久坂部羊 『老乱』2017/09/28



親が認知症か、認知症になったらどうしようと思っている方に是非読んでいただきたい本です。

私の義理の親は二人共認知症でした。
最初に認知症になったのは義父の方で、自転車に乗って行方不明になってわかりました。
彼は攻撃的な認知症だったので、ケアマネージャーと相談し、認知症が専門の精神病院に入り、その後、特別養護老人ホームに入居し亡くなりました。
一方、義母は穏やかな認知症でした。
心臓の手術をした後に認知症の症状が出始め、義父の死後、ケアハウスに入居、後に末期癌であることがわかり、病院で亡くなりました。
読みながら当時のことを思い出しました。

テレビの弊害なのか、認知症というと徘徊、妄想、異食、暴言、暴力などの症状を思う人が多いようです。
しかし、久坂部さんが朝日新聞に寄稿していますが、認知症は分類不能なほど様々なタイプがあるのです。
どういうタイプの認知症になるのかはわからないのです。

この小説は、78歳の五十川幸造が自転車で出かけているうちに居場所がわからなくなったことから始まります。
妻の雅美はニュースや新聞で認知症の人が引き起こした事件を見て、義父が何かやらかすのではないかと常に心配し、何かしてしまったらどうなるの、賠償金なんて出せないわ、まだまだ子供たちにはお金がかかるし、家にはそんな余裕はないのよ、病院に連れて行きましょう、一人暮らしはさせられないわ、家は狭くて引き取れないから施設を探しましょうと次から次へと不安をつのらせていき、夫に訴えます。
一方、夫の幸造は父親が認知症っぽいけど、まだまだ大丈夫、と妻の訴えを軽視しがちです。

幸造は家族の疑いの目がうっとうしく、病人扱いも不愉快だし、馬鹿にされているようでプライドが傷つけられ、怒りや苛立ちがつのっていきます。
そうすると脳は混乱し、勘違いや思い込みがひどくなっていき、増々家族に認知症だと疑われていきます。
認知症の人の思考がリアルに描かれています。

久坂部さんによると、親が認知症になって一番大事なことは、次のことです。

「介護がうまくいかない最大の原因は、ご家族が認知症を治したいと思うことなのです。(中略)
認知症を治そうと思わず、受け入れることです」

受け入れるということほど難しいことはないと思います。
認知症は治らないと受け入れ、これからどうしていこうかと思うところから始めないとダメなんですね。
そして、受け入れてから「恩返しの発想」に気持ちがいけば介護は楽になると言います。
相手に対する感謝と尊敬の念があれば、介護をする時にその思いが伝わり、その状況を失うような行動はしなくなるらしいですよ。

最後に、心配になった人へ本の中の言葉を載せておきます。

「起こってもいないことを考えだすと、不安はどんどん膨らみます。起こったらどうしようと考えるより、起こらないようにする方法を考えましょう」


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