「幻影師アイゼンハイム」を観る2009/07/01

ホント、題名がよくないですねぇ。私は一昔前のモノクロ映画だと思っていましたが、他の人のブログを見るとおもしろそうなので借りてみました。
一見家具職人の息子エドゥアルドと公爵令嬢ソフィの悲恋物語と思われますが、最後にどう思うかによって変ります。

小さい頃から奇術が得意だったエドゥアルドは公爵令嬢と仲良くなりますが、周りは身分違いの恋を許しません。
二人の仲を裂かれ、失意の中、エドゥアルドは旅に出ます。

それから15年が経ち、エドゥアルドはアイゼンハイムと名を変え、ウィーンに現れ、幻影師アイゼンハイムとして、一躍有名になります。
ある日、彼のショーを見にオーストリア皇太子レオポルドがやってきます。
彼の傍にはなんとソフィがいるではありませんか。
彼女はレオポルドと婚約していました。
再会した二人は、変らぬ思いを確認しあいます。
皇太子はアイゼンハイムを招き、奇術をやらせますが、アイゼンハイムは皇太子に恥をかかせてしまいます。

アイゼンハイムとソフィは駆け落ちすることにします。
ソフィは皇太子に会いに行き、婚約破棄を告げます。
激怒した皇太子は、逃げるソフィを追いかけ、剣で刺してしまいます。
ソフィは川で死んでいました。

ソフィが亡くなってからアイゼンハイムは、不思議なショーを始めます。
交霊術です。
皇太子が平民の変装をして現れた時、ソフィの霊が現れ、自分を殺した者が劇場にいると言います。
皇太子はウール警部にアイゼンハイムを逮捕させようとしますが・・・。

ソフィは本当に死んだのでしょうか。
それともウール警部が思ったとおりなのでしょうか。
意外な最後ですが、でも本当だろうか・・・と思えるような、そんな映画です。と言ってもわからないでしょうが、見てみるとわかります。

「ティム・ガンのファッション・チェック」2009/07/02

日曜日の昼間にテレビを見ていると、何年か前に昼の番組でやっていた、奥様向きの変身ものと似たような、アメリカの番組をやっていました。
その名も、『ティム・ガンのファッション・チェック』。
ピーコなんかとは違う、ダンディなおじさんとファッション・モデルの二人(写真)が、番組に応募してきた女性を変身させます。
日本では、その時だけの変身ですが、アメリカは違います。
まず、応募者に電話をかけ、20分後にお宅に行くから、着替えておいてと言うんです。
そして、普段の服装をチェック。

その後、恐ろしいことが・・・。
クローゼットの中身チェック!
ティムの厳選した10のアイテムというのがあり、それに合わない服は寄付するかゴミ箱行きなのです。
小学校の先生なんか、子どもを生んでからカプリパンツとTシャツしか着なくなっていたので、すべて捨てることになってしまいました。かわいそう。

10のアイテムとは、「ベーシックな黒のワンピース」、「ドレスパンツ」、「白シャツ」、「カシミヤのセーター」、「トレンチコート」、「スカート」、「ブレザー」、「ワンピース」、「ジーンズ」、「リラックス・ウエア」などです。

捨てた後は、買い物です。
この時ばかりは、服を捨てる時にかなしそうにしていた女性もウキウキしています。
一番うらやましいのが、一流ファッションデザイナーの店に行き、そのデザイナーのドレスを着るところです。
いくらするんだろうと思いながら、見ています。このドレス、もらえるのかしら?

髪を切り、メイクをした後の女性達はみんなキラキラ輝いています。
家族の前でのファッション・ショーの時には、今までの自信のなさそうな姿が嘘のようです。
女性は誰でも綺麗になりたいんです。
でも、その方法がわからないんです。
自分でも思うのですが、自分を客観的に見られないのかもしれません。
スタイルの悪いところばかり目にいってしまうしね。

それにしても、アメリカ人ってほめ上手だな~。
日本語になると大げさに感じちゃうけれど。
奥さんに素敵になって欲しい旦那たち、奥さんを綺麗にするために、奥さんを褒めまくりましょうよ。

この番組のいいところは、番組に出た後も女性達がファッションに気をつけていくようにもって行くところだと思います。
私もティムにクローゼットを見られたつもりになって、夏の休暇の時にでも着られない服を捨てますわ。
あ、その前に増えたお肉を捨てなければ。
この頃服が似合わなくなっちゃって・・・。

強羅温泉に行く2009/07/05

温泉に行って温まると、血行がよくなり、目の疲れもとれるのではと、そう期待して箱根の強羅温泉に行ってきました。
宿泊したのが、今年の3月にオープンしたばかりの『花扇』という旅館です。
ゆっくり家を出て、どこにも寄らずに旅館に。
私はどこかに寄りたいのですが、車の運転ができないので、(ちょっと不満ながら)相棒に従っています。
まあ、天気がよくなかったので、仕方ないですね。
前に行った沙羅亭はリニューアルとはいいながら、トイレなどは古いままで、エーと思ったのですが、ここは違いました。
ふんだんに木が使われています。
エレベーターの中まで木が使ってありました。
スリッパは履かずに旅館の中を歩き回れます。
部屋はあまり広くないのですが、一人用の露天風呂とシャワーブースがついていて、ベッド2つと大きなテレビがあります。
さっそく露天風呂に入りました。
お湯は無色無臭に近く、肌にいい弱酸性のようです。
効用は関節痛、筋肉痛、打ち身などで、ちょうど私の首と肩の凝りにはいいですね。
食事は別のところで食べます。
メニューに一人ひとりの名前がかいてあり、こういうことは初めてでしたが、お料理は普通でした。
仲居さんが若く、あまり慣れていない感じでしたが、文句無く、また行きたい旅館です。
私の眼精疲労と肩こりは一日だけの温泉では治らないらしく、まだ辛いです。(パソコンもよくないのよね・・・)
帰りは相棒がクールビズ用のシャツやズボンを買いたいというので、御殿場アウトレットに寄りました。

ここで、衝撃の夫婦がいました。
旦那さんに向かって、大声で、「遊び用のは買わないで下さい。結婚式があるので、それにも着れるのを買うか、古くてもいいなら・・・」などと言っている奥さんがいたのです。
旦那さんは一言も言い返せず、かわいそうと思ってしまいました。
恐るべし、家庭の主婦。
これで相棒も私の優しさがわかったことでしょうね。(そうでもない?)

その後、私が海に行きたいと言うと・・・本当に行ってしまいました。
御殿場から海は近いんですね。
江ノ島片瀬海岸東浜で1時間ばかり海を見ました。
御殿場でビーチサンダルを買えばよかったと悔やみましたが。
家に着いたのが9時ぐらいになり、前から行ってみたかった「三段バラ肉」の店で夕食を食べました。
大きな豚バラ肉をハサミで切り、薄く切り酢でしめた大根に包んで食べると美味しいんです。お試しを。

このお店にも驚くべき、カップルが・・・。
女の子がよく言えば気がきく、悪く言えば五月蝿い。
女が強くなったんでしょうか?
ともあれ、よく遊んだ二日間でした。これで夏の休暇まで乗り切るぞ!

光野 桃 『おしゃれの視線・私のスタイルを探して』2009/07/08

「ティム・ガンのファッション・チェック」に触発されたからではないのですが、光野桃さんの本を読んでみました。
私はファッションには興味がありません。というか、自信がないと言った方がいいかもしれません。
太ってしまってから、なおさら駄目ですね。

光野さんは幼いときからファッションに興味がありました。
彼女のお母様が洋裁ができたため彼女の洋服をすべて作っていたそうです。
大学を出てからファッション関係の仕事をし、結婚して旦那様の仕事の都合でイタリアに行くことになり、イタリアで出会ったマダム達により、ファッションに関する新しい視点を与えられたようです。
旦那の都合でイタリアなんて、いいですねぇ。
結婚の顛末も本に書いてありましたが、彼女にとっては結婚もファッションの一つなのかもしれませんね。

イタリアにはまだ行ったことがありませんが、おしゃれな女性が多く、特にマダムたちが綺麗だそうです。

自分のファッションを決めるには
1 内面
2 外見
3 将来どうなりたいのかという展望
この3つの要素が必要。
そして、おしゃれの根本は「プラス」すること。
なぜなら「おしゃれは本来、大人のためのもの、それも三十代後半からのためのもの」だから。
若い頃のように何を着てもいいという時期とは違い、年をとると肌は衰え、髪は痩せ・・・というように外見上のハンディがあるので、「内面の充実をファッションによって表現する」。それがおしゃれの本来の役割なのです。

こんな風に思ったことがありません。
着る服がないと毎年嘆くより、まず自分を見つめるところから始めなくてはいけないようです。

こうの史代 『長い道』2009/07/10

親が勝手に嫁にすると決めてしまったため、女好きで無職の壮介は道と結婚することになってしまいました。
道は地味な女なので、壮介は嫌なのです。
彼はパッとした派手な女が大好き。
壮介の仕打ちもなんのその。道はわが道を行きます。
ひょっとすると一番芯がしっかりしているのが道なのかもしれません。
二人の不思議な暮らしと関係が、妙におもしろいです。

前に読んだ、『自虐の歌』とは違います。
道の性格がのんきでほんわかしているので、無職の壮介との暮らしが、そんなに悲惨に思えません。
『自虐の歌』の幸江は尽くすだけですが、道は尽くしているようで、尽くしていないんです。
結構自分の思い通りにしています。
壮介がいてもいなくても、悠々自適。
だからこそ壮介は道と別れられないんです。
付き合い始めの頃はつくしてくれる女がよくても、付き合いだすとうっとうしくなりますよね。
でも、カノジョが自分の世界を持っていると、気になりますよね。
二人が本当の夫婦になるには「長い道」のりですが、それも近いかなと思える終わり方です。
私が男だったら、道みたいな女、好みかも。

「レスラー」を観る2009/07/12

日比谷で「レスラー」を見てきました。
主演のミッキー・ロークと言えば、「ナイン・ハーフ」でスタイリッシュな男性の役をやって一躍スターになった人です。
その時はなんて素敵♡、などと思ったのですが、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」を見てか熱もおさまり、ボクシングを始めてからは「?」となっておりました。
その彼がカムバックしたというので、レスリング好きの相棒を引き連れ、見てみましたが・・・。
御免。私、痛いの嫌い。
わざと自分の額を切ったり、ホチキスや有刺鉄線なんてグロイ。見ていられなくなりました。
見終わった後、相棒は「レスリングは技を掛け合うのがいいんだ。あんなの大仁田のプロレスのスタイルだ~!」などと言っていました、笑。
真夜中、アメリカのプロレス中継をしているのを見たことがありますが、ショー化されていましたね。
あんなに血が飛び交うのは、ドサ周りだからかしら?
痛いの嫌いな人は見ない方がいいかもしれませんね。

内容は、ミッキーの人生に近いものだとか。
1980年代に一世を風靡したレスラー、ランディ・“ザ・ラム”は、スーパーでバイトをしながら週末はドサ周りを続けていました。
彼の生きがいはプロレス。
ファンの声援があれば、どんなことでもしてしまいます。
ところがある日、試合後に心臓麻発作に襲われ、バイパス手術を受けます。
医師はこれ以上プロレスはやれないと、ランディに告げます。
引退を決意し、ランディはスーパーで働くことにします。
ふと、自分の生活を振り返ると、誰もいなく、たった一人です。
淋しくなったランディはストリッパーのキャシディに会いに行きます。
キャシディは娘に会いに行ったらいいわと助言してくれます。
思い切って疎遠だった娘と会うのですが、娘は「私が必要とするときにはいなかったくせに」と怒りをランディに向けるのでした。
ランディがキャシディに娘との顛末を話すとキャシディはプレゼントをするといい、私も選ぶのを手伝ってあげるわと言ってくれました。
娘へのプレゼントを買い、二人はいい雰囲気になったのですが、キャシディはランディにお客さんとは付き合えないわ、と言って去っていきます。
その後、娘にプレゼントを渡し、仲直りを果たしたランディですが、夕食に行くという約束を破ってしまい、娘からは二度と会いたくないと告げられます。
そして、キャシディからも・・・。
もう何も残っていないランディは、医師から止められている試合に再びでることにします。

頂点を極めた人はそれを忘れられず、過去に引きずられて、現実をおろそかにしてしまうというのは、よくある話。
頂点を極めていなくたって、過去のことを思ってしまうのは人間の弱さでしょうか。

ミッキー・ロークがこれほどまでに自分の醜態を見せたということで、彼の勇気には感心します。
インタビューでの彼の言葉がすべてを語っています。

「オレは14〜5年前に、全てを失ったんだよ。家も、妻も、金も、キャリアも、自尊心も失くして暗闇の中に立っていた。暗闇の中で、鏡の中の自分の姿を見つめて、“こんな自分にしたのは誰だ!?”とね。雷光の中をよろめくように歩いていた晩、稲妻に照らされて、鏡に映った自分の姿をふと見てしまい、赤ん坊のように泣き叫んだ。“こんなにしたのはこのオレ自身だ!”とね」(「e-days」より)

村上春樹 『1Q84』2009/07/14

今日のNHK「クローズアップ現代」にも取り上げられていた、村上春樹の『1Q84』を読んでみました。

「クローズアップ現代」によると、村上さんがオウム真理教の起こした事件に衝撃を受け、それをきっかけに書いたのがこの『1Q84』なのだそうです。
地下鉄サリン事件があった1995年まで、彼は海外に住んでいました。しかし、この事件後、帰国を決意します。
それまでは、社会問題なんか興味のないような主人公の物語を書いていましたが、それ以降、何かしなければという使命感から、サリン事件の被害者にインタビューをして『アンダーグラウンド』を書いたり、オウム真理教の元信者にインタビューをして『約束された土地で』を書いたのです。
エルサレム賞を取ったときのスピーチで、「集団の持つ力」を彼は「システム」という言葉で表し、「システム」は人々に考えることを放棄させると言っています。
こういうシステムの危険性に対抗するのが彼の言う物語なのです。
何故村上春樹が全世界で読まれているのかというと、彼の物語に漂う空虚感や距離感が世界中で共感されているからだとコメンテイターは言っていました。

さて、『1Q84』ですが、青豆と天吾という二人の物語です。
青豆はスポーツクラブのインストラクターをやっていますが、裏ではDV男を闇に葬るという仕事をしています。
天吾は数学の予備校講師をやりながら、小説家になるために文を書いています。
二人は10歳の時に同じ小学校のクラスメートでした。
青豆の親は「証人会」という宗教団体の信者でした。
「証人会」では終末論を説き、布教活動を熱心におこない、輸血などを認めないのです。
青豆は母親とともに布教にまわっていましたし、教義上の理由から学校のいろいろな行事に参加できず、その上お昼の給食時にはみんなの前で特別なお祈りを唱えなければなりませんでした。
そのためクラスの仲間には入れず、いつも一人でした。

天吾は母親のいない家庭で育ちました。
父親はNHKの集金人で、日曜日には天吾を連れて集金にまわるので、友達とも遊べず、天吾にとっては辛いことでした。

そんな二人が、よく晴れた12月初めの午後、教室で二人きりになり、青豆が天吾の手を握ったのです。
この時の記憶が青豆と天吾のその後を決めることになります。

1984年、青豆はDV男を闇に葬るために、『シンフォニエッタ』を聞きながら、首都高速道路の緊急避難階段を降りていきました。
その時から、彼女の世界は月が2つある1Q84になります。

天吾は不思議な小説『空気さなぎ』の書き換えを任され、実質的な作者であるふかえりと知り合うことになります。
彼女は「さきがけ」という宗教団体から逃げてきた17歳の少女でした。
カルト集団「さきがけ」の教祖が少女たちをレイプしているということがわかり、青豆はリーダーの暗殺を任されます。
青豆と天吾の世界はどう交わっていくのでしょうか。

発売以来200万部という驚異的な売れ行きだそうですが、う~ん、そんなにいい本だろうか?というのが正直な感想です。残念ながら彼の書く世界には入っていけませんでした。
たぶん、BOOK3とか4まで書いていくのではないかと思うので、その時まで評価は保留にしときますわ。

ローラ チャイルズ 『ロンジン・ティーと天使のいる庭』2009/07/16

このシリーズはいつも美味しそうなお茶とお菓子がでてくるので、それを読むのが楽しみなのですが、なんとなく殺し方がマンネリ化しちゃったようです。

セオドシアは植物園のイベントで冷たいロンジン茶を提供しました。ところが知り合いの元B&Bオーナーで、今は商品取引業界のラヴディ&ルクソールで常務取締をやっているマークが、お茶に口をつけたとたんに倒れてしまいます。
彼は心臓が弱かったようで、割れたグラスを調べてみると、非特定薬物が見つかります。
マークの妻のアンジーのために、またまたセオドシアは殺人事件を調べ始めます。

イベントで出したお茶を飲んだとたんに倒れるなんて、なんてありきたりな・・・とは思いましたが、その後、野生の蘭を探しに、セオドシアとティー・ブレンダーのドレイトンが、サウス・カロライナ州の淡水地帯に行きます。
そしてスペース・マウンテンも真っ青なことが起こり・・・。

今回は思わず飲みたくなるようなドリンクが出てきます。
ロンジン茶に絞りたてのレモン果汁と地元産の糖蜜をプラスし、生のミントの葉かレモンバーム、食べられる花を飾るスウィート・ティー。
ジェラートの上から冷やしたジャスミン・ティーかローズヒップ・ティーを注いだアイス・エンジェル。
どうなんでしょうか?試してみましょうか。

では、毎回楽しみな特別なお客用のランチを紹介しましょう。
イチゴの冷製スープ。
付け合せにスライスした梨とスティルトン・チーズのサンドイッチ。
メインディッシュはサーモンのソテーにホワイトアスパラガスのバターソース。
デザートはチョコチップ・スコーンにクロテッド・クリームとブラック・ラズベリーのジャム添え。レモン・ジャンブル・クッキー。
お茶は、最初にヒーチュン茶。二番手はキーマン茶。デザートにはオーキッド・ライツ(半発酵させたウーロン茶に砕いた蘭の花のブレンド)。
前回わかったように、お茶ってワインの様に合う料理があるんです。奥が深いですねぇ。

沢木耕太郎 『旅する力―深夜特急ノート』2009/07/19

沢木耕太郎も還暦を超える年齢になったようで、『深夜特急』で旅に出た26歳からそうとう経ってしまいましたね。
この本には26歳の彼が何故旅に出ることになったのかということが書かれています。
まあ、『深夜特急』裏話という感じですか。
たぶんたくさんの若者が彼の本を読み、旅に出ようと決心したんではないでしょうか。
本を読まなくなった今の若者が旅に出るには、誰の本を読むんでしょうかね。
ひょっとしたら、もう旅にはいっていない?
「旅の記憶」から、旅に対する彼の思いを書き出してみます。

「旅は人を変える。しかし変らない人というのも間違いなくいる。旅がその人を変えないということは、旅に対するその人の対応の仕方の問題なのだろうと思う。人が変ることができる機会というのが人生のうちにそう何度もあるわけではない。だからやはり、旅には出ていった方がいい。危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、やはりでていった方がいい。いろいろなところに行き、いろいろなことを経験した方がいい、と私は思うのだ。」

年をとってからの旅と若いときの旅はまったく違います。20代の頃、ヨーロッパ一人旅をしましたが、その時と今を比べてみると、20代の頃のような旅はもうできないなと思います。体力の違いもありますが、その頃と今は感じ方が変ったと思うからです。

インドに30代前半で行った時、インドへの旅の時期を外したなと思いました。
少なくとも20代の前半にインドに行けたら、私は変っていたかもしれないと思ったのです。
何故と聞かれても、こうとはいえない、本能でそう感じたのです。

感受性の強い若い頃だからこそ、いろいろな国に行って、いろいろな人と出会い、いろいろな文化に触れて、自分を振り返ることが大事だと思います。
もう若くはない私は、私に合った旅のやり方で旅を続けていこうと思います。

因みに沢木が旅から学んだことは、「無力さの感覚」だったといいます。

「旅に教科書はない。教科書を作るのはあなたなのだ」

20代のあなた。旅に出てみてください。

「天国に誓う白球」を観る2009/07/20

asahi.comを見ていると、20代の若者の海外旅行ばなれが進んでいることが書いてありました。
「安定した職に就けない若者が増える一方、正社員も収入や休暇が減っている。
就職氷河期を経験した「ロストジェネレーション」の余裕のない暮らしぶりが海外旅行需要にも表れている」などと書いてありますが、就職をした人達はそうかもしれませんが、大学生など海外へ行こうという気持ちが薄いような気がします。
重いバックパックを持ってアジアなどを放浪するなどということは、今のファッショナブルな大学生にはダサいことなのではないでしょうか。
それよりも、彼女や彼氏とハワイやグアムなど南国に行く方が多いような気がします。
相棒に聞いてみると、大学時代に海外に行こうなどと思ったこともないそうです。(こういう人がいることが不思議でしたが・・・)
そういう若者が増えているのかもしれませんね。

話は変わって、昨日遊びに行く前に見たTV番組を紹介します。
私は昔から高校野球は嫌いでした。
近頃、北海道の高校も甲子園に出るほどになってから、少し興味を持ちましたが。
高畠導宏さんのことは、もちろんこのドキュメンタリーを見るまで知りませんでした。
高畠さんはプロ野球五球団を渡り歩いた、伝説の打撃コーチで、アメリカで活躍しているあのイチローや田口を教えたそうです。

50歳を過ぎてから、コーチ業の参考になればと大学の通信教育で心理学を学び、学んでいるうちに教職を志すようになりました。
五年をかけて教員免許を取ったそうで、この頑張りには驚きます。
彼が教壇に立ったのは、なんと59歳。
九州の大宰府市にある私立筑紫台高で社会を教えることになったのです。
アマチュア規定というのがあって、プロ野球で働いていた人は2年間アマチュア選手を教えられないそうで、高校で社会を教えながら、野球部の監督になる日を本人も、そして生徒も待っていたのです。
しかし、1年後にガンが彼を襲い、60歳で亡くなります。

彼の好きな言葉は「気力」。
「気力」があれば、何でもできる。「意識すれば気力は出る」。「自分で決めたら、最後まで諦めるな」。「コーチは教えないこと」。

彼の意思を継ぎ、30歳の若い監督が頑張っています。が、なかなか甲子園への道は遠いようです。(今年は三回戦まで行っています)

彼の一生を見ていて思ったのは、いくつになっても「気力」さえあれば、不可能はないということです。
やりたいことがあったら、躊躇せずにやるということが大事なんですね。
躊躇していると、彼のように志半ばで亡くなるということがあるかもしれませんから。

最後に彼の言葉を載せておきます。

「人生そのものので大切な伸びる人たちの共通点」
1.素直であること
2.好奇心旺盛であること
3.忍耐力があり、あきらめないこと
4.準備を怠らないこと
5.几帳面であること
6.気配りができること
7.夢を持ち、目標を高く設定することができること