唯川恵 『淳子のてっぺん』2018/02/06

昨夜、バーミキュラでポトフを作りました。
鍋いっぱいに野菜を詰め込み、ギュウギュウでしたが、火加減がよかったのか、野菜たちは柔らかくなりました。
この鍋は急いで料理を作りたい人には向きませんね。
来月のガス代がどれくらいになるのかしら?


大学時代に少しハイキング程度の山登りをした私には、この本のモデルの田部井淳子さんはあこがれの人でした。
女性でありながら、崖のぼりを始め雪山登山をやり、はてはエベレストまで登っちゃうんですもの。
2016年にお亡くなりになってしまったのは残念です。

福島県三春町生まれの淳子は小学校4年生の時に、学校の先生が那須の茶臼岳に連れて行ってくれてから山が好きになりました。
東京のお嬢さん大学に行って周りと溶け込めず、身体の調子を崩し、福島で病気療養してから大学に戻り、たまたま友人が高尾山に連れて行ってくれたことから、東京にも山があるんだと気づき、東京近辺の山々を登り始めます。
そして、社会人になり、山岳会に入会し、本格的に山登りをすることになります。
しかし、世間は女性が本格的な山登りをすることに理解がありません。
親からは結婚を強いられ、男の登山仲間には女は男の助けがあるから登れるのだと言われていました。
そんな中、淳子は同性の仲間とも山登りをし、女性ペアで男でもなかなか登れない谷川岳の一ノ倉沢の登攀に成功します。
残念なことに、相方の女性は山で亡くなってしまいます。
その後、いい相手に恵まれ結婚しますが、山への思いは変わらず、女だけの登山隊でヒマラヤのアンナプルナⅢに登頂。
子どもを産んだ後、エベレスト日本女子登山隊の副隊長として世界最高峰エベレスト登頂に成功します。

まだまだ女性は結婚して家庭へという常識が根強かった時代に、登山という自分の好きを優先した淳子は信念の人です。
結婚した相手も山屋でしたが、凍傷で足の指を失ったため、夢を淳子に託し、バックアップする役割に徹してくれたようです。
旦那さん、男前!
女だけの登山隊での苦労が書いてありましたが、女だからというのではなくて、どんなことでも人が集まってやることには色々な苦労がつきもので、それを乗り越えていくような強さがなければ何もできないんだなと思いました。
それにしても、みんな一緒に行っても頂上に登れる人は数人という現実はむごいです。
私はそういう立場になったら、それを大人しく受け入れられるかしら。
エベレストでは淳子一人しか登れなかったようですからねぇ。

遠征に行く淳子に夫が「淳子のてっぺんはここだ」という場面がいいですね。
「家に帰るまでが遠足」とよく学校の先生が言っていましたが、「家に帰るまでが登山」ですか(笑)。

心に残った言葉は、

「なぜ生きるのかを知るために、人は生きる。
 なぜ山に登るのかを知るために、山屋は登る」

「山がそこにあるから」登ると言った人よりも深い言葉だと思います。

とにかく、自分の「好き」をどれだけ優先できるか。
それにつきますね。
周りに言われたから止めたというのは、それだけなんですね。

久しぶりに読むのが止まらない本でした。

最後に、本とは関係ないのですが、たくさんのシェルパたちに助けられての登山になんとなく違和感を持ちます。
この頃、エベレスト登頂率が上がったのはシェルパによるルート工作があるからだとか。
頂上まで行けば登る過程は関係ないということなのか・・・。
シェルパたちの待遇はどうなっているのだろう?



「ママさん、僕は山には行きません。僕にとってはここがてっぺんですから」by 弟。