寺地はるな 『どうしてわたしはあの子じゃないの』2021/04/25



つつじが満開の季節になりました。
身近なところで季節を感じることしかできないですが、来年はどこかに行けると思って乗り切りましょう。


水を縫う』を書いた寺地さんの本です。

閉鎖的な肘差村に住んでいる三島天はいつしか村を出て東京に行き、小説家になりたいという夢を持っていました。というのも父親からは生意気だと殴られる日々で、周りはみんな天の気持ちをわからない敵のように感じていたからです。
彼女の嫌いなのは「世間体」とか「常識」でした。

父親の兄が事故死したため、東京から肘差村にやってきた小湊雛子ことミナ。彼女の家はこのあたりでは有名な地主で、祖父は村会議員でした。
ミナは可愛くて人目を引く容姿をしているので、男の子はみなミナのことが好きだと天は思っていました。

きれいな顔立ちにコンプレックスを持つ吉塚藤生。母子家庭で母親はお酒も出す『喫茶かなりや』をやっています。彼の家にパソコンがあるので、天はよく遊びに行っていました。
藤生が天のことが好きなのはみんなは知っていますが、天はそれを知りません。
天は藤生がミナのことが好きだと思っていました。ミナが藤生のことが好きだったので、天は二人の仲を取り持つようなこともしていました。

三人は中学校の授業で「20歳の自分へ」という手紙を書かされました。ミナが卒業したら東京に行くというので、それを真似して、三人は20歳の互いに向けて手紙を書きました。
それから14年後、ミナがその時の手紙が見つかったから、廃絶された肘差村の肘差天衝舞浮立が復活される日に三人で会って、手紙を開封しようと言ってきます。

30歳になる天は地元を離れ、スミレ製パンの工場で働きながら、小説を書き続けていました。
ミナは結婚しましたが、離婚することになっていました。
藤生は地元のケーブルテレビに勤めています。

一体手紙には何が書かれていたのでしょう。

小さかった頃、「私はなんで私なんだろう。私があの子だってよかったのに…」なんて誰もが思ったことがあったでしょう。
本の中の次の言葉に、私もこんなこと考えたことがあるという人が沢山いるでしょう。

「たまに考える。自分が「選ばなかった人生」というものについて。選べなかった人生、かもしれない。後悔しているわけではなく、ただどうであっただろう、と考える癖がついている」

読んだ最後に、「わたしはわたしでいい」と思えたら、最高ですね。

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