「アイ・ウェイウェイは謝らない」を観る2021/12/04

「英国アート生活」のろきさんがアイ・ウェイウェイのことを書いているのを読んでから「アイ・ウェイウェイって誰?」と気になっていました。
何かいい映画はないかと探している時に、このドキュメンタリー映画があるのがわかり、観てみました。
2013年に公開された映画です。


アイ・ウェイウェイ(艾未未)は1957年生まれの中国の現代美術家で、社会評論家や政治評論家、文化評論家としても活動している人です。

アイの父アイ・チン(青)は18歳で絵を学ぶためにパリへ留学し、20歳で帰国しますが、蒋介石の国民党に捕らえられて長年投獄されました。
獄中で詩作を始め、釈放時には高名な詩人になっていたそうです。どうやって詩を発表をしていたのでしょうね。
その後共産主義革命に参加しますが、家族と共に中国西部へ追放され、19年間”労働改造”を受け、人民の敵として監視されていました。
この間に何度も自殺を試みたそうです。
父の生き方がアイに何らかの影響を与えているようですね。

アイたち家族は1976年に北京に戻り、アイは1978年に北京電影学院に入学し、 1981年にNYに行きます。
中国では1989年に天安門事件が起り、これ以降政府はあらゆる表現を弾圧します。
1993年、父親が病気になり、アイは北京に戻ります。父は三年後に亡くなります。
1994年から1997年にかけて新世代アーティストに関する三冊の本(黒皮書、白皮書、灰皮書)を出版し、2000年に上海ヴィエンナーレで”Fuck off”展を企画します。
この時からアイは広範な問題と向き合うようになります。

2003年に建設が始まった北京オリンピック(2008年)のメインスタジアム≪鳥の巣≫プロジェクトに関わるアーティストの一人となった頃から広く知られるようになります。
しかしその後彼は北京オリンピックに反対の立場を表明します。
その理由は映画によると、オリンピックが完全に「共産党のプロパガンダ」になってしまったからです。
彼はオリンピックの開会式には出ませんでした。

2008年5月12日、四川大地震が起ります。
7万人以上の人々が亡くなりましたが、その多くが子どもたちでした。
政府の欠陥建築により多くの学校が倒壊したからです。
政府は子どもの死者数を発表しませんでした。
アイはブログで大地震で亡くなった生徒のことを調べるためにボランティアの協力者を募ります。
彼らは町を巡り、両親や学校に犠牲になった生徒の名前を聞いて回りました。
2009年、5212人の犠牲者の名前と生年月日をブログに載せましたが、掲載後当局はブログを閉鎖し、アイの自宅スタジオに監視カメラが設置されます。
それからはアイはTwitterを使うことにします。
アイは「誰よりも恐怖を感じている。だからこそ勇敢に行動するんだ。
"危険”の存在を知っているからこそ、何もしなければ危険は増大する」と述べています。

2009年8月に四川大地震の活動家である譚作人(タン・ズオレン)が逮捕されます。アイは裁判で証言台に立つために成都に行きます。
成都ではパトカーにつけられ、真夜中に警察が身分証の検査にやって来てドアを破り、アイの頭を殴ります。
この時、5人の助手が連行され、アイは12時間ホテルに監禁されます。
そのためアイは裁判で証言できず、譚作人は「国家政権転覆扇動罪」で有罪とされ、懲役5年に処されます。
アイはこの旅を「老媽蹄花」という記録映画にまとめ、ネットで公開します。

一ヶ月後、個展「ソーリー・ソーリー」を開催するためにアイはドイツのミュンヘンに行きます。
成都で警官に頭を殴られてからアイはひどい頭痛が続いていました。
ドイツで病院に行き調べて貰うと、大脳内出血が確認され、手術を受けます。

ミュンヘンの展覧会で、アイはメッセージ性の強い作品≪remembering≫を発表します。外壁に9000個の通学カバンを使い、四川大地震の犠牲者の母親が手紙に書いた「少女は7年間幸せに暮らした」と書いたのです。


2010年、アイは成都に殴打事件の被害届を出しに行きます。

四川大地震から二年が経ち、アイは新たな追悼企画として、皆に犠牲者の名前を1つずつ読んでもらう、”念 2010年”というプロジェクトをネット上に立ち上げます。

しばらくして四川省公安庁から回答が届きます。
「再調査の結果、当局は成都市警察の調査を支持する」。
アイは多くの役所に審議を請求する戦略を取ります。
「あきらめたら負けだ、。何かが変るわけではないが、それでも努力せねば」
「謝罪はいらない。こういうことは許されないと学んで欲しい。個人の問題じゃない。報いを受けることを学ぶべきだ」

2010年、ロンドンのテートモダンで展覧会「ヒマワリの種」を開催します。
景徳鎮の陶工たちが手作りで一億粒の種を作りました。
「1粒1粒の種はある意味、努力を象徴している。Twitterでの僕の活動を。これはもっともすばらしく重要な活動だ。今は人々が情報を共有して将来に期待をかける時代だ。もちろん時間はかかる、何世代もね。だが人々の”声”が必要だ。
僕は僕と同じ闘いを次の世代にしてほしくない。僕が闘うのは父の世代が失敗したからだ」

2011年1月、2008年に上海当局がアイに設計の依頼をし、2011年に完成していたスタジオが違法だとして解体されることになります。
この様子をアイは撮影します。
「今のこういう政府は僕を見て動き、行動している。議論も合理性もなければ、いかなる形での評価も介在しない。ただ次々と潰すだけ」

2011年4月3日、アイ・ウェイウェイは北京空港で身柄を拘束されました。
当局は81日間彼を拘禁し、彼が脱税を認めたとして保釈します。
保釈の条件として、拘禁に関する取材は禁止。ネット活動も禁止。一年間北京を出ることも禁止。
保釈後、税務当局は1200万元(約1.5億円)を追徴しました。
アイ・ウェイウェイの支援者たちから寄付が集まったそうです。

アートレビュー誌は2011年の「the most powerful artist」としてアイ・ウェイウェイを指名しています。
タイム誌は2011年の「世界で最も影響力のある100人」の一人としてアイ・ウェイウェイを選んでいます。

彼の私生活も気になりますね。
映画に出てくる北京の家では40匹以上の猫と少なくとも3匹の犬を飼っていました。動物が好きみたいです。
奥さんはいるのですが、友だち(映画ではこう言ってました)との間に一人息子がいます。名前は老(ラオ)。
2015年にドイツに亡命したようですけど、ドイツに馴染めず、2019年にイギリスのケンブリッジに家族で移住したようですが、今年の9月の時点ではポルトガルに住んでいるようです。

2009年11月に森美術館で「アイ・ウェイウェイ展 何に因って?」が開催されたようですが、私は行きませんでした。彼のことを知らないし、現代美術ってあまり好きじゃなかったからです。
46万人もの人たちが見に行ったそうです。

今はテニス選手のことが問題になっていますが、かの国では沢山の人たちが消息不明になったり、拘束されたりしているようです。
中国式民主主義とか、わけのわかんないこと言ってるし、これからどうなるのか…。

アイ・ウェイウェイは映像関係に興味があるのか、2019年に「ヒューマン・フロー」という映画を公開していますね。
2020年には新型コロナウィルスにより封鎖された中国武漢市を記録した長編ドキュメンタリー映画「Coronation」を公開したようです。
彼の勢いはそがれていないようですね。
「Ai Weiwei Films」というサイトを見つけました。
ここで500円で「Coronation」が見られるようですので、興味のある方は見てみてください。
私はそのうち「ヒューマン・フロー」を観る予定です。