「ザハーロワのすべて Bプログラム」を観る2009/05/02

昨夜のザハーロワさんは、相変わらずスタイル抜群。
彼女の「白鳥の湖」と「ライモンダ」を見ているのですが、古典作品の時とまったく印象が違いました。
顔は・・・?
というのも、オペラグラスを忘れちゃったんです。残念。
となりに座ったカップルの話が聞こえたのですが、微笑ましいものでした。
女性が、「男の人が意外と多いわねぇ」というと、男性、「(ザハーロワが)かわいいからだよ」。
そうなんですか。あなたのとなりは?

      《カルメン組曲》
 カルメン:スヴェトラーナ
 ドン・ホセ:アンドレイ・ウヴァーロフ
 闘牛士:アルテム・シュビレフスキー
 コレヒドール:ヤン・ヴァーニャ
 運命:オクサーナ・グリャーエワ

話の筋はなんとなく知っていたのですが、コレヒドールは一体誰?と見ながら頭の中は???。
どうも調べてみると、ドン・ホセの上司らしいのですが、どういう役割なのでしょう?
二人の悲劇を見守る役でしょうか?
気になったのは、ウブ(短縮しちゃった)の衣装です。
ピチピチの黒いタイツの上に真っ赤なポンチョ?チョッキ?のようなものは、ちょっと・・・。
アンコールでもこの衣装でした。
男三人に囲まれて、うらやましい限りです。三人とも、背が高く、足が長くて、目の保養になりました。(おばさん視線です)
それで、バレエ自体は?と聞かれると、う~ん、どちらかといえば私は好きじゃない作品でした。
あまり悲劇という一点に向かっていくという圧縮した緊張感が感じられなかったからです。

     《パリの炎》 第2幕のパ・ド・ドゥ
 ニーナ・カプツォーク
 イワン・ワシーリエフ

イワン君の「ドンキ」を見て、すごい若手が出たと思っていたのですが、今回も回るわ、回るわ、飛ぶわ、飛ぶわ・・・。
でも彼、「ドンキ」の時にはわからなかったのですが、昔の日本人男性ダンサーのような体型ですね。
背が低く、太ももに筋肉がつきすぎです。
まあ、それじゃなければ、あんなに飛躍はできないのでしょうが。
他の3人の男性ダンサーがスタイル良すぎだったので、なおさらですわ。
王子役にはなかなかなれないでしょうね。
でも、彼が出てくると、会場大盛り上がり。
私の前のおばちゃん、前のめりになり、頭の上で手をたたいていました。(ちょっと迷惑)

     《トリスタン》 デュエット
 スヴェトラーナ・ザハーロワ
 アンドレイ・メルクーリエフ

小説『トリスタンとイゾルデ』は相当昔に読んでいますが、騎士トリスタンと王妃イゾルデの道ならぬ恋を描いた作品です。
普通のバレエ作品にはない振付があって、大変だったとパンフに書いてありました。
私はこういう作品が好きです。
最後、二人が後ろ向きになり、遠ざかっていくというシーンが印象的でした。

     《エスメラルダ》 パ・ド・ドゥ
 オリガ・キフャーク
 ヤン・ヴァーニャ

美しい踊り子エスメラルダが士官フェビュスの婚約を聞き、失意の中で踊るらしいのですが、どうもそういう感じが、私には感じられません。(今回だけでなくて・・・)振付のせいかしら?
全幕見るといいのかもしれませんね。

     《ブラック》
 スベトラーナ・ザハーロワ
 アンドレイ・メルクーリエフ

この公演で一番気に入った作品です。
ザハーロワがすっごくカッコいいのです。
古典作品ではみられない彼女の一面発見です。

     《ジゼル》 第2幕のパ・ド・ドゥ
 ネッリ・コパヒーゼ
 アルテム・シュピレフスキー

いわずと知れた『ジゼル』です。
この場面では周りにウィリ達がいるのかしら?こういうガラで、そういう雰囲気をだすのは難しいでしょうね。

     《クレイジー》
 イワン・ワシーリエフ

またまたイワン君、大活躍。若さ爆発です。
彼はコンテンポラリー向きかも。

 《ヴォイス》
 スヴェトラーナ・ザハーロワ

ヴェルディのオペラ、「シチリア島の夕べの祈り」から、公妃エレナのアリアに合わせて踊りました。
ユーモラスな振付です。
ちょっと最後の盛り上がりに欠けましたが。

最後に全員が舞台に上がり、何回もアンコールに答えてくれました。
印象的だったのは、舞台より、観客でした。
前のおばちゃん、またまた大盛り上がり。
また前のめりになり、何故か興奮すると座高が高くなり、私は舞台が見ずらくなり、興奮が最骨頂に達すると、頭上の拍手。
最後はとなりに座った見ず知らずのおばちゃんと感動を分け合っていました。

ザハーロワを見て、天は二物を与えるんだとつくづくと思いました。
普段の公演では見られない彼女を見られてよかったです。
が、ちょっと物足りなかったです。
Aプロは「ドンキ」で盛り上がったようですが・・・。

土門拳記念館―酒田・鶴岡への旅2009/05/05

酒田と鶴岡に行って来ました。
同僚で酒田によく行く人に、「なんで酒田に行くの?何にもないわよ。温泉はいいけれど」と言われてしまいまいた。
山形には縁があるのです。
祖母はもともと山形出身で、家は貧乏士族でした。
そのため、屯田兵として北海道に渡っていったのです。
酒田付近に住んでいたと聞いたような・・・。

酒田には何年も前に1回行ったことがあります。
写真家の土門拳が好きで、たまたま酒田に彼の記念館があることを知り、無性に行ってみたくなったのです。
夜行バスで着いた酒田は、大雪でした。
1m先も見えないのです。
ホテルに入り、雪が小降りになってから、タクシーで土門拳記念館に行きました。
が、記念館がどこにあるのかわからないのです。
入り口が雪で埋もれていたのです。
やっと入り口を探し、入った記念館には、大雪だったにもかかわらず、私の他に2、3人入場者がいました。
ちょうど私の好きな「古寺巡礼」の写真が飾られていました。
仏像を見つめていると、傍にバインダーを見つめている土門がいるような気がしました。

昨年の年末、台湾に行った時にのった飛行機の機内誌に、酒田にある彼の記念館と「欅」というフランス料理店についての記事が載っていました。
また酒田に行くことがあったら、行ってみようと「欅」をメモして置きました。
そして、3月。
本屋で土門拳生誕100年を扱った雑誌を手に取ったのです。
相棒も土門の写真が好きなので、5月の連休に行こうと説得し、飛行機と宿を取りました。
3月なのに、宿が空いてないんですよ。やっと一箇所空きを見つけました。

酒田に行くにはANAの庄内空港を利用します。
飛行機で、たった1時間ほどで行けます。
土門記念館は空港から車で15分ほどです。
雪で覆われていた記念館がやっと全貌を現しました。
湖の側に建つ、近代的な記念館です。
連休のせいか、たくさんの人が来ています。
展示されていたのは、「日本の美」。
仏像の手や衣の襞、建物の格子、埴輪などに、土門は美を見出していたのです。
周りは公園になっていて、八重桜が咲き誇り、子供たちが遊んでいました。(写真)

次回は私の好きな写真が展示してあるときに行きたいです。

「4分間のピアニスト」を観る2009/05/06

もう若くない人は、自分の若い頃、ああいうような、感情に振り回されたことがあったなぁと思いながら見るといいかもしれませんね。
若い人は、ジェニーに感情移入できるでしょう。
そして、クリューガーがジェニーに言うことが自分へのメッセージだと思うといいかもしれませんね。
孤独な魂のぶつかり合いが感動を生みます。

刑務所で受刑者にピアノを教える老女、クリューガーは、ミサでオルガンを弾いている時に、一緒に指を動かしているジェニーに気づきます。
ジェニーには義父やボーイフレンドに裏切られ、妊娠し、子どもも看守たちの疑惑のせいで死産したという悲しい過去がありました。
そのため、彼女の中には怒りと憎悪が渦巻いており、人を簡単には信じようとはしません。

実はジェニーは幼いときに、ピアノの神童といわれていたのです。
芸術だけに身を捧げているクリューガーは、ジェニーの中にピアノの才能を認め、それを伸ばすことが、老い先短い自分の使命だと思います。
ジェニーと約束をし、コンテストへ向けて、練習を続けます。
しかし、クリューガーから同じようにピアノを習っていた看守、ミュッツェは自分を認めず、ジェニーにのめり込むクリューガーを見て、嫉妬心から二人の邪魔をしようとします。

クリューガーにも悲しい過去がありました。
彼女はナチスがドイツ国内を牛耳っていた時代に、ある女性と愛し合っていたのです。
彼女はその女性を裏切り、女性は処刑されてしまいます。
それ以来、感情を封印し、芸術だけに身を捧げることにしたのです。

コンテスト目前にして、ミュッツェが仕掛けた罠にはまり、ジェニーは暴力事件を起こしてしまい、コンテストに出ることができなくなります。
クリューガーがしたことは・・・。

いかにもドイツらしい映画です。
実際にあった話ではなく、一枚の写真からできた映画だそうです。
最後の演奏にはびっくりしました。
ピアノにもああいう弾き方があったのですね。

「復活したの”脳の力”」―テイラー博士からのメッセージ2009/05/08

今日、職場からの帰りに電車に乗っていた時に、ふと窓を見ると、虹が見えました。
久しぶりの虹です。
金閣寺の上に出た虹を見て以来です。
なにやらいいことが起こりそうな気がします。(写真は今日の虹です。)

NHK総合で昨夜放送された番組です。
ジル・テイラー博士は現在50歳。
彼女は37歳の時に、脳卒中で倒れました。
その時の彼女は、ハーバード大学で神経解剖学を研究していました。
最初は自分に何が起きたのかわからず、気づいた時も、<脳科学者が体験した脳卒中>ということで、好奇心の方が勝っていたそうです。
自分に起こったことを冷静に見ていたのです。流石学者!
なんとか一命を取り止めましたが、彼女の左脳に出血がありました。
左脳は主に言語機能や論理的思考、分析を司っています。そのため、彼女は言葉が話せなくなりました。
彼女の母親、ジジは数学者で、ジルが脳卒中で倒れたときに退職間近だったため、娘のリハビリの手伝いをしたそうです。
幼児のような能力しか残らなかった娘のために、絵本やパズルなどを使い、ひとつひとつ教えていったのです。
最後まで大変だったのは、計算で、計算の中でも割り算が一番難しいのだそうです。

テイラー博士は、左脳が働かなくなってから、「涅槃の感覚」を味わったと言っています。
彼女は不幸ではなかったのです。むしろ幸福感を味わっていたのです。

面白いのは、脳卒中後、彼女の芸術方面の能力が増したことです。
病気になる前から、ステンドグラスを趣味としていたのですが、病気前の作品は色数も少ない、ぱっとしないものです。
しかし、病後の作品は色数が増え、なんともいえず、美しいものです。(彼女は脳がすきなのですね。作品はなんと”脳”でした。)
左脳が働かなくなって、右脳の働きが活発になったのでしょうか?
ひょっとすると、私達は左脳の働きのために、休むことなく物事を定義づけしすぎていて、幸福感を感じる暇がないのかもしれません。

今の彼女には全く脳卒中の後遺症が見当たりません。
彼女は同じ病気の人達にこう思うようにと言っています。
「脳卒中の犠牲者ではなく、生存者である」と思いなさいと。
なるほど、生存者と思えると、前向きに考えられますよね。
彼女の姿を見ると、人間の中に潜んでいる力を信じられます。
私なんかは、どう考えても左脳ばかり使っているので、考えるのを止めて、風を感じたり、自然の音を聞いたりということをした方がいいようです。
テイラー博士の言うように、「意識的に半球のバランスをとる」ことが必要なようです。

ローワン・ジェイコブセン 『ハチはなぜ大量死したのか』を読む2009/05/09

この頃ニュースを見ていると、ハチの話題が多くないでしょうか?
あまりにも不幸な話題ばかりなので、なるべくニュースを見ないようにしている私でも、2回ばかり見ました。
農産物の受粉をさせるためのミツバチが少なくなり、オーストラリアから輸入していたのですが、その数が足りなくなったということらしいのです。
その時は何気なく聞いていたのですが、微かに私の中で疑問に思うところがあったんでしょう。
同僚がこの『ハチはなぜ大量死したのか』を読んでいるのをみて、読んだら貸してくれるように頼んでいました。
私のミツバチについて知っていることといったら、養蜂家が巣箱を軽トラックに乗せて、花が咲くところに運んでいき、巣箱を置き、ミツバチたちは行った先でのどかに蜜を吸うという、そんな程度です。
しかし、無知とは恐ろしい。ミツバチたちの世界も近代化に襲われていたのです。
ハチたちはジェット機で旅する時代なのです。
日本にオーストラリアからハチが輸入されているんですから、船に乗せるわけないですよね。ジェット機ですよね。
何でそんなことをするかというと、農作物のためなのです。
アメリカでは農作物、例えば儲かるからとアーモンドなんかを大量生産(もう工場と同じです。大量生産の状況は「いのちの食べ方」を見てください)するために、ハチを使って受粉させるのです。
アーモンドの花が咲くときは、アメリカ中のハチが集められるのです。
日本では、イチゴやメロン、なすなどのハウス栽培と野外でのなしやリンゴ、サクランボなどの受粉に使っているようです。(参照『解説委員室ブログ』
ようするに、規模を拡大しすぎると、その土地にいるハチたちの受粉だけでは足りなくなるんですね。
かわいそうなのはハチたちです。

「数週間ごとに新しい場所に連れて行かれ、糖度の高いコーンシロップで気合を入れられ、殺虫剤と抗生剤を与えられ、寄生虫に襲われ、外来種の病原菌にさらされ・・・。」

そして起こったのが、CCD(Colony Collapse Disorder 蜂群崩壊症候群)。
気づいたら、ハチが巣箱からいなくなったのです。
ハチの死骸は見当たらず、巣箱は全くのもぬけの殻。
原因は何か?
ミツバチヘギイタダニか?ハチのエイズ?農薬?・・・それとも複合汚染?
原因はわかりません。
このままでいくと、ハチがいなくなる恐れがあります。
ハチのいない世界はどういう世界でしょうか。
著者が描くように、「あらゆる主要作物を遺伝子組み換え技術によって無性生殖できるように作り変え」、「セックスは子孫を残す行為としての意味を失ってしまい」、野原や湿原や熱帯雨林が「厳密に管理されたクローンだらけの土地」になってしまうかもしれないのです。
著者は言います。

「何を選ぶかはあなたの自由だ。私達はまだ、どんな世界で働き、暮らしたいかを選ぶ余地が残されている。」

ハチの大量死はハチだけのことではなく、私達の生き方にまで及ぶことだったのです。
豚インフルエンザにパニクッている今。
どういう世界に我々が向かっているのか考えるために、是非一読して欲しい本です。

村田喜代子 『あなたと共に逝きましょう』2009/05/11

『あなたと共に逝きましょう』なんて題名をみると、ぎょっとしますね。
同僚で、だんな様が定年間近に動脈瘤破裂で入院した方が読んでいた本です。彼女にとっては切実なことでしょうね。
なんと、すぐ読めてしまいました。

この本の主人公、鹿丸香澄の夫、義雄に弓部大動脈瘤が見つかります。それも6cmもの大きさのものです。
すぐに手術をしないと、いつ破裂するかわからないと言われたのに、何故か手術に踏み切れない義雄です。
(でも、結局すぐには手術なんかできなくて、手術まで何ヶ月も待たされるのって、なんか変ですよねぇ)
今まで普通に仕事をし、車を運転してきたのだからと言って、頑なに今までの生活を変えようとしない夫に、戸惑いながらも、ついていく妻。
手術しないでよければと、怪しげな人に医療相談までし、言われたとおりの食事をし、普通に考えれば動脈瘤患者には駄目でしょうと思うのに、湯治にまで行っちゃいます。
こんなに人はもろいものなのかと思ってしまうけれど、でもそう思えるのも、自分がギリギリの場面に立っていないから。
まだまだと思いたいけれど、でも夫との別れはいつかやってくる。
それがいつだかはわからないけれど。

夫婦とは一体なんなのだろうと、読みながら思いました。
手術が成功し生還した夫に、「私は死にます」と言う妻の姿に、深い夫婦の溝を見るのは、私だけでしょうか。

北村薫 『ニッポン硬貨の謎』&『ひとがた流し』2009/05/13

新しく出ていた北村薫の文庫本を2冊買ってみました。
彼は、一応推理小説を書いていますが、なんていうか、ホカホカと心が温かくなるような推理小説を書いています。
なんといっても、殺人が少ないというのが、彼の推理小説が他のものと大きく違うところです。
『ニッポン硬貨の謎』はエラリー・クイーンが出版社の招きで日本に来て、たまたま興味を持った幼児連続殺人事件を解くという内容です。
彼の作品では珍しく、幼い子供の殺人がありますが、それでも彼の描くクイーンや女主人公の小町奈々子なんか、今の世の中にいないような人たちです。(私の周りだけ?)
私はクイーンは読んでませんが(たぶん)、クイーン好きにはおもしろいんじゃないのかしらと思えるところがたくさんあります。
クイーンが好きな方は読んでみてください。
クイーンを知らない人には物足りない推理小説でしょう。

もう一冊は、推理小説ではありません。
『ひとがた流し』という変った題名の本です。
十代の頃からの友人同士の女3人のことを描いた作品です。
これまた、とってもいい人たちが出てきます。
まあ、出来すぎという印象を持つような作品です。
よくある話で、筋が読めちゃうんです。
落ち込んでいて、人を信じたくなる時に、北村薫を読むといいようです。
彼って性善説の人ですね。

そのとおりと思えたところを書いておきましょう。

「小さなことの積み重ねが、生きてくってことだよね。そういう記憶のかけらみたいなものを共有するのが、要するに、共に生きたってことだよね。」

2007年にNHKでドラマとして放送されたようです。

デンマーク・ロイヤル・バレエ団 「ナポリ」を観る2009/05/16

     5月15日(金)6時半開演
 ジェンナロ(若き漁師):トマス・ルンド
 ヴェロニカ:エヴァ・クロボー
 テレシーナ(その娘):ティナ・ホイルンド
 フラ・アンブロシオ(修道士):ボール=エリック・へセルキル
 海王ゴルフォ:フェルナンド・モラ

デンマークの大使館の方でしょうか、結構背の高い、タキシードやドレスを着た人たちが20列に座っていました。

《第一幕》
ナポリのサンタ・ルチアの港で、人々が行きかっています。
美しい娘のテレシーナには漁師で貧しいジェンナロという恋人がいました。
テレシーナに言い寄る男達もいますが、テレシーナはジェンナロ以外見向きもしません。
やっとジェンナロは漁から戻ってきました。
彼は水揚げした魚を修道士フラ・アンブロシオに納めます。
漁師ということもあって、なんとも庶民的な感じのダンサーです。
ショートパンツを履いてるんですから。
広場では人々が陽気に踊り騒いでいます。
テレシーナとジェンナロはふたりで夕べの海に小船を漕ぎ出します。
そこへ、急に嵐がやってきます。
この嵐の場面が結構リアルです。
天井からロープに干された洗濯物が出てきたり、傘が裏返ったりなどなど。
テレシーナとジェンナロの乗った小船は転覆してしまい、ジェンナロはなんとか港まで戻ることができましたが、テレシーナは行方不明になってしまいます。
人々は彼を非難しましたが、唯一修道士のフラ・アンブロシオだけがジェンナロを励まし、街の守護聖人、マドンナ・デラルコの像のお守りを与え、テレシーナを探しに行くようにと言います。
ジェンナロはひとり、夜の海に漕ぎ出していきます。

《第二幕》
カリブ海の洞窟には海王ゴルフォやニンフ、海の精が住んでいました。
テレシーナは海の精に見つけられ、洞窟に連れてこられていました。
テレシーナに惹かれた海王ゴルフォは、彼女を傍に置こうと、彼女の記憶を消して、海の精の姿にしてしまいます。
海の精の姿に変るところやふたたび街の娘の姿になるところで、衣装の早代わりがあります。
テレシーナ役のダンサーの体格がいいなと思ったのは、下に衣装をつけていたからなのね。
ジェンナロが洞窟にやってきて、テレシーナの持っていたギターを見つけます。
必死で探し回り、やっと見つけたのですが、人間の記憶をなくしたテレシーナは彼に気づいてくれません。
そこで、フラ・アンブロがくれたお守りを見せると、テレシーナの記憶が戻ってきました。
海王は邪魔をするのですが、二人はお守りに助けられ、無事に洞窟から出ることができます。

《第三幕》
ナポリのヴィルジヌ山では祭りのために着飾った人々が集まっていました。
そこにジェンナロとテレシーナが現れたので、みんなは信じられずに大騒ぎをします。
しかし、僧フラ・アンブロシオはテレシーナがデラルコの聖母のおかげで助かったことを話すと、皆は納得し、神のご加護の偉大さに心打たれます。
祭りが始まりました。人々は伝統的な踊りに興じます。

第一幕と第二幕は全体的に踊りの場面が少なく、ちょっと物足りない感じです。
街の場面では、人が多くゴチャゴチャしているので、とっても主役の影が薄いのです。
二人の踊りも少ないし・・・。
その代わりに、街の人々の誰もが主役という感じがあります。
第二幕では青い洞窟の舞台がきれいでした。
主役がもろ漁師のおっちゃん(失礼)という感じだったので、海王は素敵に見えましたが、結構濃い感じの人で、私の好みではありません。残念。
第三幕は街の人々が踊りあかすというものなので、楽しいですよ。
全幕見ないで、この三幕だけでもいいかもしれないと、ふと思いました。
後ろに座っていた若い女性が、「(他のバレエ団がやっていないので)比べようがないから、いいかどうかわかんない」と言っていました。
数人で踊る場面などを見ていると、そろっていないことが多く、踊りの程度としてはどうなんでしょうね。
まあ、そんなことより、ナポリの町の陽気さを感じられればいい、そういうもんでしょうね。

1842年からずっとデンマーク・ロイヤル・バレエ団が上演しているという、長い歴史のあるバレエです。
19世紀のバレエを見たと思えば、納得いきます。

末次由紀 『ちはやふる 1~4』2009/05/18

「マンガ大賞2009」受賞作品というので、読んでみました。
や~、マンガもホント、いろいろあるんですねぇ。
昔では考えられないものが、マンガになっています。
小倉百人一首ですよ。
前にも書いたことがありますが、故郷の北海道は百人一首はするのですが、下の句しか読まないのです。
取る札は板でできていて、その上、書いてある字は万葉仮名交じりの達筆。読めません。
こんなんで競技かるたをやると、負傷者がぞくぞくとでちゃいます。板はあたると痛いぞ、笑。
そんなところから来た人間にとって、上の句だけで札を取るなんて、神業ですわ。

主人公の綾瀬千早が小倉百人一首に出会ったのは、小学校の時でした。
転校生の綿谷新は、おじいさんが競技かるたの永世名人で、幼い頃からおじいさんにかるたを習っていました。
ふとしたことから千早と仲良くなり、一緒にかるたをやったことから、千早は競技かるたに興味を持ちます。
いつしか彼女の夢は、新と真島太一と一緒にかるたを極め、クイーンになることになっていました。
三人で楽しく競技かるたをやっていたのですが、新のおじいさんが倒れたことから、新はおじいさんと一緒に暮らすために福井に戻ることになります。

新が福井に戻ってからも、千早は競技かるたを続けていました。
高校に入り、かるた部を作ろうとするのですが、なかなか部員が集まりません。
が、なんと中学校は別のところに行っていた太一が同じ高校に入学していました。
一緒にかるた部をやろうというのですが、かるたなんてやってらんないという太一です。
そんな太一に千早は自分がA級になったら、一緒にかるた部をつくってと言います。
そして、出た大会で、見事優勝し、A級になった千早でした。
千早、耳がいいんです。
無事にかるた部ができ、部員勧誘にもいろいろとあったのですが(マンガ見てください)、かろうじて大会に出られる人数になりました。
そして、初めて出た大会で、都の代表になっちゃうんです。すごいですねぇ。まんがだからねぇ。

全国大会は滋賀県の近江神宮というところで行われます。かるたの聖地だそうです。
福井に戻った新はというと、おじいさんが死んだことがトラウマになっていて、かるたをやっていませんでした。
千早たちが全国大会に行くことを聞き、会場に現れたのですが、なんと千早が・・・。

このマンガを読めば、全国の中学生諸君、百人一首を覚えるなどという宿題を、楽しくできるんではないでしょうか。
同じように、日本文化を扱ったマンガでは、私的には『とめはねっ!』の方が薀蓄が多くて好きですがね。
なんで「マンガ大賞」じゃないのかしら?

細川 貂々 『ツレがうつになりまして。』2009/05/19

職場にいる人たちを見ていると、みんな少なからず病んでいると思うこの頃です。まあ、私もちょっと神経過敏かなと、自分でも思うところがありますから。
でもね、このツレさんのことをマンガで読むと、誰でもうつになる可能性はあるということはわかりますが、やっぱりちょっと病んでたのねと思います。
だって、曜日によってしていくネクタイが決まっているんですよ。
他にも入浴剤やお弁当に入れるチーズを曜日によって決めているなんて。
そんなのきちっとできません。
だって私、曜日を忘れちゃいますもの。
私がドラマを見ないのは、曜日を覚えられないからなんですよ。(関係ないですが・・・)
そんな曜日の(つまらない)決まりごとが、「大事なきまりごと」になってたんですよ。
信じられない。
でも、考えてみると、ツレさんは何事にも一生懸命な人なのよね。完璧主義っていうんでしょうか。
概して完璧主義の人って、自分にも他の人にも厳しい人が多いような気がします。
私もどちらかといえば、仕事を完璧にしたい人です。
でもそうできないので、自分に対していらだっていますね、この頃。
そんな自分を受け入れることが大事なんでしょうね。
「一抜~けた」と言って、飛び出す勇気が、今欲しいですわ。
まあ、私はうつにはなりそうもないですが。
絵はどう見ても上手いとはいえませんが、うつ病を理解するにはいいマンガです。