江國香織 『神様のボート』2007/10/01

ピアノ科の大学教授と結婚していながら、別の男と恋に落ち、子どもを産んだ女(ママ)とその娘の話です。
大学教授と別れた後、娘と二人、町から町へ渡り歩き、定着することがありません。
ママはいつか男が彼女たちを捜しに来てくれるという幻想に取り付かれています。
幼いうちは娘はママの話を信じていたのですが、成長するにしたがい、ついて行けないものを感じ始めます。
娘の高校入学と共にママと娘の世界が壊れます。
一人になったママは、バランスを崩し、いつしか狂気の世界に・・・。
小説はそのことを思わせる最後です。

なにげない日常を描きながら、その影に含まれている狂気の世界を、独特のタッチで描いています。
好き嫌いはやっぱり別れるでしょうね。

アルボムッレ・スマナサーラ 『現代人のための瞑想法』2007/10/02

今日『アエラ』を買って読んでいると、「スリランカから来た僧」という記事がありました。
あれ、もしかして・・・と思い、家に帰ってから見ると、やはりこの本を書いた僧でした。
こういうのをcoincidenceというんですかね。

彼、アルボムッレ・スマナサーラ氏は在日27年にもなる、テーラワーダ仏教の高僧です。
テーラワーダ仏教とは釈迦の時代に書かれたパーリ語教典に基づく根本仏教とのことだそうです。(全く私にはわかりませんわ)
彼が何故日本にいるのかというと、「日本人はみんな、糸の切れた凧のようで、どう生きればいいのか分からないでいる。お坊さんも、仏教を知らないから誰も助けてあげられない。じゃ、教えてあげようかな、と思ったわけです」(『アエラ』より)

彼は印税も、講演料も謝礼も給料も一切受け取らないで、生活はお布施によるそうです。
昔の僧の生き方を実践しているのですね。

「心は、いつでも汚れる方向へ組み立てられています。放っておけば、心はどうしても汚れてしまいます。悪い方向へ行きます。よく、「ありのまま」という言葉が使われますが、心は、自然のままに、ありのままに放っておけばどんどん墜落して、どんでもない方向へ行ってしまいます」

「心はつねに悪いわけですから、つくるポテンシャル、エネルギーもけっしてよいわけではありません。結局、よくよく考えると、我々は見るたびに、聞くたびに、悪い業、悪業をつくっています。」

「人間の思考は問題です。考えるから怒る、考えるから嫉妬する、考えるから落ち込む・・・。思考で心が汚れるのです。思考が煩悩なのです。・・・思考が多ければ多いほど、人の悩みが多いのです。」

びっくりしました。スマナサーラ氏は我々の心を悪と言い、感情も悪と言うのです。
彼は美しい音楽は、「音」「音」と念じるか、「聞こえる」「聞こえる」と念じなさいと言います。
ただ事実を念じれば、心は完全にきれいなままなのです。
う~ん、人間に感情があるからいいんだと思ってました。
「こころがあばれそうなとき、事実を念じる」これは使えますね。
人に叱られたり、悪口を言われたり、喧嘩したりするときに、相手が言うことに対して「音」「音」と、念じると、感情の世界は生まれなくなって、心のなかはきれいな「空」の状態をつくるそうです。
これが「ヴィパッサナー瞑想」なんだそうです。
こういう訓練を続けていくと、ものごとはどうやって生まれて、どうやって消えていくのか、ものごとが生まれると、人はどんな感情をつくって、人にはどんな苦しみが生まれるか、その過程がみえてきて、過程が見えてくると、どんどん心が完全たる解脱の境地を獲得するようになるのだそうです。
この「ヴィバッサナー瞑想」を徹底的に、一日十二時間から十五時間ぐらい実践すれば、二週間ほどで悟りの世界がわかるんだそうです。
でもね、この悟りは第1段階の悟りだそうで、悟りにも段階があるのですよ。
そうですよね。そんなに簡単ではないですよね。
「立つ瞑想」、「歩く瞑想」、「座る瞑想」と三種類の瞑想のやり方がでてきますが、ご飯を食べたり、部屋の掃除や片付けをするときも、実況中継で行い、思考、妄想をやめるようにするなら、それは瞑想だとのことです。
日常生活すべてを瞑想にしていくというのも、おもしろそうですね。
いえいいえ、瞑想とか堅苦しく考えずに、「思考を停止する実践」をしていくといいかもしれません。
今からやりましょう。「妄想」「妄想」・・・。

「エディット・ピアフ」を観る2007/10/04

映画は時代が入り組んでいるので、慣れるまで前後がわかりずらかったりしますが(私には)、フランスの大歌手の一生は人並みではなかったです。
昔から何故か彼女の歌が好きでした。
映画にもでてきましたが、アメリカのジャズ歌手ビリー・ホリディと彼女がどうしてもダブってしまいます。
二人とも不幸な少女時代を過ごし、歌手として成功し、麻薬やアルコールに溺れ死んでいきます。
ピアフ、47歳、ビリー、44歳でした。
ビリー・ホリディの曲では人種差別を歌った"Strange Fruit"が有名ですが、私はアルバムの"Lady in Satin"の中の"You don't know what love is"が好きです。
エディットやビリーの歌には、彼女たちの人生そのものが出ていますね。

エディットは大道芸人の父と町角で歌を歌っていた母との間に生まれます。
母に捨てられ、母方の祖母の所にしばらくいましたが、兵隊になっていた父に連れられ、売春宿をやっている祖母にあずけられます。
父が除隊した後は、大道芸をする父についてあちこちを放浪することになります。
父と別れ、町角で歌っているときに、運命の出会いがあります。
ナイトクラブの持ち主のルイ・ルプレーに見出され、彼の店で歌うことになったのです。
しかし、それも長くは続かず、ルイは何物かによって殺され、ピアフは共犯者ではないかと疑われてしまい、彼女が歌うと、罵倒が飛ぶようになりました。
その時に手をさしのべてくれたのが、レイモン・アッソ。
彼はピアフの歌を芸術にまで高めたのです。その後の彼女の活躍は言うまでもありません。

アメリカで公演をしているときに、運命の恋人、ボクサーのマルセル・セダンと出会います。
妻子のあるマルセルとは結婚することも、彼を独占することもできません。
しかし二人は付き合いを深めていきます。
1949年、NYにいたピアフはマルセルをNYに呼びつけますが、マルセルの乗った飛行機は墜落してしまいます。
やがてピアフはモルヒネ中毒になり、40代だと思えないような容貌に変わり果てていきます。
歌を歌い続けることだけが唯一の生きていく糧になります。

生まれはどうしようもないことです。
ピアフが貧しくとも暖かい家庭で育っていたのなら、別の人生があったでしょう。

「水に流して Non, je ne regrette rien 」がとても印象的に使われていました。
「いいえ、私は何も後悔していない 私に人がしたよいことも 悪いことも 何もかもどうでもいい」
もう一度フランス語を勉強し直そうかとも思いました。(アテネフランセに一年間通ったのに、フランス語忘れてる・・・)
ポターのように、よかったわね、という人生だけではなく、エディットのような壮絶な人生もありですね。
どちらかというと私はピアフの人生はごめんですがね。

業田良家 『自虐の詩』2007/10/06

別に映画になったから買ったわけではありません。
書店に積んであったので、なにげな~く手に取って見てみると、笑ってしまったのです。
その場面とは、夜一枚の布団で寝ていると、イサオが反対側を向いて寝ていたので、幸江さんがイサオの向いている方に行って寝るというものです。
いたいけな幸江さんです。

『自虐の詩』は四コマ漫画です。
仕事もしないで、パチンコ、麻雀にあけくれる元ヤクザのイサオのために、幸江さんは中華料理屋で働き、寝ている間にツメを切ってあげ、理不尽なことをされてもついていきます。
そんな二人の日常を描いている漫画なのです。
彼女のような女がいたら、たぶんお友達にはなりません。
男には尽くすな、いい気になるからと言ってしまいますね。
でも漫画の中の幸江さんはかわいいのです。
まあ、こんな人生もありね。そう思わせられる漫画です。(漫画だからいいのかもね・・・)

ラジオを聞いていたら、精神科医が「自虐的な人」は自分に自信がなく、不幸でも一生懸命やっている自分が好きだそうです。
そして家庭も不幸だとか。
全くその通りの漫画です。
下巻で赤ちゃんができて幸せになりそうな感じで終わっているけれど、ちょっと心配です。

ピーター・トレメイン 『幼き子らよ、我がもとへ』2007/10/11

七世紀、アイルランド。
モアン王国の王位継承者の妹であり、修道女、そしてドーリー(法廷弁護士)の資格を持つフィデルマのシリーズです。
このシリーズは十七作も出版されている人気シリーズらしいのですが、日本では五作目の『蜘蛛の巣』が第一作目として訳され、『幼き子らよ、我がもとへ』はもともと三作目ですが、日本では二作目として出版されました。
アイルランドはなじみのない、なんとなく酒飲みがたくさんいるんでは(アイリッシュ・パブが有名だものね)という感じですが、この本を読むと、女性を重んじていたことがわかります。
修道女ネクトがミダッハ修道士に叱責されているのを見て、フィデルマはこう言います。

「いかなる者も、特にいかなる女性も、人から暴言を浴びせられて、それをがまんすべきではありません。法律書『ブレハ・ネメド』は、女性を執拗に悩ませること、とりわけ言葉による攻撃を加えることを、違法行為としています」

今回、フィデルマは兄であるコルグーに、モアン王国内の修道院で殺されたラーハン王国の尊者ダカーンの事件の真相を探るようにと頼まれます。
このままではモアン王国とラーハン王国の戦争になりかねないからです。
戦士カースと共にフィデルマはダカーンの殺された修道院のあるロス・アラハーへと旅立ちます。
その途中、村が破壊されているのを目撃し、殺されずにいた修道女と子ども達を助けます。
一見難しく思えた事件も、フィデルマが本能のままに動き始めると、いろいろな面が見えてきます。
最後の<大集会>の場面は圧巻です。

アイルランドが身近に思えてくるようなシリーズです。

クレオ・コイル 『秋のカフェ・ラテ事件』2007/10/12

美味しいコーヒーの香りのするミステリーの三作目です。

NYのコーヒー店「ビレッジブレンド」で『秋のファッション・ウィーク』の『コーヒーとデザートを楽しむ夜会』が開かれていた。
店のマネジャーのクレアはバリスタのタッカーがイライラしているのが気になっている。
何故彼はあんなに機嫌が悪いのかしら?
アクセサリーデザイナーのロッティ用のラテをタッカーが作り、持っていこうとしたら、タッカーの元彼、リッキーが横取りしてしまう。
そのラテに毒が入っていたらしく、リッキーは死んでしまい、ラテを作り、リッキーと関係のあったタッカーは犯人だと見なされ、逮捕されてしまった。
ここからがクレアの出番。
タッカーのために犯人捜しを始める。
ところが、前の事件で出会った、頼みの綱と思っていたクィン警部補は家庭の都合で休暇を取っていた。
仕方がないので、元家族の手を煩わして犯人捜しを始めるが、だんだんと明らかになってきたのが、ロッティ・ハーモンの過去。

スタバのラテを愛飲していますが、この本に出てくる「カラメル・チョコレート・ラテ」、飲んでみたいです。ちょっと甘そうですが。
自家製のカラメル・チョコレート・シロップを使い、ホイップクリームをのせチョコレートでコーティングしたコーヒー豆がトッピングしてあるそうです。
もうひとつ、美味しそうなのが、リッチャレッリ。アーモンドクッキーらしいのですが、トスカーナ地方ではクリスマスのクッキーとして人気で、「トスカーナのマカロン」と呼ばれているそうです。どこかで売ってませんかね。
明日、スタバに行って、ラテを飲んできますわ。

能「小督」と「井筒」、「阿漕」、狂言「船渡聟」を観る2007/10/14

水道橋にある宝生能楽堂で能を観ました。
能は「小督(こごう)」と「井筒」、「阿漕」、狂言は「船渡聟(ふなわたしむこ)」です。

「小督」は禁中一の美人で箏の名手。
中宮、建礼門院徳子に仕えていて、天皇の寵愛がありました。
中宮の父親の平清盛は、それを面白くなく思い、小督を亡き者にしようとしますが、身の危険を察した小督は行方をくらましてしまいます。
それでも小督のことが忘れられない天皇は、彼女が嵯峨野辺りに隠れているのを知り、密かに手紙を届けさせることにします。
天皇の命を伝えるために高倉院の勅使が、仲国を呼び出し、嵯峨野に遣ります。
小督を見つけ出した仲国でしたが、初めは小督は仲国に会おうとはしませんでした。
しかし、侍女のとりなしで招じ入れられました。
天皇からの手紙を渡し、返事を請います。
その後なごりを惜しむ酒宴の席で仲国は舞を舞い、馬にまたがって帰って行きます。
仲国が舞(男舞)を舞う以外は動きが少なく、気を抜くと寝てしまいそうな能でした。(私のとなりのおばさまは、寝てました)

「舟渡聟」は、聟が舅のみやげに酒樽を持って渡し船に乗る話です。
渡し船の船頭が酒好きで、酒を飲むため嘘をつきます。
「今日は寒くて、手がかじかんで船が漕げない」と言って、まんまと酒を飲んでしまうのです。
さて、空の酒樽を持って舅の屋敷に行った聟はどうなるのでしょうか。
この狂言は2バージョンあり、船頭と舅が同一人物というのもあるそうです。
今回は別人バージョンでした。

「井筒」は昔古典でやったことのある『伊勢物語』の「筒井筒」に拠るものです。
旅僧が南都七堂の巡拝を済ませ、初瀬(長谷寺)に参ろうとします。
その途中、在原寺のそばを通りかかります。
ここが在原業平夫婦のすんでいた邸址であることを思い出し、境内に入って古塚の前にたたずんでいると、美しい女人が現れます。
女は業平ら二人の歌や、それにまつわる恋物語をし、自分がその紀有常の娘の霊で、井筒の女と呼ばれたものだと告げ、井戸の陰に隠れ消えます。
夜になり、僧がまどろんでいると、夢の中に業平の直衣と冠をつけた女の霊が現れます。
女は歌を詠み合った昔を懐かしみ、井筒の水に姿を映し見ると、それは業平の面影…。
夜明けとともに女の影は薄れ、僧も夢から覚めるのでした。

筒井筒井筒にかけしまろがたけ生ひにけらしな妹見ざる間に

残念だったのが、「井筒」の内容が全く分からなかったことです。
聞き取れなかったのです。
眠かったこともあるのかもしれませんが、図書館でコピーでもして、予習をしてから行った方がよかったようです。

能初心者には濃い内容でした。

たかのてるこ 『ガンジス河でバタフライ』2007/10/15

たかのてるこさんの『ダライ・ラマに恋して』を書店で立ち読みした時に裏表紙を見て、一番最初に出た本がこのインド旅行のであるということを知りました。
その後、テレビドラマになっていましたね。
納得がいきました。ドラマでやるから彼女の本が書店に山積みになっていたのね。
この本を読みながら、懐かしくなっていました。
私もインドに行ったもんね。(ちょっと得意モード)
でも、30代のインドは辛かった。せめて20代始めにインド初体験をすませたかったです。
たかのさんのすごいところは、誰とでもすぐに仲良くなるところ。
もっとすごいところは、あのインドでお腹をこわさなかったことです。
私は注意をして、歯も水道水を使わず、ミネラルウォーターにしていたのですよ。
でもあるホテルで飲んだジュースの氷にあたって、次の日から下痢でした。
ホテルだから大丈夫なんて思ったのは馬鹿でした。
インドに行く人、氷には注意してね!
あ、後はペットボトル。ちゃんと蓋が閉まっているかどうか見てから買いましょう。
水道水を入れている場合があるとか。
今もこういう注意は生きてますか?
あのね、この下痢、ちょっとやそっとで治らないのよ。
かの正露丸は、インドの下痢には全然効かないんだから。
インドに行くときは、正露丸捨ててきましょう。
もっとすごいのが、よそ見をしていて道で転び、膝に怪我をしたら、帰国しても1ヶ月以上もジクジクしていたんだから。(自慢にならないね)
恐るべし、インドの菌。
一説によると、まだ発見されていない菌がうじゃうじゃいるとかいないとか…。
体重も減って、ダイエットしずぎて、職場に帰ったら、インドで病気になってきたの?と聞かれました。
後ろから見ると、別人だったんだって。
自分でも風が吹くと、体が飛ばされそうだったもの。ホントよ。
あ~、なんでたかのさんの旅行記とは違うんだろう。
カルカッタ(今、コルカタ)ではサダルストリートの近くのYWCAに泊まりましたが、朝道を歩くと、道に人が寝てました。
5時に毎朝起こされました。
何故かというと、コーランが朗々とスピーカーから流れてくるんですよ。迷惑な。
うるさい物売り、いました。早足で、「ノー」と怒鳴りながら通りを歩いていました。
これって、結構神経使うのよね。疲れます。
夜行列車では、彼女は親切な家族に出会っていましたが、私も親切なおじさんに会いました。
手相を見る人で、仲間みんなで見てもらいました。残念ながら、当たってませんでしたが。
ブッタガヤにも行ったし、ベナレスにももちろん行きましたよ。
いくらなんでも、あの黒い泥の流れているようなガンジス河で、泳ぎたいとは思いませんよ。
膝の怪我が治ってなかったので、足首だけ水につけただけです。
あの河の水を飲んで、なんともないたかのさんって、強靱な体力の持ち主ですね。ただの狂人?
読んでいて、楽しかった~♪自分の旅を追体験してました♪♪
最後にインドの聖人の声を。
彼女がベナレスのインド門前の広場で会ったオヤジさんの言った言葉。

「まぁ、すべては意識の問題だとワシは思っとるよ。確かに金は便利だ。でもワシは金持ちではないが、今でも十分幸せだ。世の中には、リッチでもハッピーじゃない人間が大勢いるだろう?自分の世界をあるがままに受け入れることだろうね。」

インドの子ども達のキラキラした瞳を思い出しました。
未来を思いわずらうことなく、現在に生きている瞳でした。
日本の子どもは、いえいえ大人も果たして幸せなのかな?
みんな笑顔が死んでる…。

「ウィッキド」を観る2007/10/19

仕事帰りにミュージカルを観に行くと、疲れてしまうかな、と思いながらも、「ウィキッド」を観に行ってきました。
「ウィキッド」は「オズの魔法使い」を基にした物語です。

人間と動物が一緒に暮らし、動物が話ができたオズの国でしたが、やがて動物たちの言葉が奪われていきます。
主人公は緑色の肌をしたエルファバ。
彼女はこの肌の色のために父親から疎んじられ、みんなからは距離を置かれています。
話は彼女が足の不自由な妹と一緒に全寮制のシズ大学に入学してくるところから始まります。
彼女はブロンドと美貌でみんなのアイドルのグリンダと同じ部屋で暮らすことになります。
二人は最初は互いに嫌い合っていたのですが、いつしか友だちになっていきます。

エルファバは生来の魔法の力を持っていたので、校長から認められ魔法を習うことになります。
偉大なオズの魔法使いに会い、動物たちの苦境を訴えたいと思っていました。
やがて、オズの魔法使いから招待状をもらいます。
グリンダと共にエルファバはエメラルドシティに行きます。
しかし、オズの魔法使いが動物たちの言葉を奪っていたことを知ります。
オズはエルファバに一緒にやっていこうと言いますが、エルファバは断ります。
怒ったオズはエルファバを「悪い魔女」に、グリンダを「いい魔女」に祭り上げます。
さて、二人の運命はどうなっていくのでしょうか。

普通の劇団ならよっぽど売れない限り、アルバイトは必須だと言います。
ところが劇団四季は給料制で、十分な給料を与えているので、役者たちはアルバイトをする必要がなく、練習に集中できると、浅里さんがテレビで言ってましたが、練習の甲斐があって、どの舞台も飽きないですね。
何回も観に行く人がいるのが、よくわかります。
私的には「キャッツ」が一番かな。
もちろん「ウィキッド」もお勧めです。

森村真琴 『不思議クリニック』2007/10/20

沖縄に住んでいる、不思議な精神科医の話を漫画にしたのが、この『不思議クリニック』です。
すべての精神的な症状が前世と関係しているわけではないのでしょうが、この漫画に出てくる人は、前世の自分を知ることによって癒されていきます。不思議ですね。
この不思議な精神科医というのが、越智啓子さんです。
彼女のHPを見ると、彼女が天使の格好をしていたり、いろいろなセミナーや講演会をやっているのがわかります。
商売上手というか、グッズを作り販売などもしています。
講演会は料金が3500円で200人定員。
12月の講演会は400人定員とか。それもすべていっぱいになっています。
たくさんの人が癒されるといいですね。
ホント、飛んでるおばさんという感じです。
知り合いは彼女に診てもらおうと思って、電話をしたらしいのですが、電話が通じないほどだといいます。

大和書房から『過去世療法 生命の子守歌』という文庫本が出ていますが、この漫画はこの本が基になっているようです。
その中にでてくる「ひめゆりの歌」では、背中が異常に気になることと、青い目の外国人、とくに金髪のアメリカ人が苦手だという症状の人がでてきます。(別にアメリカ人とそんなに会わないから、どうでもいいと思うけれど・・・)
この人、恵子さんは15歳から頻繁に戦争の夢を見るようになり、そこが沖縄だということに気づきます。
そこで沖縄を訪れ、ひめゆりの資料館に行った時、自分とそっくりの女性の写真を見るのです。
そう、その女性は恵子さんの前世だったのです。
私は自分の首のこととか目のことを3人ぐらいの人に見てもらったことがありますが、特に前世と関係があるとは言われませんでした。
見てくれた人がそういう能力を持っていなかったということもあるのかもしれませんが、ただ単に、今生の行いが悪いだけだったりして…。
う~ん、それはそれでつまんないなぁ。