明けまして おめでとうございます2007/01/02

          五十鈴川

京都旅行から戻ってきました。
一日目に坂道を登ったため、今回の京都旅行は足が痛くて痛くて。でもいい息抜きになりました。2泊だったのですが、少なくとも3泊以上泊まりたいですね。
伊勢神宮にも行ってきました。外宮の方が内宮よりパワーがあるように感じました。神さまも次の日忙しいので、31日は人の少ない外宮にいたのかもしれません。(そういうことはないって。神はどこにでもいる・・・?)
今年は「いいこと」しか思わない。「楽しむ」ことを目標にしていこうと思います。体調もだんだん上向きになっています。伊勢神宮パワーをもらったので、頑張りすぎないように、私生活を充実させていきます。
では、今年もよろしくお願いいたします。

『神との対話ーー宇宙的な真実について』2007/01/04

『神との対話』の最終章です。
ここまで読むと、なんと神は同じことをずーっと言っていたんだということがわかります。
というのも、我々はそもそも「ひとつ」であるということなのです。
「他者」というものはないのです。
だから個人的なことも宇宙的なことも同じことなのです。

今回チャクラの話がありました。
神さまもチャクラのことを知っているんですね。
私たちは3つの部分、7つのチャクラでできています。
この3つの部分のすべてで、7つの中心のすべてで同時に相手に応じるとき、探し求めている最高の経験ができるといいます。
こういうレベルに来ている人は、互いにハッグしただけで、「互いにひとつになって、エネルギーを交流」出来たそうです。(「あるがままに生きる」足立幸子著より)
不思議ですね。もっとチャクラについて学ぼうかとも思いました。

こどもを育てることに関する神さまの言葉にもなるほどっと思いました。
今の親は子供を育てるには若すぎるということです。
<もっと知恵をもったものが育てる方がいいというのは、その通りだろうなっと思いました。
「若い時代は真実を教えるためではなく、真実を採集するためにある。」
まだ採集できていない真実を、子供たちに教えられるはずがないのです。
でも、そのためには社会が変わらなければなりません。
もっと開かれた社会になるといいのでしょうね。

この本を読んで、今世で失敗(という観念は神さまにはないのですが)しても、またチャレンジしようと思えば、またこの世に戻れるということがわかっただけでも、気が楽になりました。
もし、自分が一人でさびしいと思っている人も、自分はひとりではないということがわかると思います。
この本に載っている、気に入ったところを自分なりに取り入れていくと良いのだと思います。
一度読んだだけで、すべてが理解できたとは思いません。
今度は英語版を買い、英語ではどういう表現なのかを確かめながら、少しずつ読んでいこうと思います。

江國香織 『ホリー・ガーデン』2007/01/06

江國香織の本をいつもいつも読むたびに思うのは、何とも不思議な…ということです。
ホント、現実感がなく、出てくる女性は年齢的に言っても大人なのに、女の子と言っていいほどフワフワしているし…。
それが彼女の本のいいところなのでしょう。
そう思いながら読んでいます。
嫌なら読まなければいいのに、怖い物見たさ(?)でしょうか、読む物がないと手を出してしまいます。

『ホリー・ガーデン』は2人の30歳ぐらいの女性が主人公です。
果歩は仕事が長続きしない人で、今は眼鏡屋の店員をしています。
昔、妻子ある男に恋し、別れてからも忘れられなく、軽く好きでもない男と寝てしまいます。
同じ眼鏡屋に勤めている中野が、何故か彼女の周りにいつもいます。
かといって、彼とは肉体関係はありません。

果歩の高校までの同級生で友人の静枝は、都立高校の美術教師。
今、岡山にいる画廊経営者らしい45歳の男と不倫をしています。
月に1回ぐらいしか会えず、休みの時に岡山に行くことぐらいしかできないのですが、静枝はそれで幸せと思っています。

果歩は静枝の恋を理解できず、静枝も果歩のことがわかりません。
そんな二人の日常生活が淡々と描かれています。

果歩の生活は本当に現実感がなく、こんな女の子っているのだろうか、と思うほどです。
男と別れてから、夕食を一人では食べられなくなり、高校時代のあまり親しくない同級生を呼んで一緒に食べたり、友人が帰ってから中野を自分の部屋にあげたり、一人でお弁当を持ってピクニックにいったり…。
することなすこと夢の中を生きている人という感じです。
その反対に静枝の日常の方が現実感があります。
高校教師という仕事のせいということもあるのでしょうが。

物語はこれと言ったことがなく、始まって終わります。
題名の『ホリー・ガーデン』とは一体何のことなのでしょうか?
江國の題名のつけかたには、何かありそうです。

ウエイン・W・ダイアー 『スピリテュアル・ライフ』2007/01/08

ダイアー博士って誰?という感じで買ってみた本です。
この本はいくつか読んでみたスピリテュアル系の本の教え(?)をより具体的に行動で示すには、どうしたらいいのかが書いてあります。

まず、「あなたが人生で出会うすべての問題は、あなたのなかに眠っている無限の力を目覚めさせれば解決できる」ということを信じることです。
そして、「どういう人間になりたいのか、どんなふうに人生が運ぶと満足できるか、心にイメージする」のです。
最後に「無限の力、大いなる知性と完全に一体化する」のです。
この認識ー体感、一体化をいつも心掛けていると、どんな問題に直面しても、必ずその問題を解決できるそうです。

いくら自分がこうあろうと思っても、仕事上でネガティブなエネルギーを持った人に攻撃される時がありますよね。
そういう時はどうしたらいいのかと、いつも思います。
いくら机上に水晶を飾ったって、向こうが攻めて来たときには、向かいうたなければなりませんよね。
そういうときは、「愛や思いやりの気持ちを発散して怒りや敵意、恨みという問題に立ち向かえば」、問題は解消するそうです。
それはなぜか?その問題は幻にすぎない、問題は自分の心の中にしか存在していないからだそうです。
ブッダの例がでています。

ブッダは自分の言うことにことごとく軽蔑的で無礼で辛辣な態度をとる仲間と旅をすることがあった。三日間にわたって毎日、ブッダが口を開くたびに、旅人はバカ呼ばわりし、横柄な態度であざ笑った。三日目の終わりに、ついに旅人はがまんできなくなって、ブッダに尋ねた。(中略)ブッダは旅人に答えた。
「誰かに贈り物を差し出されてもそれを受け取らなかったら、贈り物は誰のものになるのかな?」
この言葉で旅人はあらたな洞察を得た。誰かに侮辱という贈り物を差し出されても、それを受け取らなければ自分が侮辱されたことにならない。

病気についてもこう書いてあります。
「肉体には自己治癒力という神秘の力がある」
「肉体には知性があり、自分が考えているとおりのものになる。」
「健康な身体をつくるか病んだ身体をつくるかは、どんな心で生きるかによる。」
「気分がすぐれなくても、絶対に治らないとか、いずれ死ぬとかなどと思わずに、自分には無限の力が備わっていると確信しよう。
要は、「それは可能だ」「私にはできる」「私はそうするつもりだ」「無限の力を心から信じている」といったように、常に前向きに考えることだ」

病気になっている人に、病気はあなたの考えが作ったのよ、というのは酷です。
でも、病気はあなたの心がけでどうにかなるというのは、助けになりますね。
末期癌の人が、医者が言った以上の年月を生きたという話はよくあります。
もし病気になったとしても、病気になったという事実は潔く認め、前向きに生きていくということが必要なのでしょうね。

この本のように生きれるとは思いませんが、心の持ちようで、人生が灰色にもなるし、バラ色にもなる。
心のクセを少しでもなおして、生きやすくしていこうと思いました。

ケヴィン・ギルフォイル 『我らが影歩みし所』2007/01/09

近未来、不妊治療にクローン技術が実用化され、その第一人者がデイヴィス・ムーア医師でした。
クローンに反対する一派の暗殺者ミッキーがデイヴィスを狙撃しますが、幸運なことにデイヴィスは助かります。

ある日、彼の一人娘のアンナ・キャットがアルバイトをしていたGAPの店内で殺されます。
乱暴されてから殺されたらしく、犯人は見つかりませんでした。
失意の中、娘の所持品が戻ってきます。
なんとその中に、犯人の物と思われる精液を入れた容器が間違って入っていたのです。
デイヴィスは迷いますが、犯人のクローンを作ることを決心します。
この子供はジャスティンと名付けられ、地元に住む夫婦の子として育てられることになります。

どんな顔になるのか。デイヴィスはジャスティンを見守り続けます。
ジャスティンは頭のいい子で、飛び級を次々としていきます。
ところが彼の家の周りでは犬や猫がいなくなり、どうもジャスティンが動物を虐待しているように見受けられます。
ジャスティンの父母は死んだはずのドナーについて知りたいと思い始め、私立探偵を雇い、探らせます。

一方デイヴィスは、ジャスティンの写真を私立探偵に撮らせ、その写真から犯人の顔のモンタージュ写真を作り、その写真をインターネット上にのせ、見かけた人からの情報を求めていました。
たまたま同じ私立探偵事務所を雇ったことから、いろいろな出来事が…。
ジャスティンの運命は思わぬ方向へと変わっていきます。

さて、アンナ・キャットを殺した犯人は一体誰なのか?
自分の生まれを知ったジャスティンは、どういう行動にでるのか?
そして、最後に思わぬどんでん返しが…。

本の中に出てくる、シャドー・ワールド」というゲームがおもしろそうです。
仮想世界ゲームというんでしょうか、現実と同じ街がインターネット上にあり、自分の好きな人間になってもいいし、自分自身になってもよく、その仮想世界でもうひとつの人生を生きられるのです。
何年後かに、本当に発売されたなら、夢中になってしまうかも。

最後までどうなるのかわからない、久しぶりに一気に読めた本です。

乃南アサ 『五年目の魔女』2007/01/10

乃南アサの作品です。初めて読みました。
内容は、気持ちの悪いものでした。
私は友だちとはあまりベタベタしない関係が好きですが、この本の中にでてくるのは、なんとも言えず、私と全く正反対のタイプの女性です。
お昼も一緒、トイレも一緒、帰りも一緒、あったことを何でも話す、そういう女友だちの話を聞いたことがありますが、女性の多い職場では、この話のような関係が当たり前なのでしょうか?
私のように男性の多い職場では、女性は一匹オオカミで、つるみません。
あっさりしずぎていると思うこともありますが、長く仕事をしていく上では、こんなものだと思っています。

ある会社に勤めていた景子は、友人だった貴世美のせいで会社を辞めてしまいます。
前には5年後、10年後も会い続けるような友人だと思っていたのに、貴世美が、景子と仲のよかった上司の新田と関係をもってから、二人の間は変わっていきます。
貴世美は派手になり、人前でも新田との関係を隠さなくなり、新田は貴世美に溺れていきます。
景子は貴世美の中に、魔性を秘めた女の姿を見ます。

新しい職場を見つけ、自分の道を進み始めた景子ですが、元同僚の織絵とデパートで会ったことをきっかけに、貴世美がどうしているのか知りたくなります。
貴世美の育ったK市に電話をして問い合わせをしたりしますが、ついにはK市まで出掛けてしまいました。

貴世美はあれから新田と一緒にパブを経営し、失敗し、新田と別れてK市に戻ったといわれていました。
しかしK市の家は売られていて、しばらく浜松にいて、東京に戻ったらしいということまでがわかります。
新田は貴世美と別れた後、交通事故で死んでいました。

だんだんと景子は貴世美の悪夢に悩まされることになります。
誰かが自分を見ているという、そういう幻覚に悩まされるのです。
そういうなか、仕事では一軒家の装飾を任されることになります。
同僚の飯島とその家に行くと、なんとそこにはあの貴世美がいたのです。

あらすじを読んでもあまり、感じないかもしれませんが、読むと気味の悪い話です。
貴世美のような女には会いたくないなと思わせられます。
ホント、交わりは淡く、が良いですね。

東野圭吾 『手紙』2007/01/12

今まで私が読んだ東野圭吾の本の中で、一番よかったです。

天涯孤独のたった二人の兄弟剛志と直貴は、兄、剛志が強盗殺人をしたため、離ればなれにくらさなければならなくなります。
強盗殺人をしたのも、弟、直貴を大学に入れたかったのに、腰を痛め肉体労働ができなくなったための、苦渋の選択でした。
引越屋で働いていた頃、優しくしてくれた金持ちの老婦人を思い出し、その家に入り込んだのです。
お金を見つけて、すぐに出ればいいのに、弟が好きな天津甘栗がテーブルの上にのっているのを見つけ、持って帰ろうと思ったせいで、老婦人に見つかり、殺人を犯してしまったのです。

直貴は担任の教師が探してくれたレストランでバイトをしながら、高校を卒業します。
就職しようにも、まともな企業は相手にしてくれず、しがないリサイクル会社に就職します。
そこで出会った人が置いていった通信教育のパンフレットを見て、仕事をしながら大学の通信教育科に通うことにします。
たまたまスクーリングに行っていた時に出会った寺尾とバンドを組み、デビューまで出来そうだったのですが、剛志のことがバレ、彼を抜かしてバンドはデビューすることになってしまいます。
大学の合コンで出会った朝美とは上手く行っていましたが、彼女の親と会った時から上手くいかなくなります。
結局は剛志のことがわかってしまい、破局してしまいます。
兄がアメリカに行っていると嘘をいって就職した会社では、盗難があり、剛志のことがわかってしまい、物流部に異動させられます。
ことごとく、兄のことが直貴の前に立ちふさがります。

そんな彼を変えるのが、会社社長の平野です。
知り合いの由実子が出した手紙を読んで、平野は直貴に会いに来たのです。
彼が直貴に言った言葉で、直貴は自分の甘さを感じるのです。

「自分の現在の苦境は、剛志が犯した罪に対する刑の一部なのだ。
そのことを示すためにも差別は必要なのだ。
それは甘えだったのかもしれない。差別はなくならない。
問題はそこからなのだ。そこからの努力を自分はしてきただろうかと考え、直貴は心の中で首を振った。
いつも自分は諦めてきた。諦め、悲劇の主人公を気取っていただけだ」

このことがきっかけで、直貴と由実子は結婚し、かわいい娘をさずかります。
しかし、せっかくの幸せも、前の職場で一緒だった町谷が同じ社宅に引っ越してきたことで、崩れていきます。
町谷が剛志のことをしゃべったらしく、公園では、誰も娘の実紀と遊んでくれなくなり、入った保育園では、他の子どもたちが誰も実紀に近づかないのでした。
そんな時に、社長の平野が視察で物流課を訪れます。
視察の後で呼び出され、様子を聞かれたことから、今の状況を平野に話してしまいます。
平野は「いつでも正々堂々としているというのは、君たちにとって苦渋の選択だろうか」、「非常に選びやすい道を進んでいるとしか思えないが」と言うのでした。
社長と会って、倉庫に戻ると、妻がひったくりに遭い、乗っていた自転車がひっくり返り、娘と共に怪我をしたという連絡が入ります。
二人とも怪我はたいしたことがありませんでしたが、しばらく経ってから、犯人の親が謝罪しに来ます。
そのことから、直貴は決心をするのです。

毎月、剛志は刑務所から手紙を書いてきました。
彼は直貴の手紙を心待ちにしていました。
直貴は自分の家族を守るために、剛志に手紙を書きます。
これまでの自分がされてきた差別のことを、初めて兄に語り、兄弟の縁を切ると告げたのです。
兄に別れを告げると共に、会社も辞め、電気屋で働き始めました。
そういう時に、昔一緒にバンドを組んでいた寺尾から連絡がきます。
あれからデビューしたけれど、売れなく、バンドは解散しそうだ。
自分は刑務所で慰問コンサートをしている。
今度千葉の刑務所に行くから、一緒に行かないかと言うのです。
一度は寺尾に断ったのですが、剛志が殺した婦人の家に詫びに行ったときに、婦人の息子から思いがけず兄の手紙を見せられ、直貴は慰問コンサートに行くことにします。そこで直貴が見たのは…。

あとがきで井上夢人はオノ・ヨーコのことを書いています。
ジョンが死んだときに、感動的な意見広告を新聞に載せた彼女が、「A Day In
The Life」というジョンのドラマの主人公に選ばれた俳優の本名が、「マーク・デイヴィット・チャップマン」ということを聞き、彼を首にしたというのです。
差別と言うことを考えると、誰でも差別はよくないといいます。
しかし、私たちは本当に差別をしていないと言い切れるでしょうか?
オノ・ヨーコのように、理性ではわかっていても、心情の面ではノーということがないでしょうか。
直貴が側にいたら、どうでしょう。
自分が一人だったら、気にしないでしょう。
しかし、自分の子供が彼の子供と接点があったら、気にしないでいられるでしょうか。
理性では、わかっていても、自分の家族が関わってくると、差別をする側に回ってしまうのではないでしょうか。

エイズが話題になっていた頃、バンコック経由の飛行機の中で、側に座っていた二人の男性のうちの一人が咳き込んでいたのを見て、私は嫌だなっと思いました。
一緒の飛行機に乗ってしまったことを不幸だと思ったのです。
エイズが咳ぐらいではうつらないことは知っていました。
でも、嫌だったのです。
そのことを何故か何年も経っているのに覚えています。

この小説の中で、「イマジン」が印象的に使われています。
この歌のような理想の世は本当にくるのでしょうか。
私たちは、私たちの心の中にある「差別」をなくさない限り、いつまでも「イマジン」は夢を歌った歌のままなのでしょう。

ジル・チャーチル 『飛ぶのがフライ』2007/01/14

今日のミステリーは、ミステリーというと怒られそうな本です。
まあ、私なんかは推理を楽しむのではなくて、出てくる主人公の生活状況を楽しんでいます。
このシリーズ、5年2ヶ月ぶりに9巻目がでたそうです。
いくら私でも、ジェーンのこと、忘れていました。
翻訳者の人が亡くなったらしいので、そのために遅れたのでしょうかね。
あと6冊も翻訳されていないものがあります。
『飛ぶのかフライ("FEAR OF FRYING")』という題名を見て、ピンときたあなた。そうです。エリカ・ジョングの『飛ぶのが怖い("FEAR OF FLYING")』のパクリです。
1973年にアメリカでベストセラーになったのですが、そんなこと知っている人いるかしら?
この本はアメリカで1997年に発行されているので、何故わざわざ昔の本の題名を使ったのかしら、という気がしますが。
日本語の題も、笑っちゃいます。

ジェーンは寡婦で三人の子持ち。
サマーチャンプの候補地に、保護者代表として、友人のシェリイたちと下見に行くことになります。
ちょっと僻地にあるけれど、ご飯も美味しいし、経営者もいいし、まあまあかと思っていたのですが、そこはジェーンです。
なくなった時計を捜しにキャンプ・ファイヤー場に行って、死体と遭遇してしまったはずなのに、何故か死んでいた人がピンピンしています。
一体どうなっているの?
みんなの冷たい視線にも負けず、下見を続けるのですが、ジェーンが見た死体が見つかり、キャンプ場はてんやわんや。

本当に久しぶりのジェーン・シリーズでしたが、まだ私の頭には前の内容がよみがえってきません。
う~ん、記憶力低下は否めないですね。

すえのぶけいこ 『ライフ 14』2007/01/15

いじめを描いた漫画、『ライフ』の14巻目です。
頼りにしていた教師平岡が他の学校に異動してしまい、「みんないなくなる・・・」とへこんだ歩は、友人の未来に会いに行きます。
未来は、父と二人暮らしで、その父が病気がちなため、生活費を稼ぐために、バニーガールの格好をして、スナック(?)でバイトしていたのです。
そこにいじめの首謀者の安西の父親(社長で県会議員)がやって来ます。
彼は酔ったいきおいで、娘をいじめの主犯にした女教師を飛ばしてやったと言うのです。
そのことを聞いた未来は歩をバニーガールにし、二人でわざと安西のテーブルに行きます。
そして、安西に色仕掛けで迫り、安西が安心したすきに、火事を装い、安西を乱れた服装で店の外に行かせるのです。
外には、たまたま安西の後援会の女性がいました。

一方、学校では担任の女教師、戸田が安西愛美に踊らされ、未来を陥れようとします。
テストの時に、カンニングをしたように見せかけたのです。
ところが、どこからか「羽鳥(未来)がカンニングするか・・・」「だれかが入れたんじゃねーの」という声が起こるのです。
そして、ある女生徒が戸田に向かい、「先生もいじめの加害者です」とまで言い放ったのです。

今までやられてきただけの歩だったのですが、いよいよ反撃の始まりです。
一人の声が、二人になり、だんだん増えていくと、それが力になります。
一概に言えませんが、誰かがいじめに気づき、嫌だと言えれば、それが始まりになり、仲間が増えていくかもしれません。
自分は一人ではない。そう思いたいですね。

江國香織 『東京タワー』2007/01/16

題名が『東京タワー』ですが、まったくリリーフランキーさんのとは違います。(当たり前か)
一人の男の子の20歳の日々の移ろいを描いています。
いつものように、これといった出来事がありません。
透という主人公と詩史という40歳ぐらいの年上の女との逢瀬が淡々と書かれています。
その合間を縫って、透の友人で若いガールフレンドと35歳の主婦と二股をかけている耕二のことが出てきます。

詩史から電話が来るのを待っているだけで、これといって何をするのでもない透。
バイトをめいっぱいして、その間にガールフレンドや主婦に会い、青春を謳歌している耕二。
うまくやっていけると自負していた耕二は、いつしかバランスを崩し、ガールフレンドと主婦の両方にふられます。
ふられてちょっと落ち込んでも、すぐに挽回し、次のターゲットを見つけます。
本当の恋愛をしていないということでしょうかね。
一方透は、詩史の言った「一緒にくらすことと一緒に生きることは、必ずしも同じじゃない」という言葉に触発され、詩史と一緒に生きていこうと思い始めます。

若い男の子と付き合う女のことは全く理解できません。
相手がたまたま非常に若かったと思えばいいのでしょうか?でも夫がいるんですよ。
結婚していいことは、食事を一緒に食べる人がいることだ、みたいなことを詩史は言っています。
その通りですが、なんとも不思議な夫婦です。
そうあまりにも、格好が良すぎるのです。
いつも夫とぴったり合った服装をし、タクシーを利用し、輸入雑貨の店を経営していて、若い男を翻弄している女。
そんな女って、現実感がないですよね。
何冊読んでも、童話のような世界としか思えません。
江國の本は大人のお伽噺なのかもしれませんね。
私にとってはそれがおもしろいのですが。