鎌倉に行きました2007/09/02

夏最後の楽しみということで、毎年泊まっている鎌倉プリンスに泊まりに行ってきました。
本当は相棒はプールで焼きたかったようですが、残念ながら天候が悪く、プールに行くほどではありません。
仕方がないので、横浜ベイサイド・マリーナで買い物をしてからホテルに行くことにしました。
前回はコーチでいいビジネス・バッグが半額になっていたのですが、今回はあまりいい物はありません。
結局何も買いませんでした。

ホテルは今まで40㎡以上の部屋に泊まっていたので、狭いという感じ。
鎌倉プリンスは広い部屋がスィートルーム以外になく、スィートは10万円ぐらいもするので、泊まれません。
鎌倉で広い部屋のあるホテルを探すしかないですね。

夕食は近くの住宅街にある『珊瑚礁』というカレー屋に行きました。
ここは夜になると松明に火が入るレストランで、働いている女性が南国風のドレスを着ています。
とにかく量が多く、若者にお勧めのカレー屋です。
おつまみのスペアリブとサラダ、地鶏カレーとドライカレーを頼みました。

次の日も気温27度、曇りなので、ドライブをしながら帰ることにしました。
葉山マリーナに寄りました。
いつもはウィンド・サーフィンしかしていないのですが、今日はカヌーやヨット競技の練習をしています。
おばあさんが一人、散歩をしていました。

「LA MARÉE DE CHAYA」に入り、軽くお茶をしました。
窓から海が見えます。
場所はいいのですが、サンドイッチがちょっと・・・でした。

その後、城ヶ島まで行ってみました。
城ヶ島公園があるらしいので、車から降り、歩いてみました。
あまり大きくなく、歩くのにはちょうどいい大きさです(私には)。
広場があるので、お弁当を持って遊びにくるにはいいようです。
安房崎灯台の横でしばし海を見ていました。

海からエネルギーチャージがどれぐらいできたのかはわかりませんが、海はいいですね。
でも沖縄の海を見てしまうと、鎌倉の海が汚く思えてしまいます。これは仕方ないことですね。

スティーブン・キング 『トム・ゴードンに恋した少女』2007/09/03

スティーブン・キングの作品ですが、怖いスリラーものを期待すると、裏切られます。

母親と兄と一緒にハイキングに来た9歳の少女、トリシアが、用をたそうと、ケンカばかりしている二人から離れたら、迷子になってしまいます。
離婚をした親に不満を持っている兄は、いつも母親に文句ばかりいい、ケンカしています。
トリシアはそういう二人の間に入って道化を演じていましたが、もう嫌。
そう思い、ちょっと二人から離れただけなのに・・・。

生き残るために、トリシアは今まで親から教えられた山の知識を総動員していきます。

この本を読みながら、大学時代のことを思い出しました。
ワンゲル部員だった私は、一度トリシアのように道から外れ、迷いそうになったことがあります。
あまり遊歩道から離れていなかったらしく、すぐに助けが来たので今こうしていますが、トリシアのように何日も山を彷徨うことになったら、どうなっていたでしょうね。
大げさではなく、死んでいた可能性があります。
自然を侮ってはいけませんね。
今は軟弱になってしまって、山登りはできませんが、笑。

トリシアはどうやってサバイバルしたのでしょうか。

野球がそれほど好きではない私にはピンとこない場面もありました。
トム・ゴードンって野球選手なんですよ。

神奈川新聞報道部 『いのちの授業 がんと闘った大瀬校長の六年間』2007/09/04

前に紹介した元サーファーの飯島直樹さんと同じようにテレビで紹介されていたのが、茅ヶ崎市立浜之郷小学校の大瀬敏昭校長です。
自分ががんであることを生徒に告白し、そのことを基に授業をしているすごい先生がいるのだと、その時に思いましたが、亡くなったのは知りませんでした。

大瀬校長は新設校の初代校長として赴任します。
彼が作ろうとした小学校は、東大の佐藤学教授の唱えた、「子どもも先生も共に学び合い、育みあう「学びの共同体」づくりを目標」にしていました。
新しい学校が開校して二年目に、大瀬さんは胃のスキルスがんになります。

本を読んでいて感じたのは、本当にこのような学校が存在したのかという驚きです。
小学校と言えば、自分が過ごした六年間しか知りませんが、もしこのような小学校があったならば通ってみたかったと思います。

「いのちの授業」はがんにかかった校長が生徒に与えた最期の授業でした。

「絵本のような読み聞かせのような『いのちの授業』は、見掛けはつまらないかもしれない。しかし、授業を通して子どもの心には”小さな物語”が沸き起こってきます。結局、『いのちの授業』では授業者が命をどうとらえているか、教師一人ひとりの死生観が問われているのです。」

「この死に至るまでの生き方を抜かして、最期の一瞬だけを取り上げて美化してしまうと、他者に自己犠牲を強いることになります。そうではなく、自己犠牲というのは愛に生きてきた結果である、と思うんです」

小学六年生が「家族とね、学校で、学校を採った」という場面があります。
この子が感じたように、大瀬さんは学校を採ったのです。
学校を採って、子どもたちにたくさんの贈り物を残したのです。

誰にでも彼のような生き方はできるものではありません。でも、こういう教師がいたというだけでも、人間はまだまだ捨てたもんじゃないと思えます。
自分がこのような生き方を選択するかと言われると、否としかいいようがありませんが。
もっと個人的な死を望みますけれど。

前に『神の慮り』という言葉を紹介しましたが、この本の中にも出てきました。
いろいろな訳があるようです。本に出てくる一節を載せておきます。
感性にピッタリくる訳はどれでしょうか。

       『応えられた祈り』

 功績を立てようと、神に力を求めたのに
 謙虚に服従するようにと弱さを与えられた。
 より大きなことをしようと、健康を祈り求めたのに
 より良いことをするようにと、病気を与えられた。
 祈り求めたものは、何一つ与えられなかったのに
 実は私が望んでいたすべてのものが与えられた。
 このような私にもかかわらず、私の言葉にならない祈りは応えられ、
 すべての人にまさって、私は最も豊かな祝福を与えられたのだ。

水谷修 『いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ』2007/09/08

夜回り先生こと水谷修と毎日新聞社記者で『魂の声 リストカットの少女たち 私も「リスカ」だった』を書いた小国綾子、医師の岩室紳也の若者たちへのメッセージを書いた本です。
あるテーマを基に言いたいことを自由に言い、それをまとめたという感じです。
今悩んでいて、苦しんでいる子。
ついリスカをやってしまって罪悪感にさいなまれている子。
彼氏にセックスを迫られたり、妊娠しちゃって困っている女の子。
思春期まっただ中で、性のことばかり考えちゃっている男の子。
いろいろな子達へ、自分たちの経験を踏まえてメッセージを送っています。
でもそのメッセージは普通のきれい事のメッセージではありません。
例えば、「死」がタブーになっていることを取り上げ、死にたいという若者にこう言います。

「おれ、死ぬんだ」というと、あ、そうなんだ、自分はなんていうことをいってしまったんだと気づく子がいる。
そう言う子たちは、あしたを見つけ、生き方を見つけていく。
おれがいくらそういうことを話そうと、「死にたい、死にたい、死にたい、私はつらいんだ」と、自分のことしか考えられない子もいる。これは自分病だよ。(水谷)

「つらい、つらい」という閉塞的な考えから出られない自分病の子どもによくいう。「意識をずらせ。意識を外に向けろ」って。(水谷)

ほんとうに思うんだ。
もっと求めてやってほしい。
どんな小さなことでも。
その達成感、それが生きる力になっていく。
「ありがとう」という感謝の思いが生きる自信につながっていく。(水谷)

自分病は若者だけではないような気がします。
大人の中にもそういう人っていますよね。常に自分のことだけ・・・。
そういう親から育てられると、子どもも自分病にかかってしまうのかもしれません。
自分だけが社会から虐げられている気がしていて、トゲトゲした言葉を吐き、常にイライラしている。攻撃的な性格・・・。
この本は子ども達だけではなく、大人にも読んでもらいたい本です。

子どもとの向き合いというのは一対一なんですよ、つねに。
子どもが求めているのは先生でも親でもなく、その場にいる一人の人間なんだけど、その向き合いができる人間が少ない。(水谷)

取り上げたのがすべて水谷さんの言葉になってしまいましたが、他のお二人の言葉も良いものがあります。
役割(親とか教師とかではなく)を生きるより人間として生きて、子どもと接するということが大事なのでしょう。

横山秀夫 『臨場』2007/09/11

警察小説の大御所、横山秀夫の短編集です。

捜査一課調査官、倉石義雄は影では「終身検視官」と呼ばれています。
何故なら彼は10年以上も殺人現場の初動捜査を行い、的確に死者からのメッセージを受け取り、犯人をはずすことがないからです。

この本に、警官たちでもっている飲み屋が出てきますが、警官って私生活まで群れたがるのでしょうかね。
イギリスの警官の出てくるミステリーを読んでもあまり思わないのですが、日本の警官の私生活は私的には知りたくないですね。
ちょっと闇の部分がある方がよいです。

倉石は人とは群れず、一見冷たそうに思えるのですが、たった一ヶ月しか鑑識課に勤務しなかった婦人警官の死や、退職する刑事部長の餞として、彼を捨てた母親の死を徹底的に調査するという暖かさもあります。

たまに読んだ日本のミステリーですが、やっぱり私には合いません。
日本のじっとりとした人情の世界は苦手ですわ。

加門七海 『うわさの神仏』2007/09/13

実は私、神社、お寺、教会が無性に好きです。
旅行に行けば、必ず行きます。
あの伊勢神宮に毎年行ってますから。すごいでしょう。(単に物好き?)
でも、この本の著者の加門七海さんには負けました。
しょせん私はただの素人さ。雰囲気が好き、という程度の話ですぅ。
なんと言っても、彼女は自称「ミーハー・オカルトオタク」ですから。
なんでこんなこと知ってるの?と思うことをよく知っているのです。
例えば・・・。
おみくじの始まりなんて興味持ったことありますか?ありませんよねぇ。
おみくじは神社が儲けるために置いてあるんだとばかり思ってました。(失礼)
比叡山の僧侶「元三大師」に始まるんだそうです。
比叡の元三大師堂に行くと、本場のおみくじが堪能できるそうです。
詳しくは本で。
くれぐれも面白半分で行かないでね。

神仏のみならずオカルトも好きというからには、彼女、どこにお化けが出るかも詳しいんです。
私はお化けは・・・失礼します。
神社の前を夜通るだけで、ゾゾゾーという寒気のする私が、そんなところに行けません。
彼女も好きだという割に、近くまで言ってパスしてたりします。
やはり呪いは怖いですよね。

あ、そうそう伊勢神宮の参拝にも順序があるそうな。
外宮から内宮に行けばいいなんてもんじゃあございません。
二見興玉神社で御祓い(=禊)をし、猿田彦神社に行って祈願、それから外宮・内宮参拝だそうです。
二回目に伊勢に行った時に二見興玉神社と猿田彦神社には行きましたが、順序が違っていたような…?
その後に行った時は外宮と内宮しか行ってません。
知らなかった。だからご利益が今ひとつだったのか…。グスン。

加門七海 『うわさの神仏 其の二』2007/09/16

休日出勤の疲れでヘロヘロになっています。
「今日は起きれませんでした。眠いです」というと、上司の奴、「昨日は夜更かししたの?」と言いやがった。
おいおい、七日間もぶっ続けに働いて、疲れない奴はいないぜ。
そんな中で、私の憩いの時間は、加門さんの本を読むときですね。
癒されますぅ(?)

其の二は「あやし紀行」ですぞ。
北は東北、恐山はもちろん、平安京を羅城門から朱雀大路、内裏、船岡山まで歩いたり、神様達の集合場所、出雲でカマイタチに会い、奈良では「日本芸能史上、謎の芸能」を見、吉野では修験をし、沖縄では神様に一目惚れ。
加門さん、ちょっとやり過ぎですぞ。

ありがたかったのは、沖縄の章で、私の疑問が解けました。
今帰仁城跡に行った時に、城という割りに、血なまぐささがなく、何やら神聖な場所のような感じがしたので、おかしいなと思っていたのですが、やはり「グスク」は俗に言う「城」ではありませんでした。
「先祖の霊を祀った聖地」なのだそうです。やっぱりね。

一番おもしろかったのが、なんと言っても台湾占いツアー。
私の占い好きの虫が騒ぎました。
と言っても、20代の頃に新宿の母に始まり、四柱推命(高いだけでたいしたことなかったな)、道ばたの手相見で終わりましたけどね。
当たっていたのかどうか、さだかではありませんが、唯一、「お金に困らない」と言われたことだけ覚えてます。
まあ今困ってはいないけれど、貯まってもいません。
あ、結婚はすると言ってましたっけ。でも結婚する年齢は全然違ってましたよ。
台湾の占い師はこんなもんじゃあありません。当たるんです。
どの人も言うことが同じなのだそうです。
加門さんは、「見れば結婚していないのがわかる」(ちょっと失礼ね)、「金運ない」と言われっぱなし。
前世まで、お願いしていないのに言われ、それも一緒だったそう。
私の前世はすべて違いましたよ。
や~、行ってみたいわ、台湾。
加門さん、何故言われた前世を書いてないの?
私はとっても知りたいのですが。
いろいろとやった恥ずかしいことは書いているのに、占いの内容とかも隠すなんて、狡いですぅ!

テス・ジェリッツェン 『聖なる罪びと』2007/09/17

『聖なる罪びと』はテス・ジェリッツェンの第三作目で、『外科医』と『白い首の誘惑』に出てきた女性検死官アイルズと女性刑事リゾーリが活躍します。
自分の書いたブログを読んで、前の作品と全く違う雰囲気であることに気がつきました。
前はリゾーリが全面に出ていたので、彼女の強さに強い印象を受けたのですが、今回はアイルズが話を進めているので違う印象になったのだと思います。
もちろんアイルズも強い女性です。
二人とも人に傷つけられることから自分を守ろうとして、強さを全面に出しています。
リゾーリの強さは燃えるような火の強さだとしたら、アイルズの強さは冷たい鋼鉄のようなものでしょうか。

古い修道院で若い修道女が殺され、一緒にいたらしい年老いた修道女も重症を負います。
同じ頃、手足を切られ、顔の皮を剥がされた女性の射殺死体も発見されます。
一見無関係に見えた二つの事件なのですが、調べていくうちに共通するものが浮かび上がってきます。

私生活では、あのリゾーリが妊娠してしまったり、アイルズの別れた夫が現れたりと、二人は人生の岐路に立っています。

男達と対等な関係を築き仕事をしていくために、「冷徹なプロフェッショナルに徹するしかない」というアイルズの独白を読むと、アメリカも日本も似たようなものなのだなと思いました。
女が大臣になった時の男達のやり方をみていると、まだまだ男女同権にはほど遠い・・・。

ミステリーだけではなく、二人の女性の生き方も考えさせられる、一粒で二度美味しい本です。

「ミス・ポター」を観る2007/09/18

今日は思いきって(特に意味はないのですが・・・)有楽町で『ミス・ポター』を観ることにしました。
普通の日なので、中年以上の人が多く、後ろに座っていた主婦なんか、観てる最中の反応が良すぎ、自宅のお茶の間気分でした。
前には老夫婦が。こういう風に年取ってからも一緒に映画を観られるなんていいな、と思ったのですが、おいおい旦那さん、映画の最中にも帽子を被っていることはないでしょう、笑。

ポターの時代に生きる女性は、本当に大変だったんだなと思います。
小さい頃から結婚するのよと言われ続け、年頃になって、断り続けると嫌みを言われ、やっと愛する人が出来たから結婚したいと言うと、身分が違う。
いい加減にしてよという感じですね。
特にお母さんはすごい。
我が母にもああいうところがあるので、ポターの苦労がよくわかります。
理解はできなくても、互いに生き方を認めることぐらいはしてほしいですよね。

悲しい初恋に破れ(この場面では後ろからすすり泣きが)、湖水地方に移り住んだポターですが、その後の行動が素晴らしいです。
湖水地方の美しい景色を後生に残すために、開発業者に土地を買わせないように、土地が売りに出れば買い、死後ナショナル・トラストに寄付をしたそうです。
彼女のおかげで、今の湖水地方が残ったのです。
最後に同じ志を持った幼なじみの弁護士と結婚したことがわかり、幸せになれてよかったねと言いたくなりました。
が、やはり母は強かった。
今度も反対したそうです。

湖水地方の美しい景色をみるための映画です。
まだ行っていないので、来年ぐらいには訪ねてみますわ。

辺境生物学者、長沼毅2007/09/19

私、この人好きです。
一緒にテレビを観ていた相棒も、「この人、好きでしょう」と聞いてきました。
私のタイプ、知ってたのね。

火山に登り、サンプルを取り終えた後、急に地面を掘り始め、何をするかと言えば、温泉につかるつもりだったのです。(写真)
私も一緒にいれば、おもしろがってやりますね。
彼のようなちゃめっけのある人が好きなのです。
私は一見真面目に見えますが、やる時はやります。
おふざけ大好きです。(それで人の不評を受けて、無視されたことが何度かありますわ。もちろん、職場ではしませんよ、たぶん…?)
職場に彼のような方がいれば・・・困りますね。
でも、楽しそう・・・。

生物学者って、探検家みたいなものなのですね。
彼の場合、研究テーマは「生命の起源を探る」で、特に辺境の微生物たちに注目しているそうなので、火山とか氷河に行くのですよ。
彼にとって「仕事=遊び」、「遊び=仕事」。
メールチェックはロデオボーイに乗ってやってます。
仕事をしながら体を鍛える。一石二鳥です。
そんな彼も上手く行かないことがあり、中原中也の詩にどっぷりと浸かっていたことがあるそうです。(私も中也好きだぞ)

何故、生命の起源という難しいテーマを扱うのかと質問された時、彼は言います。

「解けるのは些細なこと。解けないのがいい」

北極圏の調査に行ったとき、ある地点に行くと他の場所に行けなくなることがわかったのに、彼はそこに行くことにします。

「しない後悔より、した後悔の方がいい」

彼にとってプロフェッショナルとは・・・

「仕事をしていくと、行き詰まったり、方向を見失ってしまうことがある。その時に原点に返る、そういう原点を持っている人です」

彼のように楽しく肩の力を抜いて、リラックスして、長く仕事を続け、高みに行きたいですね。