渡部淳一 『鈍感力』2010/06/01



自分の性格を考えると、なんて人の言ったことを気にしすぎるんだろうと思うことが多々あります。
例えば、新しい職場で、違った人から同じことを何回も聞かれると、なんでそんなこと聞くんだろうと思ってしまい、ずーと忘れられずにいます。家に帰ってきてからも、その言葉を思い出してあれこれ考えてしまいます。夫が帰ってくると、ついつい話してしまい、嫌がられています。
自分でもわかっているのです。気にしなければいいということを。
本当にどうでもいいことです。それなのに、私の頭の中はいつまで経っても堂々巡り。

この本の「其の弐 叱られ続けた名医」を読むと、S先生のことがホント羨ましくなります。
主任教授が手術中に部下の医局員に小言をいう人で、S先生は第一助手という立場のせいか、一番叱られていたそうです。ところがS先生、何を言われても、「はいはい」と繰り返すだけ。手術が終わった後は、叱られたことをどこかに置き忘れてきたのか、と呆れるほど忘れ去っているのです。
数年前、渡部さんが同窓会に行き、S先生に会いました。その時も、彼は「はいはい」とうなずいているのです。そこで渡部さんは気づきました。S先生はもともと他人の話はまともに聞いていなかったということを。
渡部さん曰く、

「要するに、あまりくよくよせず、他人に嫌なことをいわれてもすぐ忘れる。このいい意味での鈍さが、精神の安定と心地よさにつながり、ひいてはそれが血の流れをスムースに保つことにもなるのです」

S先生は70を過ぎても病気にもならず、元気で飄々としているそうです。なんとなくわかります。

同僚にこんな人がいます。話好きで、話し出すとずっとしゃべっていて、人の話を聞かない人が。そんな人は他人が何を考えているかなんて興味がないし、自分の話に酔っているんでしょうね。ようするに鈍感なんでしょうね。考えようによっては幸せな人です。こっちは迷惑なんですけど。この頃避けてますが。

ストレス社会に敏感であると、それこそストレスが溜まります。人のことを気にせず、好きなことを言い、好きなことをやってしまった方が勝ちということでしょうか。
なんかそういう社会は殺伐としているような気がしますがね。敏感すぎるのも考えものですが、鈍感も程度があるように思います。

この本、ベストセラーだそうですが、内容は当たり前のことしか書いてありません。できれば、どうやったら鈍感力が身につくのか、具体的に書いて欲しかったです。 

「ER 緊急救命室 I 〈ファースト・シーズン〉」全25話鑑賞終了2010/06/03

「ER」のDVDを借りて見だしたのですが、なかなか見終わりませんでした。見出すとなかなか止められないので、時間がある時しか見られず、結局一ヶ月以上かかったような・・・?
「ER緊急救命室Ⅱ<セカンド・シーズン>」を買おうかどうか迷っています。今、安くなって千円台でDVD2枚4話が買えるのです。22話なので、6セットかしら?


マーク・グリーン(右から2番目)は弁護士になった妻と別居状態が続き、離婚話まで出たのですが、とりあえずスーザンのフォローにより妻に会いに行け、無事話が出来、復縁しました。新しくERに来た部長と合わない上に、妻とのゴタゴタで仕事に集中できず、スタッフになれるかどうかという瀬戸際でしたが、なんとかなれそうです。でも、産科医が来ないため、ERで処置をした産婦が死に訴えられます。

小児科医でプレー・ボーイのダグラス・ロス(左から2番目)は、看護師のキャロルのことを忘れようと、病院の子持ちのスタッフと付き合うのですが、製薬会社の女と会っているのを見られ、捨てられてしまいます。正義感が強いのはいいのですが、女にだらしないんです。

外科医のピーター・ベントン(中央右)は、認知症の母親を家で面倒を見たいと頑張るのですが、母親が怪我をしたことから限界を感じ、養護施設に入れます。その母の面倒を見てくれた理学療法士のジェニーといい雰囲気になっています。しかし、最後には母は心臓発作であっけなく死んでしまいます。

看護師キャロル(中央左)は整形外科医との結婚式が迫っていますが、そのわりに幸せそうには見えません。本当に結婚するのでしょうか?

心臓外科医を目指しているスーザン・ルイス(右端)は、妊娠した姉が舞い戻って来て、またスーザンのところに居座ります。子供が生まれた後は母親に面倒を見てもらおうと思ったのですが、母は子供はあなた方二人の面倒だけで十分と断ってきます。無事女の子が生まれるのですが、姉は育児に自信がなさそうです。

インターンのジョン・カーター(左端)は実は大金持ちの御曹司であることがわかります。彼は次の段階にいくために、外科医を希望するのですが自信がなく、ERも希望するということをしてしまいます。「二兎を追うもの一兎をも得ず」のことわざどおり、研修の最終日まで次の行き先が決まっていません。
 
ERって誰でも受け入れなければならないので、ひっきりなしに病人が来て、本当に忙しそうです。
どういうときに、どういう薬を使い、どういう処置をするかを瞬時に判断しなければならないので、決断力もいるようです。下手をすれば訴えられますからね。
部長の判断に従うのではなく、自らが判断を下し、必要だと思う検査をして、部長を見返してやったグリーンなどを見ていると、本当にタフじゃなければやってられない仕事だと思いました。
仕事のプロフェッショナルになるというのは、自分で責任を持って判断することなのでしょうね。

このシリーズの成功は、出ている俳優のキャスティングのよさかもしれません。どの俳優も自然で役になり切っています。日本にもこういうTVドラマができないかしら? 

アルボムッレ・スマナサーラ 『心は病気』2010/06/05

 

アルボムッレ・スマナサーラの『心は病気』とは、なんとも強烈な題名です。この本は「役立つ初期仏教法話」シリーズの一冊で、前に『怒らないこと』と『現代人のための瞑想法』を読んでいます。

スマナサーラさんはスリランカ仏教界の長老なので、日本語はどうなのかと思いましたが、読んでみるととっても簡単でわかりやすく書いてあります。

心はとてもわがままで、「好き」「欲しい」という気持ちだけで、どんなことをしてでも追いかける。わかりやすく言うと「大バカ者」です

「人間が生きる」ということは、「好きなものを得るために行動する」「得られないものや邪魔するものはぜんぶ壊す」のいずれかです。我々の日常生活は、この二つのエネルギーに支配されているのです。

自分自身でいろいろな生き方の基準やら規則やらを決めて、足も手もぜんぶ縛っておいて、できないと悩むのが人間なんですね。

現代人は、ノーマルと思われている人も、スマナサーラさんから言わせると、異常だそうです。
とにかく私達は「一瞬一瞬、入ってくるさまざまな情報に対して、すぐに評価を下したり、防御や攻撃をしたりして、瞬時に反応している」のです。「その結果、私達は、その自動反応に莫大なエネルギーを使い、肝心の心のほうは思考や幻想の中をあちこちさ迷い、漂っている状態で」いるのです。
若い子が将来について悩んでいました。話を聞いてみると、その悩みの大部分が、まだ起こっていない未来のことだったんです。起こるかどうかわからないことを何故悩むのでしょう?起こってから悩んでもいいわけですよね。
その子のことを笑えませんでした。私もそういうことを、よくやっていますから。

「人間の問題は、考えること自体にある」のです。
「つまらない思考をやめると、すごく穏やかにいきて」いくことが出来るのです。
その通りだな・・・とつくづく思います。でも止められないのです。

さて、どうやったらこの「病気」は治るのでしょうか。
簡単に言うと、「ヴィパッサナー瞑想」を実践することです。この瞑想法については本に書いてあるので、興味を持った人は読んで実践してみてください。(人に勧めるだけで、まだやっていない私です。)
起こるかどうかわからない未来を思い煩うより、今を生きる方がよっぽど精神衛生上いいですものね。                                 

酒井雄哉&茂木健一郎 『幸せはすべて脳の中にある』2010/06/07

脳科学者、茂木さんが、千日回峰行を2回も満行した天台宗大阿闍梨、酒井雄哉さんの話を聞くという内容の新書です。


千日回峰行は調べると出てきますし、この本の13ページに書いてあるので、ここには書きませんが、2回も行なった人は3人しかいないそうです。
酒井さんはもともとはラーメン屋やセールスマン、株のブローカーなどをやっていた人です。そういう彼が37歳で宮本一乗の千日回峰行の「お堂入り」に立ち合うことになり、40歳で縁があって比叡山で得度することになるのです。
彼は何故他の人ができない千日回峰を2回もできたのでしょうか?彼が何回も言っているのは、「空っぽ」ということです。

「頭が空っぽになっていると得なときがあるんですよ。「これ、やりなさい」って言われたら迷いもなくやっちゃう」
「頭を空っぽにして目の前のことをやるだけなんだ。」

「空っぽ」というと聞こえが悪いですが、「無心」と言ってもいいかもしれません。
無心になるにはどうしたらいいのでしょうか。
歩くことだといいます。
右の足、左足とただ歩いているうちに、だんだんと身体の感覚がなくなり、ふっと気づくと・・・時間の感覚もなくなっていて、人は無心になっているそうです。
 
「あまり頭の中が複雑になっちゃうと、人はかえって動きが取れなくなってしまうものかもしれないな。物事を単純に考えてると、案外楽なんだよ」

茂木さんが「どうしたら人間が幸せになれるのか」と聞きます。
すると、酒井さんは答えます。
「簡単ですよ。今いるところが一番の幸せだなと思っていればいいんだと思います」
いろいろなことにこだわってしまうと、自分が不幸に見えてきます。こだわることを止めると、心は落ち着き、今が幸せだと思えてくるように思います。
前に読んだ『心は病気』と言っていることが同じですね。 

石川 拓治 『奇跡のリンゴ』2010/06/08



NHKの「プロフェッショナル」で木村秋則さんのことを知り、この本を読んでみたいと思っていました。図書館にあったので借りてきました。すぐに読める内容です。だいたい「プロフェッショナル」で紹介されていた通りです。

一見すると、どこか田舎のおじさん(失礼)という感じの人ですが、彼の粘り強さには脱帽です。
リンゴで有名になってから、何故か人生相談をもちかけられることがあるそうです。自殺をしようと思っている若い人に、木村さんはこう言ったそうです。

「バカになればいいんだよと言いました。バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、とな」

木村さんは農家の次男として生まれました。長男が家を継ぐので、高校を出てから集団就職で川崎のメーカーに勤めました。しかし、家の都合で1年半で故郷に戻り、中学校の同級生と結婚し、リンゴ作りを始めました。小さい頃から、機械はバラバラにしてみるし、真空管を使ってコンピューターを作ろうとしたりする人だったようです。

ひょんなことから福岡正信が書いた『自然農法』を読み、無農薬でリンゴが作れないかと思い始めます。
もともと凝り性でしたから、のめりこむと大変です。
四ヶ所あったリンゴ畑を、最初は一ヶ所だけだったのですが、その後四ヶ所全部を無農薬にしてしまいます。
知らなかったのですが、私達の食べているリンゴは農薬がなければ実らないものだったのです。
彼のリンゴ畑では、やがて葉が黄色くなり、花が咲かなくなり、大量の虫が発生し、リンゴが実らなくなります。どんなことをしても、リンゴはなりません。
リンゴが取れないのですから、彼の家庭は貧窮します。しかし、家族は彼を支え続けます。

1985年7月31日、死のうと思った木村さんは岩木山に死に場所を求めて登っていきました。彼の目に映る世界は、自分が思っていたよりもずっと美しい場所だったそうです。
ちょうど具合のよい木を見つけたので、ロープをかけようとすると、あらぬ方向へ飛んでいきます。ロープを拾いに行くと、リンゴの木がありました。よくよく見ると、それはドングリの木でした。
何故森の木々は農薬を必要としないのだろう?
麓のリンゴの木とこのドングリの木の違いはなんなんだろう?
木村さんは不思議に思います。そしてわかったのは、「雑草が生え放題で、地面は足が沈むぐらいふかふか」で「土がまったくの別物」だったのです。
「これだ、この土を作ればいい」
自分はリンゴの見える部分、地上のことばかり考えていた。地下のことを考えていなかった。そう木村さんは気づきます。

「虫や病気は結果。農薬などなくても本来の植物は自分の身を守ることができる。そういう自然の強さをリンゴの木は失っていたから、あれほどまでに虫や病気に苦しまされていたのだ」

「目に見える部分ばかり気を取られて、目に見えないものを見る努力をわすれていた」

「リンゴの木はリンゴの木だけで生きているわけではない。周りの自然の中で生かされている生き物なわけだ。人間もそうなんだよ。人間はそのことを忘れてしまって、自分独りで生きていると思っている。そして、いつの間にか、自分が栽培している作物も、そういうもんだと思い込むようになったんだな。農薬を使うことのいちばんの問題は、ほんとうはそこのところにあるんだよ」

岩木山で答えを見つけてから、木村さんは家の近所でアルバイトを始めます。妙なプライドがなくなったからです。3年間キャバレーで働き、その後リンゴ一本にします。
そして、無農薬をやり始めてから9年目に、リンゴの花が咲きました。実ったリンゴは小ぶりなものでしたが、味は美味でした。
規格品から程遠いリンゴなので、なかなか売れません。大阪まで行って売りました。そうすると、買ってくれた人から手紙が来ました。「あんな美味しいリンゴは食べたことがありません。また送って下さい」
彼は奇跡をやり遂げたのです。

彼はこう言います。「現代の農業は自然のバランスを破壊することで成立している」

リンゴが売れるようになっても、彼は変りません。相変わらずの田舎のおじさんです。
彼の作ったリンゴをいつか食べてみたいですね。三年待ちという噂もありますが、本当かしら?
 

吉田修一 『横道世之介』2010/06/10

「横道世之介」という名前を見て、アっと思った人は日本文学通かもしれませんね。
江戸時代の文学作品、井原西鶴の『好色一代男」の主人公と同じ名前です。
でも、吉田さんの世之介は全く違うパーソナリティです。どちらかというと、おっとりした、鈍感な世慣れない好青年。


大学進学のため世之介が長崎から東京に出て来たところから物語は始まります。
世之介は入学式では倉持一平と、授業登録説明では阿久津唯と友達になり、何故かこの三人はサンバサークルに入ってしまいます。
サークルの先輩に紹介されたホテルでルームサービスのバイトをするころから、世之介の大学生活も軌道に乗り、色々な人たちに出会い、何とか東京で暮らしていけるようになります。

なんの変哲もない世之介の日常生活ですが、それが心地よかったりします。
私も世之介と同じように、地方から東京に出てきました。たまたま通勤時に会った職場の大学の先輩と大学の話をしたのですが、5歳の年の差なんて関係なかったです。大嫌いなフランス語の教授が同じ人でした。大学の雰囲気は5年ぐらいでは変っていませんね。今は大分変っているのではないかしら。

この本を読むと、大学時代のことが鮮やかに思い出されてきます。
勤め始めた4年間よりも、大学時代の4年間の方をよく覚えているのは何故でしょう。
それだけ濃い日常だったのでしょうか。
本を読みながら、あの頃の自分を思い出し、私は本当に何も知らなかったんだなと思いました。真の意味でナイーブだったのです。一番いい頃だったのでしょうね。戻りたいかと言われると、断りますが。
 
一時期、世之介と付き合った、浮世離れした祥子ちゃんが後に国連に勤めた時に思ったことはなるほどと思いました。

「大切に育てるということは「大切なもの」を与えてやるのではなく、その「大切なもの」を失った時にどうやってそれを乗り越えるか、その強さを教えてやることではないか」

大人になるってことは、その「大切なもの」を失っていくことかも…。

金沢へ ―金沢21世紀美術館2010/06/12

金沢へ行って来ました。
羽田から飛行機で40分くらいで小松空港に着きます。空港から約40分で金沢市内に行けます。

二日間、とっても暑く、日差しが強かったので、辛かったです。帽子とか日傘を持っていかなかったので、金沢に着いてすぐに帽子を買いました。
私は日光アレルギーがあります。一日目は長袖を着ていたからよかったのですが、二日目は七分丈だったので、パソコンに向かい始めたら腕が火照って痒くなってきました。見てみると赤い発疹が出ています。それだけ日差しが強かったんですねぇ。

金沢は東京より暑くてムシムシしているように思います。今度から六月から九月までは東京より北以外は行かないようにしますわ。
 

大きな門と屋根があるのが金沢駅東口です。駅ナカは期待したのですが、私の好きな京都駅ほどではなく、お土産屋や飲食街もたいしたことありませんでした。

一ヶ月前にホテルを予約しようとしたのですが、何故かどこのホテルも満室が多く、不思議に思っていました。駅前で何故ホテルが取れなかったのかわかりました。「うつ病学会」があったんです。それじゃなければ、連休以外でそう簡単に満室にはなりませんよね(たぶん)。

ホテルに荷物をあずけ、一番行きたかった金沢21世紀美術館へ向かいました。途中のバス亭で小学生が乗ってきて、狭いバスがいっぱいになり、とっても騒がしく、圧迫感があって、バスを降りたくなりました。歴史の勉強をしているそうです。できれば観光客用のバスではなくて、市バスを使って欲しかったです。
 

金沢21世紀美術館は円形のガラス張りの建物です。無料で入れるスペースがたくさんあるので、ちょっと遊びに来たりできる、きさくな風通しのいい美術館です。

庭には、フローリアン・クラールの<アリーナのためのクランクフェルト・ナンバー3>、チューバ状の管が12個あったり、右のような三色のガラスで作った円形のものがあります。

 
カメラマンらしい中年男性がこの円形の中に女性や中学生達を入れ、歩かせたり走らせたりして写真を撮っていました。
お腹が空いたので、カフェレストランに入ってみました。
 

こんな風にガラス張りで外が見えるレストランです。特別ランチを頼みました。



金沢の野菜や肉を使っているようですが、味は今一でした。周りの人たちはパレットランチと言って、バイキング形式のランチを頼んでいました。そちらの方がよかったかしら・・・?

展覧会は「ヤン・ファーブル×船越桂  Alternative Humanities――新たなる精神のかたち」をやっています。
展覧会を見た今も、何故この2人なのか?わかりません。二人に共通するものがないように思うからです。

ヤン・ファーブルはベルギー出身の美術家です。独特の表現形式を持っている人で、私には気持ち悪いだけでした。
例えば、剥製らしい鳥や虫、自分の血で描いた絵、青いボールペンだけで描いた絵、骨を輪切りにしたのかと思えるもので作った人体・・・。
 
 
上はパンフレットの写真です。左側はヤン・ファーブルの『私自信が空になる』です。写真ではわかりませんが、実際に見ると鼻がつぶれていて、鼻血が出ています。足元にはどこから流れたのかわからない血が溜まっています。評を読むと、旧芸術と新芸術のぶつかり合い、というようなものだそうですが・・・?
彼に影響を与えたものとして、アントワープ王立美術館からのフランドルの宗教画が展示されていました。キリスト教がどのように彼に影響を与え、消化され、作品に昇華されたのか、わかりやすくはあります。でもね…。

         パトリック・ブラン《緑の橋》(右)
         ヤン・ファーブル《雲を測る男》(上)

一方、船越桂さんのクスノキによる彫刻とドローイングは、前に庭園美術館で見たのですが、その時よりもすばらしかったです。
美術館の展示室がちょうどいい大きさなのかもしれません。どの部屋を見たのか、途中でちょっとわからなくなりましたが、それも一興。
船越さんの彫刻が何体も前を向いて立っていて、後ろに彼のドローイングが飾られている展示室11(たぶん)では、思わず息を呑みました。彫刻が息をしているようでした。他に誰もいない部屋で私と彫刻が見詰め合っていたのです。
船越さんに影響を与えたものとして、日本の観音図や釈迦如来図、卒塔婆小町下絵画巻などが展示されています。
彼の彫刻に「祈り」は含まれているのでしょうか。

 
誰でも体験できるレアンドロ・エルリッヒの<スイミング・プール>です。中学生が触ってもいいですか、と言って手を入れていました。
 
 
展示室を外側から見たら、こんな感じです。開放感のある美術館です。
 

子供の遊べるところもあります。誰もいませんでした。


色鮮やかでいいですね。


本も読めます。

唯一、ジェームズ・タレルの《ブルー・プラネット・スカイ》を見るのを忘れて帰ってきてしまいました。まあ、直島で似たようなのを見たのでいいですかね。

今まで行った美術館の中で一番と言える美術館でした。
是非とも船越さんの12対の彫刻と向かい合いに行ってください。

金沢については、また明日。
 

金沢へ―兼六園2010/06/13

美術館の後、日本三名園のひとつと言われている兼六園へ。
真弓坂に行こうとすると金沢城の石垣が見えました。
 

中学生の郊外学習日なのか、たくさん地元の中学生が歩いています。
21世紀美術館にはそれほど観光客がいなかったのですが、流石、天下の名園。観光客が多いです。とりあえず、暑いので何も考えずに歩きます。
きれいな庭ですが、やっぱりもっと涼しい春か初夏、紅葉の秋に来るべきでした。でも、その頃はもっと人が多いんでしょうね。
適当に写真を撮りましたので、ご鑑賞ください。
そうそう、一眼レフを買ったのに、重いので持って行きませんでした。やっぱり持っていけばよかったと思います。撮らないと写し方を覚えませんものね。

兼六園はもともとは金沢城の外郭として城に属していたそうです。




松の枝が見事です。


左に見えるのが茶室だそうです。(ガイドさんの話を聞いちゃいました)


雁行橋。雁が空を連なって飛ぶ姿に見立てて、11枚の戸室石を並べたそうです。ちょっと手前が余計の写真です。
曲水が透明できれいです。


花見橋。


松の枝が池まで飛び出ています。


観光客が写真を撮っているので、撮ってみました。後から気づいたのですが、兼六園で一番有名な燈籠だったんですねぇ。逆光でした。もっと真剣に撮ればよかった。


私って苔が大好きなのです。

とにかく、広さには驚きです。もっと涼しかったら、のんびりとできたのですが、暑いので駆け足で通り過ぎたという感じになってしまいました。

私には金沢21世紀美術館と兼六園で、金沢観光は十分でした。明日はつけたしということで、茶屋街と武家屋敷を紹介します。

金沢へ―茶屋街2010/06/14

金沢には小さな町にもかかわらず3つも茶屋街があります。3つとも行ってみたのですが、どこでも練習している三味線の音が聞こえてきました。
にし茶屋街とひがし茶屋街の違いは、写真だけ見るとわからないでしょうね。同じような町並みですから。

                                       ひがし茶屋街

               にし茶屋街
 
どちらが「にし」でどちらが「ひがし」かわかりますか?
と言っても、金沢に行ったことがないとわからないと思うかもしれません。でも行っていてもわかりません。しいて言うと、建物が古そうなのが「ひがし」で新しそうなのが「にし」かしら?
どちらも観光のために新しく町並みを作ったという感じがします。

ひがし茶屋街は文政三年(1820年)に加賀藩が近辺に点在していたお茶屋を集めて街づくりをしたものだそうです。
江戸時代のお茶屋の造りを残している「志摩」に入ってみました。
二階が客間で押入れや物入れがありません。お客が床の間を背に座ると、その正面に控えの間があり、そこで舞や三弦などの遊芸が披露されるそうです。









2階はそれほど広くないので、お客さんも2、3組入ればいっぱいでしょうね。
抹茶が飲めるというので、頼んでみました。


梅雨の季節なので、あじさいの和菓子でした。観光客も少なく、私一人でした。
一階は台所や帳場などがあります。






ひがし茶屋街から浅野川を挟んで主計町(かずえまち)があります。ひがし茶屋街から歩いてすぐで、料亭や旅館があるようです。観光客や歩いている人がまったくいませんでした。昼間は人が訪れないのでしょうか。私は主計町の方が好きです。
 
 
主計町の細い路地で猫に会いました。




暗がり坂という坂がありました。そこを登っていくと、神社があり泉鏡花記念館に続いています。(下写真奥)


にし茶屋街は「忍者寺」と言われているお寺から歩いて5分もかからないところにあります。


西検番所跡。ここの2階で三味線の稽古をしているらしく、大勢で弾いている三味線の音色が聞こえていました。
 

芸者さんの卵(?)でしょうか。浴衣を着た若い女性が歩いていました。
未だにお茶屋には一見さんお断りという風習があるようです。資料館のおじさんがそう言っていました。
 

金沢へ―妙立寺と武家屋敷2010/06/15

妙立寺は忍者寺として有名です。でも、全く忍者とは関係なく、日蓮宗の寺院で、加賀百万石の祈願所だったそうです。


お寺の中を見るには事前に予約が必要で、空きがあると当日でも大丈夫です。私は10時に予約していたのですが、早く着いたので9時半にしてもらいました。一番早い9時は予約が少ないようです。


何故忍者寺と言われているのでしょうか。
それはいろいろな仕掛けがあるからなのです。というのも、お殿様が何かあるたびに祈願に来ますよね。そのため、それらの仕掛けは敵や侵入者の目をあざむくために作られたのです。
外観は二階建てなのですが、内部は四階建てで、七層になっています。仕掛けには「落とし穴階段」や「隠し階段」、「明り取り階段」、「自動ロック付階段」、「二重の押入れ」、「押入れ風隠し階段」、「茶室」、「切腹の間」、「太鼓橋」などがあります。
井戸が残っていますが、この井戸に横穴があり、この穴は金沢城まで続いているらしいという風説がありますが、調べた人はいないそうです。
案内人の女性について回りましたが、自分がどこにいるのかわからなくなりました。ぐるっと一回りしたのでしょうが・・・。

         明り取り階段(敵が来たら影でわかります)
 
妙立寺から武家屋敷まで歩いて10分もかかりません。鞍月用水と大野庄用水があります。この用水に囲まれているのが武家屋敷街です。土塀が続いていますが、土塀の中は普通の民家のようです。

武家屋敷跡野村家に入ってみました。豪商久保彦兵衛が藩主を招くために作った豪邸の一部を移築したものだそうです。
障子絵や庭が見事です。


 
近くに金沢市足軽資料館がありました。



 武士ですから、それなりに部屋数は多いです。でも、何人が住んでいたのかと考えると・・・狭いですね。
 
この日は妙立寺からにし茶屋街、そして武家屋敷街を歩きましたが、万歩計は
4000歩ぐらいです。歩き足りないので、金沢駅まで歩いて帰ることにしました。百万石通りからむさしを左に行けば駅です。

途中に変った神社がありました。尾山神社です。利家の神霊を祀ってあるそうです。境内入り口にはステンドグラス張りの和漢洋風、三層造りの神門があります。
 
                                                百万石通り側
                 裏側



                                              利家公像

この後、近江町市場に行くと金沢旅行もパーフェクトだったのですが、暑くて頭が回らず、駅まで行ってしまいました。結局これだけ歩いても一万歩いくかどうかでした。結構金沢は狭いんですね。健脚な人なら歩いて回れそうです。
 
食いしん坊の私ですが、何故か金沢では美味しいものと縁がありませんでした。
唯一、加賀棒茶はお勧めです。
香りが普通のほうじ茶よりも、何倍もいいのです。初めて入れた時にびっくりしました。


金沢に行かなくても買えます。東京の人は有楽町の石川県観光物産PRセンターに行くと売っているようです。是非、お試しを。