帚木蓬生 『国銅』2010/04/21

昨日、読んでいる途中だと書いたにもかかわらず、その後、全部読んでしまいました。
それほどおもしろかったということにしといてくださいませ。

奈良は「平城遷都1300年祭」ということで、今年は観光客がいっぱい行くんでしょうね。
私は昨年末にもう行ってきたので、たぶん今年は行かないと思いますが。
でも、私のことですから、年末に急に行こうと思う確立が高いです。

『国銅』には、奈良の大仏が造栄される様子が克明に描かれています。
今の技術でも、そうとう時間がかかるのでしょうに、あの時代に造り上げられたということが奇跡のように思えます。


国人は長門周防地方の都に献上する銅をつくる人足でした。
兄の広国も同じ人足をしており、二人は何時開けるとはわからない年季を勤め上げるため、懸命に働いていました。
兄は国人に「穴から出ろ。出られないときは逃亡民になれ」と言っていました。
そんな兄が、具合の悪い仲間の代わりに、背負子で二人分の璞石(はく)を運んだため、肋骨が折れてしまい、しばらく寝込んだ後に、亡くなってしまいます。
国人は兄の死後、兄と仲の良かった僧の景信と親しくなり、文字と薬草について習います。
そんな時、15人の人足が、大仏を造営するために都に送られることになります。国人はその中の一人でした。

15人の人足たちは辛い船旅にも耐え、無事に都にたどり着きます。
しかし、都に行っても、同じような労働は続きます。
国人はどんな時にも手を抜かず、真面目に働き、いろいろな人から慕われ、人間的にも成長していきます。
やがて、大仏は完成し、役目を終えた国人は奈良登りへと帰ることになります。

例えどんなに利口でも、人足は人足。
人と比べて自分の立場に卑屈にならない、そういう国人の生き方にすがすがしさを感じます。
あまりにもいい人すぎますが。
都から奈良登りにたどり着き、そこで仏を彫っていた僧、景信が国人に言った言葉、「おのれの仏を持て。外見だけの仏には頼るな」はどういうことなのでしょうか?
奈良の悲田院の僧が言った言葉、「あの盧舎那仏を造ったなれば、そなたも仏だ」とは一体どういう意味でしょうか。
いろいろと考えさせられます。
お勧めの一冊です。

久しぶりの私の勘違い。 
NHKで『国銅』をドラマにしたのだと思っていたら、向こうは『大仏開眼』で全く『国銅』とは関係ないそうです。