鴨川に行く②(佐久間ダム親水公園&道の駅保田小学校)2025/04/01

朝日を見ようと5時過ぎに起きたのに、見られませんでした。


春は朝日が見られない確率が高いのでしょうか。
雨が降っていないので、よしとしましょう。

ホテルのエレベーターの前に撮影スポットがあるので、11月の時のようにヨーキー弟を座らせてみました。


桜といっしょに。


立派なベッドですね。
どうです。ちゃんとお座りして前を向いています。
なんで昨日、兄と撮影する時に後ろを向いたのか訊いてみると、一人前にこう言っていました。

「ぼくは、兄とは共演NGです」

ちょっと生意気ですね。


朝食を食べてから浜辺をお散歩をして、ゆっくりチェックアウトをしました。
曇りですが、予定通りに桜を見に行きましょう。
行った先は佐久間ダム親水公園です。


ダムのようですが、そうは見えませんね。


向こう岸に桜が咲いています。


曇っているので、あまり綺麗に見えません。


とっても寒いので、甘酒(麹で作ってあるので、アルコール分がない)とお花見団子を買いました。


お花見団子はすあまを丸めたもののような、ほんのり甘い味がしました。


犬がいるので、外で甘酒をすすりました。寒いです。

「ぼくたちは寒くても甘酒は飲めません」by ワンコズ


次の目的地に行こうと走り出した時に、花が満開の場所を見かけたので、湖をグルッと回って行ってみようと思ったら、通行止めで回れませんでした。
次に天気がいい時にまた来てもいいかも。

行きに見つけた「道の駅 保田小学校」に寄ってみました。


元小学校の敷地を利用しているみたいです。


直売店や飲食店の他に宿泊施設があります。
パンを買いたかったのですが、人が並んでいて混んでいるようなので、止めました。
犬がいると、お店に入れないのが難です。

ドッグランがあります。


犬がいません。今のうちに使いましょう。
受付に行って、使用許可書に記入して許可証をもらいます。
小型犬にはちょうどいい大きさのドッグランで、下が芝生なのがいいです。
わんこたちは嬉しそうに走ったりクンクンしたりしていましたが、パパが兄のことを心配して、しばらくしたら走るのを止めさせました。
何しろ膝に故障がありますから。
その代わりに弟が大活躍しました。
滅多にドッグランで走ることがなかったのに、「おいで」と呼びかけると、走って来ます。


兄はパパに抱かれて、走る弟を見てイヤイヤをしています。走りたいんです。
弟はママのところまで一直線に駆けてきます。


見てください。凛々しくなった末っ子です。
ママ、嬉しいわwww。
何度も「おいで」と言うと走って来ました。

直売店で野菜を買って帰って来ました。
雨は降りませんでしたが、ちょっと寒くて、残念な旅行でした。
でもヨーキー弟がたくましくなったのが見られてよかったです。

しばらく雨模様ですが、今週末あたりにいつもの場所へ花見に行きたいです。
もちろん、電車に乗れないわんこたちは連れて行きません。

「ママ、ずるいです」by ワンゴズ

鴨川に行く①(大山千枚田の桜と天津神明宮)2025/03/31

桜を見に千葉の方へ行って来ました。
ホテルか何かのインスタで大山千枚田の桜がオススメと書いてあったので、11月にも行ったのですが、また行ってみました。
(*11月の様子はこちら


今回は田んぼに、水が張られています。
右側の木は桜ではなくて、アンズの木です。もう花が散っています。


思ったほど桜の木は多くないです。


久しぶりに見たタンポポ。


兄は車が苦手です。
海ほたるが満車だったので、外に出られず、君津PAまで乗っていたので、兄は車の中で吐いていました。
それでも外に出ると元気一杯で、グイグイ歩きます。
坂道もものともしません。


桜が咲いているところまで行ってみました。


わんこたちはなかなかジッとしてくれません。


桜はどこ?


お座りと言っても、お座りせず。前を向いてくれただけましです。


パパがお水をあげようとしているのに、無視をするわんこたち(笑)。
まだホテルのチェックインまで時間があったので、天津神明宮に行ってみることにしました。
千枚田から30分ぐらいかかりました。


ここの鳥居は伊勢神宮と同じタイプのものだそうです。
境内はペットを連れて行けないので、パパとママは別々に拝んできました。


鳥居を入って左側に県指定天然記念物「まるばちしゃの木」があります。


この木かしら?


私の前に拝んでいる女性が長くて、何を拝んでいるのかしら。
そんなことを思ってイライラしたせいか、おみくじを引くと、「小吉」でした。
アララ。
気にせず、これからよくなると思いましょう。


パパが戻るまで暇なので、わんこたちと黄色い花を撮ろうとしたら、珍しく二匹ともにお座りしました。
しかし・・・。なんでヨーキー弟は後ろを向いているのでしょうか。

ホテルにチェックインし、お部屋で自由にさせると、弟はすぐに座っているママのところに来て、膝の上にのります。
弟はジャンプ力があるので、椅子に飛び乗ります。
兄は椅子にはのれないので、ママが椅子の上にのせてやります。
弟は自分で椅子から下りますが、兄は下りれません。


兄はママたちが何をしているのか気になるみたいです。
見栄えが悪いのですが、絶対にお部屋で粗相をさせないように、しっかりとマナーベルトをし、いつも取れないようにガムテープでとめています。


二匹がママの脚の上にのり、寝ています。重いんですが。
早めに餌を食べさせ、パパママは食事に行きました。


とても春らしい先付けです。


海のそばなので、お刺身が新鮮で美味しかったです。
明日は天気が悪そうで。どこに行きましょうか。

米子に行く③(米子城下町散歩)2025/03/26

次の日の朝、ホテルでゆっくり朝食を食べ、9時過ぎに出かけました。
結構、朝から食べてしまい、お昼は食べませんでした。

鳥取のガイドブックを買ってみてみましたが、びっくりしたことに米子市については地図のみで詳しい情報が全く載っていません。
この頃のガイドブックにはグルメとショッピングしか載せないのでしょうか。
みんなネットで調べるようになっているので、紙のガイドブックも地図もなくなるんでしょうね。
仕方ないので、ネットで調べてみました。
帰りの飛行機が混んでいて、早い時間のしか取れなかったので、2時間ぐらいしか時間がありません。
お寺が好きなので、寺町付近に行ってみることにしました。

国道9号線を三の丸を通り過ぎて歩いていくと、賀茂神社天満宮があったのに、私は中に入らずに通り過ぎてしまいました。
何でお参りしなかったのか、今になって後悔しています。
しばらくすると、鳥取大学医学部付属病院があります。
この病院は2つも大きな駐車場がある、立派な病院です。


建物が古くなったので、建て替えの話が出ていて、隣にある泰山公園の土地が使われるようです。


チラッと道路からのぞいてみた泰山公園。ここも時間がないので、中に入りませんでした。

何故米子市に鳥取大学医学部と附属病院があるのかというと、第二次世界大戦中に軍医が不足し、軍医養成のため医専増設を文部省が考えたからです。
この時、鳥取市は昭和18年に起きた大地震で壊滅的な被害を受け、余裕がなかったため、米子市が適地であるとされ、昭和20年に米子医学専門学校が開校されたそうです。(鳥取大学医学部HP「医学部の歴史」より)

ずっと歩いていくと加茂川にぶつかります。
加茂川に沿って歩いていくと、立派なお屋敷がありました。




住宅以外に長楽軒と松風庵などもあるようですが、一般公開はしていないようです。
後藤家は石見国浜田の出身で、戦国末から近世初頭に米子に来住し、江戸時代に廻船問屋として財をなしました。
明治期に後藤家の養子になった後藤快五郎が山陰鉄道の建設に尽力し、「山陰鉄道の父」と言われているそうです。


加茂川はもともと外堀だったみたいです。
加茂川沿いに土蔵が沢山あったそうです。


土蔵も壊されてなくなっているようです。


加茂川にかかる京橋。
加茂川と京橋。京都と何か関係があるのかしら?


お地蔵さんがいました。
「橋守り地蔵」で交通安全祈願のお地蔵さんです。
上に白い紙と赤い紙が貼ってあります。
これは「札打ち札」といい、身内に不幸があったとき、霊を慰め、浄土に着かれるまでお地蔵さんにお守りいただくように、7日ごとに7回札を貼ります。
おしまいの四十九日目には赤札を貼り法要を行うという風習なのだそうです。
安永の初め頃に宮大工の彦祖伊兵衛が、加茂川で亡くなった子どもたちの供養のために、川や橋のたもとに36カ所の地蔵札所を奉納し、祠堂を建てたのが始まりだそうです。
旧加茂川の地蔵は平成28年に「地蔵信仰が育んだ日本最古の大山牛馬市」の構成文化財として日本遺産に認定されたそうです。
お地蔵さんは二千体以上あるそうです。
この辺りにお地蔵さんがいくつかあるそうなので、探しながら歩いてみましょう。


米子には京都と同じように町家があります。
この船越家の住宅は主屋、土蔵2棟、裏門からなる町家だそうです。
船越家は江戸時代初期に備前岡山から移り住み、代々船問屋を営んできた有力商人だったそうです。
米子には約700の町家が残されていますが、壊される傾向にあるそうです。
ホテルにしたり、お店にしたりしてでもいいので、保存してもらいたいですね。
米子の町家は京都のとは違い、入ったら土間があり、吹き抜けになっていて、大きな神棚があるそうです。
竃は外にあり、坪庭ではなく、庭園があったりと、京都のよりは大きいみたいです。


裏門と二つの蔵。左側の蔵には窓がありますが、戦時中に人に貸し、部屋として使っていたそうです。


京橋を渡ると、「橋番地蔵」があります。「お許し祈願」のお地蔵さまです。
京橋の袂に刑場があり、罪人が百叩きの刑を受けた後に泣いてお詫びして帰ったそうですww。
お地蔵さまは閻魔様ですからね。
このお地蔵さん、よくみると、丸い石のままです。ただの石でもお地蔵さんにしちゃうんですね。


「米子まちなか観光案内所」も町家で、旧外江屋店舗(旧海産物問屋)だそうです。
中に入ると、お土産物や飲み物などを売っています。蕎麦なども食べられるそうです。ガイドも一時間2000円でしてくれるそうです。
町家を改築しているので、右奥に行くと町家らしい大きな神棚と明かり取りがあります。


正面の神棚。


左側の神棚。何かを入れる引き出しかと思いました。


振り返るとこんなものがありました。


「げぎょ」といって、「防火のまじないを込めた屋根飾り」。
本当に米子城のものか?という感じですね。


道を見ると、真っ直ぐではなく、ズレています。


「鹿島小路」。「小路」は「しょうじ」と読みます。この辺に沢山小路があります。(参考:「なつかしの小路と町家めぐり」)
鹿島家は岡山から行商に来ているうちに定住した、米屋、質屋と手広く営んだ豪商で、ここら辺の土地を持っていたようです。
米子城の小天守再建の費用を肩代わりしたのですが、お金は戻らず、その代わりに下贈された鯱(しゃちほこ)が残されています。
鹿島茶舗が本家だそうです。

寺町の方に行ってみましょう。


立派な門のお寺は心光寺です。
本堂は焼失後、昭和49年に再建されたようで、コンクリート製です。


鐘楼も立派です。
このお寺は庭園が有名で、豪商のお墓もあるそうです。


ここにもお地蔵さまがいました。
「心光寺地蔵」です。子安祈願だそうです。ぼけてますが(恥)。


この通りにお寺が九つほど並んでいます。


アラ、お地蔵さまじゃないのに、札打ち札が貼ってあります。
石ならすべてがお地蔵さまなんですかあwww。


「妙善寺小路」。
米子を代表する小路だそうです。
町家、お地蔵さん、お寺、鳥取大学医学部、米子城が見えるからです。


「与太郎地蔵」。新転祈願です。
毎年8月23日の地蔵盆の宵祭りに、近くの遊園地に移されますが、いつもちゃんと戻ってくるので、新転祈願なんだとか。


明治元年創業の駄菓子屋の「岡本一銭屋」。
江戸末期の町家で、二階建てに見えますが三階建てで、大正時代の一銭硬貨をあしらった看板です。


享和元年(1801年)創業の老舗のお茶商、ながた茶店。
つし二階、漆喰壁、虫子窓、うだつなど良質な町家だそうです。


かわいらしい「つなぎ地蔵」。良縁祈願だそうです。
この地蔵の制作は安来市の石彫刻家清水洋一氏で、後ろの詩句は仏教詩人板村真民氏のもの。


江戸時代に木綿問屋を生業にした豪商の坂口家住宅
そういえば心光寺にお墓があり、米子市寄贈の燈籠がありました。


門の屋根から松が顔を出しています。


向かい側も坂口家の住宅のようで、この門は戦後、天皇陛下が坂口家にご宿泊した時以来、開かずの門になっているそうです。


右奥が坂口合名ビルで、地方財閥坂口平兵衛が昭和6年に本社ビルとして建てた近代洋風ビルです。


町家はレストランや飲み屋、ショップなどになって使われているようです。
このお店、女性に人気らしいです。次回に行ってみましょうかね。

最後に2つ、お地蔵さんに会って来ました。


「出現地蔵」。立て直し祈願のお地蔵さまだそうです。
木下薬局の徳子さんが7歳の時に、観世音菩薩のお告げを聞き、加茂川の井戸を掘り下げたところ、お告げとおりの地蔵尊が現れたそうです。


最後は「咲(わら)い地蔵」。
もともとは左端のお方が祀られていたそうです。
笑い人生祈願といって、とてもいいお地蔵さまですね。
このお地蔵さまは心が広くて、どんなお地蔵さまでも受け入れるそうです。
出現地蔵さまから拒否された方もここにいらっしゃるとか。
一番人気でしょうかね。
笑いが多い人生になるように、拝んでおきました。

ここで時間がなくなったので、ホテルに荷物を取りに行って空港に向かいました。
初めての米子でしたが、十分楽しめました。
米子市はこれから海外の裕福層向けの観光地を目指していくそうです。
行くなら今のうちかもしれません。

<注意事項>
米子のバスは現金のみで、運賃箱に入れてしまうとお釣りが出ません。
知らずに入れてしまい、「お釣りは出ません」と運転手さんに言われてしまいました。
忘れずに両替しましょう。


お土産物を並べて写真を撮ろうとしたら、食いしん坊の兄がやって来て、蒲鉾の匂いをかいでいましたww。


買って来たのは、夫用の辛口のお酒としじみと羊羹などです。
何故かお座りした兄。
兄には何もありません。ごめんね。
でも君はママが帰って来ても塩対応だっだもんね。
弟はものすごい勢いでママに抱きつき、匂いをかいでいましたよ。

今度はどこに行こうかしら。
ひとつ行きたいところがあるんだけど。
「ママ、いい加減にしてください」by ワンコズ

*米子について詳しく知りたい方はこんなHPを見つけたので、見てみて下さい。

米子に行く②(米子城跡)2025/03/25

2022年に放送されたNHKの「日本最強の城スペシャル」で米子城は「絶景日本最強の城」に選ばれたそうです。
とにかく景色がよさそうなので、足立美術館に行った後の夕暮れの頃に行ってみました。(参照:米子城公式ホームページ
(*以下の文で間違いがあったら教えていただけると嬉しいです)

まず、国道9号線から城跡を見てみます。


三の丸の整備をしているようです。
ここでは昭和25年に鳥取県産業観光博覧会が開催され、その後昭和28年に泰山野球場が作られたようですが、今はありません。


駐車場とトイレ、そしてガイダンス用の建物が建っています。


本丸が見えます。
左側に行き、1つ目の角を曲がり歩いていくと城の入り口があります。


立派な石垣です。


左側に幟が見えたので行ってみると、大正14年に市民の浄財によって創始された四国八十八か所霊場があり、200体余の石仏が城山を八の字に取り巻く園路沿いに設置されているそうです。
廻ると一時間半ぐらいかかるそうですが、霊験あらかただそう(たぶん)。
さて、暗くなる前に本丸まで行きましょう。


入ってすぐに枡形石垣があります。


虎口。


二の丸からみた枡形石垣。


石段を上って行きます。すると右側に二の丸跡に移築された旧小原家長屋門があります。


小原家は、鳥取藩の米子預かりであった主席家老、荒尾氏の家臣で100~150石取りの中級武士だったそうです。(米子市HPより)


もともとの門は身分不相応に大きいということで、三分の一の大きさになったそうです。
写真の右手にテニスコートがありますが、このテニスコートはなくなるそうです。


二の丸跡から見た三の丸。
長方形に形づくられたものは発掘された米蔵跡で、長さ30メートル、幅6メートルの規模だそうです。
十棟以上あったようですが、二棟だけ復元するのでしょうか?


二の丸跡にこんな石(?)が並んで二つありました。
これは鳥取県産業観光博覧会の時に作られた滑り台の跡らしいです。

ここから一気に本丸まで上って行きます。
久しぶりの山登りで息が上がってしまいました。
15~20分程度で、それほど長く上っていないのにねぇ。
上る途中に県の準絶滅危惧種に指定されているカザグルマという植物が咲く場所があるようです。


番所跡でお休みしました。
遠くに高島屋の看板が見えます。この頃、デパートは経営難でなくなる傾向ですが、人口が14万人ちょっとなのに、米子市には高島屋と天満屋の2つもデパートがあるそうです。
鳥取県にはあと鳥取市に丸由百貨店があるだけだそうです。

本丸の中心の天守郭には、戦国末期に吉川広家が築城した三重四階の小天守と、慶長七年頃(1602年)、駿府から入城した初代米子藩主中村忠一が作った四重五階の大天守があったそうです。


見晴らしがいいですね。
少し日が落ちて来たようです。


五月初旬から下旬、七月下旬から八月上旬に八尋鼻と萱島の間に夕日が落ちるので、綺麗な太陽の道、オレンジロードが見られるそうです。(米子市HPより
何やらここは米子のデートスポットなのかしら?
カップルが多いです。


大山(だいせん)が見えるはずですが・・・。
ダイヤモンド大山っていうのもあるようです。
2月20日ごろと10月22日ごろの気象条件がいい時に、大山から朝日が昇るのが見られるそうです。


下を見ると、急な斜面になっています。(写真ではわかりませんがねww)
敵が登ってこれないようになっているそうです。


もう一つの天守郭があった方へいくと、土台が残されています。


撮るつもりはないのですが、カップルがどこにでもいます。


ここも・・・。
部屋の大きさとかが何となく推測できますね。


ここにも・・・。
三の丸を見下ろしてみました。


飯山(采女丸)。


内膳丸。


見えている建物は鳥取大学医学部附属病院です。
弓ヶ浜半島を見てみると、山がありません。


実はここは日本最大の砂州なんだそうです。
じゃあ砂はどこから来たのかというと、中国山地や大山から崩れて来た砂もありますが、たたら製鉄の砂鉄を採るため山を崩して鉄穴流しをした際の排砂が半島の砂の供給源にもなったそうです。

そろそろ日が沈むかと思って見ると、残念。太陽が雲の中に隠れてしまいました。


町の夜景。


そろそろ帰らないと、足元が危ないです。
絶景でした。また来たいです。
今度は朝日を見たいです。

そうそう、米子城にまつわる、悲しいお話があります。
戦国時代末期の天正19年(1591)頃、毛利一族の吉川広家が築城を始めたのですが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後に、国替えの命を受け、広家は岩国に飛ばされ、米子の領主となった中村一忠が米子城を慶長七年(1602)に完成させました。
その後、城主は代わり続け、寛永9年(1632)からは鳥取藩主主席家老の荒尾成利が米子城預かりとなり、明治2年(1869)に藩庁に引き渡されるまで代々荒尾氏が管理していたそうです。
明治3年(1872)に、米子城が位置する山は士族らに無償で払い下げられましたが、明治6年(1875)年に米子城は取り壊されてしまったそうです。
取り壊された木材は当時の30円で古物商に売られ、風呂の薪として売り出されたなんていう説があるそうです。
なんとも残念なことですね。
(参考:「山陰を代表する米子城!完成したのは戦国時代後・・・名城に相応しくない残念な最後とは」、「米子城を極める!(現地ウォーク)資料」)

ホテルに帰って、この日、唯一のまともな食事をしました。


ご馳走様でした。
歩いた歩数は13418歩で、約9.36キロ歩いたようです。

米子に行く①(足立美術館)2025/03/24

足立美術館が人気があると聞き、一度行ってみたいと思っていました。
そこで思いきって、行ってきました。
飛行機は出雲空港と米子空港のどちらかの空港を使います。
出雲と松江には大学時代に行ったので、米子空港を使うことにしました。
米子空港はANA、出雲空港はJALなんですね。

米子空港から米子駅までリムジンバスに乗りました。
飛行機は満席に近いぐらいだったのに、リムジンバスに乗る人は少なく、今はレンタカーを借りる人が多いようです。
ホテルに荷物を置いて、米子駅から安来駅まで行き、安来駅前から足立美術館への無料シャトルバスに乗りました。
山陰線の普通列車は一時間に一本です。シャトルバスはこの時間に合わせて運行しています。
帰りの無料シャトルバスの整理券は、美術館に入ってすぐのところにありますので、チケットを見せる前に取っておきましょうね。


入り口から入ると、見える景色です。


庭は自由に写真を撮っていいのですが、絵画や陶芸などは撮影禁止です。
通路に漆芸の素晴らしいものが展示されています。



創設者の足立全康翁が庭を案内しています。


魯山人館。
現在、開館55周年記念特別企画「北大路魯山人」を魯山人館と新館でやっています。
足立美術館が所蔵する魯山人の書、篆刻、陶芸、絵画、漆芸の500点が一度に見られます。
はっきり言って、多すぎて、流すように見ていくしかなかったです。
新館まで見る人は少なく、特に新館の二階は人がいなくて、ゆっくり見られます。
椿鉢と行灯が欲しかったですww。
お皿など、見ただけでは私には良さがわかりませんが、料理を盛った写真があり、魯山人の器は料理を盛ってこそのものだと思いました。
紹介されている魯山人の言葉も含蓄のあるものでした。
魯山人の年表を見ていて気づいたのですが、魯山人って6回も離婚しているんですね。自由人ですかね。


枯山水庭。
喫茶室「翆」ではお茶代千円でこの庭をずっと見ていられます。





池庭。


喫茶室「大観」で食事やスイーツを食べられます。
魯山人館と開館55周年記念特別企画「横山大観の軌跡」を見た後で疲れたので、私はケーキセット(1100円)を頼みました。


「生の額絵」。
人がいつもいるので、こんな感じになってしまいます。



「生の掛軸」。



「横山大観の軌跡」では横山大観の絶筆「不二」が初公開されています。
私は富士山の絵よりは自然を描いた絵の方が好きです。
「春風秋雨」とか「冬之夕」、「紅葉」etc.なんかがいいです。


絵葉書を買ってきたので、「春風秋雨」の桜を載せておきます。
そろそろ桜の季節ですから。

足立美術館の庭は、私は一度見たので、満足しました。
あくまでも私の個人的な感想ですが、足立美術館の庭は整い過ぎた、管理されつくした庭という感じでした。
言ってみれば「陽」の庭ですかね。
もっと「陰」の、俗にいうわびさびの世界観を持っている庭の方が私の好みです。
日本人よりも外国人、特に西洋人好みの庭のように思いました。


帰りに安来駅の中を見てみると、かわいい人形がありました。
全く失念していたのですが、安来は安来節の安来だったのですね。 

あしかがフラワーパーク2025/02/10

イルミネーションを見るはずでしたが、なかなか暗くならず、半端な感じになってしまいました。
正面ゲートを入ると、おみやげ売場と花売場があり、通り過ぎるとスープ&フードコーナーになっています。
遅くまでいられる方は最初にレストランに入って暗くなるまでの時間を潰すといいでしょう。
レストランは混んでいるみたいだったので、結局入らず、フラワーパーク内を三周ぐらいしてしまい、膝が痛くなりました。バカですね。


4時過ぎですが、明るいです。


クリスマスローズが咲いていました。造花かと思い、触ってみたら、本物でした。


花の花手水。いくつかありました。


レインボーマジック。なんとなく見えています。


藤の花のイルミネーション。
まだ太陽が沈んでいません。


大藤神社だそうです。


藤の花が咲く頃に来ると、こんな感じなんでしょうか。


「みんなの地球」


「ひかりのピラミッド」


背後に「スノーワールド」


少し暗くなってきました。
梅の花と藤の花のイルミネーション。


私が気に入ったのが「フラワーキャッスル」。


ヴァレンタインデーを意識していますね。


「光のバラ園」
ここもよかったです。


もう少し暗くなると、もっとよかったかも。


背景が変わっていき、奇麗でした。

やっと暗くなってきたというところで明日があるので、帰って来ました。
もっと広いと思っていましたが、そうでもなかったです。
一度見たので、私は満足しました。
カップルか小さいお子さん連れ向きだと思いました。

歩数は一万三千歩以上でした。

足利に行く2025/02/10

一度、有名なあしかがフラワーパークに行ってみたいと思っていました。
藤の花が咲いている頃は人が多そうなので、イルミネーションの頃はどうかと思い、行ってみました。

まず、最初に腹ごしらえです。
ココ・ファーム・ワイナリーに行きました。


平均斜度38度という急な斜面に葡萄畑があり、その前にショップとカフェがあります。
アラカルトメニューの場合は、ショップの奥の席で、コースメニュー(要予約)は別の部屋になるようです。


コースはここの中で食べます。


こちらはあまりお客さんはいませんでしたが、カフェの方はほぼ満席でした。
季節のコースは4800円です。


前菜。


海老と野菜(忘れました)のリゾット。


メインは豚肉のローストとパン。


デザートはプリン。ちょっと固めでした。
ケーキが食べたかったです。
これにコーヒーか紅茶がつきます。
食欲旺盛な男性にはちょっと物足りないかもしれません。

食事の後にワイナリー見学をしました。
斜面の葡萄畑が開かれたのが昭和33年で、特殊学級の中学生たちと担任教師の川田昇によって2年がかりで開墾されました。
教師でお金がなかった川田さんが買えたのがこの土地でしたが、陽当たりと水はけがよく、葡萄栽培には最適でした。
この畑は過保護にされ、あてにされることのなかった障がいを持った子どもたちに大切な役割を果たしてくれたそうです。
この葡萄畑の麓に、知的障がいをもつ人たちの自立支援を目的に、こころみ学園が設立されたのが昭和44年。
だんだんと葡萄が売れなくなってきたので、葡萄でワインを作るために、学園に賛同する保護者たちの出資によりココ・ファーム・ワイナリーができたのが昭和55年。現在では100名以上の方が働いているそうです。
詳しくはこちらをご覧ください。
ここでは化学肥料や除草剤などを使っていないそうです。
私たちは昔からSDGsを実践してきましたとガイドさんが言っていました。
草取り、大変です。私にはできませんわ。(膝が・・・)


果汁に酵母を入れて発酵させるタンクが並んでいます。


ぶどうを集めて絞る機械。


ここで生徒たちがラベルを貼ったり、箱詰めしたりするみたいです。


左の小さな村入り口から貯蔵蔵に入っていきます。


小さな窓から覗いてみました。Bottling Roomって書いてあるのかな?


ワインを寝かす樽たち。
ワイナリー見学というよりもこころみ学園の成り立ちを聞くという感じでしたが、ワインに興味のない私にはよかったです。


ワイナリー見学の後に試飲もできます。
飲めないので、ジュースです。


古い樽の上にガラス板をのせて、テーブルになっています。


かわいい羽のあるねこちゃんを見つけました。
お土産に夫がフルボディの赤ワインがいいというので、「陽はまた昇ぼる」とカマンベールチーズを買いました。

イルミネーションまでまだ早いので、日本名水百選に選ばれているという出流原弁天池湧水に行ってみました。
磯山公園の中にあるみたいです。


水がとても透きとおっています。


鯉たちもこういう所に住めると嬉しいでしょうね。


涌釜(わっかま)神社。


手水鉢に花をいけるのがいつから主流になったのでしょうか。


白蛇弁天?
蛇がいました。水が出ていますが、飲めないようです。


磯山弁財天は十二年に一度のご開帳のために工事をしているので、行けませんでした。残念。
御朱印張は池のすぐ前にある「ホテル一乃館」で頒布しているそうです。

4時になったので、あしかがフラワーパークに行ってみます。

川崎工場夜景を見に行く2024/12/29

この前の旅行に行く途中で工場を見て、夜景を見たいと思ったので、早速、バスツアーを申し込みました。
前に参加したのは夜景クルーズでしたが、バスの方が身近に工場を見られると思ったのです。
人気があるのか、満席でした。若者からお年寄りまで、満遍なくいました。

まず、東京駅丸の内南口から30分ぐらいで夕食の場所であるキングスカイフロントにある東急REIホテルに到着。
キングススカイフロントは「川崎市殿町地区(羽田空港の南西、多摩川の対岸)に位置する、世界最高水準の研究開発から新産業を創出するオープンイノベーション拠点」なんだそうです。
「国家戦略特区・国際戦略総合特区・特定都市再生緊急整備地域に指定されているエリア」で、「日本の成長戦略の一翼」を担っているんだとか。
知りませんでした。
川崎市は私の中では川崎大師とか川崎病の町としか認識していませんでしたが、これからは最先端なエリアになるんですね。


倉庫跡なのか、倉庫のようにしているのかわかりませんが、素敵なホテルです。
羽田空港まで10分ぐらいだというのでとても便利ですね。


五階のレストランで、サラダ、スープ、パン、ステーキ、デザートとコーヒーの食事でした。
サラダがしなびていなくて、シャキシャキだったので、嬉しかったです。
ステーキのソースが私には塩辛かったです。ソースを別にして出してくれるといいのですけど、ツアーですから、手間がかかるのでやらないでしょうね。
レストランから飛行機の発着が見えます。


時間があったので、ホテル内を少し散策してみました。
そうするとカフェのところに車が置いてありました。
なかなか素敵なインテリアです。
犬連れが泊まれないかと調べてみると、ダメでした。
その代わり、カフェのテラス席はOKで、近くに公園があるようなので、次回はワンコたちを連れて来ようと思います。

18時からツアーの開始です。
まず、千鳥町エリアに行きます。


根本造船所の敷地をお借りして、旭化成などの工場を見ます。


造船所なので、船が置いてあります。


向こう岸に工場が見えます。煙のようなものは水蒸気です。
白い光は人が作業をしているところに使われているそうです。
オレンジの光のあるところは倉庫などの人気のないところだそうですが、だんだんと安価なLED照明に変わっていて、そのうち白い光だけになってしまうそうです。


携帯で撮ったので、あまりいい写真はありません。ゴメンナサイm(__)m
次に行ったのが、市営埠頭です。


日本触媒の工場。こういう工場を沢山見たかったです。


神奈川臨海鉄道のレールがあります。
ここから東扇島エリアにある川崎マリエン展望室に行きますが、川崎港海底トンネルを通りました。
日本で一番長い人道トンネルだそうです。

川崎マリエンは「市民と川崎港の交流を深めるため川崎市によって造られてコミュニティー施設」で、「マリエン」は「”世界に拡がる海の玄関”をイメージした「マリン」と「エントランス」の造語」だそうです。
夜の9時までやっているようです。
入り口にホオジロザメの剥製がありました。


水谷豊さんが何回も来ているようで、サインがいくつもありました。
「相棒」のロケ地なんですね。会議や廊下の会話で使われているそうです。

展望室は10階にあります。
エレベーターに貼ってあったポスターで、日本夜景遺産などというのがあるのを知りました。
川崎マリエンも日本夜景遺産の中に入っているようです。


川崎港のジオラマ。


SUBARUの新車が沢山停まっています。これから左奥の船(オレンジに光っている)に乗せて運ぶようです。


テニスコートがあり、夜なのに、全部使われていました。
マリエンの側は工場ではなく、倉庫が沢山あるようです。

最後は東扇島エリアです。
東扇島東公園に行きました。
公園には人工海浜やドッグラン、バーベキュー施設、ヘリポートなどがあります。


海側にウッドデッキがあります。
この公園は東京臨海広域防災公園で、東京湾海部基幹的広域防災拠点の東扇島地区として整備されたもので、災害非常時には緊急物資輸送拠点として機能するとのことです。


対岸の工場の夜景を見ます。


望遠鏡を持ってこないとハッキリとは見えません。


わんわん広場にはドッグランがあります。中・大型犬用と小型犬用に分れていますが、とても広いです。登録していないと使えません。
川崎市は意外と東京から近いので、一度、うちのワンコたちを連れてこようかと思います。(私、地理に疎いんですw)

この後は浮島エリアを通り、東京湾岸エリアから銀座を通って東京駅まで行きます。
このツアーで一番よかったのが、最後の首都高川崎線、東扇島インターから大師インターまでのルートでした。
はじめの方に左側に工場群が見えるのですが、私は右側の席で、よく見えず。(座席が指定されているので、勝手に好きなところに座れません)
その後は街の夜景です。
しゃれた音楽も聞えてきました。
ディズニーランドの花火が見え、レインボーブリッジのライトアップがこの時期だけのものでした。


バスから撮った写真はボケボケだったので、見たい方はツアーに参加してください。(なんとかレインボーブリッジは見せても良いかな、という感じだったので載せておきます)


新年を迎える準備をしている歌舞伎座。

ツアーで廻ったのは、わかりずらいですが、下の地図の真ん中から下のエリアです。

       (川崎市港湾局の「PORT OF KAWASAKI」より)

お食事もまあまあ良かったし、次にワンコ連れで行く公園の下見ができてよかったです。
工場の夜景は…、残念ながら私の見たい夜景ではなく、物足りなかったです。
これならバスよりもクルーズの方が良かったかも。
もっと工場が間近で見られるツアーだったら良かったのですが、あまりにも工場が遠すぎて、萌えまで行きませんでした、笑。

長崎旅三日目・中通島2024/12/26

最終日です。家に帰れるかどうかはジェットフォイルが出航するかどうかにかかっています。
朝の6時半の段階では出航予定です。
朝食を食べてから、福江城跡に行ってみることにしました。
ちなみにこの日の日の出は東京は6時49分ですが、長崎は7時20分で、日の入りが東京は16時34分、長崎は17時21分です。
大分違いますね。


ホテルから出た時の福江港はこんな感じでした。
歩いていても出会った人はひとりでした。


福江城(石田城)は残っていませんが、石垣が残っています。


横町口蹴出門と石垣。
石橋を渡って中に入ると、左手に国の名勝に指定されている五島氏庭園があるようですが、早朝なので、入れませんでした。


歩いて行くと、本丸跡は長崎県立五島高校になっています。


朝早いというのに、生徒たちが登校しています。真面目な生徒たちですね。


左側が保育園で、右側が石垣です。


横町口蹴出門の前の石橋。


暗くてよく見えなかった外堀。


だんだんと日が出て来ました。
道を歩いていると、平和な町のはずなのに、数分の間にパトロールカー二台と会いました。何かあったんでしょうか?


フェリーが出ていくようです。


かもめが沢山飛んでいました。


福江島は良いところです。
米は採れるし、近大マグロなどの刺身や五島美豚や五島牛などの肉がうまいし、景色も綺麗だし、住んでもいいかもと、歩きながら思いました。
そうそう、武家屋敷もあったらしいのですが、調べていなかったので行けませんでした。ダメですねぇ。これからはちゃんと調べましょうね。

心配していたジェットフォイルが定時に出航しました。
座席指定があり、外には出られません。
30分ぐらいで中通島の奈良尾港に到着しました。
ちょっと揺れましたが、あっという間の到着でした。

船から降りる時にハプニングがありました。
私のスーツケースが見当たらないのです。何回探してもありません。
船員さんに聞く前に、もう一度スーツケースを置いたところを見に行ったら、ありました。
誰か間違えて持っていって、まずいと思って置いて行ったのかしら?
変ですね。私のスーツケースはあまりない柄で、上に焼酎の入ったマリメッコの買い物袋がのっていたので、間違えようがないと思うのですが…。
意外と人のスーツケースを持って行く人がいるようなので、気を付けてくださいね。

中通島は人口約一万六千人で周囲約278㎞の入り組んだ海岸線の島です。
南風が強く、95%が山で、川はありません。川の様に見えても海なんです。
昔キリシタン三千人が自分たちの命と信仰を守るために、開拓民として福江島に渡ったそうです。
ちなみに上五島にある29の教会は今も使われているそうです。

福江島とは違い米は育たず、小麦を育ててうどんを作ったそうです。
五島うどんは中通島から始まったのですね。
うどんはお歳暮にすることが多いらしく、12月はうどんの製造所が一番忙しい時期だそうです。
水は豊富ですが、雑木林ばかりなので、家を作る時は木材を運んで来なければならないそうです。輸送費が相当かかりそうですね。
塩水に強い椿が古くから自生していたそうです。
漁業の島で、ハマチやマグロなどの養殖をして、中国などに出荷しているそうです。ここのマグロは近大マグロではないそうです。

この島にある上五島国家石油備蓄基地は「浮遊式海洋構造物(洋上タンク方式)」による世界で最初の洋上石油備蓄システムをとっているそうです。
貯蔵船1隻あたりの貯油能力は世界最大の88万㎘で、五隻あるので、合計440万㎘になります。
この会社では約200名ほどの人たちが働いているそうです。
通勤はもちろん船です。
見学できるようなので、次回見学してみたいですね。

今は人口増加を考えるのではなく、人口減少対策を考えているそうです。
大学には離島推薦制度などがあるそうです。


国指定重要文化財に登録された赤レンガの青砂ヶ浦教会。
1878年頃には初代教会があり、1899年から青砂ヶ浦が上五島の中心の教会となったそうです。
1910年建立の三代目の現教会は、鉄川与助が設計施工したもので、信徒が総出でレンガを運び上げたといいます。
残念ながら中は見られませんでした。


教会の門の前に建っている大天使ミカエル像。
ミカエルが悪魔を踏んづけています。


屋根は瓦です。


可愛らしいマリア様です。


この後、有川で昼食です。


途中に鉄川与助が設計施工した、元海寺のレンガ造りの山門が見えました。
鉄川与助は明治12年生まれ、長崎県南松浦郡新上五島町丸尾郷出身で、大工の棟梁の家に生まれ、布教でやってきた宣教師のもとで西洋建築を学び、長崎県を中心に多くの教会堂建築を手がけています。彼自身は生涯仏教徒でした。
木造やレンガ造、石造、鉄筋コンクリート造などの教会堂34箇所、寺院3箇所の設計施工に携わっています。


昼食は五島地獄炊きうどんと海鮮丼。
うどんをすくうための歯が五本ぐらいしかない「うどんすくい棒」というものがあるんですね。便利です。五島うどんは椿油を使っているので、時間が経ってものびにくいそうです。
うどんはあごだしにネギ、ショウガなどの薬味を入れて食べます。
海鮮丼はもう少し刺身が多かったらいいのにww。

昼食場所の近くにスーパーのエレナ有川店があるので、五つ星があるかどうか見に行きました。
そうすると、いつもは売り切れているというのに、ありました。奇跡です。
それにGOTOGINよりも安くていいですわ。

旅の最後はユネスコ世界遺産の頭ヶ島の集落に行きました。
「病人の療養地として使われた島に開拓移住することによって共同体を維持した集落」だそうです。
もともと頭ヶ島は無人で、1858年から開拓が始まり、1864年にキリシタンが移住したそうです。
先に移住した仏教徒の人たちはキリシタンかどうかは不問にしたようです。


頭ヶ島天主堂。
逆光でどういう風に撮れているのかわかりませんでしたが、見てみるととても幻想的に撮れていました。
この天主堂も鉄川与助の設計施工により、1910年に着工し、1919年に完成しました。石は地元の砂岩で、石積みなどに地元の信者が関わっていたそうです。
天井は二重の持送りハンマー・ビーム架構で、折りあげられているらしいのですが、建築に疎い私にはよくわかりませんわww。


内部を見学できました。(撮影禁止です。まっぷるの一番始めに載っているのがこの教会の内部の写真です)水色が可愛らしいです。
白いツバキの花も装飾として使われています。
ツバキは4つの花びらで表されていますが、実は花びらは1つしかないんですって。知りませんでした。4つで十字を表しています。
他にもハマギクやハマユウ、ユリなどの花が使われています。


教会の右横にマリアさまがいました。


教会から少し歩くと海になります。


海がとても青いです。


入り江になっているので、それほど風は強くありません。


海の側にキリシタン墓地があります。


結構大きな墓地です。

見学を終えて有川港まで戻りました。
心配だった高速船は出航します。長崎港まで約一時間四十分。
フェリーの三時間に比べると短いですが、始めの三十分ぐらいは結構揺れました。
ジェットフォイル同様に座席が指定されていて、外には出られません。
通路側に座り、頭を動かさないように、本も読まないようにして、できるだけ寝るようにしました。

帰りはすべて時間通りに進みました。
空港で長崎だからと夕食に皿うどんを食べました。
家に着いたのは夜の10時過ぎでした。
約一万二千歩、歩きました。

滞在中に気になった言葉が、「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」、「一次離島」と「二次離島」です。

「江戸幕府の禁教下でキリスト教信仰を子孫に継承した人々のことを「潜伏キリシタン」、明治になり、一応、解禁状態になってもカトリックに戻らず、自分たちが受け継いできた潜伏信仰をそのまま続けた人たちのことを「隠れキリシタン」と、明確に区別しています」

「一次離島」は本土から直接行くことができる離島で、「二次離島」は直接行けない、近隣の一次離島から渡るしかない離島のことだそうです。
五島列島に二次離島が多いそうです。(「二次離島ってなんだろう?」参考)

家に無事に辿り着き、ワンコたちと感動の再会…なんかありませんでした、笑。
グースカ寝ていて、どちらの犬も起きません。
名前を呼ぶと、目を開けはしましたが、眠たいのか無視されましたwww。
ママがいなくても平気なのね。ママは悲しいです、なんて嘘です。
ママがいてもいなくても同じなら、いつでも旅に行けると思ったママでした。


堂崎天主堂のパンフレットに島の教会と巡礼地の地図があったので、載せておきます。
今回行った教会に印を付けてみました。
全ての教会に行ってみたいです。
冬は海が荒れるので、他の季節がいいようです。


買って来たのは、焼酎二本、あおさ、塩、ふしめんと五島うどん、椿油、ばらもん凧です。焼酎の前にあるのがルルドの聖水で、その前にあるのが堂崎マドレーヌです。貝殻二個もあります。

五島列島はいいところでした。また行きたいと思います。
次回はドライバーを連れて、島を巡りたいです。


*五島列島について間違っているところがあったら教えて頂けると嬉しいです。
 

長崎旅 ・福江島後半2024/12/25

午後最初に行ったのは、高浜魚藍観音展望台です。


この写真では見えませんが、観音さまは手に鯛を抱えています。
東シナ海の大漁と航海安全を祈願して建立された大観音です。


すごく見晴らしがいいです。


見える白砂のビーチが高浜海水浴場でしょう。
福江島にはこういう海水浴場が沢山あるようです。


高浜ビーチで貝拾いをしましたが、二個で止めました。
風が強く、寒いですが、海はいいですねぇ。


次の所に行く途中にクジラのアーチがありました。
五島列島は昭和30年代に捕鯨が盛んだったそうです。


道端に教会のミニチュアみたいなものがあるので、何かと思ったら、今はもうない立谷教会跡地ということです。


横の道を辿っていくと上に十字があるキリシタンの墓がありました。


井持浦教会の入り口です。
今年五月に125周年のルルド祭を行ったそうです。


「いらっしゃい」と招いてくださっています。


「1897年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、1988年にコンクリート造の現教会」となったそうです。
1891年、バチカンにルルドの洞窟が再現されたと聞いたペルー神父が五島の信者に呼びかけて、島内の奇岩や珍石を集め、1899年に日本で最初のルルドを作ったそうです。


霊水は本場フランスの奇跡の泉から取り寄せたものを洞窟横の泉水に注ぎ入れたものだそうです。


残念ながら泉は湧いていないみたいです。しかし、右横に水を汲むところがあります。


ここに蛇口があり、水を注ぎ入れます。入れ物を忘れても大丈夫。教会の入り口で聖水入れを売っています。
私は少し飲んで、聖水入れに聖水を入れて持ち帰りました。
時間が経ってから飲むのも何ですので、お風呂に入れて身を清めていますが、いけないかしら?


屋根が瓦屋根になっています。


大瀬崎断崖展望所で東シナ海を見ました。
写真には見えませんが、中央の断崖に白い灯台があります。
灯台まで行けるようですが、往復一時間ぐらいかかるようです。
健脚の方、歩いてみて下さい。
でも、風が強い日に灯台まで行く時は気をつけてくださいね。
灯台は映画「悪人」のロケ地だそうです。


絶景ですが、風が強くて、寒いです。
第二展望台もあるそうですが、気がつきませんでした。
事前に調査しておかなければ…。

次の場所の鬼岳に行く途中の富江は珊瑚加工の名産地だそうです。
五島は明治時代以降サンゴの島として知られているそうです。
血のように赤いサンゴが一番いいものなので、お金のある人は買いましょう。
五島珊瑚資料館にはかわいいワンコがいます。体重が15キロぐらいあるそうで、うちのワンコが三匹いるようなもので、持ちあげようとしましたが、できませんでしたww。

最後の場所は標高315mの鬼岳です。
南伊豆の大室山のような感じです。


ロープウェイはないので、舗装された道を歩いて行きます。


とにかく風が強く、向こうの小高い山の上まで行こうとしましたが、風でさすがの私も飛ばされそうなので、止めました。


展望所がありますが、座るどころではありませんでした。


福江市街地。


かつて噴火した火山だそうです。


鬼岳天文台があります。
ここで夜の八時から観望をしています。雲がなければ美しい星空が見えます。


鬼岳四季の里という売店がありました。
お茶とかんころ餅をいただきました。
かんころ餅は五島の郷土菓子で、かんころはサツマイモを薄く切って日干ししたもののことで、餅にかんころを混ぜて作ったのがかんころ餅で、今も冬の保存食として各家庭で作られているそうです。


写真はばらもん凧です。
五島民芸のHPにこの凧の謂れが書かれているので、興味のある方はお読み下さい。
手書きの額入りばらもん凧を買って来たので、縁起の良い魔除け凧として、家の玄関に飾ろうと思います。

ホテルに帰り、食事まで時間があるので、福江教会のイルミネーションを観に行きました。


戸が開いているので、中に入ることができました。


教会の横にマリア様像があり、ルルドを模しています。
この教会は下五島地区で信者数が最も多く、市内の教会の中心的な役割を担っているとのことです。

夕食はホテルのイタリアンです。


前菜。魚が新鮮です。
この後、パスタと魚料理と五島牛。


デザートでチョコレートケーキとコーヒーをいただきました。

夫が五つ星を買って来て欲しいと言っていたので、地元のスーパー、エレナ福江店に行ってみることにしました。
エレナは月曜日に10%割引きだそうです。ただし、お土産類は割引きになりません。
五島つばき蒸留所のGOTOGINが評判だそうで、翌日、中通島に行くので、その時に五つ星がなければ買って帰ろうと思います。

この日は一万三千歩ぐらい歩きました。