『ゴッホとゴーギャン展』@東京都美術館2016/11/02

肌寒い中、上野に行ってきました。
西洋美術館の前には行列ができていたので、この展覧会も行列かと恐れていたのですが、それほどではありませんでしたが、それでも結構な人出でした。


アルルでゴッホとゴーギャンの同居生活はたった2ヶ月しか続かず、ゴッホが耳を切ったことで解消になり、それ以降は手紙のやり取りはあったものの、直接には会っていないそうです。

ゴーギャンの描く絵があまり好きではありません。
彼の絵には哲学的なものがあるようですが、私には訴えかけてこないのです。
ただ見たものを描いたゴッホの絵の方が、私の心に訴えかけてきます。
わかりやすいからでしょうか?

この美術展には見たことのない絵が多くあったので、よかったです。
例えば、「パイプをくわえた自画像」(1886年)。


よく出てくる自画像は明るい色調ですが、それとは違いますね。


この「靴」(1886年)という絵も初めて見ました。
結構写実的な絵も描いているんですね。

風景画ではこの1枚。


「収穫」(1888年)。
青い空と黄色い麦畑。
アルルの風景が目の前に浮かびます。


この「タマネギの皿のある静物」(1889年)も好きな一枚です。
ゴーギャンとの共同生活の破綻後に入院し、退院後すぐに取り組んだ作品だそうです。


ゴッホの絵に描かれたアーモンドの花が好きです。
「グラスに生けた花咲くアーモンドの小枝」(1888年)は、彼の中にある純なものを感じさせてくれます。


一応、ゴーギャンも載せておきます。有名な(たぶん)「タヒチの3人」(1898年)。
なんか寓話かなんかに出てくる人って感じですね。

ゴーギャンにとってゴッホは何だったのでしょうか。

ゴッホが亡くなってからタヒチにくらしていたゴーギャンが、わざわざひまわりの種を取り寄せて描いた絵があります。


「肘掛け椅子のひまわり」(1901年)。
ゴッホを思って描いた作品であろうと解説に書いてありますが、どうでしょう。
ゴーギャンの中でゴッホはそんなに大切な人だったのでしょうか?
ゴッホの片思いだったのでは?

60点ほどの作品が展示されています。
人のいない金曜日の夕方などにもう一度行って、ゆっくり見たいと思いました。