井上ひさし 『ボローニャ紀行』2010/04/11

井上ひさしさんが、9日、お亡くなりになったそうです。
井上さんというと、放送作家の頃の『ひょっこりひょうたん島』は面白かったですね。未だに主題歌を歌えます。
小説は『吉里吉里人』を最後まで読んだかしら?
彼のユーモアセンスについていけなかったような気がします。
劇は見たことはないですね。
それでも、色々な意味で奇才というのにふさわしい方だったのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
 
 
たまたま一週間前に読み終わったのが、『ボローニャ紀行』です。
(本を探しているのですが、どこに行ったのか見つからないので、記憶だけで書いています。)

ボローニャというと、ハムとかスパゲティ・ソースが思い浮かびます。
でも、一体、ボローニャはイタリアのどこにあるのでしょう?

 
フィレンツェの上なんですね。
『ボローニャ紀行』を読んでわかったのは、ヨーロッパ一古い大学がボローニャ大学だということです。
昔の大学は校舎がなく、どこででも講義をしていたとか。
サッカーの中田選手にボローニャ大学が、どの学部に入ってもいいよと入学許可を与えていたなんてことが書いてありました。
中田選手が大学に通っていたら面白かったのに。
 
意外だったのが、ボローニャは精密機械の町なのです。
例えば、紅茶のティーバックの機械はボローニャ製らしいです。
日本の企業が、昔のホチキスでとめたようなティーバックは金臭いので違うものにしてくれと要求して、今のようなティーバックになったそうです。
企業は「暖簾わけ」をしているようですが、同じものを作ってはいけないという規則があり、例えばティーバックの企業から独立した企業は、違うものの包装機械を作らなければならないようです。

なんといっても、日本にもこういうところがあっていいなと思ったのが、障害のある子供たちが経営するレストランです。
ある市民が彼らに場所を提供し、そこにレストランを作りました。
それぞれの子供たちが、自分達にできることをやっています。
町の人たちもどうせ何かを食べるのなら、彼らのところで食べてやろうと、わざわざやってくるのです。
 
「チネテカ」という映像文化センターなどは、古い映画好きが、フィルムを修復して、見せたことから始まったといいます。
こういうことに、市もお金などの援助を惜しまないといいます。
「ボローニャ方式」という言葉もあるとか。
 
何故、ボローニャにこういうことができるのかは、私が説明するよりも『ボローニャ紀行』を読んでみた方がわかると思います。
ボローニャはイタリアに行ったら、一度訪れてみたい町になりました。