鈴木大介 『されど愛しきお妻様 「大人の発達障害の」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間」2018/03/21



トリミングしたての犬たちです。

急に寒くなり、雨も降っているので身体の調子が今一です。
気象病とかいうのがあるそうで、私もそうかもしれません。



子どもの発達障害についてはそれなりに知っていますが、彼らが大人になったらどうなるのかはあまり知りませんでした。
仕事仲間の中にこの人なんでこうなんだろうと不思議に思う人が結構いました。
たぶんその人は大人の発達障害だったのかもしれませんね。
そう思うと、納得できることもあります。
(もちろん、すべてがそうだとはいいませんが。)

この本のことを簡単に言うと、発達障害の妻が何故そうするのか、またはできないのかが理解できずに、心無い言葉を投げかけていた著者が41歳の時に脳梗塞で高次脳機能障害になり、妻のことを少なからず理解でき、それからの二人は互いの出来ない所を補いつつ暮すようになっていっているというお話です(簡単すぎ・・・)。

実は私の義理の姉が高次脳機能障害です。
くも膜下出血で3回手術をしています。
たまに会うと、兄が姉にかける言葉にびっくりします。
日常的に接していると、障害のことをわかっていてもイライラすることがあるのだなと思いますが、聞いてる方は嫌になります。
なかなか高次脳機能障害ってわかりずらいのです。
なにせ見えないですから。
発達障害や高次脳機能障害のある大人に対する援助ってどうなっているのでしょうか。
手術後、姉はしばらく、若いのに老人用のデイサービスに通っていましたが、今は通っていません。
一緒に暮らしていた母が亡くなったので、日常的に話す人がいなくなってしまい、どうなるのか心配していますが、どうしようもないです。
なかなか社会全体でみるという仕組みができていないですから、家族で抱え込むしかないのです。

鈴木さんはルポライターという習性からか、障害を持った後の自分のことを本に書いています。
色々と書いていただくことで世間の認識が変わるといいですね。


世界で働くこと――2冊の本2018/03/15

大学生の時に国連職員にはどうやってなるんだろうと思って調べてみたことがあります。
大学院卒業の資格が必要だったようなので(うろ覚え)、諦めました。

国連で働いている人たちってちゃんとした理想があり、その理想のために働いているんだろうなぁと思っていましたが・・・。


川内さんの本は『パリでめしを食う』を読んでいました。
この本の中に出てきたので思い出しました。

川内さんは仕事に行き詰まり、国連職員に応募。
応募していたのを忘れた頃の2年後に応募書類の合格通知メールが届き、面接にパリへ行くことになります。
ダメそうだという印象だった面接なのですが、何故か受かり、パリの本部で働くことになります。

ところが国連は2年ごとに予算編成をするので、彼女が国連で働き始めた時はちょうどその狭間で、予算がないので仕事が出来ない時期。
まあ、そんなに頑張らないで、部屋を探したりしてのんびりやりなさいなんて感じです。
国連職員はお金の面や待遇の面が恵まれているんですね。

こんな国連で5年半働き、辞めた川内さんですが、様々な国籍の、たくさんの個性豊かな人たちに出会い、色々と思ったり考えたりしています。

次の本は現場で働いている人が書いたものです。


17歳の高校生の時に見た1枚の写真。
その写真が忘れられなくて、彼女は大学で何を学びたいかを決めます。

自分のことを「人より優れたところがあるどころか、できないことがたくさんありすぎて、コンプレックスを抱えてきたタイプ」と言っていますが、そんなことないです。
そんな人がこんな仕事できません。
口では言えても行動に移すことは難しい。
行動に移せるかどうか、それで未来は変わっていくのでしょうね。

国際平和実現への遠い道のり、その中で自分ができることは何か、日本のすべきことは何か。
色々と考えさせられます。

ここには色々と書きませんが、是非、読んで欲しい本です。

『友情―平尾誠二と山中伸弥「最後の一年」』2018/01/30



平尾さんのことは知りませんでしたが、あのドラマ『スクールウオーズ』で有名な伏見工業高校ラグビー部で活躍した人だったんですね。
そういう人が、ガンに罹り、53歳という若くで亡くなってしまったとは。
この本はラガーマンの平尾さんと山中教授の友情の本です。
でも、私が思ったようなお涙頂戴の本ではありませんでした。
読み終わって、期待が大き過ぎたせいか、ちょっと物足りないような気がしましたが。

なるほどと思ったのは、プロでのチームワークとは「個人が責任を果たすこと」という言葉です。
馴れ合いではなく、一人一人がきっちりと己のすべきことをやることが大事だということですね。
仕事にも言えますね。

「人生はラグビーボールと同じ。楕円形のボールはどこに転がっていくかわからない。しょうがないやないか」
人生の理不尽さはしょうがない。
そういう思いで平尾さんはガンを受け入れたのでしょうか。

年を取ると友人といえる人がなかなか増えませんが、こういう風に友情を結べる人と出会えたということはうらやましいです。

平尾さんはガンになってお亡くなりになりましたが、山中さんという医療のスペシャリストが側にいてくれて、最善の治療ができたのではないでしょうか。
一般の人はそうはいきませんものね。
山中さんを信じ続け、闘病の辛さを周りに洩らさず、最後まで頑張りぬいた一生だったようです。
格好いいですね。

ご冥福をお祈りいたします。



「ママ、僕もラガーマンです。兄のタックルに負けません」by 弟。

曽野綾子 『夫の後始末』2017/11/15



曽野さんの夫の三浦朱門さんは今年の2月にお亡くなりになりました。
お亡くなりになる前の一年半の介護生活について書かれたのが、この本です。

自身も80歳を過ぎて、病気まであるというのに、90歳になる夫の介護を決意します。
三浦さんは変わったユーモアのセンスの持ち主で、このユーモア(毒舌?)があるためか、介護に悲壮感が感じられません。
でも、まじめな人が聞くとびっくりしそうなユーモアです。

うらやましかったのが、三浦さんのいた部屋が広いことです。
それぐらい広い部屋があれば・・・とつくづく思いました。
そうそう、曽野さん一人で介護をやっていたのでしょうか?
外国人の介護士のことが書かれていたので、介護士がいたのかもしれませんね。

読んでいると、とってもいい夫婦関係だったことがわかります。

願わくば、私たち夫婦もこんな風に最期を迎えられたらいいなと思います。
出来れば夫が先がいいんだろうけどね(笑)。
あ、ワンコがいるので、ワンコが先だ。
今弟が3歳だから、後、10年、生きていなければ。
大丈夫かしら?


「大丈夫です。僕がママを介護しますから」by 兄。


「ママ、長生きして、僕を介護してください」by 弟。

曽野さんは三浦さんが亡くなってから、なんと、猫を飼い始めたそうです。
はっきりとは書いていませんが、淋しいんでしょうね。

曽野さんの今後の活躍を楽しみにしています。

『日本で老いて死ぬということ 2025年、老人「医療・介護」崩壊で何が起こるか』朝日新聞迫る2025ショック取材班2017/09/20



最初に私的なことですが、義母が亡くなりました。
癌の末期だとわかってから約2ヶ月、ホスピスを探し始めてから1カ月ほどでした。
最期まで痛みを訴えることなく、最期の数日は苦しそうな表情をすることもありましたが、静かな最期だったと思います。
某病院の院長が「長くないと思うよ」とか「言葉は悪いけど、認知症だということはいいことでもあるんだよ」と言っていたことが思い出されます。
実は医師はOKを出したのに母の入院を拒否したホスピスのコーディネーターに理由を聞きたいという思いが未だにあります。
その病院に入院できていたらと思うと残念でしょうがありませんもの。

さて、本のことですが、2025年になにが起こるかというと、団塊の世代がすべて後期高齢者の75歳になるのです。
病院も介護施設も足りなくなり、在宅死を迎える人が増えざる得ないという現実が迫っているのです。
その時までに訪問医師や看護師、介護福祉士が増えているのかどうか。
今と同じように不足しているというのが現実ではないでしょうか。
この本に出てくるような在宅死をどの地域に住んでいようが誰もが迎えられるような制度が早くできることを望みます。

まだまだ遠い自分の最期と思っていましたが、いつどうなるのかわかりません。
もし癌になったら、ホスピスは少なくとも6ヶ月ぐらい前に訪問しようと思っています。
悪くなってからすぐには入れない所がありますから。
私の場合は癌よりも脳や心臓の病気で死ぬ確率が高そうですがね。
とにかく延命処置はしないでほしいです。
葬式はしないで直葬とかがありますから、そうしてもらおうと思っています。
花が好きなので、花をいっぱい用意してもらい、音楽はフォーレのレクイエムかな?モーツァルトでもいいわ。
お墓には入りたくないので、海に遺骨を撒いてもらいたいのですが、許可なくできるのかどうか調べておきましょう・・・。

義母が亡くなったのをいい機会として、こういうことを家族に伝えておこうと思います。
夫は俺にではなく他の家族に言っておいてくれと言います。
自分が先に亡くなると思っているようです(笑)。