笙野頼子 『未闘病記―膠原病、「混合性結合組織病」の』2017/01/14



ハウスの中でふせをしていることがよくあります。
ママが少しでも暇そうになるのを待っているのです。
ソファにママが座わると、飛び出してきます(笑)。



笙野さんの本は読んだことがありませんし、どんな作家さんなのか知りませんでした。
わかりにくい(?)本を書いていて、他の作家たちと論争をかわしていたり、猫を巡って近所とやりあったりしている方なんですね。
猫ラブはすごいです。
わざわざ猫のために家を建てていますから。
入院も猫がいるから嫌だとか。

どこかの書評で紹介されていて、表紙の猫さんがかわいいので読んでみました。
文学的闘病記という感じですかね。

膠原病とはどういう病気なのか、名前は知ってはいても症状までは知りません。
一概にどういう病とは言えないそうで、三者三様なのだそうです。
彼女の本を読んでいないので何とも言えませんが、彼女の書くものは知らない間にかかっていた病気の症状と深く関わっていたようです。
この本もただの闘病記ではないので、たまに表現がわかりずらいところがありますが、少しなので彼女の本の中では読みやすい方なのでしょう。
するすると読めますよ。

病気になって思うのは、病気の辛さは他の人にはわからないので、見かけで判断され、ただの怠けとか思われたりすることがあるということです。
病気になっていることを本人さえも気づかない場合もあり、本人も自分はただの怠け者と思っていたりしますから。
やっと病名がついて、病気のせいだったのかと納得しますものねぇ。

笙野さんの作品では病気からくる体の違和感や生きにくさが文学に昇華されているのでしょうね。

本の中で印象に残っている場面があります。
病院の近くのバス停のベンチが、膠原病の人たちが多く利用しているであろうバス停のベンチが、よくある誰でも座れるベンチではなくて、鉄のパイプでできたベンチだというのです。
パイプが冷たくて、お尻にくいこむようなものなのだそうです。
何故そんなベンチを置いているのでしょうか?
大げさですが、日本社会の象徴みたいなベンチですね。
たぶんホームレスさんたちにベンチで寝て欲しくないとかあるんでしょうね。
それ以外にベンチがパイプという理由があるかな・・・?
そのために病気で辛い人たちが座れないという結果になっています。
世の中のすべては健康な人たちを基準にしていますから、こういうことになるんでしょうね。
自分が社会的弱者になって初めてわかるということが多いですね。
もっと高齢化が進むとどうなるんでしょうね。
ひっそりと自宅付近で暮らしていくしかなくなりますかね。
そうなる前にやりたいことはやっておきましょう。

この本を読んでから笙野さんの本を読みたくなったかというと、そうでもないです。
ちょっと面倒そうなお方という印象ですから、書いたものも・・・ね。
ちょっと変わった闘病記を読みたい方、是非読んでみてください。