マイクル・コナリー 『終決者たち』2007/11/02

ひさびさのボッシュです。
彼はしがない中年のおじさんなんですが、メチャ警官としては有能。
ロス市警を辞め、探偵として働いていたのに探偵では物足りなくなったのか、またまたロス市警に入り直します。
前に一緒に働いていた黒人女性キズミン・ライダーと、また相棒となり、未解決事件班の一員として働き始めます。

気持ちよく復帰第一日目を過ごそうという時に、前から互いに反目し合っている副本部長アーヴィン・アーヴィングに会ってしまいます。
彼は意味深な言葉をボッシュにかけて行きます。
ボッシュたちが扱うことになった未解決事件は、黒人と白人のハーフの少女の殺人事件でした。
調べていくと、警察の扱い方にいろいろとおかしなことが見つかります。
担当していた刑事は、自殺をしていました。
彼は何を隠蔽しようとしたのか?

今までの内容はボッシュの持つ人間としての悲哀が色濃く出ていましたが、今回は切れ者刑事としての彼が前面に出ています。
ボッシュ・ファンとしては、ちょっと物足りないですが。
次回からは、天敵のアーヴィングがいなくなった後のボッシュの活躍と、娘のいる父親としての彼が気になりますね。

J・D・ロブ 『弔いのポートレート』2007/11/03

いつも楽しみにしているイヴ&ローク・シリーズの最新刊がでました。

ゴミ容器の中に捨てられていた女性の死体が見つかります。
彼女はレイチェルという美しい20歳の学生で、誰もが彼女の無垢の美を認めるような子でした。
死体が見つかる少し前に、イヴの友人でTVレポーターのナディーンの所に、レイチェルの写真が送られてきます。
その写真は、彼女の死後に美しさが引き立つように、計算され撮られた写真でした。
大学を中心に捜査をするうちに、2番目の殺人が起こります。
被害者はジュリアードに通っているアジア系ダンサーの男の子で、彼もレイチェルのように、美しい子でした。
彼のポートレートも、ナディーンの所に送られてきました。
犯人は写真家なのでしょうか?

今回は事件以外の部分がおもしろいですよ。
イヴと仲の悪い執事のサマーセットが旅行に行くというので、イヴが浮かれ、腰振りダンスをしていたら、サマーセットが猫に躓き、骨折をしてしまい、旅行には行けなくなり、イヴがガッカリしたり、夫の大富豪ロークの母親がわかり、ロークに大家族ができたり…。
このシリーズではイヴとロークの悲惨な幼児期が、彼らの怒りのエネルギーにもなっていたのですが、このまま幸せになってしまうと、間の抜けたミステリーになってしまいますね。
ちょっと心配です。
コンスタントに新刊が出ているようですから、ロブさんはいろいろと考えているんでしょう。
ちょっとイヴ&ロークの今後がわからなくなってきました。

万城目学 『鹿男あをによし』2007/11/05

自分で読む本を選ぶと、どうしても偏りができてしまいます。
そのために今回は図書館の司書さんに選んでもらいました。
『鹿男あをによし』という本で万城目学という人が書いたものです。
名前、なんて読むんでしょう?
「マキメ マナブ」って読むんですね。
大阪府出身、京都大学卒の29歳が書いたものだそうです。
純文学ではありません。ちょっとファンタジー入ってます。
神社仏閣教会好きの私ですから、日本の中ではもちろん京都奈良は大好きです。
この本、舞台は奈良です。それだけで、読んでみてもいいかなと思いました。

大学の研究室にいる(オーバードクターか?)28歳の「おれ」は、教授に体よく2学期間だけでいいからと、奈良にある女子校に追いやられます。
行った先の女子校では、何故かクラスの生徒に嫌われ、跡をつけられているのか、前日に彼が何をやったかを黒板に書かれたりもします。
その首謀者は堀田という女の子。
彼女に特に何をしたというわけではないのに、何故嫌われるのか、訳がわかりません。
そうこうするうちに、剣道部の顧問を押しつけられ、その年に行われる大和杯にかかわることになります。
大和杯とは、姉妹校の奈良、京都、大阪にある女学館が一堂に会し、運動部が競う大会のことです。
今回は奈良で開かれます。

10月になったある日、「おれ」は鹿に話しかけられます。
運び屋に選ばれたから、「目を持ってこい」と言われるのです。
「目」とは、地震を起こすナマズを押さえつける何からしいのですが、鹿ははっきり教えてくれません。
狐が持っているから、狐からもらえと言うだけです。
訳がわからないまま、受け渡されるはずの場所に行ったのですが、「目」は鼠に奪い取られたと鹿に怒られます。
その上、なんと罰として鹿の顔にされてしまうのです。
他の人には普通の顔に見えるのですが、本人とデジタルカメラにははっきりと鹿の顔が映ります。
鹿顔のままなんて嫌だ!と「目」を求めて、「おれ」は奔走します。

奈良公園の鹿がしゃべったら、怖いですよね。
奈良以外に鹿島神宮や卑弥呼の伝説がでてきたりと、結構おもしろく読めました。
若い作家の作品もたまにはいいもんです。
また司書さんに面白い本を紹介してもらおうと思います。

森見登美彦 『夜は短し 歩けよ乙女』2007/11/06

これも司書の人のお薦め本です。
28歳の森見登美彦という奈良県生まれ、京都大学卒の人が書いた、ファンタジーノベルです。
出てくるヒロインが、メチャかわいいのです。
黒髪の乙女で小柄で、何故かいつも一人で歩いています。
見掛けに似合わずウワバミのように酒が強く、不思議な行動の多い人です。
学園祭では、手に入れた鯉のでっかいぬいぐるみを背中にしょい、こけし達を首にかけ、平気で歩いているんですから。
彼女に恋したのが、私=先輩。
彼女が行くという所には必ず行って、偶然を装うという、ちょっとストーカーが入ってる妄想癖のある男性です。
他の登場人物も普通じゃない。
春画大好き、スケベオヤジの錦鯉センターの東堂さん、金貸しで強突張りで、いろいろな催し物をやっている不思議な人物、李白さん、酒が好きで、人の宴会に紛れ込み、人の顔をなめるのが好きな羽貫さん、色あせた浴衣をいつも着ていて、自分は天狗だと言っている樋口さん、ある願掛けのために、パンツを替えないという、バッチイ、パンツ総番長などなど。

京都が舞台で、話が不思議。
李白さんとの酒飲み勝負では、偽電気ブランという酒が出てきて、この酒、芳醇な香りがする無味の飲み物で、口に含むと花が咲き、お腹の中が花畑になってしまうなどと書いてあり、そんな酒飲みたいと思います。謎の人物、李白さんが、火鍋というものをやり、最後に勝ち残ったらなんでも好きな古本をやるという話なんかがありましたが、ちょっとその火鍋などというものを食べてみたいと思ったりもしました。
とんでもなく辛いのだそうです。

他にも学園祭の話や、風邪が京都中に蔓延する話など、笑ってしまいます。
物語の最後はほんわか、幸せな気分。
もちろん、黒髪の乙女と先輩はハッピーになりますよ。
鹿男よりもこちらの方がお勧めです。

東野圭吾 『夜明けの街で』2007/11/08

東野圭吾は好きではないという割には、何故か読む本がないと読んでます。
今はテレビでドラマ「探偵ガリレオ」をやっているので、結構ファンが増えたかもしれませんね。
私的には天才物理学者、湯川学に福山雅治なんて、全然合わないと思います。
もちろん、ドラマは見てません。
福山さんは好きな顔ですが、話し方とか馬鹿っぽいから、湯川の感じが出せるはずがありません。(福山ファンの方、怒らないでね。私も福山ファンの一人ですから)
東野圭吾の書くものは、メチャ四畳半的な日本の世界です。
『夜明けの街で』は、中年男性の夢なんですか、若い愛人を持つというのは。
その夢、不倫を描いたものです。
読みながら、男って馬鹿ね、と思ってしまいました。

妻子ある渡部という男が、派遣社員の仲西秋葉という女と不倫関係になってしまいます。
秋葉の家で、過去に殺人事件が起こっていました。
父親の秘書で愛人であった本条麗子が、彼らの家で心臓を一突きにされ死んでいたのです。
殺人事件として処理されましたが、犯人は未だに見つかっていません。

渡部と秋葉が会い不倫関係になったのが、ちょうど時効の成立する15年目でした。
いろいろと話を聞くうちに、秋葉が犯人ではないかと疑い始めた渡部でしたが、家庭を捨て、秋葉と一緒になりたいという思いも強くなってきます。
本条麗子を秋葉は殺したのでしょうか。
そして、秋葉と渡部の関係はどうなるのでしょうか。
結末は意外なものです。

こういう本は一日で読めちゃいます。
でも、男は本当に不倫に憧れるんですか?女にしてみると、若い男なんて、面倒ですけれど…。

石田衣良 『池袋ウエストゲートパークⅥ&Ⅶ』2007/11/10

石田衣良のシリーズ物、池袋ウエストゲートパークは好きなシリーズです。
主人公のマコト君がいいのです。
人助けに、一銭も取らないなんて、ありえません。
一見ぱっとしない男の子ですが(そういう風に書いてあるんです)、性格もよく、頭もよく、クラッシックファンだというところもいいです。

池袋ウエストゲートパークⅥは『灰色のピーターパン』という題です。
原題のお話は、小学5年生で、女の子のパンチラ盗撮映像を撮り、DVDにして売っていた男の子が、学校の先輩に恐喝され、マコト君に助けを求める話です。
ちょっとこの男の子、問題ありですね。
でも困っている人を助けずにはいられない、特に年下の子に対するマコト君の優しさがわかるお話です。

同じように、ウエストゲートパークⅦ『Gボーイズ冬戦争』の中の「バーン・ダウン・ザ・ハウス」でも、マコト君の優しさが発揮されています。
マコト君は、自分の家に放火して、どうこれから生きていったらいいのかわかっていない男の子の面倒を見て、一緒に店の放火犯を見つけます。
その後、放火で怪我をした祖母の所に謝りに行く男の子につきそう場面なんか、涙なしでは読めません。(おおげさか・・・)

「Gボーイズ冬戦争」では、何者かが池袋の力関係を崩そうとします。
マコト君が池袋の平和のために立ち上がります。
キング、タカシとマコト君の間には、友情らしきものがあったのですね。
タカシが妙に熱いです。クールさが売りだったのに。

マコト君みたいな子が本当にいたら、彼のくだもの屋をひいきにしちゃいますね。
さて、次なる依頼は?

森見登美彦 『新釈 走れメロス』2007/11/13

勝手に森見さんのことを新進作家としてしまいましたが、ひょっとして若い方達にはすでに知られている人ですか。
そうならすみません。彼っておもしろいですね。

「山月記」、「藪の中」、「走れメロス」、「桜の森の満開の下」、「百物語」。
あなたは誰が書いたかわかりますか?
すべてわかる人は、日本文学の年表をそうとう見てますね。
私は最初の3つしかわかりませんでした。
その3つしか読んでませんね。(たぶん。「桜の…」は読んだかも知れません)
答えを一応載せておきましょう。それぞれ中島敦、芥川龍之介、太宰治、坂口安吾、森鴎外が書きました。
この文豪たちの話を基に、森見さんは物語を書いちゃったんです。怖いもの知らずですね、笑。

場面は京都。なんと言っても京都!出てくるのは、摩訶不思議な人たちです。
面白かったお話を2つご紹介しましょう。

まずは「山月記」。例の虎に変身する話です。(はしょりすぎですね)
森見さんの書く山月記は、齋藤秀太郎という書くこと以外を馬鹿にしてやらない男の話です。
周りが単位を取るのに必死になっていようが、卒業していこうが、頓着せず、できるだけ長く大学に居座り続け、親が仕送りを止めようが、プロ並みの麻雀でお金を稼ぐ、そういう男です。
意外と彼、周りから尊敬されていたのです。
彼は卒業式に高見の見物に出掛け、まっとうな人生を歩こうという人たちに向かい、「さらば、凡人諸君」などと言うんですけどね。
人は自分が出来なかったことをやっている人を羨望の目で見るものですから、齋藤もその対象になるんです。
さて、齋藤が何になったかは、読んでのお楽しみに。

「走れメロス」はハチャメチャです。ネタバレしちゃいますが、面白いので書きますね。
『夜は短し 歩けよ乙女』に出ていた文化祭が、またまた登場です。
「象の尻」という意味不明の前衛的展示まで登場してます。
鯉のぬいぐるみを背負った黒髪の乙女が出てくるかと期待したのですが、残念、いませんでした。
主人公メロス役はアホ学生の芽野史郎。
彼がたまたま勉強でもするかと思って大学へ行くと、なんと文化祭真っ盛り。
仕方がないので、久しぶりに詭弁論部へ顔出しに行くと、看板がなくなっていて、代わりに「生湯葉研究会」という看板があるではありませんか。
炬燵に入っていた詭弁論部の面々に話を聞くと、「図書館警察」により、看板を剥がされたとのこと。
怒ったメロス、芽野は「生湯葉研究会」の看板を引きはがすと、「図書館警察」が現れ、傍若無人な陰の最高権力者、図書館警察長官の前に連れて行かれます。
因みに「図書館警察」とは、借りた本を返却しない連中に制裁を加えるのがもともとの役割ですが、今は得意な情報網を巡らせ、全学生の個人情報を一手に握り、大学を手の中にしている奴らなのです。
図書館って個人情報の宝庫ですよね。
何を読んだかを見ると、その人の頭の中がわかりますもの。(読んだ本を紹介している私の中身もバレバレ?)
長官は言います。「僕は誰も信頼しないのだ」 詭弁論部を救いたいなら、「グランドに設営してあるステージでブリーフ一丁で踊り、フィナーレを飾れ」と。
芽野は言います。「これから郷里へ戻って姉の結婚式に出なければならない」
無二の親友、(セリヌンティウス役)芹名を人質として置いていく。(実は芽野には姉なんていない!)
芹名は言います。「俺の親友が、そう簡単に約束を守ると思うな」
騙されたことに気づいた長官は、芽野の居所を探り、身柄拘束を命じます。
さて、さて、逃げる芽野。追う「自転車にこやか整理軍」。
果ては、あこがれの須磨さんや詭弁論部員までが芽野を追いかけます。
非情にも日は暮れ、芹名は桃色ブリーフ一丁でステージに上がり、大群衆からブーイングを浴びながら、「美しきドナウ」に合わせて踊り狂います。
そこに現れたのが、同じ格好をした芽野。
かくて二人は桃色ブリーフのみを身に付け、貧弱な肉体をさらし、踊り狂うのであった。
感動した図書館警察長官、「僕も仲間に入れてくれ」と服を脱ぎ捨てると、桃色ブリーフが。
彼らは友情で結ばれ、優雅に黙々と踊り続けるのであった。
アハハハ。「走れメロス」もこれではね。

結構こういう馬鹿らしい話、好きです。
文豪の作品が、森見さんによってどう料理されたか、読んでみてください。

劇団四季「ウェストサイド物語」を観る2007/11/17

『ウェストサイド物語』は1957年に発表されたミュージカルです。その後、映画化され、ヒットしました。
私は映画もミュージカルも観ていませんでしたが、流石ヒットしただけあって、音楽の80%ぐらいは知っているものでした。

ストーリーは…。
アメリカのニューヨーク、マンハッタンのスラム街の白人非行少年グループ、ジェット団は、アメリカに新しく移民してきた、プエルトリコ人の非行グループ、シャーク団が自分たちの縄張りに入ってきたことに頭にきていました。
白人といっても、プアーホワイトたちで、主流のWASPの仲間にも入れない人たちです。
イタリア、ポーランド、アイルランドなどからの移民の子ども達で、親が居なかったり、いてもアル中、売春婦、麻薬中毒などになっている、家庭的に恵まれていない少年達です。
一方プエルトリコ人達、特に女性は、アメリカに夢を抱いています。
ジェッツのリーダーのリフは、シャーク団達を追い払うための最後の手段として、決闘をすることを思いつきます。
その夜、ダンス・パーティが開かれるので、その時にシャーク団と話し合いをすることにします。
よせばいいのに、ジェッツ団から足を洗って、まじめに働いている、義理の兄弟みたいに親しいトニーもパーティに誘います。
トニーは最初は嫌がっていたのですが、リフのしつこさに抗しきれず、頼みを聞き入れてしまいます。

パーティで、トニーは運命の人と出会います。
シャーク団のリーダー、ベルナルドの妹のマリアです。
二人は一目で恋に落ちてしまいます。
パーティの後、マリアを捜しに行ったトニーは、マリアと会うことが出き、ここで有名な「Tonight」が歌われます。(写真の場面)

一方話し合いは行われ、決闘は各グループの代表が素手で、一対一で戦うことになりました。
次の日、マリアを職場に迎えに行ったトニーですが、決闘のことを知ったマリアに、決闘を止めてくれと頼まれてしまいます。
優柔不断?のトニーはこれまた断ることができず、一人で決闘の場に行きます。
そして、悲劇が起こるのです。

アメリカ移民たちの階級争いがこのミュージカルには描かれています。
移民で、後から来たものが下層になるという。
人間は自分以下を求める気持ちがあるんですね。
考えてみると、もともとアメリカにはネイティブ・アメリカンがいたのにね。

前にアメリカの非行少年達の争いを描いた映画を見たことがあります。
その中では、殺し合いの連鎖が描かれていました。
憎しみは憎しみしか生まない。このことがよくわかる映画でした。

このミュージカルでは、兄も愛する人も殺されたマリアが、要になります。
ちょっとした疑問ですが、自分の兄を殺した人を、それでも愛し続けていくことが出来るのでしょうか?

ミュージカルとしての質を考えると、残念ながら私的には低い点になります。
最後まで違和感が漂っていました。
何故なのだろうと、よくよく考えてみると、それは英語と日本語のもつ音の違いのように思います。
歌の音楽と歌詞が合っていないのです。
終わりの唐突さも、よくありませんでした。
え、ここで終わるの!という感じです。
隣に座っていた女性達も、「エ~、終わり方どうにかしてよ」などと言っているのが聞こえました。
翻訳物ミュージカルは難しいですね。

宮部みゆき 『楽園』2007/11/18

『楽園』のテーマは悲しいものです。何故『楽園』という題名を付けたのでしょうか?

『模倣犯』で活躍したジャーナリスト、前畑滋子は事件後、しばらくは書くことができないでいました。
やっと何とか書けるようになり、知り合いのフリーペーパーのライターをやり始めます。
そこへ、荻谷敏子という中年女性がやってきます。
彼女の息子は12歳の時に交通事故で死んだのだけれど、彼の描いた絵の中に不思議な絵があり、ひょっとしたら彼には人の心の中を見る超能力があったのではないか、是非それを探ってもらいたいというものでした。
疑問視しながらも、母親の熱心さに断り切れず、息子の絵を見てみたのですが、その中にあの山荘の絵が…。
そこには犯人と警察、彼女しか知らないはずのドンペリの瓶が描かれていたのです。
彼には見えていたのかもしれない。
そう思った滋子は、1枚の絵に関する事件を調べていくことにします。
その事件とは、親が非行を繰り返す娘を殺し、その死体を16年間も家の下に埋めておいたという事件でした。
近所の火事で家が半焼し、娘の死体が見つかるかも知れないと観念し、警察に自首したのです。
その家には、少年が絵に描いたのと同じこうもりの風見鶏がついていました。
少年は誰の心の中を見たのでしょうか?

「身内のなかに、どうにも行状のよろしくない者がいる。世間様に後ろ指指されるようなことをしてしまう。挙句に警察のご厄介になった。そういう者がいるとき、家族はどうすればよろしいのです?そんな出来損ないなど放っておけ。切り捨ててしまえ。前畑さんはそうおっしゃるのですか。
誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、得ることのできない幸福がある」

「それでも人は幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。錯覚ではない。幻覚ではない。海の向こうの異国の神がどう教えようと、この世を生きるひとびとは、あるとき必ず、己の楽園を見出すのだ。たとえ、ほんのひとときであろうとも」

この楽園のことは、唐突に思え、私にはよく理解できませんが、どこまで親は子どものことで責任を負うべきなのか、と考えさせられます。
犯罪者の家族は、ささやかな幸せさえ許されないのでしょうか?

最後に泣かされますが、それが宮部の考える、救いなのでしょうか?

市川拓司 『いま、会いに行きます』2007/11/20

私は思いっきり、作者を間違えていました。
よくテレビでコメントを言っている60歳ぐらいのおじさんが彼だとばかり思っていたのですが、作者は1962年生まれですから、全く違う人でした。
映画になっていますが、邦画は滅多に観ないので、観ていません。
あくまでもテレビで見た感じでは、ヒロインの澪役、竹内結子はOKですが(ピンクのカーディガン合いそう)、夫、巧役の中村獅童は、合わないと思います。
もう少しナイーブな感じだと思うのですが。

物語は思っていたより、よかったです。
久しぶりに、ほんわか、人間っていいな~と思えました。
出てくる人たちがみな、暖かい人達です。
毎日職場にいると、腹黒い人ばかりいるような気になってくるのですが、心の洗濯をしたような気になります。(ちょっと言い過ぎですね)

主人公の巧はちょっと人とは違った病気の持ち主です。
大学時代に発症し、忘れっぽく、物事を覚えていられなかったり、電車やエレベーターに乗れなかったり、薬を飲むと大変なことになったり、いろいろと人より敏感なんですね。
彼には一人息子の佑司がいます。
奥さんの澪は一年前に亡くなってしまいました。
シングルファーザーとして、一生懸命やってはいるのですが、息子の耳あかがたまっていてもわからなかったり、夕食は毎日カレー、4、5日シミのついた服を着ている、夏服を冬になっても着ていたり、ちょっと人とはずれています。
でも、二人の間には暖かな雰囲気があります。

やがてやってきた雨の季節に、いつものように散歩に出かけた巧と佑司は、町はずれの森で死んだはずの澪に出会います。
澪は記憶喪失にかかっているようでした。
家に連れて帰り、一緒に暮らしながら、巧は少しずつ二人の出会いから別れを話すのでした。

死んだはずの彼女が何故現れたのかは、ここには書きません。
どうぞ本を読んでください。
雨の季節が好きになるような物語です。

本の中から、好きな言葉を。
とっても印象的な、いつも公園にプーという声のでない犬といる、ノンブル先生の言葉です

「さあ、帰る時間だ。ささやかな幸せが私を待っている」