石井妙子 『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』2021/11/11



銀杏の葉が地面に落ち、いい感じになっていました。
今年の紅葉は少し早いのでしょうか。

ジョニー・デップが制作・主演した映画「MINAMATA ミナマタ」を観る前に、スミス夫妻と水俣病のことを知っておこうと思って読んだ本です。
写真集『MINAMATA』がアイリーンの献身的な助けがなければできなかったことを初めて知りました(恥)。


アイリーン・美緒子・スミス(スプレイグ)はユージン・スミスの二度目の妻で、ユージンとは31歳の年齢差がありました。
知らなかった二人の生い立ちを、覚え書きとして記しておこうと思います。
映画を観る前に二人のことを知っておくのもいいかもしれません。

アイリーンの曾祖父は岡崎久次郎と言い、一橋の高等商業学校を卒業後、三井物産に入社。退社後、自転車の輸入販売を手がけ、巨額の富を手にし、政界へ進出します。第一次大戦中には自転車製造に乗り出し、大金持ちになります。
アイリーンの母である美智子は久次郎の娘で男好きで奔放な桂子の娘でしたが、桂子の夫が自殺した後に引き取られ、久次郎の娘となります。
1942年に久次郎が亡くなってから岡崎家は没落していきます。
終戦後、美智子は働き始めます。そのうちダンスと英語ができたため、財閥が開いた進駐軍の将校たちのパーティに呼ばれるようになり、ダンスパーティで出逢ったアメリカ人ウォーレン・スプレイグにプロポーズされ、結婚します。
ウォーレンは結婚後GHQを辞め、日本で化学製品を扱う貿易会社を立ち上げます。やがて美智子は妊娠し、1950年に聖路加病院でアイリーンを出産します。
ミドルネームは美智子の双子の妹・美緒子の名前をもらってつけられました。
享楽的な家で育てられた美智子は派手好みで、母親が料理や洗濯をするのを見たことがなく、バスタブから上がれば身体を拭いてもらえるような環境で育ち、ウォーレン曰く、5歳の子どものままでした。
一方、ウォーレンは堅実な生活を好み、穏やかな性質だったため、美智子の性格や個性が自分には合わないと思い始め、気持ちは秘書の「ヨーコさん」に移っていきます。
彼らは1956年に離婚し、アイリーンは父親に引き取られます。
翌年、父は「ヨーコさん」と再婚し、二人の子どもが生まれますが、なぜか「ヨーコさん」が継母であることを伏せていました。そのためアイリーンは自分に実母がいることを世間や弟たちには絶対に知られてはいけないと思い込んでしまい、果てには新しい家庭には自分の居場所がないと思い詰めるようになります。
実母の勧めもあり、アイリーンは10歳でアメリカのミズーリ州セントルイスに暮らすスプレイグ家の祖父母の家で暮らすことになります。
まわりは白人で東洋人を見たのは初めてというような環境で、自分の成績が悪いと、やっぱり日本人の血が入っているからだと思われてしまうのが嫌で、アイリーンは勉強だけではなく、優等生になろうと努力をします。
その努力は報われ、すべての学科で優秀な成績を修め、名門スタンフォード大学に入学します。
そして大学在学中にユージンと運命的な出会いをしたのです。

ユージン・スミスは1918年アメリカの中央部、カンザス州ウィチタに生まれます。
父親のウィリアム・スミスは裕福な穀物商人、母のネティは資産家の娘でネイティブ・アメリカンの血が四分の一ほど流れていました。
ユージンは次男でしたが、長男が脊椎性小児麻痺を患ったため、ネティの関心と期待は次男のユージンに集中することになります。
リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行を成功した時期でもあり、少年たちはみなリンドバーグに憧れ、ユージンもその一人でした。
飛行機の写真集が欲しくなったユージンが母にねだると、母は彼にカメラを渡して自分で撮るように言いました。
実はネティは美術学校出で、写真を趣味にしていたのです。
いつしかユージンはいい写真が撮れると新聞社に売り込みに行くようになります。
1929年株が大暴落し、父親の会社も資金繰りに苦しむようになり、夫婦仲も最悪の状態になっていきます。
1936年、父は自殺し、母はこれまで以上にユージンを束縛し、自分の意のままにしようとするようになります。
母は策略を練り、奨学金を得てユージンを大学に進学させますが、ユージンは大学に馴染むことができず、1937年に大学を辞め、ニューヨークへ行き写真学校に通いながら仕事を探します。
やがて「ニューズ・ウィーク」に専属カメラマンとして採用され、母をNYに呼び寄せます。
母は運転手、宣伝係、マネージャーなどの役を務め、ギャラ交渉やお金の管理、スケジュール、フィルムの処理などをし、献身的にユージンを手伝います。「周囲の人々はユージンのマザコンぶりと、ネティのステージママぶりに驚き、様々な噂」をしました。
戦争が始まり、ユージンは憧れの「ライフ」の専属カメラマンになります。
1940年にカルメンと結婚しますが、それでも母から離れられず、母に認められようとする気持ちはなくなっていませんでした。

1943年、ユージンは「フライング」誌の特派員として太平洋の戦場に赴きます。
ラバウル、サイパン、レイテ島、硫黄島、沖縄と写真を撮っていく間に、日本人の兵士や民間人を目撃して、彼の心情は変わっていきます。
日本人を敵として憎むことができなくなり、心が日本人と同化していき、日本人を自分の家族だと思うまでになっていったのです。
1945年、沖縄で「兵士の一日」を撮っていたユージンは砲弾の爆風により負傷し、生涯その後遺症に悩むことになります。

戦後、カメラマンの仕事に戻ろうかどうか決められずにいたユージンに写真を撮る決意をさせたのは母でした。
1946年、母のネティの写真からインスピレーションを受け、彼の代表作とも言える「楽園への道」を撮りました。
その後「ライフ」に戻ったのですが、彼の身体と精神はボロボロでした。
アルコールと痛み止め、抗鬱剤を大量に飲むことが日常となっていたのです。
1955年には「ライフ」を辞め、母のネティが亡くなります。
1957年、向精神薬デキセドリンの多用により被害妄想や自殺願望が出るようになり、周囲から人が離れていきました。
この時に出逢ったのが17歳の美術学生のキャロルです。彼女はユージンの仕事の手伝いをするようになり、関係は恋愛にまで発展します。
キャロルを得て、ユージンは生きる意欲を回復します。
この年に日立製作所の招聘により、ユージンはキャロルと共に日本にやって来ます。帰国するとユージンとキャロルの関係も変化していきます。というのもキャロルがユージンから離れようとしたのです。
ユージンはそれを知り、キャロルに自殺をすると言っては困らせ、罵り非難し、酷い時には彼女を殴りました。
キャロルが去ってからユージンは重い鬱病になり、仕事ができなくなりますが、出逢った若い女性たちに次々と交際を申し込みます。
その様子はキャロルの代わりを求めると同時に母を求めているようでした。
ユージンは母ネティやキャロルのように献身的に尽くしてくれる女性がいないと駄目なんですね。

1970年八月、日本からCM撮影隊がやってきます。
この時、アルバイトで通訳をしていたのがアイリーンでした。
キャロルは、<ユージンの才能の一つは、人が何者であるかを正確に見抜いて、その人を自分の目的のために使うことにあったと思います>と述べています。
ユージンはアイリーンの「優しさや献身的な性格」や「世慣れていない」ことを見抜き、アイリーンを求め、なりふり構わず愛の告白をし、アイリーンがいなくなったら死ぬとまで言います。
結局アイリーンはユージンに絡め取られ、展覧会の準備の手助けをすることになり、大学には戻りませんでした。

この展覧会のオープンの四ヶ月前に、日本から元村和彦がやって来ました。
彼は日立でユージンのアシスタントを務めた森永の知人で、写真家のロバート・フランクを紹介して貰いたいと頼みに来たのです。
この時彼が日本の漁村を撮りたがっていたユージンに水俣病のことを話し、もし彼の写真展が日本で開催できたら、写真展に合わせて来日し、水俣で写真を撮ってはどうかと提案したのです。
1971年8月、アイリーンとユージンは来日し、東京で結婚します。
9月から熊本県水俣市月ノ浦に家を借り、1974年10月までの三年間、水俣病と水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材と撮影をしていきます。

1956年5月1日は「水俣病公式確認の日」で、その12年後1968年に厚生省は水俣病を公害病であると認定しました。
アイリーンとユージンが日本に来た1971年は、「一任派が低額の補償をのまされ、訴訟派が裁判を闘って」おり、「さらに新たなグループの闘いも始まろうとしていた」時期でした。

この本には水俣病の歴史や『MINAMATA』を撮るために運命的に出逢ったユージンたちの歩みが詳しく書かれています。(二人は写真集が出来た後に離婚しています)
高度成長時代に産業を優先した政府やチッソ、御用学者や医師たち、お抱え学者の捏造データを信じ報道していくマスコミには怒りを禁じえません。
その反面、悲しいのは同じ土地に住む住民たちが争うことです。
水俣病患者とその家族への差別、補償金に対する羨みと非難、分断させられていく患者たちとその家族…。
本にも書いてありましたが、この構図は何年経っても変らず、福島でも起きたことです。
水俣病の入門書として読みやすいと思いますので、是非この本と写真集『MINAMATA』を手に取ってみてください。

写真集『MINAMATA』の著作権はアイリーンさんにあり、写真集でもっとも有名な写真「入浴する智子と母」は両親の願いにより1998年から封印されていたのですが、映画では使われており、再販された写真集にも載せてあるということです。

心に残ったユージンの言葉を載せておきます。

<客観なんてない。人間は主観でしか物を見られない。だからジャーナリストが目指すべきことは、客観的であろうとするのではなく、自分の主観に責任を持つことだ>

MINAMATA~ユージン・スミスの意志~」【テレメンタリー2020】
   その後のアイリーンさんと水俣病患者の姿が見られます。

「MINAMATAーミナマター」の本予告

僕たちは元気です♫2021/10/07



お散歩しているとツマグロヒョウモンというチョウのカップルがランタナの蜜を吸っていました。
ケバケバしいオレンジ色なので、蛾の一種かと思ったら、チョウなんですね。

久しぶりの犬たちです。


「みなさん、お久しぶりです。僕たちは元気に暮らしています」


「僕はパパが仕事に行った後、ママの寝床で寝るのが好きです」


「こうやってまったりしています」

1時間ぐらい経つと満足したのか、自分の寝床に戻ってお昼まで爆睡しています。
兄は抱かれたり、膝の上にのったりするのが好きで、何時間でもいます。


「ママ、早く遊びましょうよ」

一方テリア系の弟はこういうことができません。
小さい頃から落ち着きのない弟は膝やソファに乗ったと思ったら、すぐに他のところに行ってしまいます。
とにかくせわしなく動き回ります。暑さに弱く、体力はないですけど、笑。


鼻の横の毛が目に入るので、切ろうとすると、顔を動かすので危なくて困ります。
なんとか切ってこれくらいになりました。
ジッとしていることが苦手なんですねぇ。


おやつを前にしてマテの練習をやると、兄はずっと待っています。
弟は隙があったら食べてしまうので、弟のおやつは1メートル以上離して置きます。


「ママ、ひどいな。僕にもおやつ側に置いてよ。すぐに食べてしまうから」


「ママ、お腹が空きました…」

兄はこの頃、食べ物に執着心が出てきました。
9歳になったので太らないようにシニア用の餌を与えているから、物足りないのかしら?
夜、果物を冷蔵庫から出したり、ビニール袋のカサカサいう音がしたら、寝ていたはずなのに駆け出してくる兄犬です、笑。

おもちゃが好きです♡2021/09/11

雨の晴れ間に、久しぶりに二匹一緒にお散歩をしていると、いつもの香りがしてきました。そうです、キンモクセイです。


花はまだ咲いたばかりですが、匂いはするんですね。
急に暑くなりましたが、季節はもう秋に変わろうとしています。
昨年、今年と何もできなかったのに季節だけは過ぎていきます。


ちょっと不気味な葉の色の花がありました。
調べてみると、ムラサキゴテンというのだそうです。花言葉は「やさしい愛情」、「変わらぬ愛」。見かけからは想像もつきませんね。
(ちなみにキンモクセイの花言葉は「謙虚」、「気高い人」、「真実」、「陶酔」、「誘惑」だそうです。)

雨続きなので、弟は家で駆けずり回っています。
今回はボールの持って来いです。疲れるまでやり続けます。


口にくわえようとしても、大きいのでなかなかくわえられません。


たまにママの方を見ます。


楽しなぁ、という顔をしています。


一方、兄は気ままです。おもちゃやハンカチで遊ぶ時もあれば、気が乗らないのか、遊ぼうとはせずに床をかぎ回る時もあります。
今回はエビ天をくわえて離しません。ママの嫌いな取ってみろをやり始めました。


ずっとくわえたままで、手を出すと逃げていきます。


面倒なので、ほっておくと、弟が参入してきました。


後ろからついていき、様子をうかがっています。


「取れるもんなら取ってみろよ」と言っています。


見合っています。


取るかなっと思ったら、取りません。


「ぼく、お兄ちゃんが怖いので、エビは取りません」
今までだったら、ちゃっかりと兄のものを取っていたのに、最後まで取りませんでした。

おやつのボーロを見せても兄はエビを離しません。
部屋に入れてほっておくと、やっと離しました。


彼の中では お散歩>ご飯>チュール>おもちゃ>ボーロ という順位があるみたいです。

坂井希久子 「居酒屋ぜんや」シリーズ2021/06/13



また新しい種類の紫陽花を見つけました。
花びらが細いものです。


これは花がとっても大きい紫陽花です。
ガクアジサイではなくて、花が咲ききっていないのかしら?


この紫陽花はよく見かけるようになりましたが、真っ白ではなく赤が混じっています。これも時間が経つと、すべて白くなるのかしら?



「居酒屋ぜんや」シリーズは10巻まであります。
①ほかほか蕗ご飯
②ふんわり穴子天
③ころころ手鞠ずし
④さくさくかるめいら
⑤つるつる鮎そうめん
⑥あったかけんちん汁
⑦ふうふうつみれ鍋
⑧とろとろ卵がゆ
⑨ほろほろおぼろ豆腐
⑩さらさら鰹茶漬け
というように、題名を見るだけで生唾を飲み込みたくなります。
出てくるお料理も美味しそうです。

小十人番士の旗本の次男坊、林只次郎は、たまたま飼った鶯のルリオが美声だったので、鶯の鳴きつけを生業とし、家計を支えています。
本人はいたって武士らしからぬマイペースのお調子者。
このまま武士でいるよりも商人になった方がのんきに暮らせていいか、なんて思っているほどです。
そのため大層なお金を入れている割には父や兄から疎んじられており、実家は居心地が悪く、苦労しています。
美味しい物を食べるのが大好きで、さも美味しそうに食べるので、周りの人は彼を見ているだけで幸せになります。

ある日、預かっていた父の上役の鶯がいなくなります。
鳥の糞買いの又三に愚痴っていると、「お妙さんに会いに行ってみましょうや」と言い出します。
又三の言うことには、彼女と話しているうちに失せ物や難問も、ひとりでに片付いちまうと評判だと言うのです。
又三に連れて行かれたのが、『酒肴ぜんや』でした。
そこには無愛想な大年増のお勝と「すこぶるつきの別嬪」で「生き菩薩様」かと思うような美人女将・お妙がいました。
只次郎、一目惚れをしちゃいます。
その上、見目がいいだけではなく、お妙が作る料理はどれもが絶品。
食べている間はしばし、巷のことを忘れる只次郎でした。

お妙は両親を亡くし困っていた時に、父親と縁のある善助がやって来て、お妙を引き取り育ててくれました。
やがて善助と夫婦になり、居酒屋を営んでいましたが、彼が一年前に亡くなってしまい、義理の姉のお勝に手伝ってもらいながら、良人の残したぜんやをほそぼそとやっていたのです。

ほどなく只次郎は『ぜんや』の常連になり、店に鶯繋がりの大店のご隠居を連れてきたりしたので、いつしか庶民向けの居酒屋の『ぜんや』に舌の肥えたお大尽たちが来るようになります。

料理に紛れて忘れてしまいがちですが、様々な事件が起こります。
はたして只次郎のお妙への思いは通じるのか。
お妙の両親と良人の死の謎は解けるのか。
只次郎の進む道はどうなるのか。
意外とあっけなく決着がついちゃいますけどね、笑。

三巻までkindleで読みましたが、その後がkindleにないので、本を買って読みました。10巻もあると思っていたら、すぐに読み終わってしまいました。
事件の割に書き方があっさりしているので、『みをつくし料理帖』のように心臓に悪くないので、安心して読んでいけます。
時代設定がどうとかこだわりのない、軽い時代物がお好きな方、読んでみてください。

ほしおさなえ 『銀塩写真探偵 一九八五年の光』2021/06/07

紫陽花も色々な花の形がありますね。


下の紫陽花と同じ種類でしょうか?
丸く咲いていないので、違う種類にみえますが、よくよく見ると似ています。
下の花の倍以上の大きさでした。


青いので、よく見ずに通り過ぎていましたが、花の形が違うことにやっと気づきました。
調べてみると、島根県で作られた「万華鏡」という種類みたいです。
(違っていたら、ごめんなさい)



ほしおさんが探偵物を書くなんてと思って読んでみました。

真下陽太郎は恋ヶ窪高校一年生。
小学四年生の時に、父の茂の両親と同居するために西国分寺に引越してきました。
しかし母と祖母の仲が悪く、家には居場所がありませんでした。

陽太郎は写真部で、9月に新校舎へ引越すため、夏休みに部室の大掃除をしていました。
作品と私物を分けていると、大判の古いモノクロ写真がいっぱいに詰まっている箱を見つけます。
見てみると、なんとも魅力的な写真でした。
昔の写真部のことを知っている教師に聞くと、その写真は辛島先生の作品だとのこと。
十年以上も前に暗室があった頃、恋ヶ窪高校出身の写真家が、暗室作業を教えに来てくれていたことがあり、辛島はその一人で、恋ヶ窪で写真スタジオをやっているそうです。
陽一郎は強引に連絡先を教えてもらい、辛島に会いに行くことにします。

辛島曰く、「フォトグラフ」とは「ギリシャ語で『フォト』は『光』、『グラフ』は『描く』。つまり『光が描く』という意味だ」と。

彼に暗室作業を教わった陽太郎は、彼から写真を習いたいと強く思い、思いきって弟子入りを申し出ます。
最初は躊躇していた辛島でしたが、やがてカメラをすぐに手に入れ、大学に入ったら自分の暗室を作ること、そして毎日必ず三十六枚撮りフィルム一本写真を撮ることを条件に、スタジオの暗室を使わせてくれ、仕事がない時に教えてくれることになります。

ある日、ひょんなことから陽太郎は辛島の秘密を知ることになります。
その秘密とは…。

カメラにもとづく探偵なんて、どんななのか、気になりませんか。
ヒントは暗室です。
とここでネタばらしをしなくても、他でバレていますので、知りたい方は他をあたってくださいませ、笑。

本格的ミステリーかと思ったら、ほしおさんですもの、ファンタジー(SF?)よりの心暖まるお話になっています。
今の若者はフィルムのカメラなんてわかんないでしょうね。
内容は若者向きですが、フィルムカメラを懐かしむという意味で、40歳以上(たぶん)の人が読んでも面白いと思います。
ほしおさんの作品としては他のものをお勧めしますがね。

トリミングに行く2021/05/30

そろそろ梅雨が近くなったので、紫陽花が綺麗に咲いています。


鉢で様々な種類を買って飾ったようです。
右から二つ目の紫陽花の色が赤に近いのは何故でしょうね。


こういう風に花が咲くのも珍しくなくなりましたね。


どの紫陽花も綺麗ですが、やっぱりスタンダートがいいかな?

さて、犬たちは毛がボウボウなのでトリミングに行ってさっぱりしてきました。
湿気と暑さで特に兄犬は疲れ気味のようで、この前散歩でフラフラしていたというので、今は家で遊ばせるだけにしています。
6月で9歳、人間の年で55歳ぐらいです。
お年を考えて、無理をさせないようにして、長く生きてもらわねばなりません。

カメラを向けると、ポーズを取る弟。兄はクンクン臭いを嗅ぎに来ました。


いつも臭いのに、今日は良い匂いです。


お前ばかり写るなよ、という感じかな?
兄が怖いので、弟がちょっと耳と身体を(写真では)右に動かしました。
今回のトリミングは耳の毛が妙にすいてあります。


いつものように二匹でポーズ。
兄の目がうつろなのは何故?


珍しく二匹が立っています。互いに嫌そう、笑。
二匹の間には微妙な距離が…、笑。


微笑みを浮かべている弟。


嫌々写っている兄。
今回は足がフワフワしていていいですね。


横の姿を撮ろうとすると、「もう、早く寝たいのにぃ」というように片足をあげています。
今回は尻尾もフワフワです。


いつもと同じトリマーさんですが、今回の兄のトリミングはママ的には成功でした。

「人生、ブラボー!」を観る2021/05/11



この花見たことありますか?
つぼみはこんな感じです。


「セイヨウシャクナゲ」というそうです。
拳の2~3倍の大きさがあります。
日本のシャクナゲはこれよりも小さかったような気がしますが、私の勘違い?



この映画、あくまでもコメディですので、真面目に観ないでください。
(ネタバレ有り)

42歳独身のダヴィッド・ウォズミアクは家族が経営している精肉店の配達係をしています。
借金が八万ドルもあるので、お金を返すために大麻を育てますが失敗。
兄から借りようとしますが、断られます。銀行に行っても駄目。
恋人の警官をしているヴァレリーのところに行くと、妊娠したと告げられ、忙しいからと電話もメールもくれない男なんかいらないとまで言われてしまいます。
弁護士をしている友人アボカットに愚痴りに行くと、堕ろさせろ、自由を捨てるのかとまで言われます。もちろんアボカットには沢山子どもがいて、苦労してます、笑。

家に帰ると、誰かいます。
バットを持って見に行くと、それはシャンベルランという弁護士でした。
実はダヴィッド、大学生の頃、スターバックスという偽名を使い、2年間で693回も精子提供をしていたのです。(これにはあるちゃんとした理由があったのですが、家族にも言っていません)
彼の精子で533人子どもが産まれ、そのうちの142人が父親の情報開示を求めて提訴しているというのです。
や~、すごい繁殖力ですねぇ。

アボカットに相談すると、歴史的な裁判になると弁護人を請け負います。
裁判では心神喪失を主張しようというアボカット。
彼は142名のプロフィールを手に入れてきました。

ダヴィットはプロフィールの中から適当に選んで、自分の子どもに会いに行くことにします。
有名なサッカー選手、俳優志望のカフェ店員、ヤク中のデパートの店員、ピザの配達員、プールの監視員、路上ミュージシャン etc.
自分は父親にはなれないけど、この子たちの守護天使にはなれると思うダヴィッド。
子どもたちを追いかけていくうちに、車椅子に乗っている子の義父だと偽り、自分のことを話し合っている集会やキャンプにまで出てしまいます。

ダヴィッドは自分が父親であると名乗り出ようと思いますが、アボカットは世間が彼のことをどう思っているのか知ってからにしろと言います。
ヴァレリーはスターバックスのことを「マスをかいてお金をもらうなんて、売春と同じ」だと言います。
他の人たちは、変態、カナダの恥…。

最終的にダヴィッドは病院を逆控訴して勝訴します。
子どもたちはがっかりしながらも名乗り出てくれることを待っているとインタビューで述べていました。
さて、ダヴィッドはどうするのでしょうか。

この映画は制作国はカナダですが、「人生、サイコー!」というアメリカがリメイクしたた映画もあります。
私は観ていませんが、同じ内容とのことです。
2つ観て、カナダとアメリカの雰囲気の違いを味わうのも一興かも。

実際に693回も精子提供できるのだろうかと思ってしまいました、笑。
家族はポーランド系移民でしょうか。お父さん、いい味出してます。
思いっきり笑いたい時に観てください。


今週のおやつ。
言葉の園のお菓子番』に出ていた麻布昇月堂の一枚流し麻布あんみつ羊かん。


羊羹に寒天が入っているので、軽い口当たりのお菓子です。
渋いお茶と一緒に冷やして食べると美味しいでしょう。

大野更紗 『シャバはつらいよ』2021/05/03

散歩中に見た花シリーズ。


色が独特です。たぶんアフリカキンセンカの一種だと思うのだけど…?


これはウツギの一種かな?
結構知らない花がいっぱい咲いているので、何の花か調べるのが楽しいです。



大野さんの本は『困ってるひと』を読んでいますが、その後がどうなったのか気になったので読んでみました。
2010年6月末から2013年4月までの様子が描かれているようです。

大野さんはミャンマー難民支援や民主化運動に関心を持ち大学院に入ったのですが、病に倒れてしまいます。
なかなか病名もつかず、困っていましたが、やっと「皮膚筋炎」と「筋膜炎脂肪織炎症候群」という病名がつきます。
「自己免疫疾患」で、本人曰く「全身の免疫システムが暴走して、自分自身を攻撃するという類の病」だそうで、原因がわからない、治療方法もわからない「難病」です。
この本には通算九ヶ月間の入院を経て退院してからのことが書かれています。
入院中に色々とあったので、退院後は「一人で生きていく」と決めたようですが…。

入院していると「特定疾患」を申請しても月に12万円ほどかかったそうです。
大野さんはご両親が働いているので払えますが、もしお金がなかったら、どうなるのでしょうね。
退院後、病院まで歩いて2、3分のところに部屋を借りて住み始めます。
ご両親の住んでいる福島には病気を治せる医者がいないから仕方がないのです。
ヘルパーを一日一時間頼めることになったそうですが、それにしても日本の福祉って厳しいですね。大野さんのような人でもヘルパーが一時間ですか。
自分ではできない家事を頼むと一時間なんてすぐに終わってしまいますよ。
寝たきりではないので、やれることは自分でやれということなのでしょうか。

Twitterっていうのはやったことがないので、わからないのですが、何かつぶやくと、それを読んだ人が助けに来てくれることがあるんですね。
大野さんはTwitterに大分助けられています。親切な人っているんですね。
定期的にというのが負担でも、たまたま時間が空いていたり、気が向いた時になら人助けができることがありますものね。
Twitterができなくても、その時に必要な助けを求める術は何かないでしょうか。

2011年3月11日には区の相談支援担当の職員の方が安否確認に来てくれたそうです。どこの区にお住まいかわかりませんが、区によってはこういうこともしてくれるのですね。私の区はどうなのかしら?
Twitterで『おせっかい、高齢者、障碍者、難病患者、周辺近所に声をかけまくって』、『ステロイド、透析、血液製剤、免疫抑制剤等、医療行為・薬品が生命維持に毎日不可欠なひとのライン確保を』とつぶやいたそうです。
これは大野さんだからこそわかることですね。
病気のない元気な人にはわからないことです。
人に迷惑をかけないように、ひっそりと生きていくのもいいのですが、有事の時は声を上げないとわからないことがあるので、声を上げていくことも大事ですね。

色々と大変なことがあっても、それをサラッと書いているところが読んでいても好感が持てます。
シャバで移動する時は杖を使い、ヘトヘトになりながらだったので、電動車椅子を買うことにして、やっと届いた所で終わっていますが、その後が気になりました。
車椅子で色々な場所に行けるようになったのかしら?
あとがきに2013年4月に別の大学の大学院に入り直し、社会保障のシステムの勉強を始めたと書いてありましたが、今は何をなさっているのでしょうか。
調べてみると、今年の4月に東京大学医科学研究所公共政策研究分野特任研究員になったようで、ずっと研究中心の生活をなさっているようです。
お元気そうで、何よりです。

小湊悠貴 『ホテルクラシカル猫番館 横浜山手のパン職人 4』2021/05/02

薔薇が綺麗な季節になりました。散歩しながら楽しんでいます。
薔薇を鉢植えで咲かせようとしましたが、水やりを忘れてしまうと、てきめんに枯れてしまいました、笑。

Googleレンズで薔薇の名前を探してみました。


この薔薇はロサ・ケンティフォリアでしょうか?


こんな薔薇は初めて見ましたが、Googleレンズで調べると、ピンクの薔薇と同じ種類のようです。


これはつるバラのカクテル?


これはロサ・フィリップスでしょうか。
家庭でも色々な薔薇を咲かせることができるのですね。
ちょっと歩いただけでも色々な種類の薔薇が見つかりました。


かわいい表紙の本です。
ホテル猫番館は横浜山手にあるホテルで、高瀬紗良はそこで働くパン職人です。
今回のお話は4つ。

<一泊目>
大晦日の日、鎌倉の実家に行った紗良は兄の冬馬と鉢合わせをしてしまいます。
冬馬は法律事務所で働く弁護士で、紗良よりも六つ年上です。
実は高瀬家は代々政治家を輩出している一族で、紗良はパン職人になるのを反対されていました。
幸いにも父親が娘の意志を尊重してくれたため、製菓専門学校に入学でき、卒業と同時に家を出て、パン屋に就職したのです。
兄から見合いを断ったことをなじられ、相手がいると紗良は言ってしまいます。
これを聞いた兄が確かめるために猫番館に宿泊の予約を入れてきます。
さて、紗良はどうするのでしょうか。

<二泊目>
猫番館のコンシェルジュ・本城要の妹・結奈が大学の交換留学を終えてロサンゼルスから帰国しました。
猫番館は本城家の父親が出資をしており、母親が実質的に経営をしています。
要はゆくゆくは母の後を継ぎ、オーナーになりたいと思っています。
前のパン職人が辞め、高瀬紗良が新しいパン職人だと聞いた結奈は、名家のご令嬢でまだ24歳の紗良がパン職人になったことに興味を持ち、帰国早速に猫番館に泊まりに行くことにします。そして家に帰ると、要が縁談を断り、その理由が紗良と付き合っているからということを聞きます。
俄然、紗良のことが気になる結奈でしたが…。

<三泊目>
ホテル猫番館のオーナーの本城綾乃は二三年ぶりに姉の真弓と会うことになりました。というのも、姉の真弓が急に泊まりたいと言ってきたのです。家出したとのことです。
真弓は47歳で、近所のドラッグストアでパートをして早十二年。
夫の会社は業績不振が続いており、年収は下がり、息子がこれから私立大学に入学します。
それに比べると、妹の綾乃はシンデレラストーリーのような結婚をしています。
どうしても比べてしまいます。
さて、家出はどうなるのでしょう。

<四泊目>
猫番館のシェフの天宮隼介に、兄で南青山のフレンチレストラン『リエール』のオーナーの武藤鷹志から連絡がきます。
猫番館の前に隼介はそこで働いていたのですが、円満退職ではなかったという噂がありました。
会ってみると、鷹志は隼介に『リエール』に戻らないかというのです。
隼介の答えは…。

今回の美味しそうなパンは黒豆パンやオレンジ風味のブリオッシュ、卵液にロイヤルミルクティーを加えたフレンチトースト、メロンパンです。
食事は洋風おせちや賄いのポム・デ・テール・ブーランジェール、クロケットが食べたいです(唾液が…)。

合間にかわいいイエネコのメインクーンのマダムが独り言を言っています。
それが可愛いですねぇ。
犬と違い猫って気位が高いですからねぇ。
そうそう、猫番館には薔薇の庭があり、それが人気の一つらしいです。
これから訪れるといいかも(と言っても実際にはないホテルですけど)。

寺地はるな 『どうしてわたしはあの子じゃないの』2021/04/25



つつじが満開の季節になりました。
身近なところで季節を感じることしかできないですが、来年はどこかに行けると思って乗り切りましょう。


水を縫う』を書いた寺地さんの本です。

閉鎖的な肘差村に住んでいる三島天はいつしか村を出て東京に行き、小説家になりたいという夢を持っていました。というのも父親からは生意気だと殴られる日々で、周りはみんな天の気持ちをわからない敵のように感じていたからです。
彼女の嫌いなのは「世間体」とか「常識」でした。

父親の兄が事故死したため、東京から肘差村にやってきた小湊雛子ことミナ。彼女の家はこのあたりでは有名な地主で、祖父は村会議員でした。
ミナは可愛くて人目を引く容姿をしているので、男の子はみなミナのことが好きだと天は思っていました。

きれいな顔立ちにコンプレックスを持つ吉塚藤生。母子家庭で母親はお酒も出す『喫茶かなりや』をやっています。彼の家にパソコンがあるので、天はよく遊びに行っていました。
藤生が天のことが好きなのはみんなは知っていますが、天はそれを知りません。
天は藤生がミナのことが好きだと思っていました。ミナが藤生のことが好きだったので、天は二人の仲を取り持つようなこともしていました。

三人は中学校の授業で「20歳の自分へ」という手紙を書かされました。ミナが卒業したら東京に行くというので、それを真似して、三人は20歳の互いに向けて手紙を書きました。
それから14年後、ミナがその時の手紙が見つかったから、廃絶された肘差村の肘差天衝舞浮立が復活される日に三人で会って、手紙を開封しようと言ってきます。

30歳になる天は地元を離れ、スミレ製パンの工場で働きながら、小説を書き続けていました。
ミナは結婚しましたが、離婚することになっていました。
藤生は地元のケーブルテレビに勤めています。

一体手紙には何が書かれていたのでしょう。

小さかった頃、「私はなんで私なんだろう。私があの子だってよかったのに…」なんて誰もが思ったことがあったでしょう。
本の中の次の言葉に、私もこんなこと考えたことがあるという人が沢山いるでしょう。

「たまに考える。自分が「選ばなかった人生」というものについて。選べなかった人生、かもしれない。後悔しているわけではなく、ただどうであっただろう、と考える癖がついている」

読んだ最後に、「わたしはわたしでいい」と思えたら、最高ですね。