「マネとモダン・パリ」展@三菱一号館美術館 ― 2010/04/09
6日にオープンしたばかりの三菱一号館美術館へ行ってきました。

美術館入り口です。
平日なのに、思ったよりも人が入っていました。
主に定年世代と主婦が多いようです。
マネは裕福なブルジョワ家庭の長男として生まれ、一旦は見習い船員をしたのですが、親の同意を得て、16歳で画家になる道を歩み出したようです。
第一章、1850年~1860年代は「スペイン趣味とレアリズム」としてまとめてあり、スペインらしく闘牛やジプシーの絵が多く展示してあります。

<スペインの舞踏家>
第二章は「親密さの中のマネ:家族と友人たち」です。
マネは作家のゾラや詩人のマラルメと親しくしており、ゾラの肖像画やマラルメがエドガー・アラン・ポーの『大鴉』を訳した時の挿絵が展示されていました。
ベルト・モリゾの絵が印象的です。
第二章は「親密さの中のマネ:家族と友人たち」です。
マネは作家のゾラや詩人のマラルメと親しくしており、ゾラの肖像画やマラルメがエドガー・アラン・ポーの『大鴉』を訳した時の挿絵が展示されていました。
ベルト・モリゾの絵が印象的です。
モリゾはルーヴルで模写をしている時にマネと出会い、弟子になり、モデルにもなった女性です。

<すみれの花束をつけたベルト・モリゾ>

<横たわるベルト・モリゾの肖像>
マネを見つめる彼女の顔を見ていると、二人の間に何かあったのではないかと思えます。
ベルトはマネの弟と結婚してしまい、その後彼女の絵は描かれることはなかったそうです。
マネを見つめる彼女の顔を見ていると、二人の間に何かあったのではないかと思えます。
ベルトはマネの弟と結婚してしまい、その後彼女の絵は描かれることはなかったそうです。
第三章は「マネとパリ生活」。
ポン・ヌフの建設の様子やノートル・ダム寺院の設計案、万国博覧会の産業開館の透視図などがおもしろかったです。
ポン・ヌフの建設の様子やノートル・ダム寺院の設計案、万国博覧会の産業開館の透視図などがおもしろかったです。
あんなに精密に描けるんですねぇ。
1870年代のパリは今と同じようなたたずまいです。
マネというと油絵が思い浮かびますが、エッチングなどもしていたことがわかりました。
そういえば、『死せる闘牛士』と『自殺』という、人の死を扱った絵がありました。この頃、流行っていたんでしょうか?
そういえば、『死せる闘牛士』と『自殺』という、人の死を扱った絵がありました。この頃、流行っていたんでしょうか?
この展覧会で一番印象的だったのが、家族を描いた絵です。

<温室のマネ夫人>
韓国の服を思わせるような服を着て、夫の視線を避けるかのように座っている夫人です。マネの暖かい視線を感じずにはいられません。
美術館の外に出ると、庭があり、ベンチが置いてあります。
韓国の服を思わせるような服を着て、夫の視線を避けるかのように座っている夫人です。マネの暖かい視線を感じずにはいられません。
美術館の外に出ると、庭があり、ベンチが置いてあります。
カフェに入ろうとすると、外の席しか空いていませんでした。
当分、人が多いでしょう。落ち着いたころにまた来たいものです。



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