佐野洋子 『シズコさん』2010/05/16

画家の佐野洋子さんの日常を扱ったエッセイは、ハチャメチャな頑固おばあさんという感じで好きです。
『シズコさん』では自分の母親のことを書いています。


世の中に、どれくらいの娘が母親のことが好きでしょうか?そして、どれくらいの娘が母親を嫌っているでしょうか。
 
私なんかは嫌ってまではいませんが、性格的に合わないなぁ~と思っています。親っていうものは、何歳になろうが子供は子供なんですね。子供扱いされると、私はもう大人なんだからと言いたくなり、それで喧嘩みたいになり、電話を切ることがあります。つくづく近くに住んでいなくてよかったと思います。
 
佐野洋子さんのお母様はもっと強烈です。
 
父は東大卒の人で、学者風。母は化粧をいつもしていて、家事が上手で社交的な人。そんな二人ですが、何故か合っていて、子供が六人。その中の2人の男の子は幼くして亡くなっています。
 
父親の仕事の関係で、佐野さんたちは戦前、北京に住み、終戦の年、大連に移り、2年後に日本に引き揚げ船で戻ってきました。
父親は東京に職はあっても家はなく、仕方なく故郷で高校教師をしました。
 
母親は佐野さんの兄が死んだ時から、佐野さんに虐待を始めたそうです。例えば、水運び。10歳にもならない小さな女の子が、30メートルぐらい離れた川からバケツに水を汲んで、家の中にあるコンクリートの水槽をいっぱいにしなければならないのです。少なくとも10回は行ったり来たりしなければならなかったそうです。 
 
母親は働いていませんから、佐野さんが学校に行っている間に自分がしてもいいでしょうし、佐野さんと一緒に毎日やってもいいでしょう。もしくは、働いている父親が仕事に出る前にやったっていいでしょう。
 
友達と遊んで遅く帰った時、どこで遊んできたのかと、柱に佐野さんを押し付けて頭をゴリゴリ柱にぶつけたなんて書いてありますが、ちょっと信じられません。
 
今では幼児虐待になりますね。
 
大陸にいる頃に比べ、日本に戻ってくると生活は苦しく、親戚には遠慮しながら暮らさなければならないし、子供は2人も死んでしまうし・・・。
女性が生き生きと生きられなかった時代ですから、シズコさんは自分の中にあるマグマのようなものの出しようがなく、佐野さんに向かっていったのでしょうか。
 
夫が死んだ後、彼女は女手一つで、母子寮の寮長をして子供たちを育てました。
 
そんなシズコさんが、77歳で弟夫婦に家を奪われ、80歳から痴呆症状が出てきました。家族だけでは見ていられないぐらい認知症が進んだので、施設に入れます。
 

「ありがとうごめんなさいは、生まれて来た時は皆同じ入れ物に入っていて、ふつうはその時々に少しずつ使って、一生が終る時つかい切るものなのだろうか。
 母はテルコに家を追い出されて、さまよう人になってから、「ごめんなさい」「ありがとう」をひしゃくでふりまくように云うようになった。母さんは「ごめんなさいとありがとうのバケツ」を開けたのだ。そしたら、使ったことがないごめんなさいとありがとうが、なみなみとバケツ1ぱいに残っていたのではないだろうか。
 ごめんなさいとありがとうが、どんなにいい言葉か、ほんとに初めてよくわかった。ごめんなさいとありがとうを云う母は、柔和な笑顔になり、優しさが腹の中にいっぱいつまってこぼれ落ちる様に見えるのだ。
 そして、ごめんなさいとありがとうは、私を少しずつ変えて行った。」


そういえば、仕事でやるはずのことをやっていなかったり、失敗した時に、絶対に「ごめんなさい」を言わない人っていますよね。下手をすると、人のせいにしたりして。そういう人とはできるだけ一緒には仕事をしたくないですね。仕事など勝ち負けではないのだということを知らないのでしょう。「ごめんなさい」を言うと、自分の価値が下がると思っているのかしら?
 
「ありがとう」はできるだけ言いたいと思います。どんな人も「ありがとう」を言われると、嬉しくなりますものね。
 
シズコさんは佐野さんに対して「ごめんなさい」と「ありがとう」を言わなかったのです。この二人、相性が相当悪かったのでしょう。
 
子供ってまず親に愛され認められることにより、スクスクと育っていき、他人との関係を築いていけるようになるのです。佐野さんは本当はお母さんのことが好きで、幼い頃からお母さんに、ただただ認めてもらいたくてしょうがなかったんだと思います。
 
親は子にとって、どんなに相性が悪くても、どんなに駄目親でも、親なんですから。
 
言葉は悪いのですが、幸運にもお母さんが認知症になり、認知症になったお母さんと接することで、佐野さんはお母さんを許せたのです。
 
長い道のりでしたね。
 
人間と人間の関係修復にはそれだけ長い時間がかかるし、修復ができなくて終わる場合もあるんです。
 

「私は「こころ」というものがあるなら、母さんに対してそれを麻糸でぐるぐる巻きに固く固く何十年もしばり込んでいた様な気がする。その糸がバラバラにほどけて、楽に息が出来て生き返った様な気がする。」


「よかったね、洋子さん」と言いたくなりました。
 

堤 未果 『ルポ 貧困大国アメリカ Ⅱ』2010/05/17

今日は懐かしい人から電話があり、ハッピーになりました。元気で頑張っている様子に一安心しました。
 
さて、『ルポ 貧困大国アメリカ』に続く本が出ていました。とりあえず、感想というより、覚書みたいになります。ちょっと表現が変なところがあるかもしれませんが。
 
「第1章 公教育が借金地獄に変る」
アメリカと言えば、奨学金がしっかりしているので、バイトをしながら、どんな人でも大学に通えるようになっていると思っていました。しかし、それはもはや過去のことだったのです。
学生は学位を取るために、無理をしてローンを組んで大学に行きます。簡単にローンを組めるようになっているからです。
しかし、無理をして入った大学教育はビジネス化しており、株式会社が経営するものが多く、学費が高い上に、経費削減のため、いい教育を行っているとは言えません。その上、「学位さえあれば望む仕事につける」は幻想で、大学を出てもろくな仕事がない場合が多いのです。
学費ローンはサリーメイという企業の独占のような状態です。学生は大学を出さえすれば、明るい未来が待っていると、よく考えもせずに、サリーメイから借金をします。そうすると、どうなるか。
学費ローンは住宅ローンやカードローンのように消費者保護法の適用がないのです。ということは、借り手が自己破産した場合の借金残高免責もないし、利子の低いローンへの借り換えもできないし、経済的困難に陥ったからといって、支払いの猶予期間の申請もできないのです。
不良債権化したローンは、執拗な取立てが始まり、借り手が死亡しても借金取りが追いかけてくるのです。
これではアメリカの若者に未来はありません。

「第2章 崩壊する社会保障が高齢者と若者を襲う」
アメリカの2009年5月の失業率は9.4%。10月は10%を超えています。
アメリカの年金制度を見ると企業年金が多いようですし、企業年金が拡大していると言います。
例えばGM。GMに就職すると、生涯無料の医療保険と年金がついてくると言われていました。ところが、年金制度の改革をしなかったため、年金基金が破綻し、医療保険はなくなり、年金も大幅に減少することになってしまいました。そのため、退職しても働かなければ暮らしていけないという状態になった退職者がたくさんいます。
アメリカン人の貯蓄率は低いと言われています。何故でしょう?
アメリカ人は将来の貯金より株に投資したり、現役時代を楽しむという「消費至上のライフスタイル」を選んでいるからです。
このことが、年金制度が破綻した時に、どうしようもない状態を招いていると言ってもいいかもしれません。

「第3章 医療改革VS医産複合体」
オバマ政権が単一支払い皆保険制度を行うと公約では言っていたのですが、現在は「公的保険+民間保険」か「既存のまま民間保険のみ」のどちらかにするということになりました。
何故アメリカでは日本のような皆保険制度ができないのでしょうか?
保険会社が国民の感情と無知を利用し、ネガティブCMを流し、単一支払い皆保険制度になると、大変なことになると、反対を唱えたせいだと言われています。
ようするに単一支払い皆保険制度になると、保険会社が儲かんなくなるのです。
「ER」を見ていると、とうていお金を払えないような人も診察されています。不思議に思っていたのですが、その謎が解けました。
アメリカンでは法律でERだけは無保険でも患者の受け入れ拒否ができないとなっているのです。
アメリカでは病院も株式会社化しているため、ERを置くと経営が苦しくなるので、ERを閉鎖するようになっているようです。
第2章で学生の学資ローン返却が大変だということを書きましたが、医学部の学費ローンが高額になっているため、収入の多い専門医を目指す学生が7割だそうです。このためプライマリケア医師(家庭医や小児科医、内科医)が不足しているそうです。
 ライマリケア医師が不足すると、医師の過剰労働が起り、医師たちが過労死しないために診察を止めるか、診察時間を数分にするか、その前に赤字で廃業するかになってしまいます。 
医療費の高騰により、新ビジネスが流行っているそうです。その名は「コンビニ・クリニック」。大手薬局チェーンが看護師資格を持つ人を雇い、待ち時間なしで薬を売るというものです。この弊害として、ERに運び込まれる、親に過剰に薬を飲まされた5歳以下の幼児が増えているそうです。
今のアメリカの医療現場は効率主義に陥っており、「患者と医師の間のつながりや医師の中に存在するはずの誇り、充実感など」がなくなっています。

「第4章 刑務所という名の巨大労働市場」
日本では刑務所というと国営ですよね。ところがアメリカは国営と民営の2つがあります。
本来刑務所では社会復帰させるための職業訓練や教育を行っていましたが、コスト削減のため、「官から民へ」となってきました。
コスト削減になると、何が削られるかというと、職業訓練費や教育費です。そのため技術も教育もなく、訴訟費用などの借金がある若者を出所させることになり、再犯Uターン率が上がります。
刑務所ビジネスというものがあります。受刑者の時給が最安価で対応丁寧、サービスが早く、雇用保険は要らないし、文句を言わない、ストもやらないということで、刑務所がローリスク・ハイリターンの投資信託になっているのです。
アメリカの総人口は世界の5%なのに、囚人数は世界の25%だそうです。
なんでこんなに囚人が多いのでしょう。実は凶悪犯はそんなに多くないのです。 囚人が多いと得をするのは誰か? 企業ですよね。

「エピローグ」
今や、たくさんのアメリカ市民が動き始めたそうです。党派にかかわらず、おかしいと声をあげ続ける議員、こどもたちのためにもう一度同じものを目指そうと手を差し伸ばす教師たち、いのちの商品化を止めようと議会に乗り込んでいく医師たち、政治世界に自ら参加し始めた若者達、真実を届けようと身体を張るジャーナリストやNGO・・・。
 
この本を読んでいると、アメリカはもはや日本が見習うべき国ではなくなりましたね。アメリカの轍を踏まないように、私達は冷静に状況を判断し、日本をいい方向へ動かしていくようにしなければと、つくづく思いました。 
 

「マラーホフの贈り物 プログラムA」を観る2010/05/19

本当はプルグラムAには行かない予定だったのですが、プログラム付の安いチケットが売っていたので、観に行ってきました。座席が結構空いていました。
特にマラーホフが好きと言うわけではなく、シュツットガルト・バレエ団からマリア・アイシュヴァルトとマライン・ラドメイカーが参加するというので、チケットを買ったのです。
やっぱりこの二人はよかったです。
ボリショイのニーナ・カプツォーワとイワン・ワシーリエフも次に楽しみにしていたのですが、ローラン・プティが来たリハーサルにワシーリエフが出なければならなくなり、参加しませんでした。残念。

《マラーホフの贈り物》プログラムA


第一部:
「ザ・グラン・パ・ド・ドゥ」
エリカ・カリッロ・カブレラ      ミハイル・カニンスキン

何回かこの演目は観ていますが、いつ観ても笑いを誘います。今回のペアは、特に男性が女性を振り回し、殴りと、前に観た以上にエキサイトしていました。最後には手に持っていたバッグの取っ手が取れていたような・・・。

「ジュエルズ」より”ダイヤモンド”
振付:ジョージ・バランシン  音楽:チャイコフスキー
ポリーナ・セミオノワ    ウラジーミル・マラーホフ
 
「ジュエルズ」を始めてみるので、どんなバレエなのか興味があったのですが、それほどではなくて、ちょっとガッカリしました。特にこれといって言うことはないです。バランシンの振付って私に合わないのかもしれません。

「ボリショイに捧ぐ」
振付:ジョン・クランコ  音楽:アレクサンドル・グラズノフ
マリア・アイシュヴァルト   マライン・ラドマイカー

1956年ボリショイ・バレエが初めてロンドン公演を行ったのを観て、当時イギリスで振付家として活躍していたクランコが、ボリショイへの敬意をこめて創作した小品だそうです。
ラドマイカーを始めてみましたが、私の好みの容貌(金髪のイケメン)と踊りです。

「アレクサンダー大王」
振付:ロナルド・ザコヴィッチ   音楽:ハンス・ジマー
エリサ・カリッロ・カブレラ   レオナルド・ヤコヴィーナ

まだ全幕できていないようですが(できたのでしょうか?)、全幕できたら是非見たいです。音楽といい踊りといい、スケールが大きそうで、私の好みなのです。二人の絡み合いのエロさが見物です。

「コッペリア」よりパ・ド・ドゥ
ヤーナ・サレンコ   ディヌ・タマズラカル

第二部:
「仮面舞踏会」より”四季”
振付:ウラジーミル・マラーホフ   音楽:ジョゼッペ・ヴェルディ
冬:上野水香、長瀬直義、宮本祐宜、梅澤絋貴、柄本弾
春:吉岡美佳、柄本武尊
夏:ポリーナ・セミオノワ、ウラジーミル・マラーホフ
秋:田中結子、松下裕次
 ほか東京バレエ団

どうも私はある女性ダンサーのことが好きになれません。世界バレエフェスティバルの時、あまりにもひどいオデットを観てから、彼女には表現力がないと思っています。これも駄目でした。彼女には表現者としての才能がないのではないのかと思ってしまいます。

第三部:
「カラヴァッジオ」よりパ・ド・ドゥ
振付:マウロ・ビゴンゼッティ   音楽:ブルーノ・モレッティ
ウラジーミル・マラーホフ   レオナルド・ヤコヴィーナ
 
男性二人の踊りを始めてみました。
「カラヴァッジオ」とはバロック絵画の先駆者。彼って男色家でしたっけ?
 
               洗礼者聖ヨハネ

なんとも不思議なまなざしの聖ヨハネです。
この作品はカラヴァッジオの7つの絵画作品をモチーフにしているそうです。第一幕のフィナーレのパ・ド・ドゥですが、どの作品でしょうか?
二人の踊りがエロチックで、何とも言えず、よかったです。

「ゼンツァーノの花祭り」
ヤーナ・サレンコ   ディヌ・タマズラカル

「椿姫」より第三幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー   音楽:フレデリック・ショッパン
マリア・アイシュヴァルト   マライン・ラドメイカー

期待を裏切らない踊りでした。踊り始めると、舞台が「椿姫」の世界に変わりました。彼らの後に踊るのが嫌でしょうね。
死の病に冒されていることを知り、アルマンの元を去ったマルグリットですが、アルマンが他の女性と一緒のところを見て、こらえきれずにアルマンの部屋を訪ねてしまったマルグリットです。
「最初は彼女を拒絶しながらも、もう一度やり直せるのではないかと思うアルマンと、彼に別離の事情を告げることはできず、また自分に残された時間はわずかだと覚悟もしているマルグリットの気持ちはズレたまま、それでも抑え難い情熱に突き動かされ二人は狂気のような最後の愛を交わす」(ウィキペディア)という場面です。 
全幕観たいと強く思います。

「トランスパレンテ」
ベアトリス・クノップ   レオナルド・ヤコヴィーナ

ポルトガルの民族音楽、ファドに合わせて踊りました。が、「椿姫」の余韻が残っていて、入り込めませんでした。残念。

「瀕死の白鳥」
振付:マウロ・デ・キャンディア   音楽:カミーユ・サン=サーンス
ウラジーミル・マラーホフ

Bプログラムでもソロでマラーホフが踊るのが、この「瀕死の白鳥」です。男のダンサーのはコルプで観ました。マラーホフは…。なんか「椿姫」で私の思考は停止したみたいです。Bプロで見直します。

全員が揃っているのを観ると、マラーホフって小柄なのね。というかパートナーのセミオノワが結構大きいのね。それに比べてアイシュヴァルトの小柄なこと。踊ると全然違って大きく見えるのに。

土曜日の「ロミオとジュリエット」が楽しみです。

マイクル・コナリー 『エコー・パーク』2010/05/21

ハリー・ボッシュ・シリーズの新作です。


ロス市警にまた勤め始めたボッシュは、未解決事件班で13年前に起こったマリー・ゲストの事件を忘れられずにいました。
何度となくファイルを出して、手がかりを見つけようとしていました。
マリーは行方不明で、当時、彼女の乗っていた車が使われていないはずの車庫に置いてあり、彼女の姿は見当たりませんでした。
容疑者として石油王の息子、アンソニー・ガーランドが浮上していましたが、父親が弁護士を連れてきて、接近禁止令を出されてしまい、事件は解決していませんでした。
 
そんなある日、フレディ・オリーヴァスというノーストイースト署殺人課の刑事が電話をかけてきて、ボッシュが持っていったマリー・ゲストのファイルを渡して欲しいと言ってきます。
他の事件で捕まったレイナード・ウェイツがマリーを殺したと自供したというのです。
ウェイツは1992年から2003年までに発生した既知あるいは未知の殺人事件九件に関する情報を提供するから、司法取引をしたいと言っているというのです。
ウェイツに会うことになったボッシュは、しばらく会っていなかったFBI捜査官で元恋人のレイチェルに連絡し、プロファイルをして欲しいと助けを求めます。
このことをきっかけに、ボッシュとレイチェルは付き合いを復活させます。

ウェイツの自供を確かめるために、ボッシュ達はマリーの死体発掘へと出かけます。
マリーと思われる骨が見つかり、ウェイツを車に戻そうと帰途についた時、ウェイツは逃亡してしまいます。
その時、ボッシュの相棒のキズ・ライダーは撃たれ、病院に運ばれます。
ボッシュは自宅待機を命じられますが、レイチェルの助けを借り、ウェイツのこ
とを調べます。
そしてわかったのは、上司プラットの裏切りでした。
 
いつものように次は・・・と読ませる内容です。もちろんハードボイルドですから、ボッシュの私生活にはハッピーエンドはないですが。

「マラーホフの贈り物 プログラムB」を観る2010/05/22

2回目のマラーホフです。
それでわかりました。私にはマラーホフって好きなタイプではないみたいです。
ルジマトフのようにカリスマ性がないし、コルプのように妖しい魅力もないし、踊っている姿を見てもときめかないのです。
スタイルがなんかちょっと変。白いパンツ一丁で肉体を満遍なく見せてくれたのですが、全然目の保養にはならなかったし・・・。
帰りに、「とってもよかったぁ~」とはしゃいでいる女性を見て、ちょっとうらやましかったです。
 
5月22日(土) 15時開演
《プログラムB》

第一部:
「カラヴァッジオ」(第1幕)よりパ・ド・ドゥ
ポリーナ・セミオノワ/ウラジーミル・マラーホフ


今度は男女のペアです。「カラヴァッジオ」は「光と影」をテーマにしているとのこと。DVDが出ていて、中村祥子さんも出演しているんですね。そちらの方が見たかったです。次回は彼女を連れてきて!

「ディアナとアクティオン」
ヤーナ・サレンコ/ディヌ・タマズラカル

ディアナは月と狩猟、純潔の女神。王子アクティオンは狩に森に来て、ディアナの水浴場面を見てしまい、ディアナに牡鹿に変えられ、自分の猟犬に八つ裂きにされてしまうとか。
全然そんな感じではありません。本筋とは関係ない踊りだそうです。わけがわかりませんね。

「カジミールの色」
エリサ・カリッロ・カブレラ/ミハイル・カニスキン


カジミールはロシアの抽象画家です。今回は「青」が私には見えましたが・・・。

「モノ・リサ」
マリア・アイシュヴァルト/マライン・ラドメイカー

や~、まるっきりコンテンポラリーではありませんか。イスラエルの振付家イツィク・ガリリの作品。音楽が変っていて、タイプライターと打楽器、鐘などを印象的に使っています。アイシュヴァルトって身体柔らかい、と関心しました。

「瀕死の白鳥」
ベアトリス・クノップ 
ウラジーミル・マラーホフ

残念ながらクノップの白鳥はあまり上手いとは思いませんでした。腕の表情が美しくなかったからです。難しいですね。
舞台が暗転した後、暗闇に人が・・・。マラーホフでした。
私は今日も彼が踊ると思っていたので、女性が出てきてびっくりしたので、意外ではなかったのです。今日も見ましたが、コルプの踊った振付の方が好きかも。

第二部:
「ラ・バヤデール」より“影の王国”
ポリーナ・セミオノワ/ウラジーミル・マラーホフ
 第1ヴァリエーション:ヤーナ・サレンコ
 第2ヴァリエーション:乾友子
 第3ヴァリエーション:エリサ・カリッロ・カブレラ

何故か私の隣の人がいなくなりました。座高の高い男の人のせいで見ずらいので、怒って帰ったのかしら?
これも前の人のせいで見えず。イライラしっぱなしでした。やっぱり”影の王国”は後の席から見た方がきれいだったのでしょうね。悔しいわ。

第三部:
「ロミオとジュリエット」第1幕“バルコニーのパ・ド・ドゥ”
マリア・アイシュヴァルト/マライン・ラドメイカー

「マラーホフの贈り物」の一番の見所。小柄なのでアイシュヴァルトはジュリエットをやってもいいのですが、でもういういしくはなかったわ。それでも、見せてくれます。ドラマがあります。
ラドメイカーは金髪なので、ロメオにはぴったり。近くから見て、ちょっとガッカリ。あまり顔が私の趣味ではなかったもの(失礼)。でも、今後も楽しみにします。

「カラヴァッジオ」(第2幕)よりパ・ド・ドゥ
ベアトリス・クノップ/レオナルド・ヤコヴィーナ

「カラヴァッジオ」も三度目。それぞれに場面が違っているのですが、やっと目が慣れてきたようです。三つの中では一番好きです。

「レ・ブルジョワ」
ディヌ・タマズラカル

今日、前で見て気に入ったのがタマズラカルです。野生的でいいですね。ジャック・プレルのシャンソンに合わせ踊ります。こういうエスプリのきいた踊りは好きです。が、歌の内容が彼の年代ではないようです。40代ぐらいのダンサーが踊るともっと素敵でしょうね。


「ファンファーレ LX」
エリサ・カリッロ・カブレラ/ミハイル・カニスキン

私ってコンテンポラリーはわかりません。これは一番苦手なタイプです。だんだん眠くなってきました。
 
「ラクリモーサ」
ウラジーミル・マラーホフ

モーツアルトの「レクイエム」から。
やっぱりマラーホフは白いパンツが好きだった。全盛期の彼を見ていない私には、彼のよさがあまりよくわかりませんでした。

やっぱりシュツットガルト・バレエ団がいいと思いました。いつかシュツットガルトに行って見てみたいです。

ケイト・キングズバリー 『マクダフ医師のまちがった葬式』2010/05/23

ペニーフット・ホテル・シリーズの三作目。


ペニーフット・ホテルの女主人、セシリーの昔からの知り合いのマクダフ医師が亡くなりました。
夫のことを思い出し、セシリーはちょっとおセンチに。
ところがなんと、お葬式の時に、棺の中に入っているのがマクダフ医師でないことがわかります。
というのも、彼の遺体が湖の底で見つかったからです。
棺の中には、知らない若い男性の遺体が入っていました。
そして、驚いたことに、ペニーフット・ホテルの献立表がそばにあったのです。
一体どういうことでしょう。

セシリーはホテルを閉鎖されないようにと、事件に首を突っ込んでいきます。
堅物の支配人、バクスターは再度セシリーに振り回されることになります。

一方、メイドのガーティの結婚が決まり、家族同然のガーティのためにセシリーはホテルで披露宴を開くことにします。
そのためホテルの従業員はおおわらわ。

マクダフ医師のあとを引き継ぐために、とても魅力的なドクター・ケヴィン・プレストウィックがやってきました。
ライバルの登場に支配人のバクスターも気が気ではないようです。
  
今回とっても印象的だったのは、料理人のミシェルです。
一体彼は何があってペニーフットホテルにやってきたのか、話が進むうちに明らかになってくるのでしょうね。
 
残酷な場面もないので、安心して読めるのが、このシリーズのいいところです。
私にとっては、美味しい食べ物が出てこないので、ちょっぴり残念ですが。

「パッチ・アダムズ トゥルー・ストーリー」を見る2010/05/25



ハンター(パッチ)・アダムズは実在するアメリカの医師です。
 

こんな格好をしてしまう、お茶目な人です。
彼は19歳の時、自殺未遂を起こし、精神病院に入院します。
戦争の後遺症のPTSDに悩んでいる同室の男性が、夜中に、周りに敵兵がいてトイレに行けないと言った時に、パッチは彼と一緒に戦争ごっこをやり、無事にトイレに行かせます。
そういうことが人助けになると気づき、パッチは医学部に行き、医師になることにします。
医学部に入っても、型破りなパッチのやり方は、権威主義的な医学部教授たちに理解されませんでした。
そりゃそうでしょう。ふざけているようにしか思えませんからね。
寝たきりの女性の夢がスパゲティの海で泳ぐことだと聞き、その夢をかなえてあげ、女性は満足して亡くなったりするのを見ると、真の医学ってなんだろうって思います。

パッチのような医師が増えてくれると、病院に行くのも楽しくなるんですがね。
恋人の死や放校処分など、いろいろなことがあるのですが、卒業式には笑わせてくれました。
最後までパッチはパッチでした。

J.D.ロブ 『過去からの来訪者』2010/05/27

イヴ&ローク・シリーズの23作目。


やっと二人が結婚してから2度目のクリスマスになりました。
友人のメイヴィスが妊娠して、かれこれ三冊目(だと思う)ぐらいになるのに、今だに子供は生まれていません。伸ばし過ぎ!

イヴのところに昔の里親の女性が会いに来ます。
昔のことを思い出し、イヴは混乱し、取り乱してしまい、彼女を追い出してしまいました。
その女性はトルーディ・ロンバードといい、イヴのような里子の女の子たちを精神的に虐待していました。
ロンバードの目的はイヴを昔のことで恐喝するということでした。
イヴに追い出されたロンバードは怒り、ロークに会いに行き、イヴの過去を知られたくなかったら、お金を出すようにと言います。
もちろんロークは断ります。
イヴはきちんとロンバードに会って話をつけようとします。
ところが、イヴがホテルに行くと、ロンバードは何者かに殺されていたのです。
ロンバードは息子とその嫁と一緒にニューヨークに来ていました。
調べてみると、他の里子たちも恐喝していたようです。
一体誰がロンバードを殺したのでしょうか。

イヴの家のクリスマスパーティの様子とロークのプレゼントがとっても豪華でうらやましくなります。
ロークのプレゼントは、くすんだ黄緑色で裾の長いカシミアの部屋着、拡大鏡、耳から下げるタイプのダイヤモンドのイヤリングなどの宝石。
一方イヴのは、「ロークの世界」というゲームとイヴが警察のアカデミーに入った頃の写真です。
そういえば、ずっとプレゼントなんてもらってないわ。
日本の男性ってケチですねぇ。

イヴ&ローク・シリーズの次作は、きっとメイヴィスに子供が生まれるでしょう。
一体何巻まで続くんでしょうね。「
世界最長の小説シリーズ」、ペリーローダン・シリーズのようになるとすごいのですが。
ちなみにペリーローダン・シリーズは5月現在で377巻まで発行されているそうです。
私は中学校の時にSFファンの友人がいたので、最初の方は読んだはずです。
内容は忘れちゃったけど。

シリーズ・音楽のチカラ「スーザン・ボイル~21世紀シンデレラ・ストーリー~」2010/05/28

昨夜NHKでやっていたのが、この番組です。
スーザンについては何回か書いていますが、いつ聴いても彼女の歌はいいですね。

スーザンは1961年4月1日に生まれたので、49歳になります。
学習障害があるので、親には期待されず、学校でも上手くいっていなかったようです。
それでも彼女が歌うと、みんな聞き入っていたと番組で言う人がいたので、彼女の歌の上手さはご近所では評判だったのでしょうね。

1999年にはチャリティでCDを1000枚プレスしたそうです。
その時の歌が ”Cry Me a River"。
どうりでCDを聴いた時にいいと思ったはずだぁ。
このCD、スーザンが有名になったので、一体いくらになっているんでしょう?

コンテストの時は太ったさえないおばさんだったのですが、今やまゆげもちゃんと切り揃えて、見られるようになっています。


しかし・・・顔は変わっても、スタイルはなかなか変りませんね。
(わが身を振り返ると、痩せるのは難しいとつくづく思います。太ると服が似合わなくて・・・)

番組で一番印象的だったのは、彼女がオーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」で憧れと言っていたエレイン・ペイジと歌った場面です。
彼女はミュージカル「キャッツ」や「エビータ」で主役をしていた人です。
「チェス」というミュージカルから「アイ・ノウ・ヒム・ソー・ウェル」をデユットしています。
歌は場慣れしているエレインですからねぇ、貫禄勝ちです。
でも、声の質はスーザンの方が澄んでいてきれいだと思いました。
 
一発屋で終わるとか言う人もいるようですが、それでも彼女の歌は残ると思いますよ。特に「夢やぶれて」は今や彼女の歌になっています。
彼女の歌う「翼をください」もいいです。YouTubeで聴いてみてください。
 

オルセー美術館展2010 「ポスト印象派」@新国立美術館2010/05/29

「モネ、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ルソー、傑作絵画115点、空前絶後」などというキャッチフレーズがついています。
26日からの開催で、金曜日の午後遅くに行ったので、思ったよりも空いていました。
オルセー美術館の印象派のギャラリーは今改修中だとのことで、その間に世界中の美術館をまわり稼ごうという感じですね(笑)。

そんなに混んでいないようなので、イヤホン・ガイドを借りてみることにしましたが、使っているうちに、ナレーションが妙に短かったり長過ぎたりし、説明もわかりきったことを言ってたりするので、必要なかったみたい。
だんだんと苦痛になってきました。
ヘッドフォンじゃなく、片耳に機械をあてて聞く形式なので、手と耳が疲れます。
人間、視覚と聴覚、同時に使えるのかというと、絵を見るときには私は駄目です。次回はイヤホン・ガイドは借りないで、見ることに徹しますわ。

会場は10に分かれています。

<第一章 1886年―最後の印象派>
モネの「日傘の女性」「睡蓮の池、緑のハーモニー」とドガの「階段を上がる踊り子」が展示されています。
 

やはりモネの興味の関心は人ではなく、光です。暑い夏の燃えるような大気、草いきれ、青い空、風・・・。
「日傘の女性」は3枚あるようで、最初の一枚は妻のカミーユと息子を描いており、オルセーにある妻が死んでからの2枚(右向きと左向き)は再婚した妻の娘がモデルだそうです。

 
モネの描く日本の太鼓橋を模した橋のかかっている睡蓮の池は、未だにそのままで残っているようです。
フランスに旅行することがあったら、モネの家のあるジヴェルニーに行ってみたいです。
 

ドガの踊り子です。踊り子シリーズの中で好きな作品のひとつです。
踊り子たちの一瞬の動きを瞬時に書き写したような感じがいいです。

1886年最後の印象派展が開かれ、この後からはポスト印象派が活躍することになります。

<第二章 スーラと新印象主義>
スーラと言えば、点で絵を描いた人です。彼は光学や色彩学などの知識を応用して独自の点描技法を考案したそうです。ようするにテレビのブラウン管のように絵を描いたってことですかね。
一枚の絵を書き上げるまで、素描や下書きなどを何枚も描き、構想を練ったようで、<ポーズする女達>の修作が展示されています。

            「ポーズする女、後ろ向き」
 
点を打つだけで、相当時間がかかったでしょうね。
性格的に凝り性?粘着質?
スーラは31歳で亡くなったそうですが、こんな絵を描くんじゃ長生きしなさそうですね。(あくまでも個人的感想です)

<第三章 セザンヌとセザンヌ主義>
印象派展に一時参加したセザンヌですが、袂を分かち、故郷のエクス=アン=プロヴァンスに隠遁し、創作に励みました。
公に作品を発表しなかったのに、何故か人気があったそうな。何故でしょう?

                              「サント=ヴィクトワール山」
       
<第四章 トゥールーズ=ロートレック>
南仏の名門伯爵家出身のロートレックはパリで暮らし、踊り子、娼婦、芸人などを描きました。
彼は13歳と14歳の時に脚を骨折したため、成長しても身長152cmしかなく、このことが社会的に底辺にいる彼女たちとの結びつきを固くしたのでしょうか。

               「黒いボアの女」

<第五章 ゴッホとゴーギャン>
いろいろとゴッホの絵は見ていますが、今回の展覧会の絵7点の中で一番気に入ったのが「星降る夜」です。


空の星と町の明かり。左下には男女のカップル。平和な幸せな風景です。
まだ精神的に壊れる前に描いたのでしょうか。
この絵が描かれた1888年にゴーギャンとアルルで共同生活をして、悲劇的な破局がありました。
私はゴッホが好きなので、ゴッホを裏切ったゴーギャンはどうも好きになれません。
彼の晩年の様子を見ると、ゴッホ以上に不幸だったようです。
ゴッホには弟テオがいて援助してくれましたが、彼には誰もいませんでしたから。

<第六章 ポン=タヴェン派>
ポン=タヴェンはブルターニュ半島にある小村です。
そこに暮らし、絵を描いていたベルナールとゴーギャンの二人が「クロワゾニスムに基づく、主観的な内容を総合するという総合主義の理論を打ち立て」、多くの画家が彼らの元に集まってきたそうです。
クロワゾニスムとは、「太い輪郭線で平面を仕切り、平らで単純な色面を配置することによって画面をつくり上げること」。
私には苦手な絵です。

<第七章 ナビ派>
 

ポール・セリュジエが1888年、ゴーギャンに直接の手ほどきを受けてこの『タリスマン』を描き、パリに戻って、この実験的な作風を広めたことで、この作品はナビ派に取って象徴的な意味を持つことになりました。
ナビ派の特徴は、「画面の二次元性の尊重と、造形要素そのものの表現力において、絵画表現の上での装飾性と表現性の二つの重要な特色をクローズ・アップ」していること。日本の浮世絵にも影響を受けているようです。
神秘主義的で装飾的な画風だそうです。平坦な感じが好きではありません。

<第八章 内面への旅>
象徴主義の代表的な画家といえば、ルドンやモロー。
彼らは目にみえない思想や魂を絵にしました。

                                  モロー 「オルフェウス」

なんとも幻想的で詩的な絵です。昔の宗教画に通じるものを感じます。

            ルドン 「目を閉じて」
 
ルドンの絵の瞑想的なこと。男とも女ともつかない人が自分の内面深く降りていっているのがわかります。色彩に目覚めた頃のルドンです。

ここで、ハンマースホイに出会いました。

             ハンマースホイ 「休息」

<第九章 アンリ・ルソー>
ルソーの作品、2点、「戦争」と「蛇使いの女」が展示されています。

<第十章 装飾の勝利>
ナビ派は雑誌の挿絵やポスター、舞台芸術など様々な造形活動をしていました。
そのなかで部屋の装飾に使われていた絵画が展示されています。

115点すべてをじっくり見るには時間が足りません。
イヤホン・ガイドを借りずに、好きな絵だけじっくり見ればよかったと後悔しました。もう一度行って、見たいものだけ見ようかしら。

疲れてお腹が空いたので、地下にあるカフェテリア・カレで軽く食事をすることにしました。
「オルセー美術館展2010」特別メニューの「豚肩ロース肉とりんごのノルマンディー風 バターライスとジャガイモのゴーフレット添え」(クロード・モネ<睡蓮の池、緑のハーモニー> 1899年より)1200円を頼みました。


じゃがいものゴーフレットがカロリー過多になっちゃうので、いらなかったかも。でも美味しかったです。
ミュージアム・ショップには色々なものがあり、バッグフェチの私としては欲しいものがあったのですが、値札を2度見てびっくり。
最初7500円に見えたのに、2度目に見ると47500円!4万円が余計です。
レジに持っていかなくてよかったわ~。