井形慶子 『最後は住みたい町に暮らす 80代両親の家じまいと人生整理』2024/03/15



副題に書いてあるように、この本は二年間に渡る井形さんの両親の転居に関するお話です。
60代の井形さんは東京、80代のご両親は長崎に住んでいます。
長崎の家は坂の上に建っている景色のいい、三階建ての広い二世帯住宅です。
近くに商店街も病院もなく、マイカーを手放したので、商店街まで行くには一時間に一本のバスを利用するしかありません。
「年を重ねれば、絶景御殿は高台の離れ小島。第三者の目がないと安全に住めない不安の多い家になってしまった」のです。
その上、お父さんの世話がお母さんの負担になってきました。

施設に入るより、二人で暮らしていきたいという両親の気持ちを尊重し、井形さんは少しずつ、両親の頑なな気持ちをほぐしていきます。
そこはすごいと思いました。
普通だったら喧嘩になり、最後は面倒だから棚上げにしてしまいがちよね、笑。

とにかく井形さんはこの家で二人で暮らすのは無理であると納得させ、お母様が好きな町に住みたいと思わせるように頑張ります。
お母様がマンションに住んでもいいかなと思い始めると、だんだんと依怙地だったお父様の気持ちも変わっていきます。
そしてやっとお母様が住みたいと思う町に新築のマンションを買って、引越しをすることになるのです。

しかし、問題が発生します。
そうです。家の中の物をどうするのかです。
マンションは狭いので、すべてを持って行けません。
家を売るのにお世話になった不動産屋と引越屋の社長たちがいい方だったので、この問題はうまく解決しました。そういう人に出会うことってなかなかないですよね。羨ましいと思いました。
ちょうどいいので、井形さんは遺産問題にも取組みます。
親の資産を明らかにして、遺言書作りをするのです。
もちろん、親には嫌な顔をされます。
でも、亡くなった後に大変な思いをするより、親が生きているうちにやった方が楽なこともありますからね。

そこら辺のお話は、是非、本を読んでみて下さい。
色々と参考になることがあると思います。
家とマンションの写真も載っていて、楽しく拝見させていただきました。

わたしは家族の迷惑になるし、一人暮らしになったら(わたしの方が長生きよね)狭いマンションに引越すと思うので、今から断捨離をしようと思います。(何回言ったことかww)
でもまだ物欲を捨てられませんわ(恥)。


<今日のわんこ>


昨夜、兄がなかなか寝なくてママを見張っていたので、仕方なくママのベッドの上で寝させました。
足の上に寝るとママが寝返りをうって眠れないことがわかったのか、この頃足の左側の壁の近くで寝るようになりました。
これでお互いに熟睡できます。

花房観音 『シニカケ日記』2023/12/15

花房観音さんのことは前の職場の人にお勧めの本を聞いた時に知りました。
試しに読んでみてびっくり。あまり人に勧めるような本ではないなと思いました。
今、男性が女性に勧めたらセクハラになるのかな?
この本はどこかのネットの書評に載っていたので、読んでみました。


花房さんは五十一歳の時に死にかけました。
あまり身体の調子がよくないけど、更年期だと思って放っておいたら、ある日、バスの中で気分が悪くなります。
急いで次のバス亭で降りたら動けなくなり、乗車する客を整理する係の人が救急車を呼んでくれ、無事病院に運ばれました。
心不全だったそうです。

転んでもただでは起きない人で、自分の経験を「51歳緊急入院の乱」と名づけて幻冬舎Plusに連載したのを基に書いたのが、この『シニカケ日記』です。

40歳以降の女性は身体の調子があまりよくなくても、仕事や育児などで忙しく、病院にも行かず、更年期だわなんて思って我慢していますよね。
私も職場の健康診断や首の手術で入院した時に、血圧が高いと言われても、家で測るとそうでもないからと放っておきました。
体調はマジにずっと悪かったです。でも首の手術のせいだと思っていました。
後に原発性アルドステロン症を発見していただき、ありがたかったです。
そのままにしておいたら、心筋梗塞や脳出血などを起こしていたかも…。
何事にも運、不運があるんだなと思います。

みなさん、体調がよくない状態が続いたら、面倒でも病院に行って調べてもらいましょう。不調の原因が見つかるかもしれませんから。
花房さんも言っています。

「「なんかしんどいなぁ」
言うてる場合ちがいますよ。
今すぐ病院行ったほうがいいですよ」

「今、気づいた不調は
きっとずっと前からはじまってる」

私はいつ死んでもいいからとか言っていても、コロリと死ねたらいいのですが、そうでないことが多いです。

「限られた人生。
自分をいじめるのは
もうや~めた」

花房さんが言っているように、やめましょうよ。

救急車で運ばれた時のことやら、入院した時のことなど、参考になることがあると思います。
私は健康だから関係ないわなどと思わないで、いつシニカケるかわかりませんから、その時に冷静に対処できるように、備えておくために、読んでもいい本です。
本を買ってくれと花房さんが言っています。
(私は図書館で借りてしまいましたがwww)

参考になる本ということで、次の本を紹介しているので、ここでも紹介しておきます。
後で私も読んでみようと思います。

村井理子 『更年期障害だと思ってたら重病だった話』 中央公論新社
村井理子 『兄の終い』 CCCメディアハウス
門賀美央子 『死に方がわからない』 双葉社

<今日のわんこ>
弟がにわとりの奥さんと遊びました。


後ろの汚いものは気にしないでください。
奥さんはお高いだけあり、まだ音が出ます。このシリーズ、他のも欲しいのですが、どこのメーカーのかわかりません。


の歯をものともせず、とても丈夫です。


こうやってハウスに持っていくのが困ります。
こういう時はおやつ作戦です。
おやつを出す音が聞えると、奥さんを置いて出てきます。


鳥のささみの燻製を置いて、マテをします。


燻製の後はチュール。寒くなり水をあまり飲まないので、チュールで水分補給です。
わんこたちはチュールが大好きです。

フィンランドの本2023/08/09

ミックス犬の兄を飼い始めてから早11年。ということは、11年も海外に行っていないということです。
コロナも終わりそうなので、来年あたりにどこか海外に行ってみたいと思い始めました。
それにこれ以上年を取ると、行くのが億劫になりそうですもの、笑。
どこがいいかというと、ミステリ小説で興味を持った北欧かな。
マリメッコや、そうそう今日、ムーミンの日(原作者トーベ・ヤンソンの誕生日)ですが、ムーミンで有名なフィンランドなんかよさそうということで、フィンランドについて書かれた文庫本などを読んでみました。
まずは可愛い題名の本から。


稲垣美晴 『フィンランド語は猫の言葉』
ミハルは芸大の学生だったときにフィンランドの美術史が面白そうだと思い、卒論を書くためにフィンランドのヘルシンキ大学に入学することにする。
無事ヘルシンキ大学の「フィンランド語と文化」という科に入り、フィンランドの国民的英雄、アクセリ・ガッレン=カッレラについての卒論を書くが、それだけでは終わらないのがミハル。
結局、なんだかんだと合わせて三年間もヘルシンキ大学で学び、フィンランド語をものにしてしまったのだ。

稲垣さんは1952年生まれ。ということは、この本に書かれているのは1970年代のフィンランドです。そんなに昔のことだと思わずに読んでしまいました。
読んでいると英語でさえもまともにできない自分が恥ずかしくなりました。
フィンランド語ってウラル語族フィン・ウゴル語派のフィン・ペルム諸語の1言語だと言われても、ちんぷんかんぷんですわ。エストニア語と似ているそうですが、エストニア語も知りません。
とにかく今のようにフィンランドについての情報もそれほどない時代に、フィンランドンに行ってしまったミハルの行動力と好奇心に感心してしまいます。
フィンランド語ってどんな言語なのかと関心がある人が読むといいかも。


芹澤桂 『ほんとはかわいくないフィンランド』
    『やっぱりかわいくないフィンランド』
    『意地でも旅するフィンランド』
    『それでもしあわせフィンランド』
最初の本が出版されたのが2020年ですから、現代のフィンランドについてのお話です。
芹澤さんは旅行好きのフィンランド人と結婚し、フィンランドのヘルシンキに住んでいます。
一冊目の『ほんとはかわいくないフィンランド』には軽い気持ちでヘルシンキに住み始めてから第一子を妊娠・出産したことが書かれています。
フィンランドでは産まれる間際の兆候が出るまで入院させてくれないのですね。
『やっぱりかわいくないフィンランド』では、医療関係が日本とは大違いで、もし住むことになったら心配です。なんのことのない風邪さえもすぐに診てもらえる日本が特殊なんでしょうかね?
お子さんの保育園事情に驚きました。フィンランドでも保育園探しが大変なんですねぇ。
『意地でも旅するフィンランド』では旦那さんの旅好きには驚かされました。それに付き合う妻もすごいですね。
私、昔山登りをしていましたが、今、キャンプは絶対にいやですわ。
『それでもしあわせフィンランド』では会社員になった芹澤さんの会社の様子などが描かれています。
実際に住んでみたフィンランドのあれこれは読むと面白いのですが、住んでみたいかと問われると…。

あとは図書館で『デザインあふれる森の国 フィンランドへ』、『大自然とカラフルな街 アイスランドへ』、『わたしの北欧案内 ストックホルムとヘルシンキ』など(題名を忘れてしまいました)のガイドブックを5、6冊借り、パラっと見て、フィンランドから船でスウェーデンやエストニアのタリンに行けることがわかりました。

YouTubeでは「北欧のおうち時間」で北欧の家が、「北欧暮らし」では夫婦二人暮らしの様子が垣間見られます。
他にもあるので、探して見てみるのもいいかも。

さて、私の北欧旅行は実現できるでしょうか。

椹野道流 『祖母姫、ロンドンへ行く!』2023/06/27



始めに恥をさらしておきますが、私題名が「祖母」と椹野さん=「姫」だと思っていました。違っていました。祖母=姫なんです。
よくよく考えてみると、「祖母と姫」じゃないですものね。

この本で祖母と孫がイギリスに行くのですが、何故、行ったかというと、正月の親戚の集まりで、椹野さんがイギリス留学の話をしたら、祖母が、「一生に一度でいいからロンドンに行きたい。お姫様のような旅がしてみたいわ」と漏らしたので、叔父様たちが資金を出すから椹野さんに80歳を超える祖母を連れていってやってはどうかと言い出したのです。
この叔父様たちってお金持ちなんですね。
椹野さんは医師ですから、ひょっとしたら叔父様たちも医師という可能性がありますわねぇ。
そんな訳で、「プライドが高すぎるめんどくさい年寄り」で認知症もある祖母を五泊七日の豪華イギリス旅行に連れて行くことになります。

実は椹野さんは留学と言っても一年間、語学学校に通っただけです。(「椹野道流の英国つれづれ」より)これ以外にもイギリスに留学していたとしたら、ゴメンナサイ。ちゃんと通訳できるほどの英語力です。

すごいですよぉ。飛行機はファーストクラスでホテルは五つ星の一流ホテル。
タクシー乗りまくりでオリエント急行にまで乗っちゃうんですから。
椹野さんは古きよき時代の付添人のように祖母に仕えますが、普通ならどうしたらいいかわかりませんよね。
ところがさずがファーストクラス。CAさんが違います。飛行機の中で椹野さんに頼まれ、快く高齢者に対するプロの技を伝授してくれたのです。
私の皮肉れ根性が思いますが、エコノミーならこんなことはないでしょうね。
五つ星ホテルでもすごかったです。ドアマンからウェイター、バトラーまで、これぞホスピタリティというものを見せてくれたのです。
バトラーのティムが特にいい味出してました。ホテルのバトラーってみんな彼みたいなんでしょうかね。
彼の「恋愛は必ずしも人間関係の頂点にあるものではありません」は深い言葉です。
ついでにロンドンの三越(2013年9月に閉店)の店員さんもプロでした。
どうしてこんなに色々な人たちが祖母のために手を差し伸べてくれたのでしょうか。
それは彼女が誇り高き姫そのもので、彼女に仕える椹野さんの一生懸命さが通じたからでしょうね。

旅の最後に祖母が椹野さんに言う言葉がいいです。長いですけど、今後の覚え書きのために載せておきます。

「あなたに足りないのは、自信です。見ていたら、自信がないだけじゃなくて、自分の値打ちを低く見積もっているわね」
「謙虚と卑下は違うものなの。自信がないから、自分のことをつまらないものみたいに言って、相手に見くびってもらって楽をしようとするのはやめなさい。それは卑下。とてもみっともないものよ」
「楽をせず、努力しなさい。いつも、そのときの最高の自分で、他人様のお相手をしなさいよ。オシャレもお化粧も、そのために必要だと思ったらしなさい。胸を張って堂々と、でも相手のことも尊敬してお相手をする。それが謙虚です」

耳が痛いです。こんなこと言ってくれるなんて、祖母姫さん、素敵です。

表紙のスコーンがいいなと思っていたら、90歳からちぎり絵を始めた木村セツさんの作品だそうです。
椹野さんたちが食べたスコーンは「手のひらよりひと回り大きい」といいますが、そんなスコーン、本当にあるんですかぁ?
食べ方ですが、私はクロテッドクリームの上にジャムをのせていましたが、これはデヴォン式と言うそうです。
椹野さんたちはコーンウォール式で、ジャムの上にクロテッドクリームをのせて食べています。
どちらが美味しいのかしら?いつになるのかわかりませんが、今度スコーンとクロテッドクリーム、ジャムが揃ったらやってみますわ。
椹野さんたちが泊まったホテルのアフタヌーンティーはケーキスタンドがありません。温かいうち、冷たいうちに食べて貰いたいからと、一品ずつ出てくるようです。
クラリッジズのアフタヌーンティー(85£)が似ています。でもスコーンは普通サイズのようですね。

バトラーってこんなことまでしてくれるのと思う場面もありましたが、もし本当にそんなことまでしてくれるというなら、お高いホテルに泊まるのも良さそうです。
まあ、宝くじにでも当たらなきゃ私には一生縁がないでしょうが、笑。

ロンドンの観光スポットの紹介ではなく、祖母と孫、ホテルの従業員たちなどのお話がメインの軽いエッセイ集です。
面白いので、興味を持った方は読んでみて下さい。
私はとってもイギリスに行きたくなりました。

読んだ本2022/04/15



佐々涼子 『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』
2011年3月11日、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波に襲われ、機能停止に陥る。しかし工場長は半年で工場を復興させると宣言。誰もが無理だと思うなか、従業員たちは奮闘努力をしていく。

大分前に買っておいて寝かせておいた本です。すぐ読めばよかったと後悔しています。
日本製紙は出版用紙の供給の4割を負っており、石巻工場はその心臓部だそうです。ほしおさなえさんの本で和紙のことを少し学びましたが、この本には洋紙のことが詳しく書いてあり、本や教科書、新聞、雑誌など様々な用途に適した紙を造ることがどれほど大変かがわかりました。
美談だけではなく、報道されなかった震災の負の側面も書かれており、複雑な気持ちになりました。
お勧めの一冊です。

中山裕二郎 『やめるな外科医 泣くな研修医4』
雨野隆治、三十歳。外科医になって三年。受け持つ患者も増え、手術も任されるようになる。しかし同時期に入院した二人の老婦人が手術をすれば助かるのに、手術を拒む。一人は家族への説明も断る始末。
このまま死なせてもいいのかどうか、迷う雨野。
そんな時に手術で失敗してしまい…。

前回は末期ガンの患者を何の用意もせずに富士山に登らせてしまい、唖然としましたが、今回は真摯に患者の死と向き合っています。
でもこういう思いを各医師たちはしているはずなのに、何で患者の心のわからない医師がいるのかしら?

一色さゆり 『コンサバター 失われた安土桃山の秘宝』
修復士ケント・スギモトは狩野永徳の落款が捺された屏風「四季花鳥図」の「春」の復元コンペの参加を依頼される。この屏風は本当に永徳のものなのか。失われた「春」にはどのような絵が描かれていたのか。スギモトは手がかりを得るために助手の晴香と共に京都へ赴く。
一方晴香には恩師の野上から思いもかけないオファーが舞い込む。

『若冲』を読んだばかりだったので、狩野派のことが書かれていて、興味深く読めました。

植松三十里 『レイモンさん』
函館名物「函館カール・レイモン」のハムやソーセージ、ベーコンなどを食べたことのある方は多いでしょう。
そのソーセージを作ったのが、今のチェコ、カルルスバード生まれのカール・レイモンです。この本は彼と妻のコウのことを描いたフィクションです。

レイモンは大正末期に函館にやってきて、宿泊していた旅館の娘コウと出会い、天津まで駆け落ちし、結婚する。チェコに戻り店を開くが、コウは馴染めず、コウの気持ちを慮ったレイモンは函館に帰り、店を開くことにする。
しかしまだ肉食の習慣のない日本人には受け入れられず、やがて戦争が始まる。

レイモンの意固地なところがちょっと嫌でした。コウさんはものすごく苦労したんだろうなぁ。
彼の子孫が誰もソーセージ作りを継いでいないことが残念です。

原田マハ 『まぐだら屋のマリア』
東京の老舗料亭で板前の修業をしていた及川紫紋はある事件を機に料理人としての夢を失い、何もかも投げ出して失踪し、辿り着いたのが尽果というバス停だった。とりあえず崖っぷちにある小屋を目指して歩いて行くと、それは「まぐだら屋」という定食屋で、いつしかそこで働く訳アリのマリアと共に働くことになっていく…。

登場人物の名前を見ると、すぐに何がテーマかわかってしまいますね。
それなりに面白く読めましたが、マハさんとしては今一かな。

望月麻衣 『京都寺町三条のホームズ・18 お嬢様のミッション
ホームズこと家頭清貴は約束の期限が過ぎたのに未だに小松探偵事務所で働いている。仕事始めの日、事務所に上海の大富豪の娘・ジウ・イーリンがやってきて、彼女の父親の仕事相手の娘が京都に来るので、彼女のガイド兼ボディーガードをしてくれないかとお願いしてくる。何故かイケメンであることが大事とのこと。
清貴の出番ですが、葵がいますから、彼はやりたくないです。しかし小松はお金が欲しい。というわけで清貴は金持ちの一人娘で傲慢なお嬢様相手をしなければならなくなります。が、清貴は小松のことなんか頓着しません。断られるように、いつものいけずの彼で行きます。そこは小松、考えます。葵を呼んじゃうんです。
それで上手く行きそうだったのですが、とんでもない事件が起こります。

読んでいて京都に行きたくなりました。今行くと人が少なくていいんだろうなぁ。
外国の観光客が来る前に行きたいなぁ。
あ、本の内容はいつも通り、安定したものですので、ファンの方は安心して読んでね。

波津彬子 『ふるぎぬや紋様帳 六』
漫画ですが、好きなシリーズで、今回で終わってしまったので、書いておきます。
「着物を巡り縁をつなぐ、ふるぎぬや」でしたが、世の流れには逆らえません。
現代の人たちは着物を着なくなり、昔のように物に霊が宿るなんて誰も信じなくなり、ふるぎぬやは閉店してしまいます。しかしそこで出逢った伊都子と青砥には縁があったようです。
私は青砥ももののけの一種だと思っていました。人間だったのね。伊都子と上手く行くといいな。
幻想的な漫画がお好きな方、読んでみて下さい。

どの本もすぐに読めますので、興味があるものがあったら読んでみて下さい。

熊谷はるか 『JK、インドで常識ぶっ壊される』2022/03/04



親の仕事の都合で突如としてインドに住むことになった普通の女の子が、中学三年生から三年間(2018年8月から2021年5月まで)、インドで体験し、感じ、考えたことを書いた本です。
こういう本はたいていインドにはまった人が書いていますが、十代の感性は本当に素晴らしく、思っていたよりもはるかに文章が上手く、最後まで読んでいけました。

インドと言えば、今やIT大国。
私がインドに行った30年ぐらい前とはすっかり変っているだろうなと思いながら読んでいくと、全く変っていないところがあり、とても残念でした。
それはスラムやストリートチルドレンの存在です。
はるかさんは母親とストリートチルドレンの保護や支援をしているNGOが開催している町歩きに参加して、ストリートチルドレンについて知ります。
私はストリートチルドレンは、親が病気やらなんやらでいなくなり、道端や路上で生活せざるを得なくなった子どもたちだと思っていました。
しかし実際は、親がアルコホリックで暴力を振るったり、性的虐待をするので、「家から逃れるために路上に出てきてしまった子どもたち」なのだそうです。
逃れてきても、安全ではありません。物乞いをして稼いだお金を他のおとなや子どもに奪われ、喧嘩になったり、暴力を振るわれたりします。
そのため取られる前に使おうとし、街角の売店で売られているドラッグに手を出すことが多く、薬物乱用が大きな問題のひとつになっているようです。

町に出ると、インドでは常に物乞いがつきまといます。
初めはどうしようかと困惑しますが、しばらくすると面倒になり、無視するようになります。
NGOの人によると、そういう時は、すぐに「その場で食べられるもの」をあげて欲しいそうです。

前と変らないことが書いてあり、ちょっぴり安心したこともあります。
「Rights for Children(子どものための権利)」というサービスクラブではるかさんが出逢ったという、インドの子どもたちの明るさや笑顔、目の輝きです。
30年前、どこに行っても、子どもたちが人なつこくって、目がキラキラしていたことがとても印象的でした。
日本の子どもたちの目は死んだ魚のようだなと思ったことを思い出しました。
本当の豊かさとは何かを考えさせられたものです。

十代のみずみずしい感性には感心しました。
こんな国、嫌だと拒否するのではなく、受け入れ、深く関わっていこうとする、こんなJKが日本にいたのだ、日本の未来は明るいなと思いました。
できれば、はるかさんにはこれからもインドに関わっていってもらいたい、いいえ、何か国際的な仕事を目指して欲しいなと勝手に思いました。

いいインドの入門書になると思います。
この本の印税の一部がインドの子どもたちを支援する団体に寄付されるそうなので、是非購入して読んで下さい。
私は図書館で借りてしまいました…(恥)。


<今日のわんこ>

「ママさん、僕もインドに行って、野良犬たちとお友達になりたいです」
「あなたは無理よ。暑さに弱いし、家では傍若無人でも、外に行ったら内弁慶でしょ」
「ママさん、ひどい(泣)」

読んだ本2022/01/25

まとめて読んだ文庫本を載せておきます。


井上理津子 『親を送る その日は必ずやってくる』
元気だった母親がやけどをして入院してから数日で容態が急変し、亡くなってしまいます。最期は見違えるほどの姿に…。享年79歳でした。
遺されたのは認知症を患っている84歳の元歯科医の父親。
しかし父も、家族で頑張って介護をしようとしてもできなくなり、老人ホームに入れますが、肺炎から心不全を発症し、母の死から四ヶ月後に亡くなってしまいます。

親の死というものは、急に来るものでもあり、ゆっくり来るものでもあり、それは選べません。どちらであろうとも、親がある程度の年齢になったら覚悟し、終末期の医療に関してのコンセンサスは家族間できちんとしておいた方がいいですよ。
あとがきにありますが、「百人いれば百通りの親の送り方」があるのです。
前に読んだ『いつか来る死』という対談集にも、「残された家族は何かしら後悔するんです。(中略)それは仕方のないことで、時間をかけて納得していくしかないんでしょうね」という言葉がありました。
これから親の死を迎える人や親を見送った人にこの言葉を贈ります。

小湊悠貴 『ホテルクラシカル猫番館 横浜山手のパン職人5』
ホテル猫番館のパン職人・高瀬紗良が石窯を見に行った時に、製菓専門学校のクラスメイトの秋葉洋平とルームシェアをしていた愛美に再会します。
秋葉とは猫番館の専属パン職人の座を巡って争ったことがあります。
愛美とは彼女の彼氏とのことで喧嘩別れをして以来です。
気まずい思いをする三人。さて、どうなるのか…。

他に高瀬誠と本城宗一郎の馴れそめと、事務員の泉と友人のありさとのこと、
要とカメラについてのお話です。
いつも言っていますが、こんなホテルがあったら、マジに泊まりたいです。

秋川滝美 『おうちごはん修行中!』
総合建具会社の営業、和紗は健康診断でメタボ予備軍とされてしまいます。
これではいけないと奮起し、自炊をしようとするが、全く料理なんかしたことがないので、失敗ばかり。
そんな時に同期の営業で一番できる男・村越が料理でも張り合おうとします。
なんで村越までと思う和紗。
果ては村越のアパートで一緒に料理をするハメに…。

軽い恋愛物なので、じっくり本を読みたくない時にどうぞ。

つるみ犬丸 『おにぎり処のごちそう三角 家族を結ぶ思い出の食卓』
妻が亡くなり、創作料理店「秋雪」を続けていけなくなった衣川秋宗は料理から離れ、知らない土地でやりなおそうと思います。
引越した先の御石荘の一階に「おにぎり処バーベナ」があり入ってみたら、洒落た外観のわりに味がよくありません。
おにぎりに頼みもしない梅干しが入っていて、猛烈な吐き気が…。
バーベナの店主は御石荘のオーナーでもある御石桜子で、具の中身を間違えた男の子は夏樹だということがわかります。
桜子が間違えたお詫びにとランチをサービスしてくれましたが、どうも店は閑古鳥が鳴いている様子です。

ある日、夏樹の声が聞こえ、心配になった秋宗が店に行ってみると、桜子が顔面蒼白でうずくまっていました。救急外来に行きますが、問題はみあたらなく、経過観察で一日入院します。
そんなことがあったため、図らずも秋宗はバーベナでアルバイトとして働くこととなり、わかったことは、夏樹と桜子との複雑な関係でした。

おにぎりも美味しそうでしたが、それ以上に家族とは何かを考えさせられました。
秋宗が桜子と夏樹の仲を取り持つうちに、いつしか妻を亡くした悲しみが癒やされていきます。

つるみ犬丸 『おにぎり処のごちそう三角2 宴を彩る門出のお品書』
桜子のその場でおにぎりを握るというアイデアを活かした秋宗のおかげで、なんとかバーベナにもお客がつき、前途洋々かと思っていたら、桜子の父親が難物でした。
八月度の持続可能な売り上げを、前年比四十パーセントアップしなければ、閉店だと言い渡されたのです。
ちょうどその頃、前に創作料理の店を営んでいたビルのオーナー、川口さんがバーベナにやって来て、まだ店を前のままの状態にしてあるから、もう一度秋雪をやらないかと言われます。

子に苦労させたくないと思う親の気持ちは尊いけれど、でも子を千尋の谷に突き落すような気概を持ってこそ、子は強く成長するのではないでしょうか。
亡き妻・雪美のことも思い切れ、これから新しい一歩を踏み出す秋宗と桜子、夏樹です。

思っていた以上にいい本でした。

おにぎりの具って何が好きですか?
今のように多彩な具がなくて、家で作り食べるしかなかった時には鰹節が好きでした。
ネコかよ、笑。
今はいっぱいありすぎて、どれがいいか言えませんわww。

明けましておめでとうございます、ワン、ワン♫2022/01/01

我家の犬たちからの新年のご挨拶です。


「明けましておめでとうございます。僕たちはいつも元気です。今年も美味しいご飯を食べて、遊びまくります。よろしくね。」


寒いので、洋服を着てお散歩します。


寒がりやの弟。


お散歩大好き、凜々しい姿の兄。
昨年は病気もせずに、元気に遊んでいました。
今年も病気をせずに過ごしてもらいたいです。

今年のお節もデパートに頼みました。


イタリアン、中華、和食と三種類。
フカヒレが豪華そうですが、お店で食べた方が美味しいですね。
私なんかは和食のお節でいいと思うのですが…。

昨年末には久しぶりに六花亭のおやつ屋さんを買ってしまいました。


お正月らしいお菓子です。

食べ物はこれぐらいにして、恒例の昨年度印象に残った本と映画などを書いておきます。

これからも注目していこうと思った日本の作家
ほしおさなえ(『言葉の国のお菓子番 見えない花』、『言葉の国のお菓子番 孤独な月)  
青山美智子(『お探し物は図書室まで』、『木曜日にはココアを』)

男性の影で埋もれていた女性芸術家を書いた本
『曲亭の家』 西條奈加
『白光』   朝井まかて
『星落ちて、なお』 澤田瞳子

外国ミステリー
『渇きと偽り』、『潤みと翳り』 ジェイン・ハーパー
『水の葬送』、『空の幻像』、『地の告発』 アン・クリーヴス

その他の本
『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』 石井妙子

印象に残った映画
『ノマドランド』、『凪待ち』、『彼が愛したケーキ職人』、『三島由紀夫vs東大全共闘』

好きなテレビドラマ
『ブラウン神父』、『ボッシュ』、『グッドドクター 名医の条件』

オミクロン株がどうなるのかわからないので、まだ映画館には行く気になれませんが、ネットでも観られるので、しばらくはこのまま現状維持です。
美術展に行きたいのですが、混雑した電車を回避する方法がないので、今年も我慢かな?
とにかくオミクロン株が広がらなかったら、映画館や美術館などに行きたいと思っています。

仕事もせずにノンビリしすぎて、この前の健康診断でとんでもない数値が出てしまいました。
今年は毎日運動し、食べる物(特にスイーツ)を減らし、健康的な生活を送れるようにしようと思います。
皆さんも体に気をつけて、コロナ禍を生き残りましょうね。

石井妙子 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』2021/11/11



銀杏の葉が地面に落ち、いい感じになっていました。
今年の紅葉は少し早いのでしょうか。

ジョニー・デップが制作・主演した映画「MINAMATA ミナマタ」を観る前に、スミス夫妻と水俣病のことを知っておこうと思って読んだ本です。
写真集『MINAMATA』がアイリーンの献身的な助けがなければできなかったことを初めて知りました(恥)。


アイリーン・美緒子・スミス(スプレイグ)はユージン・スミスの二度目の妻で、ユージンとは31歳の年齢差がありました。
知らなかった二人の生い立ちを、覚え書きとして記しておこうと思います。
映画を観る前に二人のことを知っておくのもいいかもしれません。

アイリーンの曾祖父は岡崎久次郎と言い、一橋の高等商業学校を卒業後、三井物産に入社。退社後、自転車の輸入販売を手がけ、巨額の富を手にし、政界へ進出します。第一次大戦中には自転車製造に乗り出し、大金持ちになります。
アイリーンの母である美智子は久次郎の娘で男好きで奔放な桂子の娘でしたが、桂子の夫が自殺した後に引き取られ、久次郎の娘となります。
1942年に久次郎が亡くなってから岡崎家は没落していきます。
終戦後、美智子は働き始めます。そのうちダンスと英語ができたため、財閥が開いた進駐軍の将校たちのパーティに呼ばれるようになり、ダンスパーティで出逢ったアメリカ人ウォーレン・スプレイグにプロポーズされ、結婚します。
ウォーレンは結婚後GHQを辞め、日本で化学製品を扱う貿易会社を立ち上げます。やがて美智子は妊娠し、1950年に聖路加病院でアイリーンを出産します。
ミドルネームは美智子の双子の妹・美緒子の名前をもらってつけられました。
享楽的な家で育てられた美智子は派手好みで、母親が料理や洗濯をするのを見たことがなく、バスタブから上がれば身体を拭いてもらえるような環境で育ち、ウォーレン曰く、5歳の子どものままでした。
一方、ウォーレンは堅実な生活を好み、穏やかな性質だったため、美智子の性格や個性が自分には合わないと思い始め、気持ちは秘書の「ヨーコさん」に移っていきます。
彼らは1956年に離婚し、アイリーンは父親に引き取られます。
翌年、父は「ヨーコさん」と再婚し、二人の子どもが生まれますが、なぜか「ヨーコさん」が継母であることを伏せていました。そのためアイリーンは自分に実母がいることを世間や弟たちには絶対に知られてはいけないと思い込んでしまい、果てには新しい家庭には自分の居場所がないと思い詰めるようになります。
実母の勧めもあり、アイリーンは10歳でアメリカのミズーリ州セントルイスに暮らすスプレイグ家の祖父母の家で暮らすことになります。
まわりは白人で東洋人を見たのは初めてというような環境で、自分の成績が悪いと、やっぱり日本人の血が入っているからだと思われてしまうのが嫌で、アイリーンは勉強だけではなく、優等生になろうと努力をします。
その努力は報われ、すべての学科で優秀な成績を修め、名門スタンフォード大学に入学します。
そして大学在学中にユージンと運命的な出会いをしたのです。

ユージン・スミスは1918年アメリカの中央部、カンザス州ウィチタに生まれます。
父親のウィリアム・スミスは裕福な穀物商人、母のネティは資産家の娘でネイティブ・アメリカンの血が四分の一ほど流れていました。
ユージンは次男でしたが、長男が脊椎性小児麻痺を患ったため、ネティの関心と期待は次男のユージンに集中することになります。
リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行を成功した時期でもあり、少年たちはみなリンドバーグに憧れ、ユージンもその一人でした。
飛行機の写真集が欲しくなったユージンが母にねだると、母は彼にカメラを渡して自分で撮るように言いました。
実はネティは美術学校出で、写真を趣味にしていたのです。
いつしかユージンはいい写真が撮れると新聞社に売り込みに行くようになります。
1929年株が大暴落し、父親の会社も資金繰りに苦しむようになり、夫婦仲も最悪の状態になっていきます。
1936年、父は自殺し、母はこれまで以上にユージンを束縛し、自分の意のままにしようとするようになります。
母は策略を練り、奨学金を得てユージンを大学に進学させますが、ユージンは大学に馴染むことができず、1937年に大学を辞め、ニューヨークへ行き写真学校に通いながら仕事を探します。
やがて「ニューズ・ウィーク」に専属カメラマンとして採用され、母をNYに呼び寄せます。
母は運転手、宣伝係、マネージャーなどの役を務め、ギャラ交渉やお金の管理、スケジュール、フィルムの処理などをし、献身的にユージンを手伝います。「周囲の人々はユージンのマザコンぶりと、ネティのステージママぶりに驚き、様々な噂」をしました。
戦争が始まり、ユージンは憧れの「ライフ」の専属カメラマンになります。
1940年にカルメンと結婚しますが、それでも母から離れられず、母に認められようとする気持ちはなくなっていませんでした。

1943年、ユージンは「フライング」誌の特派員として太平洋の戦場に赴きます。
ラバウル、サイパン、レイテ島、硫黄島、沖縄と写真を撮っていく間に、日本人の兵士や民間人を目撃して、彼の心情は変わっていきます。
日本人を敵として憎むことができなくなり、心が日本人と同化していき、日本人を自分の家族だと思うまでになっていったのです。
1945年、沖縄で「兵士の一日」を撮っていたユージンは砲弾の爆風により負傷し、生涯その後遺症に悩むことになります。

戦後、カメラマンの仕事に戻ろうかどうか決められずにいたユージンに写真を撮る決意をさせたのは母でした。
1946年、母のネティの写真からインスピレーションを受け、彼の代表作とも言える「楽園への道」を撮りました。
その後「ライフ」に戻ったのですが、彼の身体と精神はボロボロでした。
アルコールと痛み止め、抗鬱剤を大量に飲むことが日常となっていたのです。
1955年には「ライフ」を辞め、母のネティが亡くなります。
1957年、向精神薬デキセドリンの多用により被害妄想や自殺願望が出るようになり、周囲から人が離れていきました。
この時に出逢ったのが17歳の美術学生のキャロルです。彼女はユージンの仕事の手伝いをするようになり、関係は恋愛にまで発展します。
キャロルを得て、ユージンは生きる意欲を回復します。
この年に日立製作所の招聘により、ユージンはキャロルと共に日本にやって来ます。帰国するとユージンとキャロルの関係も変化していきます。というのもキャロルがユージンから離れようとしたのです。
ユージンはそれを知り、キャロルに自殺をすると言っては困らせ、罵り非難し、酷い時には彼女を殴りました。
キャロルが去ってからユージンは重い鬱病になり、仕事ができなくなりますが、出逢った若い女性たちに次々と交際を申し込みます。
その様子はキャロルの代わりを求めると同時に母を求めているようでした。
ユージンは母ネティやキャロルのように献身的に尽くしてくれる女性がいないと駄目なんですね。

1970年八月、日本からCM撮影隊がやってきます。
この時、アルバイトで通訳をしていたのがアイリーンでした。
キャロルは、<ユージンの才能の一つは、人が何者であるかを正確に見抜いて、その人を自分の目的のために使うことにあったと思います>と述べています。
ユージンはアイリーンの「優しさや献身的な性格」や「世慣れていない」ことを見抜き、アイリーンを求め、なりふり構わず愛の告白をし、アイリーンがいなくなったら死ぬとまで言います。
結局アイリーンはユージンに絡め取られ、展覧会の準備の手助けをすることになり、大学には戻りませんでした。

この展覧会のオープンの四ヶ月前に、日本から元村和彦がやって来ました。
彼は日立でユージンのアシスタントを務めた森永の知人で、写真家のロバート・フランクを紹介して貰いたいと頼みに来たのです。
この時彼が日本の漁村を撮りたがっていたユージンに水俣病のことを話し、もし彼の写真展が日本で開催できたら、写真展に合わせて来日し、水俣で写真を撮ってはどうかと提案したのです。
1971年8月、アイリーンとユージンは来日し、東京で結婚します。
9月から熊本県水俣市月ノ浦に家を借り、1974年10月までの三年間、水俣病と水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材と撮影をしていきます。

1956年5月1日は「水俣病公式確認の日」で、その12年後1968年に厚生省は水俣病を公害病であると認定しました。
アイリーンとユージンが日本に来た1971年は、「一任派が低額の補償をのまされ、訴訟派が裁判を闘って」おり、「さらに新たなグループの闘いも始まろうとしていた」時期でした。

この本には水俣病の歴史や『MINAMATA』を撮るために運命的に出逢ったユージンたちの歩みが詳しく書かれています。(二人は写真集が出来た後に離婚しています)
高度成長時代に産業を優先した政府やチッソ、御用学者や医師たち、お抱え学者の捏造データを信じ報道していくマスコミには怒りを禁じえません。
その反面、悲しいのは同じ土地に住む住民たちが争うことです。
水俣病患者とその家族への差別、補償金に対する羨みと非難、分断させられていく患者たちとその家族…。
本にも書いてありましたが、この構図は何年経っても変らず、福島でも起きたことです。
水俣病の入門書として読みやすいと思いますので、是非この本と写真集『MINAMATA』を手に取ってみてください。

写真集『MINAMATA』の著作権はアイリーンさんにあり、写真集でもっとも有名な写真「入浴する智子と母」は両親の願いにより1998年から封印されていたのですが、映画では使われており、再販された写真集にも載せてあるということです。

心に残ったユージンの言葉を載せておきます。

<客観なんてない。人間は主観でしか物を見られない。だからジャーナリストが目指すべきことは、客観的であろうとするのではなく、自分の主観に責任を持つことだ>

MINAMATA~ユージン・スミスの意志~」【テレメンタリー2020】
   その後のアイリーンさんと水俣病患者の姿が見られます。

「MINAMATAーミナマター」の本予告

読んだ本とまんが2021/09/13



早見和真 『店長がバカすぎて』
書店のお話です。題名では店長をおちょくっているようですが、読んでいくと違うことがわかります。バカでも愛すべきおバカです、笑。

谷原京子、28歳、吉祥寺にある書店、<武蔵野書店>吉祥寺本店の契約社員です。時給998円という薄給に耐えています。
店長の山本猛、推定年齢40歳が「非」敏腕で名前ばかり勇ましく、人を苛立たせること世界一という奴です。苛立ちも朝礼でピークになります。
自己啓発本にどハマりしていて、朝礼で紹介するなよ!書店なのに本を貸してやるって、ふざけんなぁ~!
「辞めてやる!」と何度思ったことか…。でも本に対する愛が強すぎて(?)辞められない京子です。

書店員のお仕事、とんでもない神様(お客様)たち、覆面作家は誰かとか、濃いキャラばかりでしたが、結構読んでいて面白かったです。
読んでいくと、店長が本当に天然のおバカなのかどうか、わからなくなります。
京子さんはそんな店長にちょっと愛着が湧いたようですけど、私は絶対に無理だな。
ドタバタコメディタッチ+ちょっとミステリー。
仕事に煮詰まっている女性が読むといいかも。

平岩弓枝 『花ホテル』
南仏エズでリゾートホテルを経営する朝比奈杏子にマネージャーとして雇われた佐々木。
彼はホテル業は初めてながら、ホテル経営の専門書や知人のホテルマンに訊いたデータなどを参考にし、やがて杏子の頼れる片腕となっていきます。

何かの本にこの本のことが書いてあったので、読んでみました。海外旅行ができない今、風光明媚な南仏に行ったつもりになれるのですが、ホテルの宿泊客たちがあまり好きにはなれなかったです。
1983年の作品なので、少し古い感じで、ラストがなんだかなぁ…。

金子成人 『かぎ縄おりん』『初手柄 かぎ縄おりん』
日本橋堀留の「駕籠清」の娘のおりんは目明かしに憧れています。いつも町に騒動が持ち上がると真っ先に駆けつけ、捕縛の道具のかぎ縄を持ち歩き、せっせと練習に励んでいます。祖母にはもう18歳なのだから早く婿を取って商売を継いでくれと言われています。
ある日、罪人を得意のかぎ縄で捕らえたことから、父の目明かしの嘉平治におりんはやっと自分の気持ちを伝えられます。
とりあえず下っ引きとなり、目明かしとしてやっていけるか、嘉平治が見極めることとなります。
果たしておりんは目明かしになれるのか。

おりんが浮ついたところのない娘なので、目明かしとしてなんとかやっていけそうです。
目明かしって男性ばかりかと思っていましたが、女性もいたということでしょうか。他の本にも女目明かしが出ていましたものね。
おりんの成長が楽しみなシリーズです。

ジェシカ・ブルーダー 『ノマド 漂流する高齢労働者たち』
映画「ノマド」を観たので、原作はどうかと思い読んでみました。
本では様々な背景を持ったノマドたちが紹介されています。
映画ではその人たちのことを少しず取り上げていってキャラクターを作っていったという感じです。

日本も年金が減らされ、アメリカと同じように年金だけでは暮らしていけなくなっているようです。私がもらえるようになる頃にはどうなるのか…。
高齢者の仕事ってどんなのがあるのかしら。アメリカのノマドたちと同じような低賃金の季節労働のようなものしかないのかしら。
私のような体力のない、病気持ちには無理ですわぁ。

ノマドたちの最期がどうなるのか、この本の続きを読んでみたいです。

キャシー・アーロン 『トリュフチョコと盗まれた壺』
『やみつきチョコはアーモンドの香り チョコ職人と書店主の事件簿』の次の本です。

ミシェルとエリカが経営する書店併設のチョコレートショップ<チョコレート&チャプター>でレセプションパーティが開催されました。
町の名家、リバー家がボルティモア人類博物館にマヤ文明の出土品を寄贈したことを発表するパーティで、多くの人たちが集まりました。
しかしその夜、出土品が博物館に輸送中に盗まれてしまい、ミシェルとエリカは容疑者になってしまいます。それだけでも大変なのに、過去にエリカと何かあったらしい博物館のキュレーターのアディソン・ムーディが遺体で見つかります。
自分たちの無実を証明するために、ミシェルとエリカは再度事件解決に乗り出します。

ごめんなさい、チョコレートとヒロインたちがあまり私の好みではなかったです。
高校生がやったマヤ文明のフラッシュモブが観たかったです。
そうそう、猫のココが出てきました。次回も出てきて欲しいですわ。

ここからは漫画です。

ジョージ朝倉『ダンス・ダンス・ダンスール 21』
アニメになっているようですね。原作の絵が今一ですが、あのままなのかな?

ゲイリーから留学の資金援助を得られることになり、潤平はビザ取得のため、日本に一時帰国します。
12月には『くるみ割り人形』の王子を踊り、3月には『コッペリア』のフランツを踊ることになります。日本人が不得意だと言われているマイムをものにできるのか、潤平。
ゲイリーの知り合いから映画の代役の話が来ますが…。

潤平の今後に目が離せません。

小玉ユキ 『青の花 器の森8』
青子と龍生は一緒に暮らすまでになっていました。しかし龍生が展示会でフィンランドに一ヶ月行くことになり、青子は苦しみます。
かつての元彼が北海道へ行って帰って来なかったことがあり、それがトラウマになっていたのです。
龍生の今後のことを考えるとフィンランドに行ってもらいたい青子。
青子のためにフィンランド行きを断念しようと思う龍生。
二人はどうするのか…。

たった一ヶ月ぐらい、いいんじゃないと思うのですが、最初の男が悪かったのね。
一緒にフィンランドに行ってしまえばいいのに。そうなれば話が続かないか。
陶芸の話かと思って読み始めたら、恋愛話でした。

みやうち沙矢 『DOG SIGNAL 6』
佐村未祐は神業ドッグトレーナーの丹羽に弟子入りし、やっとお店の初心者コースの担当になりました。
自分の犬のサンジュを使い、見本を見せていますが、そんなある日、サンジュが言うことを聞かなくなります。未祐はサンジュが何故そういう態度を取るのかわかりません。丹羽はわかるまで店に来るなと言います。

犬を飼う参考になる漫画です。
これから犬を飼おうと思っている人は読んでから飼ってもいいかも。

桜井海 『おじさまと猫 8』
びっくりしました。なんとおじさまの家族が登場します。
奥様だけかと思っていたのに…。

いつも癒やされる漫画です。犬もいいけど、猫もいいわぁ。

いくえみ稜 『おやすみカラスまた来てね 1~6』
十川善十はひょんなことから、亡き先代マスターの娘・一葉とふたりで、とある札幌のバーを営むこととなります。

「最強にふがいない男子と、タイプも異なる女子たちの恋愛劇」だそうです。
善十、一体誰が本命なのかわかりません。ホント、ダメダメ男です。
幽霊マスターも気になります。なんで彼は店を善十に託したのか?
最後は一葉と?気になるお話です。

お勧めは『店長がバカすぎて』と『かぎ縄おりん』、『ノマド』、漫画はどれもいいですが、私の一番のお気に入りは『おやすみカラスまた来てね』です。