川名壮志 『謝るなら、いつでもおいで 佐世保小六女児同級生殺害事件』2018/09/10

暗い報道が多い中、大坂なおみさんの全米制覇の話題は嬉しいものですね。
グラフの頃からテニスの試合を見ていた私にとって、日本人が取ったというのが驚きです(彼女のことを日本人じゃないと言う人もいるようですが、お母様が日本人ですから、OKじゃないですか?)。
セリーナさんの行動が残念でしたが、あれは考えてやっていたのでしょうね。
まともに戦うと負けるのがわかっていたので、精神的に弱いなおみさんを揺さぶる意味もあったのでしょう(と思いたいけど、そうじゃなかったら、怖いわぁ。)
とにかく、おめでとう!

と書きながら、紹介する本は重いものです。


1997年に酒鬼薔薇聖斗事件が起こり、少年犯罪の凶悪化がマスコミで取り上げられるようになり、この小学校6年生の女の子が、同級生を殺したという事件は2004年に起こりました。

本を書いたのは、被害者の少女の父親の直属の部下で毎日新聞記者の方です。
加害者と被害者の両方を知っている、事件当時から関わってきた人です。
当時の学校の混乱した様子や佐世保支局内のこと、被害者家族のこと、加害者と被害者の関係、加害者の父との会話、被害者の父と兄の話などが克明に書かれています。

勉強不足で、この本で知ったのですが、14歳以下の子どもには少年法ではなく「児童福祉法」が適用されるそうです。
「児童福祉法」では非行少年の「保護」をうたっており、犯した犯罪の軽重は問わず、「加害者」であっても「社会の網の目からこぼれ落ちた被害者」とみなし、子どもの福祉を一番の目的としています。(p.53)
そのため刑も罰も科せられず、加害者の少女は児童自立支援施設に収容されました。

少年たちは「可塑性」に富んでいるから、大人と同じ刑を科すことができないとは言うけれど、どうなんでしょうか。
この事件とは関係ないのですが、足立区で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」で逮捕された4人の少年たちは出所後、また犯罪を犯していると聞きました。
彼らは特別なんでしょうか?
少年であっても罪の重さに応じて刑を科す方がいいのではないでしょうか?

被害者の家庭は母親が癌で亡くなっていました。
被害者の女の子はその寂しさや友達とのことを父親には言えなかったようです。
父親は加害者の少女に関してこう書いています。
「あの子とあの子の家族はやり直しができるんですよね。でも、僕のところはやり直しができない。失ったまま。それはわかってくれど。もちろんね、相手も平穏な生活が崩れたことは承知している」
「それでもやり直しができるということは、向こうにとっての「救い」だよね」
「被害者なんてものは、救いがあるなんて思っていないんだよ」
「あの子には生きて抱えてもらいたいと思っている」

この本を読んで一番の被害者は殺された少女の兄ではないかと思いました。
彼は被害者家族でありながら、必要な援助がなされていなかったのです。
警察からも教師からも誰からも事件について聞かれず、父は悲嘆に沈み、精神的におかしくなりそうな状態だし、周りは何を彼に言ったらいいのかわからず、声をかけられず、学校にいたスクールカウンセラーさえも話しかけてこなかったそうです。
彼は話したかったのです。
怒りをぶつけたかったのです。

中1だった彼は高校を卒業するような年齢になっています。
彼は加害者の少女に対して、「普通に生きてほしい」、「一度きちんと謝る。謝ってもらった後は、お互い自分の生活に戻る」などと言っています。

自分の妹を殺した相手にこんなことを言えるなんて・・・。
彼こそ、一番ケアが必要だったのに。
彼の言葉は彼女に届いているでしょうか。