草間彌生美術館へ行く2019/05/01

東西線の早稲田駅からしばらく歩いて右に曲がり歩いていくと、水玉の壁があります。
それが草間彌生の美術館です。


国立新美術館の展覧会はあまりにも人が多かったのでみませんでした。
彼女が自分で建てた美術館は時間制なので、ゆっくり見れるだろうと思ってチケットを取りました。
展覧会のタイトルは「幾兆億年の果てより今日も夜はまた訪れてくるのだ―永遠の無限」です。
海外から来た観光客が結構います。
一階は入り口とショップ、二階は彼女についての資料と絵7点、三階は絵が21点、四階はオブジェ、屋上にはカボチャが一個あります。
二階の絵は色が黒とか灰色などの無彩色です。
黒の中に赤やら黄色やらが混じった絵がよかったです。
一つ一つ描いたのだとしたら、ものすごく時間がかかっただろうなと思いました。
三階は色々な色で描かれていて二階との対比が効いています。
赤で描かれた「心が痛んだときの自画像」が心に残りました。
「太平洋」はどう見ても海に見えず?でした(笑)。

写真を撮っていいのは一階と四階と屋上です。
四階のオブジェは「天国への梯子」という題名です。


梯子の色が変わります。


水玉の梯子の上と下に丸い鏡があり、ずっと梯子が続いているように見えます。


屋上にあったカボチャです。
2015年作のカボチャだそうです。
結構大きくて、人の身長以上ありました。
天井が開いているので、雨の日は出られないようです。

とっても小さな美術館なので、1時間もかからずに見ることができます。
ショップで小さいカボチャを買おうと思ったら、二万円もしたので諦めました。
直島で買ってきたのですが、そんなに高くなかったような・・・。

作品集を見ると、Infinity Mirrored Roomが綺麗です。
日本でもやらないかしら。

早稲田付近でランチをして帰ることにしました。


相棒はカレー好きなのでスープカレーのお店に入りました。
知床鳥のスープカレーとラッシーを頼みました。
いつも思うのは、スープカレーはどうやって食べたらいいのかということです。
スプーンにご飯をのせ汁につけて食べるのか、汁をご飯にかけて食べるのか、迷ってしまいます。
結局、両方をやって食べてしまいます。
最後にご飯をスープに入れる人もいるそうです。
スープが残ることが多いので、これもよいかもしれませんね。

山口恵以子 『恋するハンバーグ 食堂のおばちゃん2』2019/05/02



『食堂のおばちゃん』の第二弾は、昭和40年代のお話。
ということは、そうです、二三の舅姑たちのお話です。
二人の馴れ初めから、「はじめ食堂」のなりたち、従業員や常連さんのことなどが書かれています。

二三の舅・孝蔵は帝都ホテルの副料理長でしたが、鮨屋を営んでいた父親が倒れたため、ホテルを辞めて「はじめ食堂」を開いたのです。
初めはホテルの味を安く提供するのだからお客は来るはずと思い込んでいたのですが、開店からどんどんお客が減っていきます。
孝蔵の妻・一子は鮨屋の常連だった近所の人に話を聞き、何が足りないのかを推測し、夫に教え、夫はそれを料理に取り入れたのでした。
そして、それから「はじめ食堂」はみんなに愛されるようになっていきます。

一子さんって結婚するために高校を辞めてしまいますが、もともと頭のいい人ですね。
夫の孝蔵さんも男のメンツなんて気にせずに妻の提案を素直に取り上げるところなんか、流石です。
こういう二人ですから、弟子には慕われ、「はじめ食堂」も人々に愛されていくのですね。

コンソメスープはあまり好きではないのですが、読んでいると飲みたくなりました。


今日は近所のお店でサラダランチをいただきました。
「はじめ食堂」のようなこってりしたハンバーグやコロッケ、グラタンなどもいいのですが、私はランチにはあっさりしたものが食べたいです。

木更津のアウトレットに行く2019/05/03



昨夜、また兄犬はへそ天で寝ていました。
ドームの犬小屋に吐いた後があったので、臭いのは嫌なので外の寝床に寝たようです。
幸せそうでいいですわ(笑)。

夫がアウトレットで買い物をしたいというので行ってきました。
普通は1時間ちょっとで行けるのに、アクアラインに入るまで渋滞で三時間もかかってしまいました。
ランチを食べようと思っていた海鮮食堂は沢山人が並んでいたので入らず、カフェで軽いサンドイッチになってしまいました。
連休の影響がやっぱりあるんですね。
アウトレットは午前中は空いていたのですが、午後になると混み合っていました。
夫は洋服やランニングシューズなどを買っていたのですが、私は鍋のプラスチックピンを買ってきました。


50%引きだったので千円もしません。
ちいさいココットロンドがかわいいんです。
オレンジしかなかったのが残念でした。

帰りはアクアラインに入るまで混みましたが、それ以降はスムーズだったので、2時間弱で帰れました。

白川優子 『紛争地の看護師』2019/05/04



「国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)」を知っていますか。
1971年に設立し、1992年に日本事務局が発足したそうです。
1999年にノーベル平和賞を受賞したことで知った人が多いかもしれません。

この本を書いた白川さんは7歳の頃、テレビのドキュメンタリーで国境なき医師団のことを知ったそうです。
商業高校に入学し、3年生になり進路をなかなか決められなかった時に、クラスメートの一人が看護師になるために頑張っていると言ったのを聞き、自分も看護師になりたかったんだと気づきます。
7歳の時の埋もれていた記憶がこの時によみがえったのかもしれませんね。
その後、定時制の看護学校に入学し、半日を医療機関で勤務、半日を看護学校で勉強するという生活を四年間行い、看護師の資格を取りました。
看護師になった後は外科で経験を積んでいましたが、国境なき医師団がノーベル平和賞を取ったことを聞き、すぐに自分も参加しようとスタッフの募集説明会に行きます。
しかし、英語(またはフランス語)ができないことに気づき現実の厳しさを思い知ります。
ここで諦めたら終わりですが、白川さんは英会話学校に通い始めます。
でも、英会話学校の英語では医療活動を行うことは不可能です。
悩んでいる彼女に母親は後悔しないように今行動を起こすようにと言います。
それからの白川さんは留学資金を貯めるために産婦人科に転職し、資金を貯め、
2003年にオーストラリアのメルボルンに語学入学をし、2004年に大学に入学、
2006年に晴れてオーストラリアの看護師資格を取得します。
オーストラリアの病院で働いた後、MFSに入るために2010年に日本に帰国。
彼女は37歳になっており、初の派遣は内戦終結直後のスリランカでした。

紛争地では理想の医療などできません。
限りのある薬剤や物資、人材、設備ですが、その限界下で最善を尽くした医療を患者に提供することが求められていると白川さんは言います。
たとえそれが患者の手を握り続けていることであろうと。
その根底には「国、国籍、人種を越えた、同じ人間としての思い」があるのです。

本としては派遣された場所の羅列っぽいところが多くて、チョット残念でした。
彼女のようなことはできないけれど、でも何かできないか考えさせられます。


トリミング2019/05/05

もっと早くトリミングに行こうと思っていたら、予約が入らなく連休中になってしまいました。


耳を短く切ってくれるようにいうのを忘れたので、いつものようにザンバラ髪です。
湿気があるので落ち武者にはなっていませんが(笑)。


今日は凜々しい顔ですね。


弟は落ち着きがなく、すぐ兄にちょっかいをだすので、兄に嫌われています。
一緒に写すと、兄が不機嫌になります。


兄に怒られるので、めったに兄よりも前には出ません。
例外は食べ物とおもちゃ。
この2つがあると、兄よりも先に取ってしまいます。

今回のトリミングで兄の尻尾がいつもよりも短く切られていました。
○んちがトイレの外に落ちると言ったからかしら?

犬をトリミングに連れて行ってから買い物にいったため、結局、今日も一万歩歩いてしまいました。
他の人よりも歩くことが多いようです。
膝は暖かいおかげか調子がいいです。

矢野帰子 『わたし、定時で帰ります。』2019/05/06



ドラマでもやっている『わたし、定時に帰ります。』を読んでみました。

昔の職場で組合活動を一生懸命にやっている人と同じ部署になり、仕事が忙しくない時に彼が「帰りましょう」と言ってくれ、みんなと一緒に帰ったことが何度かあります。
もちろん、一緒に帰ったその先は居酒屋でしたが(笑)。
別の部署の人が彼と一緒に早く帰る私たちのことを悪く言っていたということを後から聞きました。
仕事がある時はちゃんと残業していたのにね。
その時から大分時が経っているのですが、未だに定時に帰ることは「悪」という考えの人が多いのが現状です。
たまたまその時に仕事がなかったり、同じ仕事でも仕事の速い遅いはあります。
それなのに、早く帰るからと悪く言うことはないと思いますが・・・。

そういえば「24時間戦えますか」というコマーシャルが流れていましたね。
1988年のバブル最盛期の頃のようです。
日本企業もガンガン攻めていっていた頃ですか。
今は働き方改革とか言っていても、日本人の働き方はなかなか変わらないんじゃないでしょうか。
死ぬ気で仕事なんてしている人いるでしょうか。
死ぬ気はないけど、やらされている人は沢山いるでしょう。
ブラックだったら、我慢しないですぐ辞めましょうと言いたいけれど、そこを辞めたら次がないと思うと辞められないこともあるでしょうね。

定時に帰るのが当たり前の世の中に早くなって欲しいですね。
(ごめん、正社員を辞めてしまった私には強く言えない)
今や契約社員の私は残業しなくていいので、その点は楽です。
しかし・・・。
次に読んだ本で派遣も大変なことがわかりました。
次に続く。

泉ハナ 『外資のオキテ』2019/05/07



高村貴美子は英語を使う仕事にあこがれていました。
普通の企業に就職したけれど、その夢を忘れられなくて、会社を辞めて1年間語学留学をします。
そして、帰国後、外資系企業へと転職活動をしますが、どこからも相手にされません。
唯一面接してくれた企業で言われたのが、「語学留学は留学とは言いません」という言葉でした。
面接をした鈴木は貴美子に、まず派遣社員という立場で働くことを勧めます。
貴美子が最初に派遣された会社はオフィス閉鎖が決まっている外資系企業の秘書補佐でした。

二社目で貴美子はヒステリックで理不尽な上司に精神的に追い詰められていきます。
正社員ならなかなか辞める決心ができないでしょうが、派遣のいいところは契約内容と違う仕事はしなくていいところで、契約以外の仕事を頼まれた場合、派遣会社に連絡して対応してもらえるところです。
それなのに、貴美子は我慢して仕事をやり続けようとするのです
とにかく自分を認めてもらいたい、仕事を辞めさせられたくないという気持ちが強かったんです。

三社目でやっと能力を発揮できる職場が見つかったようです。

外資系企業を描いていますが、普通の会社に置き換えてもいい内容です。
自分に自信のなかった貴美子が最後にはこう思います。

「がんばって勉強したこと、がんばって仕事に取り組んだことに、私は自信をもっていいんだ。
 他の人がどう見るかとか、誰かの評価をどう得るかとか、そういうものとは関係なく、自分がしてきたことに自身を持つべきだったんだ。
 そうすれば、後悔することもないし、くじけることもない。」

私たちは人からどう評価されているかを気にかけますが、本当に大事なのは人ではなく自分なんですね。
自分の良い部分を自分が認めてあげる。
そうじゃないと二社目の貴美子みたくなっちゃいます。

若い会社員やこれから働こうと思っている人にお勧めのお仕事本です。

近藤史恵 『みかんとひよどり』2019/05/09



久々の近藤さんの小説ですが、出来は今一つでしたが好きな作品です。
これは普通の小説なのか、サスペンスなのか、ミステリなのか、と迷いますが。

潮田亮二は35歳。
フレンチのシェフをしています。
フランスで修行をした後、日本でフレンチレストランを経営したのですが上手くいかず、今は雇われシェフをしています。
オーナーはジビエ料理の好きな女性で、亮二のジビエ料理が気に入り、レストランを任せてくれたのですが、赤字続きで、これからもシェフを続けていこうかどうしようかと迷っている亮二でした。

ある日、猟に出かけた亮二は山の中で迷ってしまいます。
日は暮れかけ、途方にくれているところにやってきたのが、無愛想な猟師の大高と犬のマタベーでした。
彼に助けられた亮二と犬のピリカは一夜を彼の家で過ごします。
大高は腕のいい猟師で、店でジビエ料理を出したいと思っていた亮二は大高に獲物を店で出せるように交渉しますが・・・。

無愛想な大高に惹かれていく亮二。
ピリカも大高が大好きです。
亮二と大高の関係が深まろうかという時に、大高の家が放火され、その後、大高の車に乗っていた亮二は危ない目に遭います。
大高は誰の恨みをかっているのか、心配になった亮二は調べてみることにします。

ジビエ料理は食べたことがないですが、美味しそうですね。
みかんを食べていたひよどりはみかんの匂いがするのだそうです。
このひよどりにオレンジソースをかけると・・・。
言うまでもなく、美味でしょうね。
そういえば義理の姉の父親が猟をしていて、鹿肉の缶詰をもらって食べたことがあります。
味噌味だったので、それほど不味くはなかったのですが、美味しくもなかったです。
亮二が鹿肉を料理するとどうなるのでしょうね。

日本ではジビエ料理はそれほど一般的ではないですね。
西洋社会の狩猟ではなく、日本は本に出てくるような害のある獣を駆逐するという意味合いの方が強いのでしょうね。
人間社会から距離を置こうとする大高とシェフとしてジビエ料理に挑戦する亮二は意外と相性がよさそうです。
私は犬のマタベーとピリカが大好きです。
近藤さんは犬派なのかな?

小島毬奈 『国境なき助産師が行く 難民救助の活動から見えてきたこと』2019/05/11

近所の図書館でカウンター待ちをしていたら、中学生ぐらいの男の子が司書さんに聞いているのが聞こえました。

「ニッコクはどこですか?」「ニッ・・・。何ですって?」「ニッコクです」
「ニッコク?」「特別な言い方なのかなぁ?」「国語辞典みたいなものならこちらです」

しばらくして、同じ子が辞書のページを見せながら、「伸ばし棒ってどこにありますか?」と聞いています。
「伸ばし・・・」「伸ばし棒です」「何を調べているの?」

家に帰ってから調べました。

ニッコクとは「日本国語大辞典」
伸ばし棒とは「長音符」 カードなどのーの記号のことだそうです。

おばさんは○○年生きているけど、知らなかった・・・(恥)。
「伸ばし棒って図書館にある?」って感じです。
これらの言葉って一般的なんでしょうか?
広辞苑は持っていても、ニッコクなんて持っている家、滅多にないわよねぇ。


国境なき医師団で助産師として参加した方の本も読んでみました。
彼女は自分が何故看護師になったとかいうことは書かず、主に派遣された場所のことを書いています。
白川さんはMSFに登録する前に語学力のなさを思い知ったと書いてありましたが、小島さんはその点、現場にいってから苦労されていますが、行く前に語学に自信がないように思えなかったので不思議に思っていましたら、著者紹介でわかりました。
彼女は旅行好きな父親の影響で海外に行くことが多く、高校時代にはオーストラリアに留学していたんです。
看護学校卒業後に助産学校に行ったということですから、勉強することが苦にならない人なのでしょうね。
そんな彼女はパキスタンを皮切りに、イラク・シリア・レバノン・スーダン・地中海難民捜索救助船等に派遣され、その経験をこの本に書いています。

彼女のいいところは、宗教や文化、習慣の違う人たちを尊重していることです。
そういうところは現地助産師たちのポテンシャルを信じ、「できる限り彼らの自主性に任せる」という態度からわかります。
なんでも援助に来た人がやってしまえば楽でしょうが、それでは援助がなくなった後どうなるのかということを考えたらわかることですものね。
考えるべきことは彼らの自立と未来です。

自身が女性であることからこういうことも思っています。

「女性は、生まれた国によって運命が大きく左右されます。もし私がパキスタンに生まれていたら、夫の所有物として扱われる人生だったかと思うと、たまたま日本に生まれたことは本当に幸運であると痛感します」

母体救命のために手術が必要なのに、手術するためには「男性」の家族の了承が必要だそうです。
その上、子宮摘出をしなければならなくなる可能性があると言うと、それを拒否するというのです。
自分の命を左右する決断も本人だけでは許されない、命よりも「子供の産めない女性に価値はない」という文化。
彼女でなくても日本に生まれたことを感謝する以外にありません。

この本を読んで知ったのは、リビア沿岸で難民救助をしている地中海難民捜索救助船「アクエリアス号」のことです。
このような船があることなんて全く知りませんでした。
2016~17年の二年間で約8000~10000人が海で命を落としているそうです。
何故リビアか。
アフリカの多くの国では内戦や貧困で生きていくためのお金を稼ぐ手段がありません。
そのことにつけ込まれ、リビアにはいい仕事があるという言葉を信じ、借金までしてリビアに渡ります。
しかし、そこは無法地帯で、人質となり身代金が要求され、払えないと売り飛ばされ、売春や強制労働をさせられることとなります。
ある程度働くと、ボートでイタリアへ行くチャンスがやってきます。
運がよければ救助船に助けられイタリアに行けますが、運がわるけりゃ捕まりまた留置所に戻されるか、そのまま海の藻屑となるか・・・。
救助船の悲惨な様子を小島さんはユーモアを交えた言葉で書き綴っています。

MSFでは「私は中絶のために業務を遂行します」という同意書にサインを義務づけられているそうです。
南スーダンに派遣された時は性暴力のカウンセリングも行っていたそうです。
火をおこすのに必要な薪を集めにいったら森の中で襲われたなどということが日常茶飯事。
レイプを受けたのは女性自身の責任とみなされ、責められ、加害者は法で裁かれることがないのです。
しかし、こういう一見救いのないような所でも、私たちが学ばなければならないことがあると小島さんは言います。
赤ちゃんを取り上げる時に早く出そうとして骨折させてしまったそうです。
日本ではえらいことになりますが、母親は彼女に"God bless you."と感謝したと言います。
「今あることに感謝」することのできない日本人は不幸であるとまで、彼女は言っています。

小島さんは日本人は他の国の人たちに比べるとおとなしくて意見も言わなくつまらないと最初は思っていたそうです。
でも、働いているうちに「日本人には忍耐の精神があり、その場を丸くおさめることが上手で協調性がある」ということに気づき、それが長所であると感じたそうです。
これからの国際社会を渡っていくためには彼女の言う日本人としての長所を生かしていく道を考えていくといいかもしれませんね。

小島さんはSOSメディテラネの募金を募っています。
見てみると、なんと救助船「アクエリアス号」が昨年末から活動停止になっているそうです。
ボートで海に出た難民の方々はどうなっているのでしょう。

令和で浮かれている日本にいる私に何ができるのかを問いている毎日です。
何も行動に移せない自分がもどかしいです。

山口恵以子 『食堂のおばちゃん 3~5』2019/05/12

かわいらしい手が見えていました。


アレ?頭はどこ?
のぞいてみると・・・。


ありました。
寝ずらくないのかしらね(笑)。


『食堂のおばちゃん』がおもしろかったので、三巻から五巻まで続けて読んでみました。
どの巻も今のはじめ食堂で起こることです。
印象に残った出来事を紹介しましょう。

三巻の『愛は味噌汁』では、新しいお客がやってきます。
近所のタカラクリーニングに働く真弓という女性で、カラオケバトルのチャンピオンです。
チャンピオン大会が近いうちにあり、テレビ局で彼女を取材することになり、はじめ食堂でランチを食べる姿が撮影されました。
チャンピオン大会が近づいたある日、真弓の夫がはじめ食堂にやってきます。
夫婦の危機か!?

この他、はじめ食堂のピンチ!食中毒事件が起こります。
どうなることやら。

四巻の『ふたりの花見弁当』では、常連で元帝都ホテル社長の三原から一子たちは花見に誘われます。
それではということで、常連のみんなにも声をかけ、三原のマンションのある場所で花見をすることになります。
さて、お料理は。

一方、二三子の娘の要は実用から文芸に異動になり、担当になった作家が頑固で気難しいとの評判のある人でした。
ところがその作家がはじめ食堂に現れ・・・。

五巻、『真夜中の焼きそば』では、万里の提案でワンコイン・ランチとテイクアウトを始めました。
この試みで新しいお客を開拓できるのではと思ったのです。
やってきたお客は・・・。

本の中にでてきた日暮里繊維街のことですが、あそこは西日暮里ではなくて東日暮里だったと思います。
西日暮里駅で降りると大分歩きますよ。
本を読んで行ってみようと思った方は日暮里駅で降りて下さい。

気になった言葉を載せておきましょう。

「思い出というソーズが掛ると、不味い食べ物も美味しい記憶に取って代わられる」――お袋の味ってものがそうですね。

「人生に失敗はない。良い経験も悪い経験も、全部人生の肥やしになる。失敗するのは後悔したときだけだ」――後悔しない人生にしたいものです。

「料理人の条件は食べるのが好きなことと、食べさせるのが好きなこと」
  ――私は食べるのが好きだけど、食べさせるのはどうでもいいです。

巻末にレシピがあるのですが、まだ作っていません。
見た感じは簡単そうですが、調味料の量が詳しく書いてありません。
料理になじみのない私はどれぐらい入れればいいのかわからなくて困ります。
次回からよろしくお願いします。