーが来て再会し、彼女の勧めで炭坑で働くことにします。
父親は自分の職場に娘が来ることが許せず、猛反対します。
月賦で家を買い、ホッとしたのもつかの間、炭坑はそんなにいい職場ではありませんでした。
言葉(メス豚、アバズレ、一発やらせろ等)のセクハラは当たり前。
女性蔑視の言葉(RATS、CU○○、フェ○○○、○○$等)が壁に書きつけられ、身体に触られ、いつ襲われるのかとビクビクするような毎日です。
ロッカーを開けると、セーターに精液のようなものがついていたり、弁当箱に男性器のおもちゃが入っていたり…。
本当にむかつく炭坑の男達です。
監督が女性だそうで、なるほどと思いました。
男の監督にはこんなの描けませんわ。

このような実態をどうにかしようと、組合に訴えると、男の職場を奪っているのに文句を言うなというような感じです。
上司に言っても、社長に言っても、じゃあ辞めろというばかり。
ジョージーは家族を養うために、なんとしても仕事を辞めたくないのです。
女性達で話し合っても、職場を追い出されるのは嫌だからと、誰もジョージーの味方にはなってくれません。
頼りのグローリーは病気になってしまいます。
ジョージーに対する嫌がらせはだんだんとひどくなっていきます。
トイレに入った時にされた嫌がらせが、ジョージーの我慢の限度を超えてしまいます。
グローリーに前に紹介されていた元ホッケー選手で弁護士のビルに、裁判を起こしたいから弁護してくれるようにと頼みます。
たった一人の戦いが始まりました。
彼女のことを無視していた父親でしたが、妻が家出をしたことから、思い直し、娘のために立ち上がることにします。
娘が人生を自分の責任において歩き始めたことに気づいたのだと思います。

心に残る場面は、ジョージーが自分の出生の秘密を知った息子と話すところです。
詳しくは書きませんが、ジョージーの息子に対する強い愛情を感じます。

映画の主題になるのですが、誰でも間違っていると思うことを間違っていると言いたいですよね。
でもそれが許されないような状態の時に、間違っていると言えるでしょうか。
たぶん、言えないですよね。
言えないけれど、でも自分は真実を言うという勇気があるかどうかで、その人の人間性が測られるのでしょうね。
社会一般を考えてみても、間違っていることを間違っているといえない社会は、どこか歪んた危ない社会であると思います。
戦争時のことを考えてみて下さい。
戦争反対などと言える雰囲気ではなかったですものね…。

お勧めの映画です。

アリスン・ブレナン 『唇…塞がれて』&『瞳…塞がれて』2008/10/09

昨年だと思いますが、「ザ・プレイ」・「ザ・キル」・「ザ・ハント」という三部作を紹介したと思います。
その作家の新しいシリーズ物です。
殺人の方法など、相変わらず気持ちの悪い書き方ですが、途中にハーレクイン風なセックス描写が入るので、今回も飛ばして読んでしまいました、笑。

「キンケイド」シリーズとは、キンケード兄弟が出てくるから、そう名づけられたのです。
一番上の兄、ディロン・キンケードは犯罪精神医学専門の精神科医で警察や検査局に犯人のプロファイリングを頼まれたりしています。
カリーナ・キンケードはサンディエゴ警察殺人課刑事。
コナー・キンケードは元サンディエゴ警察刑事で今は私立探偵。
一番下の弟、パトリック・キンケードはサンディエゴ警察ネット犯罪対策班刑事。
末っ子のルーシーは大学生。
警察関係の仕事をしている4人が猟奇的殺人犯を捕らえるために活躍します。

第一弾『唇…塞がれて』では、カリーナ・キンケードが主人公で、兄のディロンや弟のパトリックがカリーナに協力します。
第二弾『瞳…塞がれて』では、カリーナが新婚旅行に行ってしまったので、替わってコナーがサンディエゴ地方検事局検事補のジュリア・チャンドラーを助け、またまたディロンとパトリックが助っ人として登場します。

このシリーズでは今では当たり前になったインターネットの怖さが描かれています。
こういうブログで、自分のことを書いたりすると、誰か特定されて犯罪に巻き込まれたりする可能性があるのです。
チャトなんかで出会うのも危ないですね。
まだ日本ではこういう事件は起こっていない(と思う)のですが、近い将来起こる可能性があります。
特に若者にネットの怖さを教育すべきであると思いました。

本格的ミステリーを望む人には勧めませんが、私は意外と熱中して読んでしまいました。怖いもの見たさですかね。

「米田知子展―終わりは始まり」 at 原美術館2008/10/12

週間文春で「夫婦でデートに訪れたい美術館」という特集をやっていました。
一位は地中美術館(香川県)、二位は金沢21世紀美術館、三位に原美術館が入っていました。
「都会のオアシスのような美術館」「モダンな雰囲気のなかで最新のアートに触れられます」等書いてあったので、行ってみました。

品川駅のプリンスホテル側に出て左に曲がり、ずっと行くと10分ぐらいで美術館に着きます。
入り口は狭く、そっけないのですが、階段などはしっかりした作りです。
東京国立博物館や和光ビルを設計した渡辺仁により設計され、1938年に邸宅として建造されたそうです。
この美術館は主に1959年代以降の現代美術作品を収集しています。

米田知子さんは1965年生まれのロンドン在住の写真家です。
彼女の写真はたぶん初めて見たと思います。
なんの変哲もない壁紙や一見すると平和な街角、観光スポット、海辺、野原などが写っています。
しかし、題を読むと、その風景に意味が与えられます。
ノルマンディー上陸作戦の海岸、国際諜報団密会場所、血の日曜日事件現場、北アイルランド、エストニア、サイパン島、地雷原、サラエボ…。
美しいものの中に刻印された悲惨な記憶。
解説によると「見えないものを見る」視線が彼女の写真の特徴だそうです。
「炭鉱―南満州鉄道の重要財源になった露天石炭、撫順」の煙った風景が印象的でした。

庭を見ながら、カフェダールでお茶をしました。
展覧会にあわせてオリジナルケーキを出しているというので、そのイメージケーキを頼んでみました。
杏仁豆腐の上に胡麻のクリームが丸くもってあるものでした。
若いカップルと家族が多く、子供が芝生の上を駆け回っています。
ゆったりとした時間を過ごせました。(写真は二階の屋上から見たカフェ)

帰りにつばめグリルに寄りました。
お腹の調子の悪い私は、ハンブルグステーキではなく、ロールキャベツ ポトフ仕立てを食べました。
お腹いっぱいになり、安くてお勧めの店です。
が、お客は60歳以上の人が多いです。若者向きではないのかしら?

アリス・キンバリー 『幽霊探偵と銀幕のヒロイン』2008/10/13

ミステリ書店<バイ・ザ・ブック>の共同経営者のペネロピーと幽霊になった探偵ジャックのシリーズ4作目です。

古い映画館をリニューアルし、第一回キンディコット・フィルム・ノワール・フェスティバルが行われることになる。
呼び物は映画上映や講演、パーティー、サイン会。
もちろんペネロピーの書店でも、映画に関する本を売り出し、サイン会を計画していた。
ところが映画上映の後、伝説の銀幕のヒロイン、ヘッダ・カイストが現れ、ステージで話をしようとしたところ、天井からスピーカーが落ちてくる。
ヘッダは無事だったのだが、スピーカーに誰か何かをしたのではとペネロピーは思ったが、警察は事故と結論づける。
次の日には映画史家のアイリーンが新しい本のサイン会を<バイ・ザ・ブック>でやることになっていた。
ペネロピー達が本屋を開けていた時に、アイリーンは殺されてしまう。
アイリーンの新しい本に書かれていたことは、ヘッダのことで、ヘッダの愛人が元愛人に殺された事件についての真相が書かれていたのだ。
相変わらず警察は事故だと言い張り、ペネロピーは神経症だと言われる始末。
警察が当てにならないので、ペネロピー達は独自の調査を始める。

もちろん、幽霊のジャックも活躍します。
60年前、ヘッダが女優として全盛の時に、ジャックは探偵をしていました。
浮気調査をしていた時に、ジャックはヘッダの愛人が殺されるのを目撃していたのです。

本の内容とは関係ないですが、本の中に、灯台を改築して、ホテルの別館にしているというのが出てきましたが、そういうところがあったら是非とも泊まってみたいですね。

とにかく、失望させないシリーズです。

イギリスについての2冊の本2008/10/15

たまたま読んだ本がイギリスに関してだったので、まとめて紹介します。
一冊目が井形慶子の『少ないお金で夢がかなうイギリスの小さな家』、二冊目が高尾慶子の『やっぱり、イギリス人はおかしい』です。

井形さんはイギリス礼賛トーンだとしたら、高尾さんはイギリスには恩を感じているけれど、でもやっぱり日本がいいわという感じです。
井形さんの書くイギリスにも、イギリスの一面があり、高尾さんの書くイギリスにもイギリスの一面があると思って読むといいと思います。

井形さんの本に、イギリスの家の延べ床面積が書いてありました。
私たちって西欧諸国の家は大きいという感覚がありますが、なんとたった50㎡(たぶん、書いてあったページが探せません)ほどだとか。へ~、ですね。
それに家は一生住むとか考えないんですって。
家族の人数によって、買い換えるようですが、新築の家なんかあまりなく、90%以上が中古住宅だそう。
よくよく考えてみると、約80%が労働者階級ですから、貴族のマナーハウスのような所にみんながみんな住んでいる訳じゃあないですものね。
町ぐるみで景観を大事にしたり、狭くても、「コージー」な住まいを考えるという意味ではイギリスに見習うべきところもありますが、日本には日本の狭いところに住むための知恵というものがあったはず。
古人の知恵を思いだそう。
そうそう、日本のホームセンターの資材がとんでもなく高いとか書いてありますが、日本ではDIYリフォームが一般的ではないですから、需要がないからかもしれませんね。
イギリスでは業者を頼んでもいつ来るのかわからなから、自分でやることが多いものね。

高尾さんの本には、政治的なこととか、イギリスの変なところが多く書かれています。
ちょっと彼女の自慢話的な話もあり、好き好きでしょうね。
でも何と言っても、実際にイギリスに住んでいる人の庶民的な感覚がわかります。
何年か前に行われた、アフリカ飢餓救済のためのチャリティーコンサート、「ライブエイド」の裏話が書いてあり、私にはショックでした。
アイルランド人、ボブ・ゲルドフが提唱して、アメリカとイギリスの当時の売れっ子ロックスター達が出演したのですが、ゲルドフは自分の売名行為のためにやったとか…。
う~ん、本当はどうなのだろう…。

すべて鵜呑みにするんではなく、イギリスにはこんな面もあるのね、と軽~く読むといい本でした。

白石一文 『私という運命について』2008/10/16

たまたま行った駅にあった書店に、本屋お勧めといって積んであったのがこの本です。
本屋お勧めというのは流行なのでしょうか。
結構コメントなど書いてある本屋が増えていますね。
その日は私もなんとなく、いつもは読まないような本を読んでみたいという気になっていました。
それじゃなきゃ知らない作家の本なんて買いませんもの。
ちょっと題名が仰々しいですね。

ある女性の29歳(1993年)から40歳までを書いた本です。
まあ、言ってしまえば「女の一生」みたいなもんですか。
主人公と同じ年代の女性が読むと、何か感じることがあるかもしれません。
でも、ちょっと・・・と私なんかは思ってしまいます。
書いた人が男性だから、そうあって欲しい女性の姿を書いているのかもしれませんね。
一見平成の女の一生みたいだけれど、底に流れているのは古き良き時代の日本女性の姿でしょうね。