Kバレエ・カンパニー「ピーターラビットと仲間たち & 放蕩息子」を観る2009/03/01

熊川哲也さんが怪我をして公演が中止になっていましたが、今回は幸いに大丈夫でした。

   3月1日(日)  14時 オーチャード・ホール
   《放蕩息子》
 放蕩息子:熊川哲也
 サイレーン:浅川紫織
 父:ルーク・ヘイドン
 姉妹:木島彩矢花、松根花子
 放蕩息子の召使:ビャンバ・バットボルト
         ニコライ・ヴィユウジャーニン

のどかな村でくらすある一家の話。
父親には財産があるため、なにひとつ不自由がないが、田舎暮らしに物足りなさを感じていた息子。
最初のジャンプで、さすが熊川と思ったのですが、その後はたいした見せ場がなかったような…(なにしろ半分寝ていたので、笑)
父から財産分与を受け、意気揚々と都会に旅立ちます。
都会にはなにやら坊主頭の変な奴らがいて、何者?と思っていると、そこに妖艶(らしい)サイレーンが現れ、息子を誘惑します。
なんとも不思議な踊りで、誘惑しているようには見えませんでした。
すみません。失礼なことを書きます。
サイレーン役の女性の太ももが妙に立派で、バレリーナにしては珍しいなと、変なところに気持ちが行ってしまいました。
その後、眠くなり、ところどころしか見ていません。
サイレーンの魔の手にかかった息子は身を持ち崩し、故郷に帰ろうと決心します。
杖にすがり、荒れ野を這うように進み、家に帰ると…。
父は喜んで息子を迎え入れます。
どんなに馬鹿な息子でも、父の愛は強いという話ですね。
息子を許す父は神の慈悲そのものだそうです。

   《バレエ ピーターラビットと仲間達》
出演者:まちねずみジョニー、チュウチュウおくさん、ねずみくんたち、ねずみちゃんたち、ティギー・ウィンクル、あひるのジマイマ・バドルダック、きつねの紳士、ピグリン・ブランド、ピグウィグ、ぶたくんたち、ぶたちゃんたち、ペティトーおばさん、ジェレミー・フィッシャーどん、2ひきのわるいねずみ(トム・サム、ハンカ・マンカ)、ピーターラビット、りすのナトキン、4ひきのりすたち、8ひきの小さなりすたち

この頃、マナーの悪い人が増えていると、他の人のブログにも書いてありましたが、今日のとなりの40代女性とその母は困ったちゃんでした。
子供が着ぐるみを着たダンサーを見て、声を上げるのはかわいいもんですが、おばさんが横で「すごいわね~。よくあんなもの被って踊れるもんだわねぇ。(頭が)動かないのかしら?バレエ学校の子が出てるわね。30万ぐらい払ったのかしら・・・etc.」などと大声で言うのは、全然かわいくないです。
別に知りたくなかったのですが、お子さん、Kバレエ学校に通ってるらしいです。
もうお分かりのように、ホント、かわいいんですよ。
大人でも十分楽しいんです。
ドールハウスに入って、テーブルに料理があったので、喜んで食べようとして、食べられず、やけになって料理を床に投げつける二匹のねずみや、きつねの紳士と踊るあひる、ぶたくんとぶたちゃんの踊り、ジャンプの得意なヒキガエルなどなど、次から次へと動物達が踊ります。
どの動物がどのダンサーか、男か女かわからず、まあいいかという感じになります。
ピーターはそんなに出番がありませんでした。
というか主役ではないです。
どんなに動物達がかわいくても、私の眠気はさめず、ウトウトしながら見てました。
バレエは寝ないと思ったのですが、甘かった。
カーテンコールでも、ダンサーは着ぐるみを脱がず。
となりは相変わらず「大変ねぇ。早く脱ぎたくないのかしら」などなど。
ホント、家庭でテレビを見ている気分なのね。
会場ではピーターラビット・グッズが売っていました。
本当はぬいぐるみが欲しかったのですが、携帯ストラップで我慢(?)しました。
バレエと着ぐるみ。結構いいかも。
今度は『くまのプーさんと仲間たち』はいかがでしょう?

柳原和子 『百万回の永訣―がん再発日記』2009/03/02

『がん患者学』では一応がんがなくなったはずだったのですが、今度は肝臓などにがんが再発し、余命2年と言われてしまった柳原さんの一番よい医師、一番いい医療を求めて彷徨う話です。
読んでいて思ったのですが、彼女だからこそ、このような医療を受けることができたのだということです。
もし、私や家族だったら、彼女のような医療を受けられたでしょうか?
無理だと思います。彼女のような知り合いのネットワークはないし、情報もどうやって探せばいいのかわからないでしょうから。
彼女には医療過誤で知り合った医師がいるし、日本国内だけではなく、アメリカの医師とも知り合いで、アメリカの医療についての情報も手にいれているのです。
それに、彼女のように有名になると、医師も何を書かれるのかわからないので、普通の患者よりも丁寧に扱うことになると思います。
本の中で、ある医師もわたしと同じように思ったらしく、こう彼女に告げています。

「あなたはほんとうに幸福な患者です。・・・ある意味で特別な待遇を受けている・・・あなたが受けてきた医療をすべての患者が受けようと思ったら、現在の医療制度と医師の境遇ではほとんどの病院と、そして医師の心身が壊れます。それをはたしてあなたは理解しているのだろうか?」

そのことに対する彼女の言葉。

「十分すぎるほど、理解している」、「わたしはわかりたかった。死ぬために受ける治療の意味を。納得して死ぬ医療とは何か?を。短く、苦しい最期の日々を医師と治療はどのようにわたしを援護してくれるのか?を。」

悪いのですが、何やら空々しく聞こえてしまいます。
一つだけ言えるのは、どんなにすばらしい医療行為を受けても、満足しない人がいるということです。
死を敗北とする今までの医療が続くならば、どんな治療をしても、満足はできないということになります。
自らの死をどう受け入れていったらいいのか、その方法を知りたいと思いました。

本にあったいい話。
オーストラリア政府の官僚であり、優れた科学者であったクリスティーン・ブライデンは54歳。
9年前にアルツハイマーの診断を受けました。
診断を受けてからの2年間はひきこもっていたのですが、寂しさを感じ、結婚相談所に登録をします。
そして出会ったのか、外交官のポールです。
彼女の病気のことを知りながら結婚したポールはこう言います。

「(一緒に過ごせる残りの日々は)数年かもしれない、数ヶ月かもしれない、数日かもしれない、一日かもしれない。一日あれば何もないよりもいい。あとは贈りものなのです」

ヘレン&モーナ ・マルグレイ 『ねこ捜査官ゴルゴンゾーラとハギス缶の謎』2009/03/04

変な題名のミステリーです。
麻薬密輸捜査官D・J・スミスのペットがゴルゴンゾーラという変わった名前のねこです。
というのも、犬が麻薬捜査に向いているかどうかゴルゴンゾーラ・チーズを隠してテストしていたとき、ねこが犬より先に見つけてしまったのです。
というわけで、麻薬密輸捜査ねこゴルゴンゾーラができあがりというわけです。

スミスとゴルゴンゾーラはパートナーとして、麻薬密輸を捜査しているのですが、スミスはなんというか、向こう見ずで、結構無謀なことをしてしまう女性です。
今回はスコットランドのエディンバラ近くのホテルを調査するために出かけますが、そのホテル、ペットは泊まれないのです。
それで、ゴルゴンゾーラは窓から出入りする羽目に。
ホテルの食事は美味しいのですが、なにやら怪しいホテルです。
調査を始めて少しして、死人が・・・。
なんとも頼りない麻薬捜査官スミスです。
ゴルゴンゾーラがあまり活躍していないのが玉に瑕。
スミスの一生懸命だけれど、どこかトンチンカンな捜査が笑いを誘います。

ちなみに「ハギス」とは、「茹でたヒツジの内臓(心臓、肝臓、肺)のミンチ、オート麦、たまねぎ、ハーブを刻み、牛脂とともに羊の胃袋に詰めて茹るか蒸したプディング(詰め物料理)の一種」とか。(Wikipediaより)
昔スコットランドに行った時に食べましたが、そんなにまずくはなかったですよ。
缶詰もあるらしいので、明治屋などで探してみてください。あるかも。

「ルーブル美術館展 ― 17世紀ヨーロッパ絵画」@国立西洋美術館2009/03/05

仕事も一段落したので、今日は休暇を取ってしまいました。
天気もいいし、お散歩気分で上野公園へ行ったのはいいのですが・・・。
何でこんなに人がいるの?
ベンチに座っているのは、圧倒的に初老の男性。
定年退職すると、することがないので、公園に来ているのかしら?なんで女性はいないのか?

旧東京音楽学校奏楽堂の内部が見られるようなので、入ってみました。
2階のコンサートホール(写真参照)は 明治23年(1890年)に建てられた日本最古の洋式音楽ホールだとか。
バロック音楽が流されていましたが、音響がよさそうです。
大きさもこじんまりしていていいので、一度コンサートに来てみようかと思いました。

西洋美術館の『ルーブル美術館展』は2月28日に始まったばかりです。
終了間近はとっても混むというので、平日の今日行ったのに、入場券売り場には行列が。
係員はまだ入場制限はしませんが、そのうちするかもしれないと言っています。
今がこれなら、もっと経つと・・・。
やっぱり日本の展覧会には行くのを止めようかな、と思いました。

入ってすぐにレンブラントの自画像とフェルメールの「レースを編む女」がありました。
レンブラントの自画像は川村美術館の方が良いです。
西洋美術館は古い建物だからか、部屋が狭くて、作品を無理やり押し込めたように感じました。
今回のように入場者が多いと、人とぶつかったり、足を踏んだりと、とんでもないことになります。
ゆっくりと鑑賞できるように何か方策はないものでしょうか?
例えば、一時間ごとに入場できる人を制限するとか。
もちろんインターネットで予約できるようにして。
人の頭越しに絵を垣間見て、帰って来ました。
空いているけれど、いい展覧会を探すしかなさそうです。

「まぼろし」を観る2009/03/07

シャーロット・ランプリングといえば、私は見ていないのですが、上半身裸にサスペンダーでナチ帽をかぶって踊るシーンが有名ですね。
退廃的な美女という感じです。
目が三白眼っていうんでしょうか、ちょっと行っちゃってるようで、よくよく見ると怖いです。
そんな彼女が54歳頃に出演したのがこの「まぼろし」です。
昔とそんなに変わっていません。
しわが増えたぐらい。
スタイルも54歳という年齢を考えると、抜群です。
映画でスポーツクラブでマシンをやったり、泳いだりする場面が出てきましたが、実際にやっていそうな腕の筋肉の盛り上がりです。
う~、うらやましい。54歳になっていない私なのに、デブだわ・・・。
個人的感想は置いておいて、映画です。

マリーとジャンは結婚して25年になる夫婦。
今年もバカンスでフランス南西部のランスにある別荘に出かけます。
車の中やドライブインでの様子には長年連れ添った夫婦らしさが漂っています。
着いた次の日、人のいない浜辺に行きます。
ジャンが泳ぎに行っている間にマリーは午睡をしていました。
気がつくと、夫がいません。
浜辺で泳いでいた男女に聞いても、誰も彼を見ていません。
一体彼はどこに行ったのでしょうか?
地元の警察にジャンの捜索を頼み、パリに戻ったマリーですが、夫の「まぼろし」を見るようになります。

何か嫌な出来事があると否認の気持ちが働くといいます。
マリーは夫が自分の傍からいなくなるはずはない、いやいなくなって欲しくないという思いが強かったのです。
周りはみな、ジャンは溺死したのか、蒸発したと思っています。
友達のディナーパーティに行った日、ヴァンサンという男を紹介されます。
夫のいない寂しさからか、ヴァンサンとデートをし、関係も持つのですが、夫を忘れられません。
ジャンはお腹のでた太っちょです。
全然格好よくないと思うのですが、そこは長年連れ添った夫婦。
ヴァンサンはお腹もでていない、スタイルのいい中年男性。
初めてベッドを共にしたときに、マリーが急に笑い出し、「あなたは軽いわ」という場面は印象的でしたが、言われた男はショックでしょうね。

ジャンのお母さんは養護施設に入っているようです。ジャンの溺死体が見つかったという知らせが入って、母に会いに行きます。
日本もフランスも変わらないのですね。
母は子供を産めなかったマリーに対し冷たいのです。
ジャンがうつ病で薬を飲んでいたから、ひょっとしたら自殺をしたのかもしれないとマリーが言った時、母はこう言います。
「薬を飲んでいたことは知っている、あなたは母と子の絆を軽んじている。家族を作れなかったあなたにわかるはずがない。ジャンは自殺したんじゃない。失踪したのよ。あなたに飽きたのかも。現実はもっと残酷かもしれないわ」
嫁も負けていません。
「あなたは養老院よりも、精神病院に入るべきだわ」(嫁)
 「あなたの方が先よ」(姑)
や~、怖いですねぇ。
ジャンがマリーのことを自分よりずっと大事にしていたので、母は嫉妬していたのでしょうか。

ランスの死体安置所で夫の溺死体と向き合うマリー。
彼女は夫の死を乗り越えていけるのでしょうか。
浜辺の最期の場面で監督は何を描きたかったのでしょうか。

親しい人が亡くなるという喪失経験を描いた映画です。
シャーロット・ランプリングはすばらしい女優なのだなと再認識しました。

「イカとクジラ」を観る2009/03/08

なんか不思議な題。原題も「THE SQUID AND THE WHALE」なんです。
米自然史博物館にある巨大ジオラマ「イカとクジラの格闘」を題にしたそうです。

NY、ブルックリンに住む、両親共に物書きで、息子2人がいるインテリ一家の話。
とにかく、父親がうるさい。
何事も一生懸命にやる。息子とテニスや卓球をやるのに、手加減しない。
全力を出し切んなくてもいいでしょうと思わずいいたくなります。
ようするに子供っぽく、精神的に成長していない感じ。
そんな夫に妻は愛想をつかしています。
始めは夫が売れていました。
しかし時が流れ、彼は時代遅れになり、なんと今度は妻が流行作家の仲間入りをしようとしています。
あの文芸雑誌「ニューヨーカー」にも作品が載ったのです。
妻は妻で浮気を繰り返しています。
それも、長男の友達の父親とか次男のテニスのコーチなど、身近な、夫曰く全然知的ではない人と。
それを息子に言っちゃうんですから、息子たちも母親の浮気の話なんて、聞きたくないですよね。

二人の不協和音はもう取り返しがつかなくなり、離婚を決意します。
迷惑だったのが、二人の息子たち。
父親と母親の間を行ったり来たりするはめに。
16歳の長男ウォルトは思春期真っ只中。
父親を崇拝しています。
ガールフレンドが出来て、親に紹介するのだけれど、父親は彼女から食事代を取る始末。
そのうちに父親のガールフレンドに気持ちが移っていきます。
そんな時、校内のコンテストでピンクフロイドのパクリをやり、自分で作詞作曲をしたと嘘をつき、バレてしまいます。

12歳のフランクは母親ベッタリ。
離婚がモロ精神に影響を与えてしまい、飲酒を始めたり、学校でマスターベーションを行い、精液を図書館の本や好きな女の子のロッカーになすりつけるという奇行を繰り返します。

変な家族だなと最初は思ったのですが、でもアメリカの普通の家族ってどんなの?
各家庭を覗いてみると、それぞれ変なところがあるんじゃないでしょうか。
現状を正しく認識できない、こっけいでかわいそうな父と、両親の離婚に翻弄される息子たち。
一人、母は強し。新しい彼氏と新しい生活を始めちゃうんですから。
映画の最後に、米自然史博物館にある巨大ジオラマ「イカとクジラの格闘」を見に行く長男の姿が…。
「まぼろし」といい、「イカとクジラ」といい、人は数々の困難を乗り越えてたくましく生きていくのさ。そんな風に思いました。

青木 新門 『納棺夫日記』2009/03/10

アカデミー賞を取った「おくりびと」の原作ということで、買って読んでみました。
「おくりびと」はまだ見ていません。
私のまたまた勘違いです。
日記というからには、その日、その日に出会った人々とのことが書いてあるんだと思ったのです。でも違いました。
死についての、納棺夫の雑感というものでしょうか。
この本に感動したという本木正弘さんを私は尊敬します。
でも、ごめんなさい。私、こういう本、苦手かも。
死を哲学的に取り扱ったからわかんないというんじゃなく、期待と違っていたため、なんか心が拒否ってます。
もちろんなるほどと思うところもありました。
例えば、火葬場や葬儀屋、僧侶たちと会って気づいたことです。

「死というものと常に向かいあっていながら、死から目をそらして仕事をしているのである。
自分の職業を卑下し、携わっているそのことに劣等感を抱きながら、金だけにこだわる姿勢からは、職業の社会的地位など望むべきもない。それでいて、社会から白い目で見られることを社会の所為にし、社会を恨んだりしている。
己の携わっている仕事の本質から目をそらし、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない。
嫌な仕事だが金になるから、という発想が原点であるかぎり、どのような仕事であれ世間から軽蔑され続けるであろう。」

この頃仏教やキリスト教が日本に根付き発展しつつある頃のことを読む機会が増えています。
その頃と比べ、現代は宗教が力をなくしています。
宗教だけではなく、医療も死から目をそらすことが当たり前のようになっています。
もっと死と生が共存してもいいように思います。

この本がどういう風に映画になるのか、ちょっと興味があります。

ドリーン・バーチュー 『天使と歩むライトワーカーの道』2009/03/11

ドリーン・バーチューというと、エンジェル・セラピーで有名です。
どういう人かと興味がありました。
彼女はエンジェルと交信ができるらしいのですが、どんな家庭で育ち、いつ頃からそういうことができるようになったのでしょうか?
この本はその質問に答える内容です。

前にある人にエンジェル・リーディングをしてもらいました。
その時、ある場面が何回も彼女に見えたそうです。
それを私は自分の野望に一致すると思っていたのですが、違っていました。
なんと今の職場とそっくりなのです。
彼女は予知能力があったのですねぇ。
ドリーンは彼女以上に接した人のことがわかるようです。
この能力は幼い頃からあったようです。
彼女の祖母が占いをする人で、どうもこのような能力は母方から遺伝する率が高そうです。

母親も変わった人で、クリスチャン・サイエンスの信者になったため、ドリーンも教会に通い始め、クリスチャン・サイエンスの影響を受けたようです。
クリスチャン・サイエンスとは、「聖書原理主義に基づく新興のキリスト系教団。教義は独自の聖書解釈と心霊主義(スピリチュアリズム。日本語では心霊科学ともいう)をミックスした体裁となっている」そうです。
彼らは「病は気から」を地で信じています。
つまり病は全て悪い信念から生じるものであるから、心のゆがみを治せば肉体の不調も治るということを信じています。
そのため、医学的な処置を拒否し、予防注射を受けたり、病理学、薬学について受験することも拒否しています。

ドリーンの家庭では何かなくなったりすると、祈るそうです。
そうすると、ほどなく物が見つかるそうです。
ドリーンが高校生になってから、友達がドラッグをやるので、一緒にドラッグを吸ったりした時も、母親達は祈ったそうです。
祈られても、ドリーンはドラッグを止めることができなかったようですが。
その後、ドラッグは止め、今度は妊娠、過食、共依存関係そして離婚と、今の彼女からは考えられない経験をしています。
何故彼女は誤った道に入ってしまったのでしょうか。
それはエゴのせいだといいます。
エゴの声は「表面的にポジティブで、負の感情をたくみに隠している」ので、内なる声と間違いやすいようです。
エゴの声にしたがってしまえば、「人生は混乱と危機に満たされる」そうです。
人はどちらかといえば、エゴの声に引かれ、いろいろと失敗をしてから自分の心の声を聞けるようになるようです。

この本を読んでから、痺れや痛みがあると、この頃こう言うようにしています。
「痛みは幻」
あまり上手くいきませんがね、笑。
そうそう題名にあるライトワーカーとは何かというと、「肉体を持って物質世界に生まれ出る前から、自ら進んで地球とそこに住む人々を癒すことを心に決めた人々を指す言葉」だそうです。

「かもめ食堂」を観る2009/03/12

本で読んだ『かもめ食堂』はなんの変哲も無い、読む価値のないような本でした(失礼)。
それなのに、何故映画になったのでしょうか?
純粋な興味で観てみました。

フィンランドのヘルシンキで日本料理を出す食堂を経営しているサチエさん。
なかなかお客が来ません。
窓の外には暇そうにこの食堂を見ている3人のオバサンたちがいます。

栄えあるお客さん第一号は、日本語を話すオタクッポイ男性。
何故かガッチャマンの歌詞を知ってるかと聞いてくるのです。
サチエさんはのほほんとしていて、気がいいので、第一号だからとコーヒーの永遠無料権をあげた上に、ガッチャマンの歌詞を知っている人を探します。
ある書店のカフェで日本語のムーミンの本を見ていた女性にガッチャマンの歌詞を知っているかと尋ねます。
その女性がミドリさん。
彼女は世界地図で指差したら、そこがフィンランドだったというだけで、フィンランドに来たのです。
サチエさんはミドリさんを家に招待します。
いつしか一緒にくらすようになり、ミドリさんはかもめ食堂を手伝うことになります。
そして、ある日、飛行機に預けた荷物がなくなったという女性、マサコさんがやってきます。
酔っ払った女性を助けたことから、三人は仲良くなり、マサコさんもかもめ食堂を手伝うことになります。

この三人、それぞれが個性的です。
小林聡美と片桐はいり、もたいまさこですもの。
三人が一緒に働き始めてから、お店ははやり始めます。
特に事件が起こるわけでもなく、淡々と時が流れていく、そんな映画です。

本当にこんな食堂があったら素敵でしょうね。
でも何故ヘルシンキなんでしょうね。

劇団四季 「ジーザス・クライスト=スーパースター エルサレム・バージョン」を観る2009/03/14

2月にジャポネスク・バージョンを見、今回はエルサレム・バージョンです。
エルサレム・バージョンを見た後にジャポネスク・バージョンを見ればよかったな。
まあ、劇団が最初にジャポネスク版をしちゃったから、仕方ないんですがね。
何故かというと、オーソドックスなものがどう変化したのかがよくわかるからです。
キャストもほぼ一緒ですから。

    3月13日(金) <キャスト>
 ジーザス・クライスト・・・金田 俊秀
 イスカリオテのユダ・・・金森 勝
 マグダラのマリア・・・伊藤 志保
 ヘロデ王・・・星野 光一

砂漠が舞台上に広がっています。
ジャポネスク版では大八車がいろいろな場面によって動いたのですが、今度は舞台は砂漠のまま変化しません。
一ヶ月も公演を行っていると疲れが出るのか、先月よりも声がでていないような感じです。
マリア以外の人は先月と同じなので、よくわかります。
それとも、ジャポネスク版はキャスト的にジャポネスク版なので(?)、弾け、ハチャメチャにノリノリでできたからでしょうか?
今回は全体に抑えているような、元気がないような。
ユダの後悔の念でさいなまれる様子などは、前回の方がよかったです。
ヘロデ王も、隈取をし、べらんめえ口調で歌う方が楽しかったですね。
その口調がでそうなのを抑えていたような気がします。
マリアは微妙。容姿は伊藤さんの方がいいのですが、歌が…。
ジーザス役の金田さんは、疲れているんでしょうか、声が出ていませんでした。
彼の容姿はジーザスにぴったりです。
が、隈取顔の方が私好みかも、笑。
前も感じた、無理やり日本語にして歌っているという違和感はやはりあります。
ロックに日本語というのは難しいですね。