宝彩有菜 『リラックス系プチ瞑想術』2007/04/03

この頃、見る本見る本に瞑想する人がでてきます。
まあ、それ系(?)らしき本を読んでいるから仕方がないのかもしれませんが。
本の最初に絵付きで、瞑想のやり方と効果がシンプルに書いてあります。
これだけでも、瞑想って素敵、と思うのですが、中身を読んでいくと思わぬ瞑想の効果がわかりました。

真面目な話、私にとって瞑想は、フランスの片田舎にある修道院で、シスターが籠もってやっているイメージです。
これは祈り?でも瞑想と祈りの違いは?
もしくは、ヒマラヤで黄金色?黄色?の袈裟を着たお坊さんがやっているか、日本の禅寺の坊主たちがやってるらしい、というイメージです。
なんの取り柄もない、普通の人の私にできるのでしょうか?

瞑想すると、「脳力アップ」、「身体がメンテナンス」、「心が落ち着く」そうで、いいですね。
しかし、「心を解き放す」ってどういうこと?

作者の宝彩さんは、瞑想をしながら自分の古い記憶を探っていける境地に達しているそうです。
たとえば、彼は風鈴の音が嫌いだったそうです。
それで、何故風鈴の音に心がこんなにイライラするのかを、瞑想しながら辿っていったそうです。そうして、理由がわかると、「風鈴怖い」がなくなったそうです。
こういう風に、自分の中にある間違ったプログラミングをひとつひとつ外していくと、急にビッグバンみたいな時がやって来て、最後は「生きているのが楽しい」という境地になるらしいです。
宝彩さん、このビッグバンの後に、よく泣いたそうです。
「いままで締まっていた涙腺が決壊したみたい」という風に書いてあります。
涙は心を解放するものなのでしょうか?

自分の心を知るということは、ちょっと怖い部分もありますが、つらいことの後にいいことがあると期待しましょう。
プチ瞑想、始めましょうかね。

北村薫 『語り女たち』2007/04/05

家が金持ちなので、遊んで暮らせる男がおりました。
彼には空想癖があり、本を読むことが何よりも好きでした。
しかし、年をとるうちに、だんだんと視力が落ちてきて、本を読むのが面倒になってきました。
そこで思いついたのが、昔のアラビアの王がしたように、訪れる女の話を聞こうということです。
新聞に広告を載せると、女たちが話にやってきました。

竹林からついてきた虫を呑み込んでしまい、子を身ごもった女の話。
幼い頃、気になっていた男の子の名を聞く、子供の話。
妻とそっくり同じマネキンを作り、そのマネキンを愛する夫の話。
「走れメロス」の別バージョンが印刷された本を買う話。
自分の前世が梅であったことを思い出す女の話。
それぞれが、なんとも不思議な話なのです。

この中で、好きな話のひとつは、「海の上のボサノヴァ」です。
誰も聞いていないようなフェリーの上で歌を歌う、歌うたいの話です。
音楽の意味を考えさせられます。

「音の響く空間にいる人には届くもの、それが音楽です。どんな大金持ちが楽団を雇っても、同じ部屋に召し使いがいたら、その召使いの耳にだって音は流れ込むんです。
空気は生きてる人間には、平等に吸える。一万倍の金持ちだって、一度に一万倍吸って吐くわけにはいきません。その空気の揺れが音楽なんです。だから、わたしは歌う時、音の届く所にいる人は、皆、お客さんだと思っています。仲間なんです。聞くつもりはなくても、そういう人も、わたしと同じ空気を共有してる。生きているんです。」

クレオ・コイル 『事件の後はカプチーノ コクと深みの名推理②』2007/04/08

ニューヨークで「ビレッジブレンド」というコーヒーハウスのマネージャーをしているクレア・コージーのシリーズ第2弾です。

「ビレッジブレンド」のお得意様の女性が、次々と不審な死に方をします。
地下鉄やゴミ収集トラックに飛び込んだり、建物から飛び降りたり…。
自殺か他殺か?
クレアの店に来たときには、特に悩んでいる感じはありませんでした。

そんな時に、失恋したばかりの娘のジョィが、インターネットのお見合いサイトに登録しようかと言い出します。
これは一大事。どういうところか調べなくては。そう思ったクレアは登録をし、デイトをしてみます。
やってきたのは、『メトロセクシャル・ハンドブック』の表紙から抜け出てきたような男性(と言われても、日本人にはわかりませんね)でした。
デートはさんざんな結果に終わります。

ジョィは今度は「ビレッジブレンド」が部屋を貸している、交際相手募集中の男女が集まる『カプチーノ・コネクション』に参加したいと言い出します。
もちろんクレアは、娘かわいさから参加してみます。
なんと、そこでブルースという歴史的建造物の改修会社を経営しているナイスガイに出会ってしまい、クレアは恋に落ちてしまうのです。
ところが、このブルース、死んだ女性たちとも何らかの関わりがあるらしく、クィン警部補から気をつけるようにと言われます。
クレアの恋の行方が気になりますね。

美味しいコーヒーを片手に、軽いミステリーをどうぞ。

エリザベス・キューブラー・ロス 『永遠の別れ』2007/04/09

死に至る人の心の動きを研究した『死ぬ瞬間』を書いた、エリザベス・キューブラー・ロスが、デーヴィッド・ケスラーと書いた、彼女の最後の本です。
ロスはこの本を書いてからしばらくして、永遠の眠りについたのです。

この本は、愛する人に死なれ、残された人のことを書いた本です。
私たちはいろいろな喪失体験をします。
その体験はそれぞれ違っても、悲しみは同じです。
しかし、悲嘆の期間は、人それぞれで、死んだ人を弔うのに、長短はないのです。
次の言葉を私たちは忘れてはいけないと思います。

「悲しみが存分に表出されたとき、その悲しみは終わるのだ。流されない涙は消えるわけではない。悲しみはからだとこころのなかに残っている。」

いつまでも悲嘆にくれている人に対し、私たちは冷淡になりがちです。
しかし、悲しみを味わい尽くさない限り、その悲しみは癒えないのです。
「悲嘆のなかにも生にむかって変容する力がある」のです。

いつか来る、愛する人との別れのために、一読する価値のある本です。

キューブラー・ロス 『人生は廻る輪のように』2007/04/13

キューブラー・ロス博士が書いた自伝を読んでみました。
彼女は三つ子の一番下の子としてスイスで生まれました。
スイスでは最初に生まれた子が末っ子になるようです。
この三つ子というのが、彼女の人生を決めたようです。
全員女の子で、一卵性だったのでしょう、三人ともそっくり同じ顔だったのです。
このそっくり同じということに、エリザベス(ロス博士の名前)はこだわり、他の2人とは違うことを追求していきます。

自分がおかしいと思ったことは、はっきりと言う子でした。
それは、父親にも発揮されました。
父親に自分の仕事を手伝うように言われたのに、医者になりたいと言って断りました。
言うことが聞けないのなら、家を出てメイドになれと言われ、本当にメイドになったのです。
その後、研究所で働くようになり、研究所が閉鎖されてから、病院で働くことになります。

時は第二次世界大戦の終わり。
彼女は国際平和義勇団に参加し、ベルギー、ポーランドなどいろいろな国に行きます。
彼女の勇気と行動力には驚きます。

1951年、彼女は念願の医学校に入学し、そこで夫となるマニーに出会いました。
1957年、エリザベスは医師になります。
インドに外科研修に行くという夢がやぶれたことから、エリザベスはマニーと結婚し、アメリカに渡ることを決心します。

アメリカの生活に慣れるのに、苦労している頃、インターンからレジデントとして専門教育を受ける時期になりました。
エリザベスは小児科医を目指すことにし、小児科のレジデントの地位を得ますが、妊娠しているのがわかり駄目になります。
生活のために精神病院で働くことにしたのですが、残念ながら流産をしてしまいます。
この精神病院で働くことが、後の彼女を作ったようです。
その後のことは、この本を読んでください。

人生は彼女にさまざまな試練を与えますが、彼女が与えられた使命をまっとうするようにと、誘ってもいるのです。

この本を読んでびっくりしたのは、ロス博士は医師なので、科学的な思考をする人なのだと思っていました。
しかし、彼女はいろいろな神秘体験をしているのです。
チャネリングをしたり、ヴィジョンを見たり、守護霊からの声を聞いたり…。
その上、死後の世界を信じているのです。

「神が人間に与えた最高の贈り物は自由選択だ。」
「 いのちの唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある。」

彼女が最後に達した境地は、はからずとも、他の賢人たちが達した境地でもあるのです。

ロバート・C. フルフォード『いのちの輝き』2007/04/14

著者のフルフォード博士は、オステオパシー医をしています。
オステオパシーとは?

「1874年にアメリカミズーリ州の医師アンドリュー・テーラー・スティル(Andrew Taylor Still)によって創始された。
オステオパシーはギリシア語のOsteon(骨)とPathos(病理、治療)の2つを語源とし、日本では整骨療法と呼ばれていたこともあるが、骨のみを調整する手技とは異なり、骨格などの運動器系、動脈・静脈やリンパなどの循環器系、脳脊髄液の循環を含む脳神経系など、解剖学的あるいは生理学的な広範囲の医学知識の元に、手を使って治療を加える。
しかし、単なる療法ではなく、オステオパシーとは、そのままでひとつの哲学であり、1、身体全体をひとつのユニットとして考える、2、自然治癒力を鼓舞することを主眼とするなど、独特の医学体系を持つ。」

胃痛なら、その胃痛はどこから来ているのか、その原因を身体全体の骨を触り、探っていき、手技を用いて治していくのです。
誰でも、訓練を積めば、患者のからだにさわるだけで、エネルギーの動きやブロックの様子が感じ取れるようになるといいます。
指に感じる生命力とは、「ピリピリするような感じ」なのだそうです。
レイキをしているときに感じる、指のピリピリ感と、ひょっとしたら同じようなものなのかもしれませんね。
「気」と通じるものがあります。

「人は呼吸したとおりの人になる」
「こころが現実をつくりあげているのだ。こころにしのびこんだちょっとした不調和が、からだに好ましくない作用をおよぼしつづけている」
「エネルギーの自由な流れは決定的に重要なものである。したがって、流れを阻害するものをとり除くことがわたしの仕事の中心になる。私の介入によって患者の健康が回復したとすれば、それは患者のからだにエネルギーが自由に流れるようになったからにほかならない」

東洋医学と同じような地点に立っているのが、オステオパシーだということがわかります。
わたしなんか、首は悪いは、目は悪いはで、どういう「こころ」で生きてきたかがわかりますね、笑。
今はたまに腰が痛いは、右膝がおかしいは、で絶対どこか骨がずれているような気がします。

自己管理の仕方も丁寧に書かれています。
まず、「自分の健康は自分で守るという意志をもつこと」です。
世の中には、私を始め、この意識がない人が多すぎます。私なんか、健康に悪いとわかっていても、甘いものを食べるのを止められないのですから。
天然のものから出来たマルチビタミン剤を毎日飲む」
「毎日10分間のストレッチをする」
「バランス良く食べる」
食べ物ノートを作り、何を食べたか書き、その時の身体の調子を書いていくと、何を食べたら、胃痛がおこるなどというパターンがわかっていいそうです。
「ストレスをためない」
「瞑想する」
おもしろいですね。また瞑想がでてきました。
博士はまるっきり自己流でやっているそうです。
軽く、やってみるといいかもしれませんね。

最後に、霊性について一節がもうけられています。

「自分の目的を見つけることがそんなに重要なのか?わたしにいわせれば、それ以上に重要なことはほかにないほどだ。目的を見つけるためには、何かを捨てなくてはならないかもしれない。・・・こころから満たされた思いで人生を終えるには、目的を見つけ、その目的を果たすしかない。人が目的を果たすとき、目的がその人を完成にみちびいてくれる。」

目的が見つからなくても大丈夫。いくつでも、遅くはないと博士は言います。でも、見つからなかったら・・・。

「無条件で、人にすすんであたえなさい」(電車で席を譲るとかのことです)
「外へ出て、樹木に手をふれ、花の美しさを讃えなさい」
「美術館に行きなさい」

最後の「美術館に行きなさい」には?でした。
が、作家達の圧倒的な生命力にふれることができ、その経験が自分自信の生命力を刺激することに役立つのだそうです。
その上、これはアメリカなどの国ではできることなのですが、物音ひとつしないギャラリーに座っていると、一緒の瞑想状態になれると言っています。日本ではほとんど無理ですね。

いい医療というのは、人の生き方を問うものではないか、そういう風にこの頃思っています。
もっと意識的に生きなくては、とつくづく反省しました。
特に食べ物をどうにかして、痩せるぞ!!!(アレ、ちょっと違う方向へ行ったかな?)

北尾トロ 『怪しいお仕事!』2007/04/15

今回の本は、前に紹介したことのある『危ないお仕事!』の作者が、『危ないお仕事!』の前に書いていた本です。
本当に怪しい仕事がでてきます。
どちらかというと、女性より男性が興味を持つでしょうね。
その仕事とは、「悪徳興信所」、「競馬予想会社」、「競馬の予想屋」、「カギ師」、「野球賭博師」、「幽霊ライター」、「「車で融資」の金融業者」、「お寺売買のコーディネーター」、「ポーカー賭博屋」などです。
私には全く接点も興味もない仕事です。
競馬の予想屋とか野球賭博師とかの話を読んでも、そうそう、儲かるはずがないよねということを確認したぐらいです。
ギャンブルにはまる人と、はまらない人の違いは何なんでしょうか?
どちらかというと、男の方がはまる率が多いかな?
でも、この頃パチンコは女性も多いらしいですね。
男の方がお金を持っていたから、ギャンブルする人が多かっただけですかね。

読んでおもしろそうな仕事だったのが、しいて言うと「カギ師」です。
「カギ師」は警察に協力することもあるそうで、そういうときなんか、ドキドキするでしょうね。
開けたら、ガスが漏れていることもあれば、ピストルの球が飛んできたり、死体があることもある。
何が出てくるかわからない。スリルですね。

最後の章には、パソコン通信の掲示板を使った、わけのわからない仲間募集の体験リポートが出てきます。
H系多いんですね。誰が利用するんでしょうか?
そんなに日本男性は飢えているのでしょうか?
人妻サークルに応募してみると、応募者多数のため、しばらく待っててくださいという手紙が来たらしいですよ。
登録料7千円+紹介通信費5千円。トータル1万2千円は戻らず。微妙な値段ですね。
ねるとんパーティ、ヌード撮影会と懲りない北尾さん(作者)は体験してみますが、今一つだったようです。
掲示板にも書き方があるらしく、人を引きつける勧誘文句というものがあるようです。
載せるのはばかる内容なので、どういうのか知りたい人は、立ち読みでもしてみて下さい。

最後に北尾さん、怪しげな三行広告まで出してしまいます。
「夫婦の営み、見ます」
ハァ~?こんな広告に応募する人がいるのかしらと思ったら、いるんですねぇ。

誠に世の中、私には考えつかないような仕事があるんですね。 勉強になりました。

沢木耕太郎 『世界は「使われなかった人生」であふれてる』2007/04/17

ノンフィクション・ライターの中で、好きな人の一人が沢木耕太郎です。
彼の年齢を見てびっくりしました。
なんと今年60歳なんですね。
彼には若々しいというイメージがあったのですが、時間が経つのは早いものです。(自分の年齢を考えてみると、それぐらいになってるのが当たり前なのですが、笑)
めずらしく、というか、彼の書いた映画評論は読んだことがなかったので、興味を持って読みました。
流石、ライターですね。全然切り口が、私なんかのど素人が書くのとは違います。
どの評論を読んでも、その映画を観たくなります。
その中で、題名にもなっている「使われなかった人生」というフレーズが心に残りました。
「ありえたかもしれない人生」と「使われなかった人生」の違いがわかりますか?
「ありえたかもしれない人生」には、それは「もしこちらの道ではなく、あちらの道を選んでいたらどうなっていたのだろう、あちらとこちらと違うどういう人生があったのだろうか」という夢を見るしかない遠さがあると、沢木は言います。
一方、「使われなかった人生」は、「具体的な可能性のあったと思われる近さ」のあるもので、「後悔したり、追憶にふけるだけでなく、いまから使ってみようという未来にむけての意志を生む可能性がある」ものだと言います。
例えば、楽器好きな若者が、世間の常識的な意見に従い、ごく普通の会社勤めを選んだのだけれど、年をとってまた音楽をやってみようと思うようなものなのでしょう。
人生は選択の連続だと言います。その選択の時に捨ててきたものが、「使われなかった人生」なのでしょうか。
ひょっとして、捨ててきたものの中に、何か大切なものがあった可能性がありますね。

ただの映画評論ではなく、沢木ワールドが広がっています。

斉藤綾子 『マイウェイ わたしが自分のお墓を作ろうと思った3つの理由』2007/04/18

はっきり言います。この本、読むに値しません。ハズレに当たったのは、しばらくぶりです。
カバーの裏に、「ある日フトしたきっかけで死後の不安にとりつかれ、自分のお墓を作ろうと決意する」と書いてあったので、真面目な話なのだと思ったのですが、浅はかでした。
『マイウェイ わたしが自分のお墓を作ろうと思った3つの理由』などという、いかにも・・・的な題名。
なんなの、これ(怒)。
パチンコの話がえんえんと続き、私はパチンコなんて、したこともないし、興味さえない。
何故他人がパチンコをする話を読まなければならないのだ(怒)。
途中から飛ばしました。
で、何故お墓を買ったかって?
どうでもいいようなことなので、忘れました。
こういうような本は、なんのために出版されているのだろう?紙の無駄だ。などと思ってしまいました。

そんなことを思っていると、好転反応か、風邪か、未だにわからないのですが、お腹がくだってしまいました。
特に変なものを食べたわけでもありません。
しいて言うと、抗生物質を飲んだせい?
でも、抗生物質で下痢になったことは、今までありませんし…。
身体がちょっと辛いこの頃です。

盲導犬訓練士、多和田 悟2007/04/19

たまたま観た『プロフェッショナル―仕事の流儀』には、盲導犬訓練士の多和田悟さんが出ていました。

彼が盲導犬に興味を持つきっかけになったのが、盲目の牧師さんの存在でした。
盲導犬訓練士になった彼は、朝早くから夜遅くまで、仕事にのめり込んだそうです。
人の命を扱うからと、彼は犬を厳しく育てました。
ところが、「あなたの犬は使えない」と言われました。
彼がいなくなると、犬はいうことをきかなくなったからです。
彼は犬の扱いを知らない視覚障害者に非があると思ったそうです。
しかし、盲導犬先進国のイギリスに行って、学ぶうちに、彼は気づきます。
犬は視覚障害者の人生のパートナーでもあるのだということを。
それからの彼は犬を厳しく育てるというのではなく、ほめて育てることにしました。
彼がよく使う言葉は「グッド」です。
人間も同じなのでしょうが、訓練士を育てている経験から、彼は言います。

「志を持つのは、彼ら。燃やし続けさせるのは、僕」

人間の場合、他に楽しいことがたくさんあります。
訓練が上手くいかなかったり、辛いことがたくさんあって、壁にぶつかった時に、それを乗り切れるかどうかは、その人の心にかかっています。
タイミングの良いときに、「グッド」と言ってもらえるか、「グッド」と言えるかどうか、それによって、人の人生が変わることもあるのでしょう。

プロフェッショナルとは、

「自分自身の生きる上での信念を持っている人。
ぶれてもいいんです。帰るところを持っている人が プロフェッショナルだと思います」

自分の使命を全うしている人の言葉です。