五木寛之 『百寺巡礼 第三巻 京都』2009/02/01

眼科の待ち時間に『百寺巡礼』を読み終わりました。
第三巻は京都。京都に関してはまた別の巻でも取り上げるようです。
今巻では有名どころが取り上げられています。
金閣、銀閣、東寺、東本願寺、西本願寺、清水寺、南禅寺。
何回も行っている人以外は行っていないのではと思ったのは、神護寺と真如堂、浄瑠璃寺です。
私はたぶん神護寺以外は行っています。
読みながら、いつも思うのですが、私はその寺の成り立ちを知らずに、雰囲気だけで寺を見ていたということです。
そう、美術品を愛でるみたいに見ていました。
ところが、この本を読んで、寺の成り立ちを知ると、その時代に生きていた人達の心を知ることができるのです。
例えば銀閣寺。
ただの地味なお寺で、なんでこんなに有名なのと思っていました。
このお寺、足利八代将軍義政の山荘としてつくられたそうです。
この義政は変わった人で、将軍職をさっさと息子に譲り、不仲の妻からも遠ざかるように、銀閣寺のある土地で造園にあけくれたそうです。
天下の将軍なのに、楽しくなかったのですね。
まあ、いろいろとあったようで…。
義政は五木によると、低い身分の者たちでも差別せず、偏見を持たずに河原者たちを優遇したそうです。
それだけ孤独が深かったのでしょう。
こういう風に読んでいくと、今までとは違った銀閣寺が見られそうです。

どの寺にも物語があり、歴史があります。
いろいろと感じることや、知ったことがあるのですが、ここには書きません。
お寺好きなら、是非読んでみて下さい。

中島さおり 『パリの女は産んでいる』2009/02/02

新聞に次のような記事が載っていました。

「厚生労働省が30日発表した03~07年の人口動態統計で、1人の女性が生涯に産む子どもの数(合計特殊出生率)を市区町村別に見ると、鹿児島県や沖縄県などの島しょ部が上位の大半を占め、最も高いのは2.42の鹿児島県伊仙町(奄美諸島の徳之島)だった。最も低かったのは東京都目黒区の0.74。」(朝日新聞)

上位30位のうち25市町村が西日本の島で、東京23区のうち13区が下位30位に入ったそうです。
この結果をみて、そうだろうと思いました。
どう考えても、子供を産むことが、東京のような都心でいいことには思えません。
周りの子供を持っている女性達はいつも疲れた表情をしています。
彼女達を見て、子供を持つのは大変とは思っても、子供が欲しいとは思えません。

産む環境はどうかと、目をやると、悲惨ですね。
小児科、産婦人科は少なくなっていく一方ですし…。
何故フランスでは出生率が上がっているのでしょうか?
フランスでは1974年まで中絶は違法だったそうです。
いろいろな女性達の闘争により、「自由意志による妊娠中絶」法のヴェイユ法が設定されたのです。
日本は「優性保護法」といいますよね。
「優性保護」という言葉がいやらしいですね。
この言葉によって、中絶が合法化されているんです。
フランスでは中絶にも保険が出るそうです。
費用の80%を社会保険が負担してくれます。
出産はもちろん100%で、産後のケアまで10回分100%社会保険がカバーするそうです。
その後のケアも10回分は65%。
産んだ後は、日本でも取り入れられていますが、子供が三歳になるまでの「育児休業制度」が認められています。
託児所なんかは母親が働いていなくても、登録しておけば利用できるそうです。
そして、びっくりしたのが、保育所に三歳から入るそうで、就学率100%!しかも公立なら無料ですよ。
保育園以外には、ヌヌーという個人の家庭で雇う子守がいます。
この場合も自宅託児手当に加えて援助がでるそうです。
いいヌヌーを探すのが大変だそうですが。
なんでフランスにできて、日本にできないのでしょうね。
なんか書きながら、日本っていかに恵まれていないことかと、唖然とします。
経済面から見ても、フランス人は恵まれていますよね。
産まないからといって、女性達を責めるのではなく、産みたくなるような社会を作っていくことが先ですよ。
政治家はなんで当たり前のことをやろうとしないのでしょうか。
外国のいいところはどんどん取り入れて欲しいですね。

柳原和子 『がん患者学Ⅰ 長期生存患者たちに学ぶ』2009/02/03

昨年の年末に行った台湾で、目覚めるとすぐに、BSNHKを見ていました。
年末だったので、一年間のまとめみたいな番組が多く、卓球のプロ四元奈生美さんが四国八十八箇所を歩く「街道てくてく旅」なんかがおもしろくて、毎朝楽しく見ていました。(いつか八十八箇所を歩くのが夢のひとつですから)
たまたまその後だったと思いますが、2008年に亡くなった方々の、生前のインタビューを放送していました。
いろいろな人達がいたのですが、その中で特に印象に残ったのが、この柳原和子さんでした。

彼女は1950年生まれのノンフィクション作家。
1997年にがんに罹り、それをきっかけに医療過誤などの問題に取り組んできました。
残念ながら、昨年3月2日にお亡くなりになりました。

私が買った中公文庫の『がん患者学』は自分の体験を基に、自らと同じ日米がん患者にインタビューをした「長期生存患者たち学ぶ」、がんの専門医にインタビューをした「専門家との対話・闘病の記録」、そしてがん患者571人へのアンケートを収蔵した「がん生還者たちー病から生まれ出づるもの」の三巻に分かれています。

いろいろながんに罹った人たちが出てきますが、これらの人はインタビュー時はがんを克服している人たちです。
どの人の言葉も、心を打つものがあります。
その中でも、次の子宮がんにかかって後に大腸に転移した女性の言葉は、私にもよくわかるものでした。

「臓器を失うってことは、元の、人間にとって自然の身体ではなくなるということです。
仮にがんがなくなった、治ったとしても、身体は全然違ったものになっていると考えるべきでしょう。日常の端々にそれは現れます。思い知らされます。動作、所作一つ一つ、普通の人と同じにはできません。失った臓器が増えればそれだけ、体内をいじくればいじくるほど、その辛さは増します。肉体的な辛さはもちろんですが、心理的、社会的な問題として、辛いわけです。」

彼女は手術で子宮を失っただけではなく、医師の過失から排尿をコントロールできなくなってしまいました。
その上、自然療法でやっていこうと決心した彼女に対し、医師は抗がん剤治療を強制し、断ると、医師に丸め込まれた家族までが、彼女に抗がん剤治療を切望するのです。
薬に対して過敏な体質の彼女には抗がん剤治療は合わず、辛いものでした。
退院を希望するのですが、病院は許してくれません。
こういう病院ばかりではないのでしょうが、医師たちは自分の面子のために患者の心を無視することがあるんですね。
彼女の例はたまたま医師との出会いが不幸な例だと言えるかもしれませんが、でもそれでは駄目ですよね。
どの病院に行っても同じような医療行為が受けられるようにならなくてはね。

他のがん患者の言葉は私たちによりよく生きるためのヒントを与えてくれるでしょう。

「欲を捨てれば、病気の原因になったはずのいろんなことを処理する決断がつくし、新しい生活を始めようという気持ちになる」

「元気になっていく人は皆、プラス思考」

「今日一日に全力投球していけば、人生二倍になる」

「死は誰の近くにもある」

「アメリ」を観る2009/02/05

「アメリ」は2001年に日本で公開され、評判になっていましたね。でも、その時は観ませんでした。
や~、アメリちゃん、かわいいですね。

神経質な母親と冷淡な元軍医の父親に育てられたアメリは、ちょっと普通でない女の子に育ちました。
両親との身体接触はなく、あっても父親による月一回の心臓検査時だけでした。
そのため、心臓がドキドキしてしまい、父親は心臓に障害があると勘違いしてしまいます。
それからは他の子供達から隔離され、家で教育を受けることになってしまいます。
そんなわけで、アメリは人とのコミュニケーションのとれない、空想好きな女の子になってしまいます。

母親が交通事故で死んだため、父親とくらしていましたが、22歳の時に実家を出て、モンマルトルにある元サーカス団員経営のカフェで働き始めます。
そんなある日、ひょんなことから、人を幸せにすることに興味を持ちます。
同じアパートの女性に、返らない手紙の返事を捏造したり、父親の庭の人形を盗んで世界旅行をさせ、各国から葉書を出してもらったり、いじわるな食料品店主の家に家宅侵入をして、いたずらをしたり、カフェに勤める仲間の恋の仲立ちをしたり…。

そして、彼女に運命の人がやってきます。
ニノというポルノショップで働いている男性です。
彼はスピード写真のブースのまわりに落ちている破り捨てられた写真のコレクターという、かわった趣味の持ち主です。
さて、他人の恋の仲立ちはするけれど、自分の恋は?アメリはどうするのでしょうか。

監督はこの映画は、”人々を幸せにする”映画だと言っているそうですが、ホント、見終わった後に、胸にほんわかしたものが残る映画です。
なんと言っても、変わった音楽とフィルムの色使い、アメリ役の女優さんのかわいらしさが、フランス映画っぽくていいです。
アメリのまねをして、私も石をポケットに入れて…、どこで水切りをしましょうかね。

文楽二月公演 「女殺油地獄」を観る2009/02/07

有名な近松門左衛門作、『女殺油地獄』を観て来ました。
国立劇場はしばらく行っていないので、道がわかるのかと心配でしたが、今回は同僚の旦那様の車で送り迎えしていただいたので、道に迷わず、楽チンでした。

上演されたのが、「庵堤の段」と「河内屋の段」、「豊島屋油店の段」です。
「徳庵堤の段」では、入れ替わり立ち代り大夫がたくさんでてきて、各々登場人物の台詞を語るので、あれ~、一人がすべて語るんじゃないの?と思いましたが、「河内屋の段」からは、例の回る舞台に乗って大夫と三味線が出てきて、それでわかりました。
最初の段は若手がやるのね。
重要無形文化財保持者の方は二人いらっしゃるようですが、夜の部には出ていませんでした。
同僚曰く、「年よりは朝の方がいいのよね。夜は眠いから~」などと冗談言ってましたが、そんなことないわよね、笑。
「女殺油地獄」は初演当時に、あまり人気がなかったそうです。
それもよくわかります。
主人公の河内屋与兵衛とんでもない奴なんです。
性根の腐った奴という言葉がぴったりです。
殺人をする理由が理由ですからね。

人形が生きている人間のように動きます。
意外と大きいのでびっくりしました。 
会場には着物を着た女性が能の時より多いようです。
小劇場なので、人がそんなに多くないので、のんびりとした感じです。
結構雰囲気がいいかも。
おもしろさでいうと、能より文楽でしょうね。
自分で物語の内容を確認したいので筋を書いてみます。

「徳庵堤の段」
四月半ばの徳庵堤は野崎観音参りの人でにぎわっていました。
そこへ河内屋の息子の与兵衛が悪友と一緒にやってきます。
馴染みの遊女小菊が与平の誘いを断り、他の人と野崎観音参りに出掛けたと聞き、嫌がらせにやってきたんです。
小菊と男の二人がやってくると、早速喧嘩を始めます。
この喧嘩の場面はつかみ合いあり、石が飛ぶわで、おもしろいです。
そこへ通りかかった高槻家の小栗八弥。
彼の袴に与兵衛の投げた泥が掛かってしまいます。
お付の武士が手打ちにしようと与兵衛を捕まえると、なんとその武士、与兵衛の伯父の山本森右衛門でした。
八弥が参詣の前だからといって許してくれ、与兵衛は命拾いをします。
でも、帰途に斬られるのではと、気が気ではない与兵衛です。
そこへ戻ってきた知り合いの油店を営んでいる豊島屋七左衛門の女房お吉に助けを求めます。
お吉は茶屋を借り、与兵衛の汚れた着物を洗ってやります。
が、そこへ夫の七左衛門が戻ってきて、不義を疑われます。
七左衛門はお吉をたしなめ、子供と三人で帰途につきます。
残された与兵衛は一人、とぼとぼと去っていきます。
与兵衛の放蕩の様子と性格がよくわかる段です。
お吉は気がいいんですね。
与兵衛に姉のような感じで接しています。
それが後の悲劇を生むことになります。

「河内屋内の段」
与兵衛の実家です。
兄の太兵衛がやってきて、義父の徳兵衛に伯父の森右衛門の手紙を見せます。
そこには徳庵堤の一件のことが書いてありました。
太兵衛は徳兵衛に与兵衛を勘当するようにと言いますが…。
実は徳兵衛は元河内屋の奉公人で、先代が死んだ後、後家のお沢と一緒になり跡を継いだのです。
そのために与兵衛に遠慮があり、甘やかして育ててしまったのです。
一方お沢は徳兵衛が跡を継いでくれたために、今の暮らしが保てるという感謝の気持ちを持っているため、なおさら与兵衛に甘くできないのです。
太兵衛が帰ると、入れ違いに与兵衛が戻ってきて、金の無心をします。
そして、所帯を渡すようにと徳兵衛を足蹴にし、踏みつけます。
この最中に母のお沢が戻り、与兵衛を棒で叩きます。
与兵衛が棒を取り上げ、お沢を叩き始めると、徳兵衛は棒を与兵衛から取り上げ、涙を浮かべながら与兵衛を打ち据えます。
お沢は心を鬼にし、与兵衛に出て行くようにと言います。
どんなに馬鹿な息子でも、親はいつかは自分達の心がわかるようになって、まっとうになることを信じているんですね。
こういう気持ちのわからない与兵衛は、とんでもない奴です。

「豊島屋油店の段」
いよいよクライマックスです。
お吉は娘の髪を梳いているときに、櫛が折れ、胸騒ぎを覚えます。
与兵衛が豊島屋の前を通りかかります。
綿屋小兵衛が声をかけ、借金を返すようにと迫ります。
与兵衛は明日までに返すと答えますが、まったく当てがありません。
一方豊島屋では、夫の七左兵衛が出かけます。
そこへ徳兵衛がやってきます。
彼は与兵衛にと銭三百を託すのです。
同じように、母のお沢がやってきます。
隠れようとしたのですが、徳兵衛は見つかり、銭を見つけ、私が追い出したのだから、銭なんか渡さなくていいと言うのですが…。
懐から銭五百と粽が落ちます。
なんともありがたい親心ではありませんか。
お吉はこの銭をあずかります。
両親が帰ったのを見た与兵衛は、豊島屋にやってきます。
お吉から銭を貰ったのですが、与兵衛はこれでは足りないから、金を貸してくれと言います。
お吉は今までの苦い経験から、夫が留守なので一銭も自由にならないと、きっぱりと断ります。
与兵衛はお吉なら金を貸してくれると甘くも思い込んでいたため、拒絶され、カッとなります。
油を貸して欲しいと頼み、油を入れているお吉の後ろから斬りつけようとします。
ここからが山場です。
殺されまいと逃げるお吉。こぼれる油。
油と血ですべる床。
人形が足をすべらせ、すーとすべっていきます。
ちょっと大げさですが…。

さて、お吉を殺した与兵衛がそれからどうなったのか、気になりました。
調べてみると、与平衛は盗んだ金で借金を返し、溜まった茶屋の払いも済ませ、御大尽気取りで新町や曽根崎で馴染みの遊女と遊び回っていたそうです。
捕まるはずが無いという甘い考えでいたのでしょうか?
しかし何時までも盗んだ金が続くわけでもなし、犯行後も与平衛の行動は刹那的で思慮に欠けていますね。
お吉の三十五日の逮夜の供養に与兵衛は何食わぬ顔で列席します。
ここが不思議なところですが、天井でネズミが荒れて血潮を拭った古証文を落ちてきます。
それにはのがれられぬ証拠の与兵衛の署名が書いてありました。
その上、お吉の血のすいた与兵衛の着物も見つかります。
与兵衛は悪事が露見してただちにめしとられます。
どうしようもない奴ですね。

文楽もおもしろくて、いろいろと見たいものが多く、どうしようかと迷うこの頃です。

東京バレエ団<ベジャール・ガラ> 「ペトルーシュカ」「ドン・ジョヴァンニ」「ボレロ」2009/02/08

昨日は長い間の憧れの、あのシルヴィ・ギエムを見に行って来ました。
学生時代にダンス関係の雑誌を読むと、彼女のことは必ず出てきていました。
100年に一人の逸材とかなんとか。
「脚を耳に触れるほど上げてそのままピタリと止める「6時のポーズ」と呼ばれる人間離れした踊り方」は写真にも残っていますが、股関節が柔らかくていいわねぇと、股関節も悪い私なんか思っちゃいます。
1965年生まれですから、今年2月で44歳になるんですね。
年齢から考えると、彼女を見られるのも最後ですね。

     「ペトルーシュカ」
 青年:長瀬直義
 若い娘:佐伯智香
 友人:平野玲
 魔術師:柄本武尊

この作品、全く事前に調べていませんでした。
ベジャールはもともとの内容を変えて、ペトルーシュカを青年に踊り子を若い娘になどと置き変えているようです。
仮面と鏡、そして魔術師と出てくれば、青年期独自の自分探しですか?
なんか見ていると、眠気に誘われ、ウトウトと…。

     「ドン・ジョバンニ」
 ヴァリエーション 1:森詩織、福田ゆかり、村上美香
 ヴァリエーション 2:阪井麻美
 ヴァリエーション 3:田中結子、岸本夏未
 ヴァリエーション 4:乾友子
 ヴァリエーション 5:高木綾
 ヴァリエーション 6:上野水香
 シルフィード:吉川留衣

東京バレエ団の綺麗どころが勢ぞろいです。
が、誰が誰だかわかりません。それだけ日本のバレリーナの体型がよくなっているんでしょうが…。
その中で、上野さんはわかりました。
スラッとしたスリムな体型で背が高いんですね。
他の人より主役をはっているというオーラがありました。
ところどころで出てくるシルフィードですか、なんか存在感がなく、邪魔に思えました。

     「ボレロ」
 シルヴィ・ギエム
 平野玲、松下祐次、長瀬直義、横内国弘

前から20番目の座席だったのですが、ラッキーなことに前の座席が2つ空いていました。
ギエムだけを観にやってくるかと思っていたのですが、来ませんでした。
誰(の頭?)にも邪魔されずに舞台が見られるなんて、最高です。
東京バレエ団の男子の面々がぐるっと囲む赤い舞台の上で、ギエムが踊ります。
彼女は元々は体操選手だったということですが、逞しい腕です。
まるで邪馬台国の卑弥呼のように、男どもを支配しているようです。
同じ旋律が続き、だんだんと感情が高まり、解き放たれるのを待っています。
最後の一点に向かい、すべてがあるように思いました。

ベジャールの振り付けは、バレエ団の公演をまだ2つしか見ていないのですが、あまり好きな方ではありませんが、「ボレロ」はいいですね。
ギエムは2005年以来「ボレロ」を封印してきたそうですが、私もギエム以外は見ないようにしますわ。

リタ・メイ・ブラウン 『アルバムをひらく猫』2009/02/09

久しぶりのミステリー人気シリーズです。
すぐ読めるので、気分転換にはもってこいの本です。

ご存知ミセス・マーフィは猫なのに頭がよくて、ご主人思い。
今回も、同じく猫のでぶっちょピュータとコーギー犬タッカーと三匹でご主人のハリーを守り、大活躍です。

アメリカの同窓会は日本とは全く違うんですねぇ。
そういえば、同窓会に私は行ったことがありません。
大学から郷里を離れ、転々としましたから、私がどこにいるのかわかっていないと思います。
中学校や高校の時の同級生には特に会いたいと思う人がいません。
親しい人とは普段から会っているからですけどね。
その他の人にはあまり思い入れがないのです。
その代わり、大学時代のワンゲル仲間だったら、会ってもいいかも。

高校卒業から20年。
ハリー達の同期会が開かれることになります。
日本だったらホテルかどこかで開かれるのでしょうが、アメリカは母校で行うんですね。
朝から晩まで学校にいて、おしゃべりをして昔を偲び、一緒に食事をし、晩にはダンスもするらしいです。
ハリーは準備におおわらわ。
変な手紙が届いたりして、同期会に悪雲が…。
そんな時に、在学中から女の子にモテモテだった男が射殺されて見つかります。
一体在学中に何があったのでしょうか?

アメリカの田舎ののんびりとした雰囲気がいいです。
都会でストレスフルな生活をするよりも、ハリーのように「一抜けた。」と言って、例え金銭面で恵まれなくても、人間として幸せな生活をするのもよさそうです。
そんなことを思わせられるミステリーです。

新国立劇場バレエ 「ライモンダ」を観る2009/02/11

「ライモンダ」はレニングラードで観たので2回目。
だからといって安心できないのがバレエですね。
同じもののはずなのに、筋が違っているのです。
改訂振付・演出が牧阿佐美と書いてあります。う~ん、微妙。

   2月10日 18時開演 <キャスト>

 ライモンダ:スヴェトラーナ・ザハロワ
 ジャン・ド・プリエンヌ:デニス・マトヴィエンコ
 アブデラクマン:森田健太郎

大きく違った点は、なんとあのサラセン人のアブデラクマンが一幕から登場。
そして、夢の中には出てこないのです。
誰が出るかって。もちろん主役の2人。
そして誰だかわからないコールドの面々。彼女達は妖精?
アンドリュー2世がライモンダに、わざわざ婚約者ジャン・ド・ブリエンヌの肖像画をあげたりするし…。
全体としては、主役のザハロワの踊りを見に来たのに、群舞や他のダンサーの踊りが多くなっていて残念でした。
私的には、ライモンダはペレンとかマリアネラ・ヌニェスのようなかわいいけれど、凛とした強さがあるバレリーナで、ジャンは十字軍ですから、マラト・シェミウノフのような身体の大きい逞しいダンサー、アブデラクマンは黒髪、黒い瞳、セクシーな男くささ満載の濃いダンサーがいいです。
「ライモンダ」は主役よりアブデラクマンでしょ。
今回のアブデラクマン役の森田さん、御免。顔と身体つきがあまり好きではありません。

となりに座っていた女性が話しかけてきました。
「新国立はいつもこんなんですか?」
そういわれても、何がこうなの?劇場か踊りか?
彼女、Kカンパニーが好きで、ファンクラブに入っているそうです。
気になるチケットのことを聞いてみました。
ファンクラブに入っているからといって、前の席になるとは限らないそう。
そうなんですね。今までKカンパニーで前の方の席、取れませんでした。
3月の「ピーター・ラビット」も後ろの席なんです(泣)。

公演が終わると、9時40分頃。
そのためか、大量に終わったとたんに劇場を出る人達が。
せっかくザハロワがいい踊りをしても、こんなんじゃかわいそう。
電車がなくなるから仕方がないのでしょうけどね。
レニングラードは9時ちょっと過ぎに終わったのですが、曲とか使っていないものがあったのでしょうね。

新国立劇場バレエは古典より、「アラジン」とか「シンデレラ」のような新しい演目が合いそうです。
「ライモンダ」は牧さんの改訂版じゃない方が、私は好きです。
色々と観て、早く自分の趣味に合うバレエ団を探したいものです。
そうすれば、コンサートにも行く余裕ができそうですから。

「ナショナル・トレジャー 1&2」を観る2009/02/12

「ナショナル・トレジャー」は「インディー・ジョーンズ」の二番煎じだと思えばいいようです。
もしニコラス・ケイジが好きなら、観てもいいかもしれません。
嫌いでも、それなりに楽しめます。
私はケイジ(の顔と髪)がどうしても好きになれませんがね。

ケイジが演じるベンは、テンプル騎士団の“伝説の秘宝”の秘密を受け継ぐ一族の末裔です。
ベンの父親も祖父も宝探しをやっていました。
「ナショナル・トレジャー2」の方にベンの母親が出てきます。
夫とは30年以上も別居しており、宝探しに夢中の夫に飽き飽きしているようですが、息子には甘いのがおもしろいです。
ベンは富豪の冒険家ハウからお金の援助を受け、テンプル騎士団の宝探しを始めます。
次々と謎を解いていくと、なんと「アメリカ合衆国独立宣言書」の裏に宝の地図があることがわかります。
さて、どうやって本物の宣言書の裏を見るのでしょうか。
ここから冒険の始まりです。
見事秘宝と美女を手に入れます。

「ナショナル・トレジャー2」では、ベンの祖先がリンカーン暗殺を企てたという汚名を晴らすために、またまた宝探しに乗り出します。
今度はアメリカ国内だけではなく、フランスやイギリスまで足を伸ばします。
バッキンガム宮殿にある女王の机とホワイトハウスにある大統領の机がツウィンだったり、大統領には秘密の日記があったり…。
ありえないことがいっぱいありますが、観ているうちにアメリカ史に興味がもてるかも。

暇つぶしにはもってこいの映画です。

ハンブルク・バレエ 「人魚姫」を観る2009/02/15

ドイツ・バレエは結構おもしろいのかもしれません。
昨年はシュツットガルト・バレエ。今年はハンブルク・バレエと、楽しませてくれました。
それにしても、私が一番見たかった「椿姫」をなんで東京でやらないのでしょう。
神奈川まで水曜日や木曜日に行けませんわ。

    2月15日 13時  NHKホール
<キャスト> 
 詩人:イヴァン・ウルバン
 人魚姫/詩人の創造物:エレーヌ・ブシェ
 エドヴァート/王子:カーステン・ユング
 ヘンリエッテ/王女:カロリーナ・アギュエロ
 海の魔法使い:アミリカー・モレット・ゴンザレス

アンデルセンと言えば、童話作家というイメージですね。
しかし、彼の書く作品には彼の人生が投影されていたそうです。
「人魚姫」には、一生独身だったアンデルセンの報われぬ思いが書かれているのかもしれません。
音楽、舞台装置、衣装、照明などすべてが現代的です。
<第一幕>
ヘンリエッテとエドヴァートの結婚式を回想する詩人。
やがてエドヴァートへのあこがれが人魚姫を作り上げていきます。
詩人と人魚姫が互いの影のように、舞台に…。
王子は船上でゴルフをしています。
ボールが海に落ちてしまったので、潜って取りに行きますが、海の魔法使いが起こす嵐に巻き込まれてしまいます。 
ノイマイヤーは日本文化に造詣が深いそうです。
そのためか、歌舞伎からヒントをもらっているらしく、人魚達の衣装が袴だったり、顔に隈取をしていたり、人魚姫が海で泳ぐ様子を表すために三人の黒子がいたりとしています。
人魚姫は王子を助け、彼に恋してしまいます。
浜辺に彼を運んでいった時に、修道院学校の修道女と女生徒がやってきます。
王子は意識が戻った時にいた王女が助けてくれたのだと思い込んでしまい、彼女に恋してしまいます。
その様子を見た人魚姫は人間になろうと決心します。
人魚の尾びれがなくなる様子が、歌舞伎のはや代わりのようです。
次々と衣装をはいでいくのです。
人間になった人魚姫は王子に拾われます。
<第二幕>
願いは叶ったように思われるのですが、人間になった人魚姫は幸せではありませんでした。
人間社会に適応できないのです。
閉所恐怖症になってしまいますし、歩くのもおぼつかなく、猫背でいつもビクビクしています。
何よりも辛いのが、王子と王女の姿を見ることでした。
二人は仲良くなり、結婚することになるのです。
結婚式の日、ブライドメイドになった人魚姫は、王子を見つめます。
私を見て。私の気持ちをわかってと…。
しかし、その思いは王子には伝わりません。
この場面では人魚姫の心の痛みが感じられ、辛くなります。
ノイマイヤーの振付はすごいと思いました。
人魚姫のところに魔法使いがやってきます。
ナイフを渡し、王子を殺せば、元の人魚に戻れ、前と同じ生活ができるというのです。
しかし、人魚姫には王子を殺せません。
人魚姫が自らのバレーシューズを剥ぎ取り、服を脱ぎ捨てていく場面は圧巻です。
最後に舞台には詩人と彼の創造物である人魚姫が残ります。
人間の普遍の営みである愛の痛みを芸術にまで高めたのが、「人魚姫」なのかもしれません。
カーテンコールでは会場は大盛り上がり。ノイマイヤーも舞台に出てきました。

ここから私の好みの話。
ウルバンは私の好みですが、裸を見たいと思っていたら(ユングの水着姿を見たので)、最後に上半身裸に。
裸は好みではありませんでした、笑。
その上、シルクハットを取ると残念なことに前髪が…。
王子はたいした人間ではなく、ただの気のいい軽率な男という感じで、なんで人魚姫があれほど好きになるのと思いました。
なんと言ってもブシェがよかったです。12日のアッツォーニがいいという話でしたが、ブシェもすばらしかったです。
あ~、「椿姫」、観たいです。
でも5月にデンマーク・ロイヤル・バレエのノイマイヤー版「ロミオとジュリエット」が見られるので、我慢しますわ。