「地球交響曲 第六番」を観る2007/05/01

恵比寿のホテルに泊まって、近くの写真博物館に行きました。
「マグナムの撮った東京」展をやっていたので、見ようと思って券を買ったのですが、カウンターの端に「地球交響曲 第六番」の上映時間の紙が貼ってありました。
ちょうど16時の上映時間まで5分あります。
受付の人がこの回にだけに、監督の話がありますよと教えてくれました。
何年前になるのでしょうか、第一番を観に三軒茶屋まで行き、気に入ったので、それから三番まで観たことを思い出しました。
今までにはない映画でした。
水耕栽培でトマトを作っている人やジャック・マイヨール、星野道夫、「森のイスキア」の佐藤初女、エンヤ…。
それぞれの人がすばらしいのです。

監督の龍村仁は何気なく現れました。
60歳を越しているにもかかわらず、若々しく、話の中で小さい子がいると言っていたのですが、孫かと思ったら、なんとお子さん、3歳!!頑張ってますね。
今回は「音」にこだわっています。
彼の中にスピリテュアルなものに引かれるものがあるのが、よくわかりました。
テーマは

「全ての存在は、時空を超えて響き合っている」

不思議な音が出てきます。「虚空の音」そう龍村は名付けています。
釧路湿原の雪原の中にたたずむ一人の男。
彼が扱うのは「弓(スピリットキャッチャー)」です。
風が弦に触れると、不思議な音が生み出されます。
別な時には、那智の滝で吹くコアガラスの笛の音。
三原山の噴火口で聞こえる、ディジュリドゥのうなり。(ディジュリドゥとは、アボリジニたちの楽器で、ユーカリの木の中身が白蟻に食われて、空洞になったもの。)
そして、和歌山県神倉神社のご神体「ことびき岩」の前で叩かれる銅の楽器「磬」。
古代から続く、音の不思議なうなりが聞こえます。

今回出演しているのは、インドの楽聖、ラヴィ・シャンカールとアメリカのピアニスト、ケリー・ヨスト、そして海洋生物学者、ロジャー・ペインです。
大学時代にラヴィ・シャンカールのCDを買ったことがあります。
それからシタールの音から遠ざかっていたのですが、昔の友だちにまた出会えたという感じです。
シタールの響きが気持ちよくて、眠たくなってしまいました。
インドに「Nada Brahma(音は神なり)」という教えがあるそうです。
インド音楽にはグルが必要なのだそうです。
楽譜がないので、耳を通して、グルから直接習うからなのだそうです。
インドの音楽家は、音楽を通し、神と対話しているのかもしれません。

ピアニストのケリー・ヨストは、アメリカの小さな町に住んでいます。
その町に住みながら、アルバムを自費出版したのです。
ベートーヴェンを録音した帰り道で、自分の演奏テープを聴いている時に、「弾いているのは私ではない」という感覚にとらわれたそうです。
音楽の中に霊的な本質が潜んでいて、その力を引き出し、とけ込み、自分を消し去ることが、彼女の言う理想の演奏です。
彼女の弾く曲が何曲がありましたが、そのどれもが今まで聴いたものより、美しく、心にしみ入るのです。
彼女の会社のHPからCD購入を申し込んだのですが、彼女自身からメールが来ました。
彼女の音楽のように誠実な人なのでしょうね。

最後の人は鯨の歌を紹介したロジャー・ペインです。
彼の語る、不思議な出来事は、新しいアパートに引っ越した時、窓のところにあった小さな金具のことです。
この金具を見て、ニューヨーク生まれの彼は、もうニューヨークのような大都会には住みたくないと思ったそうです。
そして、40年後に、この金具が何につかわれていたのかがわかったそうです。
人間の人生にどんなきっかけがあるのかわかりませんが、何かがその人の人生を変えることがあるのですね。
彼は「音楽は人類誕生のはるか以前から この世にあった」と言います。
人間と鯨が六千年間、直接の交流がないのに、よく似た歌を作ってきたからだそうです。

何年かぶりの「地球交響曲」でしたが、心が洗われる思いがしました。
特に出演者の住んでいる家に引かれました。
自然の中に家は建っていて、その自然と共に美しくくらしているのです。
私の中で、ロジャーさんのように、都会は嫌だ、自然の中でくらしたいという思いが溢れてきました。
人間らしい生き方を私は選んでいくのかもしれません。

南淵明宏 『医者の涙、患者の涙』2007/05/02

心臓外科医の南淵医師を知っていますか?
この頃テレビにも出ているので、見たことのある人がいることと思います。
ちょっと小太りの、優しそうな顔をした人です。
私は勝手に脳の手術をするなら、旭川赤十字の上山医師、心臓なら南淵医師と決めています。
彼は何の挫折もなく、医者の道を歩んでいったのだと思っていました。ところが、違ったのです。

小学校4年生の時に、父親が失踪。
中学校の時に学生寮に入り、高校1年の時に立川の総合病院で受けた仕打ちから、医療不信を持ったそうです。
そんな彼が何故医者になったのか?
自分で「私が俗物だったからである。」と書いています。
こういうことは、普通は書きませんね。
試験で高得点を上げ、偏差値が高ければ、医学部に入学できる。
立川の病院の出来事で、「なんだ、こんなバカでも医者として通用するんだな」と思ったそうです。
そういう気持ちで医学部に入ったら、なんとカリキュラムがとっても古臭く、医大生は講義に出ないというのが常態化していたそうです。
まさか、今もこうではないですよね。(そう思いたいです)

その後、医局に入ったのですが、なかなか手術をさせてもらえません。
そこで、オーストラリアに修行に行き、心臓手術の技術を磨きました。
日本に戻り、心臓外科部長になり、手術をしていたのですが、1996年8月、誰も彼の手術を手伝わないと宣言されたのです。
これが彼の最大の挫折だったようです。
しかし、彼は彼の患者さんに救われるのです。
彼が一人一人の患者と真剣にかかわってきたからなのでしょう。
彼はこう書いています。

「自らの才能を見出すのは、自分自身でしかない。自分を信じて何かをやり遂げたいと強く思うからこそ、才能は芽吹く。たとえその過程で傷つくことがあったとしても、それらはすべて才能を磨くことにつながり、自分を高めていく材料になる」

挫折をどう自分の中でよい方へと転じていくのかが、難しいですね。
悪いことがあっても、それを悪いことと取らない。そういう気持ちが大事なように思います。

南淵医師は我々患者に、「患者も患者のプロになる必要がある」と言っています。
日本人に多い、わからないから医者にまかせる(特に大学病院などの)という態度が良くないというのです。

「医療で人命が失われるなどの結果が生じた場合、医者や病院を選択したその人にも、相応の責任が生じるのではないだろうか。」

命にかかわる手術をする場合は、自分で出来る限りの情報を仕入れ、どの医者に手術をまかせるのか、それぐらいのことはするのが、我々患者側に必要なことなのです。

父が病気で入院していた時に、ある大学病院の医師の言葉と態度に傷つけられ、もうその病院には行きたくないと言い出しました。
私は娘が東京の病院で診てもらったらと言っているからと言って、紹介状を書いてもらえと入れ知恵をしたのです。
そこで、父は東京のキリスト系の病院に行ってみたのですが、そこの医師はいい方で、父親を優しく諭してくださったそうです。
北海道から東京に通いきれるものではないから、道内の病院に行った方がいい、そして希望する病院への紹介状を書いてくれると言ってくれたそうです。
父は今、他の大学病院に行っています。
私が死ぬときは、そのキリスト系の病院のホスピスに入院したいと思いました。
そういえば、眼科の先生は高校時代にアメリカにホームステイしたとき、ホームステイ先の父親が医者で、その姿に感化されたと言っていました。
患者のことを真剣に考えてくれて、時にはきついこともいう医者は大事にしなければなりませんね。

いろいろと病気をして、思ったことがあります。
良い医者に会うのは、宝くじに当たるぐらい難しいと。

南淵医師にまた惚れ直しました、笑。

浅見帆帆子 『あなたは絶対!運がいい』2007/05/03

この浅見帆帆子さんの本にはスピリテュアル系の本で、よく言われることがすべて書かれています。

「自分の心の持ち方一つで、思いどおりに人生は変えられる、変わっていく」

「自分の精神レベルが上がると、欲しいものが向こうから近づいてくる」

この精神レベルを上げるというのが、難しいのです。
体調が悪いと、どうしてもマイナスなことを考えがちです。
電車で元気そうな若者が座ったりすると、「おい、お前。元気なんだろ、立ってろよ(怒)」というような悪態を心の中でついてしまうのです。
私って、ホント、怒りっぽいかも…。

「自分のまわりに起こることは、どんな小さなことでも、全部自分が招きよせているのだから、今からでも、自分次第でいいことばかり起こる人生に変えることができる」

自分の精神レベルが上がったのかどうかは、わかりませんが、職場が変わるたびに、ちょっとしたトラブルに巻き込まれることがありました。
しかし、昨年は、全くそういうことがありませんでした。
職場に二人ほど超個性的で、利己的なおじさんがいるのですが、今までからすると、絶対に仕事上で関係することがあり、彼らとトラブッていたな、と自分ではわかるのです。
でも、何故か仕事上の関係はないんですね。
彼らと関係しなくてもいいということは、ひとつレベルがアップしたのですかね。
でも、人とトラブラなくなった代わりに、今度は自分のことで、どうしようもならなくなりました。
これはこれで、しんどいですが。
24歳という若さで、こういう本を書ける帆帆子さんは、すごいですね。
体調なおして、またボチボチ精神性を高めるために、やり直しますわ。

井形慶子 『英国式スピリチュアルな暮らし方』2007/05/06

イギリスと言うと、ハリー・ポッター、ピーター・ラビット、フランケンシュタイン…。
ファンタジーの盛んな国という感じですね。
化粧品もナチョラルなものというイメージがあります。
オーラ・ソーマもイギリスから始まっていますね。

まず、本を読み出して驚くのが、幽霊の出る家が高い値段で売れるということです。
日本なら、誰も近づかず、売れないですよね。本当ですかね?
イギリスは代謝医療が盛んです。
日本では漢方を扱っても、健康保険が適用されないことが多いです。
ところが、イギリスではカイロ、鍼灸、ホメオパシーなどが国民医療制度の中に組み込まれているそうです。
この本の中で、ホメオパシー医たちの考えが書いてあります。

「人が病気になるかどうかを最後に決定するのは、あくまでもその人のあり方、魂の状態による」

イギリスに行ったら、一度訪れてみたい場所の一つがフィンドホーンです。
ここでは「巨大な野菜」が採れるそうです。
アイリーン・キャディという女性がグラストンベリーで神の声を聞いたことにより始まったそうです。

「さまざまな植物の精霊と交信することで畑仕事に大きな変化が表れます。あなた方が自然の精霊と共に働いているからです。自然との調和の発見、今起きていることはまったく新しい世界がつくられていく方法なのです」

今フィンドホーンは一つの共同体として、世界中からあらゆる分野の専門家が集まり、さまざまな新しい試みを続けているそうです。

子供の教育の仕方でも、日本とイギリスとの違いがあります。
日本では理系か文系かとタイプを決めたがるのですが、イギリスではあくまでも大学入学前のAレベルのテスト選択の時だけ、便宜的に理系、文系を選ぶだけであるというのです。
例えば、数学の成績が優秀だけれど、ピアノが好きで音楽の成績もいい子がいた場合、日本では音楽では食べていけないから、理系に行くようにというはずです。
イギリス人は失敗を恐れない。やって失敗する方がやらないよりマシだと考えるらしいです。
ですから、この子の場合、自分で好きな方をやるようにと言うのでしょうね。
何でも枠にはめてしまおうとする日本と、人の個性やオリジナリティを認め、どんなことに挑戦しても許され、認められる社会、イギリスに育つのと、違いは明らかですね。
だからといって、すべてイギリスがいいと言うのではありません。
イギリスにもいろいろな社会問題がありますから。
まあ、いいところは取り入れていけばいいというスタンスで読む本であります。

ローラ・チャイルズ 『イングリッシュ・ブレックファスト倶楽部』2007/05/07

チャールストンで『インディゴ・ティーショップ」を経営しているセオドシア・ブラウニングのシリーズの四作目です。
いつも思うのですが、出てくるお茶とお菓子、ランチが、もう美味しそうで、家の近くにこういうティーショップがあれば、毎日通うのにと思うほどです。

今回はセオドシアが、海ガメの赤ちゃんが無事に海へ入っていくようにと見守る、海ガメ保護ボランティアをやっている場面から始まります。
残念ながら、そこで死体を見つけてしまうのです。
その死体は、ティーショップのティー・ブレンダー、ドレイトンの友人で骨董商のハーパーでした。
ハーパーは骨董商や歴史マニアが集う「イングリッシュ・ブレックファスト倶楽部」に入っていました。
セオドシアはドレイトンの友人だということで、事件を調べ始めるのですが…。

セオドシアの友人でブティックのオーナーのデレインが、今回は傍若無人に活躍しています。
彼女は<ファッション・バッシュ>という募金活動のためのファッション・ショーを開催するために飛び回っています。
しゃれたレストランで、彼女の知人たちが彼女の店で扱う服を着るというファッション・ショーを行い、ラベンダーとレースのお茶会も一緒に開催するという趣向です。
デレインの強引さに、みんなは困っているのですが、断り切れずに、何故か彼女の思い通りに動いてしまうのです。
彼女のお姉さんまで登場して、手癖の悪さで、みんなに迷惑をかけます。

本の中に出てきて、どういうものか気になるのが、「ティー・ラブ」という肉や魚に風味をつけるスパイスです。
ラプサン・スーチョン(紅茶の一種)、カイエンペッパー、海塩、ガーリック、乾燥マスタードが入っているそうです。
肉につけるといいそうで、一度食べてみたいものです。

読んでいると美味しい紅茶が飲みたくなりました。

新井容子 『40代初産をはじめた女性たち』2007/05/08

本当によくこういう人たちを探し、インタビューをしたものだと感心しました。

40代で初めて出産するということを聞くと、どういう女性だと思いますか?
キャリア・ウーマンで、仕事に追われていて、一息ついた時に生もうと思った人。
なかなか子供ができず、不妊治療をしていて、やっと出来た人。
ここらへんが多そうですね。
ところが、この本に出てくる人たちは、一筋縄に行きません。波瀾万丈の人生を送っています。
彼女たちは1960年から65年に生まれた女性たちです。
大企業は親元から通わない女性を雇わなかった時代です。
などと言っても、今の20代の人には信じられないでしょうが、女性は事務職だけの募集などという時代でした。
80年代半ばまで、「クリスマス・ケーキ」という例えがありました。わかりますか?
25日を過ぎると、クリスマス・ケーキが売れ残るように、女性が25歳を過ぎると売れ残るということです。
失礼な例えですね。

この本を読んでいて不思議に思ったことがあります。
子供ができないことにこだわることです。
できないならできないでいいし、子供のいないという生き方もあるというように思えないということが、私にはわからないのです。
自分の身体に強い負担をかけてまで、不妊治療をやっている女性が何人かでてきます。
何故そこまでこだわるのでしょうか。(私には子供はいませんので、あしからず)
女は子供がいないと女ではないとか、夫婦に子供ができて一人前とかいう、世間からの刷り込みでしょうか?
結局のところ、何歳で子供を産もうが、産むまいが、それもその人の生き方なのです。
こういう本が書かれない社会に、早くなることを願っています。

でも、どうにかなりませんかね、政治家さん。
産みたいと思えないのが、現代です。
子供の産みやすい、そして育てやすい社会にして下さいよ。
とついでに文句を言いたくなりました。

トマス・ハリス 『ハンニバル・ライジング』2007/05/13

映画で『ハンニバル・ライジング』が公開されているようです。
『羊たちの沈黙』は怖いけれど、何故か心に残る映画でした。
珍しいことですが、後で読んだ本よりも、映画の方が印象深かったです。
レクターさん、好きですわ、笑。
『ハンニバル』を読んでから、この『ハンニバル・ライジング』を読もうと思っていたのですが、ブタが人を食うというところまできて、この本を読んだことを思い出しました。
そう言うわけで『ハンニバル』は読むのを止めて『ハンニバル・ライジング』を読みました。

ハンニバル・レクターは伯爵家の出だったのですね。
彼の趣向を考えると、いいところのお坊ちゃんのように思えたのですが、その通りでした。
彼がいい暮らしが出来たのも、8歳までで、1941年6月23日、レクター伯一家が城を離れ、狩猟ロッジに籠もりました。
3年半、ロッジで生き延びたもの、ソ連軍とドイツ軍の戦闘に巻き込まれ、ハンニバルと妹のミーシャのみが生き残ります。
彼らは赤十字の振りをして、略奪行為をしていたグルータスたちに捕らえられます。
やがて、食べ物がなくなり、困った彼らに、妹ミーシャが目をつけられ、連れて行かれました。
ロッジが爆破され、一人生き残ったハンニバルはソ連軍に見つけられ、孤児院になった自分の城で暮らすことになります。
しばらくして、フランスにいた叔父が彼を引き取りに来ました。
彼には美しい日本人の妻、紫がいて、三人で暮らすことになります。
ハンニバルは紫から日本文化を知ることになります。
やがて、叔父が死に、医学生となったハンニバルは、故郷に戻り、ミーシャを食べた一味を捜しあて、それから彼の復讐が始まります。

「怪物」はもともと「怪物」ではなく、愛する家族があったのです。
復讐をしようと思うことには同情はできても、何故何の関係もない人たちを殺し始めたのかということは謎のままで残っています。
一度殺人を覚えると、その快楽から離れられないということなのでしょうか?

ドロシー・ロー・ノルト 『ドロシーおばさんの心をひらこう』2007/05/16

先日、カウンセラーをやっている知人と話しました。
電話カウンセリングの人にフォーカシングを勧められたのだけれど、本をアマゾンに頼んだら6月まで待たなければならないらしいので、フォーカシングの本をもっていたら貸して貰えないかと思ったのです。(ところが本はもう来ちゃいました)
彼女は、一人ではフォーカシングをやらないほうがいいと言います。
感情が次から次にわき上がってくることがあり、一人でやるとその感情を扱えなくなることがあると言うのです。
フォーカシングの代わりに、自律訓練法を勧められました。

自律訓練法とは、簡単に言ってしまえば、リラクゼーションの一種です。
本来はコントロールできない自律神経を言葉とイメージで自己コントロールし、自律神経系のバランスを回復させるという目的があるそうです。
身体をしめつけない服を着て、ゆったりと座るか、寝るかして始めます。
検索するとすぐに出てくるので、興味を持った人はHPを見てみてください。
寝るときにやってみました。「6つの公式」があるのですが、第3公式ぐらいで寝てしまいました。
結構私のように夜に眠れない人にいいようです。

そのカウンセラーの知人が貸してくれたのが、『ドロシーおばさんの・・・』シリーズです。
ドロシーおばさんとは、『こどもが育つ魔法の言葉』を書いた人です。
この本はドロシーおばさんの詩に触発された鈴木秀子さん(エニアグラムを初めて日本に紹介した人)が、詩の言葉に寄せて、心に染みるエッセイを書いています。

Pathways of Opening Your Heart

Open your heart to giving
Open your heart to sharing
Open your heart to receiving
Open your heart to caring
(略)
Open your senses to the world
Open your mind to others
Open your eyes to life and you will flower

エッセイの中で特に心に残ったものが2つあります。
一つが、お誕生日パーティーで電気自動車をもらった男の子の話です。
彼は自動車をもらったことが嬉しくて、他の子が貸してと言っても貸しませんでした。
それを見ていた親が、他の人の手前があるので、無理矢理取り上げて、他の子にその自動車を貸してあげたのです。
誕生日パーティの後、母親が男の子に何故他の子に貸してやらなかったのかと聞きました。
そうすると男の子は悲しそうな目で母親を見上げ、こう答えたのです。
「これ、僕のでしょ」
母親は、はっと気がつきます。
この子はもらった自動車のプレゼントが自分の物であるということを十分味合う必要があったのだということを。
私たちが子供と接するときに、子供の心と向き合わずに、周りを見て、言葉を発することが多いように思います。
まず、この子は何を望んでいるのか、それをまず考えるべきなのでしょうね。

もう一つの話は、31歳の引きこもりの女性の話です。
彼女は「完全で完璧な31歳のすばらしい女性になりたい」という思いが強く、人が大好きで、多くの人たちと親しくしたいと思っているのに、人前に出ると、完全でなければならないと思ってしまい、のどが締め上げられて、声がでなくなってしまうのです。
何故このようになってしまったのか。探っていくと、小2の学芸会の練習のことを思い出しました。先生が、「完全に歌えない、完璧な音程を出せない子がいます。この生徒です」と彼女を名指ししたのです。
その時から、彼女の中に、自分は「完璧じゃない、完全じゃない」という言葉が居座ったのです。
成長するに従い、自分で自分を、完全であれ、完璧であれと、締め付けていたのです。
ホントに何気なく言った言葉が、人の心を殺すことがあるのです。
親とか教師などは、鈴木さんが書いているように、自分の言動を振り返る必要があるようです。

「よい人間関係は、まず自分の心をひらいて、相手にどんなニーズがあるか察し、そのニーズを満たすために働くという、相手への共感から生まれるのではないでしょうか」

外国人の見た江戸東京博物館2007/05/17

久しぶりにアメリカ人の知人、Aと話をしました。
彼はアフリカ系アメリカ人で、ある有名な英会話学校で講師をしています。
50歳を越しているのに、フィットネスに夢中なので、お腹は出ていなくて、素敵なお尻をしています。(すみません、お尻フェチです)
いつも25歳~30歳の小柄な日本人女性のガールフレンドがいます。

私は先週に江戸東京博物館に行ったのですが、彼もガールフレンドと行ってきたらしいのです。
彼がとってもその時のことを話したがったので、聞いてあげたのですが、なんと彼は2つのことに感心(関心?)したそうです。
ひとつは、江戸幕府の将軍がいかに勢力を持っていたか。
大奥の存在などにびっくりしたそうです。
が、ここから笑ってしまうのが、参勤交代について彼が言ったことです。
諸大名は1年毎に江戸と自領を行き来し、妻子は人質として江戸に常住しなければならなかったということを聞き、彼は信じられないというのです。
1年も別れ別れに暮らすなんて、そんなことできるはずがない。
諸大名は愛人をつくっているはずだ。
セックスレスということが日本で問題になっているけれど、昔からの伝統だったんだ、などと変なところに彼の考えは行き着きました。(ちょっとここの飛躍の仕方がよく理解できませんが、笑)

もう一つは、赤線の存在です。governmentが売春の存在を公認して、そう言う場所を作ったなんて、そんなのは考えられないそうです。
オランダには「飾り窓の女」がいますが、それは特別なのでしょうね。
日本人には特別には思えないことが、外国人から見ると、不思議な文化になるのですね。
意外な発見でした。

越智啓子 『だれでも思いどおりの運命を歩いていける!』2007/05/19

カウンセラーをしている知人から借りたもう一冊が、この本です。
越智啓子という今は沖縄に移住している精神科医の書いた本です。
彼女はものすごく行動力のある人で、パッチ・アダムスの映画を観て気に入ったので、会いにいってしまい、お友達になってしまうような人です。
公演会などをよくやっているらしいのですが、衣装に凝っていて、お色直しなんかしてしまうらしいです。
HPには、なんと彼女が天使の格好をしているのが載っていました。
なんともハチャメチャな精神科医です。

本を読んでみると、元気のでそうなことがいっぱい書いてあります。
でも、実際やるかどうかは・・・?
「カニ歩き」とか「万歳」などというのは、そっと自宅で、誰も見ていないときにやりますか。
とにかく、笑顔、明るくという感じです。
ダジャレ大好き、笑うの大好き、何でも笑って吹き飛ばそう!!!ですね。

一箇所、この頃思っていたことと同じ事が書いてあって、その通り、と叫んでいました(心の中で)。
職場でこの人とは合わないなっと思う人がいたのです。
まあいいや、この人とは考え方も違うし、無理に仲良くなることはないと割り切っていたのですが。

「この際「違う」ということを、前提にしてしまうと、気が楽です。もはや、仕事場での、波長が違うことでの、いろいろは、悩まない。当たり前と思うこと。どっか遠くの星から来た人だと割り切ること。」

遠くの星から来たとまでは思いませんが、なんか合わないと思うと、向こうも思っているのですよね。
無理に話したりすると、向こうが嫌がっているのがわかります。
仕事上で、電話番号を教えてくれなかったり、今度この業者の人が来たら教えてねっと言っておいたのに、教えてくれなかったりと、ちょっと意地悪っぽいことをされたこともあります。
ちょっと嫌だな・・・と思ったこともありますが、お互いに合わないのだと思い、この頃ほっておきました。
そうすると気にならなくなるのです。
合わないんだから、仕方ないのですよね。
こちらは意地悪しないけれど、する方はそれなりの人。
そう割り切るのって大事ですよね。

越智さんとは、たぶん波長が合うかどうかで好き嫌いが別れると思います。
私にはちょっとついていけない所もありますが、別に日常的に会うわけではないので、いい所だけもらうことにしました。

笑って、元気になりましょう。