帚木蓬生 『天に星地に花』2017/06/09



享保十三年三月、久留米藩領井上村の大庄屋の二男で十一歳の庄十郎は父に連れられ兄と一緒に百姓たちが寺の境内に集まる姿を見に行きました。
年貢の増徴と夫役に反対する百姓たちが行動を起こしたのです。
一揆までに行くかという時に、稲次因幡家老が百姓救済を申し出て、一揆は回避されました。

享保十五年、十四歳になった庄十郎は、吹上村で行われた念仏踊りと浄瑠璃を見に行ってから10日後に病気になります。
疱瘡に罹ったのです。
母親と普段から世話をしてくれていたのぶという荒使子も疱瘡になり、二人は亡くなってしまい、庄十郎だけが助かりました。
母に病をうつし、兄と妹に申し訳ない、そして、葬式にもでられない自分を親不孝者と自分を責める庄十郎でしたが、その彼に兄の甚八は、「おっかさんを殺したのは、お前だ。お前が死んどけばよかっんじゃ。誰が許すもんじゃ」と言い放つのでした。

庄十郎たちを診てくれたのが城島町からきた医師の小林鎮水でした。
庄十郎は病にかかる前から自分の将来を考えていました。
病気を機に彼は鎮水に弟子入りして医師になることを決意します。
最初は弟子はいらんと言っていた鎮水でしたが、庄十郎の強い意志を見抜き、弟子として迎えるのでした。

享保十九年、稲次因幡家老は藩主に疎まれ、横隈での蟄居を命じられます。
次の年、稲次は病に倒れ、鎮水と庄十郎は彼の元へ駆けつけますが、手当のかいなく、稲次は亡くなってしまいます。

寛延二年、庄十郎は故郷の井上村の近くにある北野天満宮の境内裏で開業することになります。
人々に受け入れられ、思いがけず妹がこの地の大庄屋に嫁いでき、幸せな毎日が続いていました。
しかし、宝暦四年、人別銀の賦課が科せられることになり、二十五年前の大騒動がまた起こりそうな気配が漂ってきました。
今度は稲次因幡家老のような人物はいません。
農民たちのみならず、大庄屋である兄の甚八や大庄屋に嫁いでいる妹の運命は・・・。

水神』のように農民たちの暮らしが克明に描かれています。
それと同時に庄十郎は医師なので、医師の心得も書かれています。
「天に星 地に花 人に慈愛」という言葉を庄十郎は一生を通して糧としていきます。

「医師の仕事とは、漆黒の天に星を見、暗黒の地に花を見出し、漆黒の人の世に、わずかなりとも慈愛を施すことかもしれなかった」

ゲーテの言葉だそうですが、帚木さんも心に刻んだ言葉なのでしょうか。

庄十郎の師の鎮水の言葉も深いです。

「医とは、究極のところ、その復元力の邪魔をしないことに他ならない。ところが、世にあまたいる医師の多くが、医術と称して、その復元力を防げているのに眼を向けず、おのれのみ満足し、患者や患家に法外な謝礼を要求している。そなたに繰り返し言ったとおり、医は祈りに他ならず、祈りは、いかなるときでも人の復元力を損なわない」

この頃から比べても医療技術は進んでいますが、医師たちの人間性はどうなのでしょうか。
帚木さんが今の医師や医学生たちに警告を鳴らしていると思うのは考え過ぎでしょうか。

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