北森 鴻 『緋友禅』2010/12/01



北森鴻の旗師シリーズがおもしろいと言ったら、同僚が貸してくれた本が四冊。
そのうち『狐闇』は昨日紹介しました。
今日は陶子シリーズの短編集。

「陶鬼」
萩焼にまつわる悲恋話。陶子の師匠のような人、弦海礼次郎の過去が明らかになります。

「永久の笑み」の少女
埴輪にまつわる話。愛読者の振りをして「堀り師」重松徳治の仇をうつ陶子です。

「緋友禅」
ふと入った糊染めのタペストリー展で、「緋色の覇者」である久美兼次郎の仕事に惚れ込み、陶子は全作品を買います。
しかし、タペストリーはいつまでたっても送られてきません。
久美のアパートを調べ、訪ねてみると、彼は死んでいました。
陶子のタペストリーはありませんでした。
その後、友禅の作品展で、陶子の見たタペストリーと同じようなものがあると聞き行ってみると、タペストリーは織物となっていました。
さて、陶子はどうしたでしょうか。

「奇縁円空」
亡くなったコレクターの家で円空仏を見かけます。
鑑定にかけたり、仏像・仏具の専門業者に見せたりとしますが、本物かどうかはっきりしません。
そこで陶子は『狐罠』でお世話になった銘木屋の大槻に見せに行きますが・・・。

美術品の奥の深さに驚愕する内容です。
陶子を始めカメラマンの横尾硝子などの女性が凛として美しい。
謎解きもなるほどと納得のいくものです。

円空仏はあまり興味がなかったのですが、円空の一生をたどると面白そうですね。

NATIONAL GEOGRAPHIC 11月号2010/12/02



ナショナルジオグラフィク社から11月号を頂きました。ありがとうございます。
書くのが遅くなって申し訳ありません。
もう12月号が出てますか・・・(汗)。

とっても写真が綺麗です。
写真を見ているだけで、癒されます。

特集よりも私が興味を持ったのが、私の病気に関する話題です。
なんと大麻が緑内障治療に使われているとか。
もちろんアメリカでらしいのです。
大麻には鎮痛、抗癌、眼圧の緩和などの効能があるんだそうです。
麻薬はやったことがありませんが(あったら大変)、ボーとして余計なことを考えなくなり、ストレスが減るのかしら?
もっと詳しい情報が欲しいと思いました。

そのほかに興味を持ったのが、「遺跡スキャン」。
米国非営利組織サイアークが高解度三次元スキャンで歴史的建造物のデータを保存して、ウェブサイトに保管しているようです。
興味のある人は見てみるといいでしょう。
彼らは「単に遺跡を保存するという問題ではなく、人類共通の記憶を保存している」のだそうです。

特集は
「日本縦断 3つの海と魚たち」
「アステカ 解明される王国の謎」
「動物たちの地球大移動」
「内戦を生き抜いた野生動物」
「南部スーダン独立への苦闘」
の5つです。

この中で「動物たちの地球大移動」がおもしろかったです。

「移動する動物たちは断固たる使命感を抱いて壮大な旅を遂行するため、誘惑に負けて寄り道をしたり、困難にぶつかって旅を諦めたりしない」

動物たちに「使命感」なんてあるんだろうか?という疑問はありますが、動物はすごいです。とにかくまっすぐ目標に向かって突き進むのです。
たとえ障害物があっても、毎年同じルートで移動するのです。
たとえば人間の作った障害物―車や住宅、天然ガス田など―があろうと、そして農耕用機器に殺されようと。

人間と動物の違いはこの「使命感」なんでしょうね。
人間は寄り道大好きですもの。
困難にあったら、すぐに諦めますよね。

冗談は置いておいて、人間と動物の共存の難しさを感じた記事でした。

特集ではないのですが、一番おもしろく読んだのが、「絶海の孤島 鳥の楽園」という記事です。
伊豆諸島鳥島のアホウドリの悲劇を書いたものです。

昔、鳥島にアホウドリが産卵のために訪れていました。
ところが1887年(明治17年)から彼らは捕えられ撲殺されたのです。
何故か。
彼らの羽毛をアメリカに輸出するためです。

1922年(大正11年)にアホウドリがいなくなったため島民が撤退し、鳥島は無人島になります。

海鳥は巣立ったら同じ場所に戻って営巣するまで陸地には近づかないそうです。
彼らはいつまでも飛び続け、たまに海面に降りて休むだけ。
知りませんでした。

アホウドリたちは鳥島が孤島なので、安心して産卵と育児のために巣を作っていたのです。

(財)山階鳥類研究所の「鳥島とアホウドリの歴史」によると、島民300人ほどで一人一日100から200羽を殺したこともあるそうです。
すごい量です。

この後のことを「鳥島とアホウドリの歴史」から抜粋してみます。

1933年に鳥島は禁猟区になります。
1949年、アメリカのオリバー・オースチン・ジュニアがアホウドリの調査をしますが、アホウドリが見当たらず、「絶滅宣言」がされます。
戦後、中央気象台の測候所が置かれ、1951年に測候所の山本政司がアホウドリを発見します。
1958年に天然記念物に指定され、1962年には特別天然記念物になります。
1965年、アホウドリの観察と保護に活躍していた測候所の職員が引き揚げてしまい、鳥島はまた無人島になります。
1970年ごろ、京都大学の長谷川博がアホウドリの研究に乗り出し、彼が行った環境改善工事のおかげでアホウドリの繁殖率が向上したそうです。

長谷川さんは現在東邦大学教授です。
東邦メディア・ネットセンターの「アホウドリ復活への軌跡」を見ると、詳しい様子がわかります。

何回も言いますが、動物との共存の方法を我々人間はもっと真剣に考えなくては・・・。

そうそう、アホウドリは感心なことに、一度つがいになると一生相手が死ぬまでその関係を維持するそうです。
繁殖以外では行動を共にしないのにです。

動物の一途さが、なんか悲しくなりました。

『カンディンスキーと青騎士展』@三菱一号館美術館2010/12/03



三菱一号館美術館の『カンディンスキーと青騎士展』に行ってきました。
ちょうど60歳ぐらいの女性たちが大勢(10人ぐらい)歩いていたので、もしや・・・と思っていたら、やっぱり一緒になってしまいました。
女性が悪いというのではなく、男女関係なく、みなさん、お友達と一緒だとおしゃべりをして、なかなか絵の前から離れてくれません。
展覧会の入り口はものすごい混雑が。
私の悪い癖で、面倒なので、またまた流し見になってしまいました。
まあ、あまりカンディンスキーや青騎士たちの絵が好きじゃないという理由もありますが。

展覧会の絵はミュンヘンにあるレンバッハハウス美術館から借りてきたそうです。
レンバッハは肖像画家であり美術収集家、そして侯爵だった人で、まったく青騎士とは関係ありません。
金持ちだったらしく、彼の屋敷がミュンヘン市に寄付され、美術館になったのです。
たまたま、カンディンスキーの愛人だったミュンターが、ミュンヘン市に「青騎士」たちの絵を大量に寄付したことで、世界屈指の「青騎士」コレクションを持つことになったのです。

「青騎士」とは、カンディンスキーを中心にした20世紀初頭の革新的美術運動らしいです。
美術史的意義はよくわかりませんが、カンディンスキーがミュンターという稀有な女性に会い、自分の作風を確立していった過程の展覧会のように思います。

1901年に美術学校の先生と生徒としてミュンターと出会い、二人でヨーロッパを回りながら風景画を描いていた1900~1908年の絵は、絵の具が厚塗りのこれといった印象のない絵です。


ムルナウという土地に老後のための家を買い、ミュンターとカンディンスキーは創作を続けます。(1908~1910年)


私的には「<秋Ⅰ>のための習作」が好きなのですが、画像がありませんでした。
なんとなく、後年のカンディンスキーらしさが出てますね。
色ががぜんきれいになっています。

「青騎士」展を開催した頃から彼の抽象絵画が誕生します。(1911~1913年)


さて、これは何を描いたのでしょうか?

題名は「印象Ⅲ(コンサート)」で、黒いのがピアノです


これはなんでしょう。

万聖節」です。

結局「青騎士」の活動も1914年に戦争が始まり、終わります。
それと同時にカンディンスキーがロシアに帰り、ミュンターとも別れます。
どうもカンディンスキーはミュンターとは終わりにしたかったようですね。
別れてすぐにロシア人女性と結婚してますから。
この女性、ちょっと変わった人のようです。それでも相性がよかったようで、カンディンスキーが78歳で亡くなるまで一緒にいたようです。

「青騎士」の中ではフランツ・マルクの動物を描いた絵がいいですね。
マルクは36歳で亡くなっています。


パウル・クレーの絵がひとつありました。彼も「青騎士」の一人だったのですね。

絵的にはあまり好きなジャンルじゃなかったのですが、二人の物語としてみるとおもしろいものです。

次回は「マリーアントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展」だそうです。
「18世紀の「カワイイ」を描いた女たち」とサブタイトルがついています。
宮廷の華やかな女性たちの肖像画が見られるようなので、そちらの方が好きかもしれません。

自画像だということですが、カワイイ女性ですね。自分の絵だから、ちょっと修正を加えていたりしませんよね。
来年の3月1日から始まります。

ミッドタウンのイルミネーション2010/12/04

サントリー美術館に行ったついでにイルミネーションを見てきました。
いつ行っても混んでいます。
三脚を持っていないので、手振れがひどくて、見られる写真がとっても少ないです。


スターライトガーデンまでの道に様々なイルミネーションがあります。
これ(↑)は「シャンゼリゼ・イルミネーション」です。


これ(↑)は「奇跡の木」です。

スターライトガーデン(↓)はとんでもなく混んでいて、正面からは見られませんでした。
仕方ないので反対側から写真を撮ってみました。


音楽と共に光が変化していきます。上から見た方がもっときれいでしょうね。

どこだかわかりませんが、室内に白いツリーがあり、子どもたちがはしゃいでいました。



ガレリアにあるサンタツリーです。サンタ人形はいくつ使っているのでしょう。


これ(↓)はウェルカムクラッカーです。


エルメスがクリスマスブティックを開いていました。


女性が大声で、「ここを見たら表参道には行かなくていいわよ。見るとガッカリするから」と言っていました。
本当でしょうか?
表参道の方が混むからと、今まで行ったことがないのです。

この頃色々な場所でイルミネーションをしているので、冬の物寂しい雰囲気が明るくなっていいですね。

イチョウもそろそろ終わりですから、今度はイルミネーションを見て、楽しみましょうっと。
そうそう、谷中墓地の大イチョウはもう葉が落ちてしまいました。

『歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎』展@サントリー美術館2010/12/05

この頃、古美術関係のミステリーを読んでいます。
たまたま、この展覧会のタダ券をいただきました。
ちょうど写楽のミステリーを読んでいたので、タイムリー。
早速見に行ってきました。



入り口付近で老夫婦の旦那様が、「失敗したなぁ、ゆっくり見れなかった」と言っているのが聞こえました。
エ?と思って中に入ると、結構人がいます。
土曜日ということもありますが、ゴッホ展じゃないし、浮世絵だし、5時過ぎなら人が来ていないだろうなどと思ったのは、浅はかでした。

こういう日本美術の展覧会を見に行くと、一人はいる、解説おじいさん、いました。
解説が長いんですよ。こちらはなかなか見られなくて、諦めて次の展示に行きます。

蔦屋重三郎は1750年に吉原で生まれました。
もしや、花魁の子?などと思って調べてみると、お父さんが吉原の勤め人だったと書いてあります。
幼いころから吉原に育ち、何を思い暮らしたのでしょうか。
後に吉原の茶屋に養子に入ったようで、それで屋号の「蔦屋」を名乗ったようです。

仕事は最初は貸本業をやっていたようです。 (「江戸出版界の敏腕プロデューサー 蔦屋重三郎」より。詳しくはこの記事を読んでください)
1773年に彼は吉原大門の前で書店を開き、「吉原細見」を売り始めました。
この「吉原細見」は写楽ミステリーに出てきて興味があったので、実物が見られて、これだけで満足。
「吉原細見」とは、ようするに吉原のパンフレットです。
内容は廓内の略地図、妓楼および遊女の名寄、揚げ代金、茶屋および船宿などが書いてあるようです。


初めて吉原に来た男性はこれを買ってどこに行こうかと考えていたんですねぇ。
今ではいくらぐらいなんでしょう。

この「吉原細見」以外にも遊女の紹介本や遊女の一日を描いた浮世絵など興味深いものがありました。
ようするに彼は吉原の宣伝部長だったんですね。


上の絵は「青楼十二時 続 午の刻」です。
午の刻はちょうどお昼の十二時ごろ。遊女が昼見世のために化粧を始めた様子ですかね。

蔦屋重三郎は吉原で経営基盤と人脈を作り、力をつけていったようです。
吉原は「江戸の知識人たちが遊ぶサロン」だったそう。

他にも美人画や役者絵、相撲取りの絵などがあって、当時の風俗や風習がわかり興味深い展覧会でした。

ちなみに、相棒お気に入りの浮世絵は、「江戸高名美人 木挽町新やしき 小伊瀬屋おちゑ」(喜多川歌麿画)と「柏戸 錦木」(勝川春英画)だそうです。



北森 鴻 『桜宵』2010/12/06

根津神社の横にある駒込稲荷の紅葉が綺麗でした。


右にいるおばさんは神社のお掃除の人かと思ったら、銀杏を拾っているようでした。


今年は紅葉の当たり年なのでしょうか?
何処に行っても紅葉が綺麗なようです。



『桜宵』は旗師の陶子の話ではなく、三軒茶屋にあるビアバー、≪香菜里屋≫を舞台とした短編集です。
マスターは工藤哲也という不思議な人。というのも彼の推理が毎回的を得ているのです。

≪香菜里屋≫はアルコール度数の違うビール4種類と数種類のワールドビール、そして工藤の作る創作料理が売りの店です。
なんとなく居心地のいいお店で、お馴染みさんがたくさんいます。

「十五周年」
タクシー運転手の日浦が故郷を後にして早5年。
偶然に出会った知り合いの女性に、居酒屋千石の十五周年パーティをやるから来てほしいと言われ、久しぶりに故郷の町に帰ります。
しかし、行ってみると居酒屋のお客は来ていなくて、火事で焼けてしまった小料理屋万鉄のお馴染みさんばかりいます。
何故自分が招かれたのか、日浦は不思議に思います。
そして、ひょんなことから万鉄の放火犯を探し始めるのでした・・・。

「桜宵」
神崎守衛は亡き妻の遺書を見つけました。
その中には「最後のプレゼント」をあげたいから≪香菜里屋≫へ行くようにと書いてありました。
そのプレゼントとは・・・。

「犬のお告げ」
ある会社では、リストラする人を選ぶため、候補者をホームパーティに招き、愛犬が噛んだ人にするという噂がありました。
この噂は本当でしょうか?

「旅人の真実」
金色のカクテルを探す男が≪香菜里屋≫に現れ、捨て台詞を吐いて去っていきました。
工藤はその男に友人のバーマン、香月圭吾の店を紹介します。
この男は香月の店にも行ったようですが、同じように捨て台詞を言い、帰って行ったようです。
しかし、彼はその後殺害されてしまいます。
何故彼は金色のカクテルを探していたのでしょうか?

「約束」
「桜宵」の日浦が故郷で結婚し、居酒屋をしています。
そこへ≪香菜里屋≫のマスターの工藤が休みを利用して遊びに来ます。
しかし、店が忙しくなり、工藤は手伝うことになります。
店を閉めようとすると、わけありの男女がやってきます。
彼らは10年ぶりに会うようです。
女は男に、あなたが不幸になればなるだけ、自分は幸せになった。
そして、今、自分が不幸になったのは、あなたが幸せになったからだと言います。
女は一体どういうつもりで男に会いにやってきたのでしょうか。


≪香菜里屋≫のマスターには何やら隠れた過去がありそうです。
とにかく彼は人の行動の裏を見るのが上手く、推理を働かせて、すべての謎を解きあかします。

その謎解きがいいのですが、でも、食いしん坊の私には彼の作る料理がより魅力的です。
例えば、春巻き。

「外側の皮は生湯葉。中身は松茸。鱧の千切り、三つ葉のみじん切り。春雨の代わりにくずきり。横に添えられた気泡には鰹節、昆布の濃厚な味が。土瓶蒸しそのものを生湯葉に詰め合わせた」もの。

う~ん、美味しそう。
 
海外ミステリーだけが美味しいのではないのですね。
このシリーズ、もっと読みたいものです。

高橋克彦 『写楽殺人事件』2010/12/08



サントリー美術館で見た『吉原細見』のことが載っていたのは、この本です。
写楽って、9か月(とかおよそ10カ月とか)の間に140点以上の錦絵を出版し、忽然といなくなった絵師です。

写楽は誰か?

未だに謎で、たくさんの説があります。
例えば、有名な絵師―円山応挙、葛飾北斎、歌麿、谷文晁など―だったとか、阿波の能役者だったとか、実は蔦屋重三郎だったとか・・・。
説としては、写楽工房説とか写楽個人説、写楽別人説とかあるようです。

このミステリーは写楽の正体がわからないのをうまく使っています。

浮世絵研究で有名な団体は2つありました。
在野の研究家、嵯峨を中心としている「浮世絵愛好会」と武蔵野大学の西島を中心とした「江戸美術ゼミナール」です。

嵯峨は西島が理事をしている「江戸美術協会」に反旗を翻しており、嵯峨と西島の対立は二十年来になっていました。

ある日、嵯峨が遺体で見つかります。
西島の助手をしている津田は、嵯峨の義弟の水野が売りに出した、嵯峨の蔵書の古本を安くで手に入れます。
その時に津田は水野からある画集をもらい、その画集を見ているうちに、写楽とは誰かという新しい説を考えつきます。

その説は西島からお墨付きをもらうのですが、津田のようなものが発表しても相手にされないと、西島が新しい説として発表することになってしまいます。

ところが、写楽の新しい説を発表した後、西島は火事で死んでしまいます。

嵯峨と西島、この2人は殺されたのだろうか?
そして西島が出した説は・・・?

日本美術っておもしろいですね。
今頃になって気づきました。

高橋さんは浮世絵の研究者でもあるのですね。それでなければ書けないでしょう。
浮世絵を知るきっかけとしてはいい本です。

写楽とはだれかだけでもミステリーですからね。

坂本司 『和菓子のアン』2010/12/10

題名だけを見ると、和菓子職人の話かと思うかもしれませんが、ちゃんとしたミステリーになっています。
でも、殺人はありませんよ。


「学歴もない、資格もなければ、美貌もない」という三重苦(?)で、あるのは「食欲と体重と健康だけ」。身長150㎝、体重57㎏といえば、ちょっと小太り?
こういう女の子が梅本杏子です。
彼女は高校を卒業しても、何をやりたいかがわからないので、一番好きな食べることを生かせる仕事につきます。

それはデパ地下の和菓子屋のバイトです。

デパ地下と言えば、私、好きです。
ついつい余計なものまで買ってしまいます。デパ地下ほどワクワクする場所はありません。(あ、ほかには海外のマーケットがいいなぁ)

「和菓子舗・みつ屋」が杏子の職場です。
店長は椿さん。彼女は株の上がり下がりに一喜一憂して性格が豹変する「おやじ」の女性。彼女の和菓子に関する知識には誰も勝てません。
もう一人、正社員で職人希望の立花君は、見かけとは違い、なんと「乙女」な青年。
同じバイト仲間の大学生の桜井さんは・・・元ヤン。

この4人の面々が和菓子にまつわる出来事の謎を解いていくのです。
と言っても、椿さんに敵う人はいませんが。
椿さんは、言ってみれば、北森鴻の描く香菜里屋のマスター、工藤のような存在です。

そうそう、何故「アン」かというと、杏子さん、「お団子とか大福が似合うふっくらした女の子」だから、「あんこ」に似ている。だから「あんこ」をかわいらしく省略して「アン」にしたんです。

言ってしまえば、この本、餡の味のミステリーです。

例えば、ある会社の女子社員が和菓子の上生を10個買っていきました。この時は5月だったので、『おとし文』と『兜』を5個ずつでした。
次に来た時は、『おとし文』1個と『兜』9個。
三回目は、『水無月』9個。

さて、このことからどういうことが彼女の会社に起こったのでしょうか。

てな具合に、和菓子から推理していくという楽しいミステリーです。

や~、和菓子もすごいです。
日本文化は四季というものを大事にしてきましたが、和菓子にもあるんです。

上生を見てみると、本の中には次のようなものが出てきます。
5月・・・『おとし文』、『兜』、『薔薇』
6月・・・『紫陽花』、『青梅』、『水無月』
7月・・・『星合』、『夏みかん』、『百合』
8月・・・『蓮』、『鵲』、『清流』
9月・・・『光琳菊』、『跳ね月』、『松露』
12月・・・『柚子香』、『田舎家』、『初霜』
1月・・・『早梅』、『雪竹』、『福寿草』、『風花』

書いてない月はどういうものなのか知りたくなりますね。

『星合』は七夕の別名で、北海道の家の辺は8月、東京は7月です。(他の県はどうなのかしら?)
「和菓子舗・みつ屋」はこのことを知っているので、七月と八月に七夕に関する和菓子を売っているんです。

アレ、八月に七夕に関係する和菓子がある、と思う人がいるかもしれません。
何故八月に『鵲(カササギ)』でしょうか。
本にも書いてありますが、七夕の日に雨が降ると天の川の水かさが増し、牽牛と織女が会えなくなります。その時に、たくさんのカササギが現れ、身体で橋を作ってくれたので、無事に会えたという話があるのです。

七夕でもう一つ、おもしろい話が載っていました。
台湾で七夕というと、なんと日本のバレンタインデーと同じ日なんですって。
はい、もちろん、このことも謎を解くヒントとなっています。

後は、ぼた餅とおはぎの違いは分かりますか?
ここで書いちゃうとつまらないので、わからない人は是非、読んでみてください。

書いていると、棒茶と一緒に和菓子が食べたくなりました。
ここら辺で失礼して、買ってきたお団子をいただきます♪

東京ドームシティのイルミネーション2010/12/12

昨日は久しぶりにフグを食べに行きました。
やっぱり冬と言うと、鍋。鍋でもフグはあっさりしていて、美味しいです。
久しぶりということで奮発してフグ刺しとから揚げ、しゃぶしゃぶのコースにしました。



これ(↑)はしゃぶしゃぶ用のフグです。
真ん中にあるのがコラーゲンたっぷりのフグ肉です。
従業員の人が中国の方で、バイト4回目ということでした。
最後の〆の雑炊の味付けをするのを忘れ、できてから急きょ塩などを入れました。
まあ、味にはそれほど違いはないでしょうが、ちょっと残念でした。

一月の新年会の予約を入れてきました。

フグの後、ドームシティまで行ってみました。
東京のイルミネーションの番付で2位ぐらいに入っていたと思います。
そういえば毎年見に行っています。



エンジェル・スポットにはエンジェルの像とエンジェル・パイをかたどったツリーがあります。(写真が小さ過ぎました)



飲んでしまったので、歩くのが辛いと相棒が言ったので、この傍で座っていてもらいました。椅子の側にストーブが置いてあり、暖かかったそうです。


これはギャラクシードーム。
この下にベンチがあり、大型スクリーンに何やら写っているのを見ていました。


グリーンスフィア真ん中のグリーンは、水耕栽培をしているレタスやハーブです。
この野菜、収穫してくれるそうですが、いつくれるのかしら?





ラ・クーアからミルキーウェイを通ってクリスタルアベニューへ。



光の帆船「エルピス号」があります。
プリズムホールの方へ行くとヒマラヤ杉のツリーやスーパーライトウェーブがあるようですが、相棒がもう帰りたいと言い出したので、ここで終わりにしました。









人通りもそれほど多くなくて、お勧めのスポットです。

トニー・シェイ 『ザッポス伝説』2010/12/14

ダイヤモンド社から『ザッポス伝説』をいただきました。
ありがとうございます。面白く読まさせていただきました。


ザッポスとはアメリカのネットで靴を販売する企業です。
アマゾンみたいなものかしらと思ったら、今はアマゾンの子会社になっています。
この企業のすごいところは、顧客満足度が高い上に、10年もしないで売り上げ10億ドル以上というところです。

ザッポスのCEOはトニー・シェイで、この本を書いた人です。
父母とも台湾出身で、イリノイ大学の大学院で勉強するためにアメリカに渡り、父は化学技術師、母は臨床心理士という、裕福なアジア系アメリカ人の典型的なタイプです。子供の出来が自分自身の成功と社会的地位を示していると思っているのです。

アジア系アメリカ人のこどもの出来を図るカテゴリーってのがあって、
①学校の成績。進学する大学の一番はハーバード。
②キャリア。医師になるか博士号を取る。
③楽器をマスターすること。特に人気があるのがピアノかバイオリン。
なのだそうです。③なんてちょっと思いつきませんでした。

トニーは小さい時から自分で事業を営むことに興味がありました。
彼は9歳の時にミミズの繁殖で大金持ちになろうとしますが、見事失敗。
その後、いろいろとやるのですが、オリジナル・ピン・バッジ・ビジネス(送ってきた写真をバッジにして売るという商売)が当たり、中学時代に毎月200ドルも稼きました。
バッジ販売は中学卒業後に弟に譲ったそうです。

大学は8校に願書を出してすべてに合格。親の希望でハーバードに入ります。
まるっきりのアジア系アメリカ人の優等生のコースを辿っていますね。

でも彼の子ども時代のエピソードを読むと笑ってしまいます。
ピアノとバイオリンの稽古をしたくなかったので、テープに録音しておき、練習の時にテープを流していかにも練習しているように見せていたり、ソネットをつくる宿題にモールス信号を14行並べて出したりしています。
ソネットは洒落のわかる先生だったので、A+++++++++++だったそうです。
他にもたくさんおもしろい悪さをしているようです。

ハーバードでは一度もでない授業でいい成績を取るために、うまくBBSを利用します。史上最大の勉強会をしないかとBBSで仲間をつのり、試験にでる100のテーマを一人3つずつ割り当て、返答をまとめてコピーをとり一冊20ドルで売り出すのですから。

やっぱり発想が豊かです。

大学では学生食堂の運営とピザ・ビジネスで成功したようです。

こどもが小さいころから金儲けのことを考えるなんて、日本ではありえませんよね。
親は金儲けを考えるなら勉強しなさいといいますから。

大学卒業してからは、大学院へはいかず、一番高給だったソフトウエアの会社に勤めますが、仕事が退屈だったので、友達と一緒に企業のウエブサイトのデザインと制作をやり始めます。
そして、ふとした話からリンクエクスチェンジ事業を始め、これが大当たりし、1997年にヤフーから2000万ドルの買収を持ちかけられるまでになります。
この企業は急成長したのですが、トニーはある時点から会社に行きたくなります。
最初は楽しくワクワクするものを一緒に築き上げようと思う人とやっていたのに、会社が大きくなり過ぎ、お金を稼ぐこととかキャリアと履歴書をよくすることが動機の人も採用してしまっためだとトニーは書いています。
結局彼は会社をマイクロソフトに2億6500万ドルで売ってしまいます。

自分が人生で最高に幸せを感じた時はお金を伴っていなかった。
「何かを作っているとかクリエイティブで独創的でいる」と幸せだったと、トニーは気づいたのです。

そして彼はフットウエア業界に進出していきます。

ザッポスは最初から上手くいったわけではありません。
資金が足りなく、レイオフをしたり、トニー自身も全財産を投資したりしています。

「偉大な企業は、ただ単に金儲けや市場で一番になることを超えて、もっと大いなる目的とか大きなビジョンを持っている」

「最大のビジョンとは、まさに最高のカスタマー・サービスを意味するザッポスというブランドを構築することである」

こういう観点からトニーはザッポスを作り上げていきます。(詳しくは本を読んでください)
もちろん最初からザッポスらしさがあったわけではありません。
ザッポスの成功は「企業文化」の構築にあったようです。

まず、10のコア・バリューを正式に定め、社員に浸透させています。(詳しくは本を読んでね)

私が好きなのは、「①サービスを通して「ワオ!」という驚きの体験を届ける」と「③楽しさとちょっと変なものを想像する」です。

人を採用する時もザッポス文化に合うかどうかをチェックします。
これはリンクエクスチェンジの時の失敗から学んだようです。
面接は二種類行い、面接を通過した人たちに四週間の研修プログラムがあり、この後働くかどうか決めさせるのです。

「企業文化と企業ブランドは本質的に一枚のコインの表と裏である」

他にも「ザッポス・カルチャー・ブック」とか顧客からのどんな要望にも応えるコールセンター、面白い見学ツアー、ザッポスの推薦図書などザッポスという企業の様子を伝えるものがあります。

アメリカ人は仕事と私生活をきっちり分けて考えると思っていたのですが、ザッポスの人たちは違います。
ザッポスの中に友人がいるのです。
昔のよき日本の会社文化みたいなものがザッポスにはあるようです。

こうしてザッポスは10年もしないうちに総売り上げが10億ドルを超したのです。

最後にトニーの信じる「サイエンス・オブ・ハピネス」理論が載っています。
この理論はビジネスでも応用できるとして、ザッポスの理念の根底をなしているようです。

「幸せは●自分で自分をコントロールすること
      ●進歩を感じること
      ●つながり
      ●ビジョンと意味
の四つできまる。」

読みながら、こういう企業で働くと楽しそうと思いました。
企業文化を構築するなんて、日本の企業では考えられないですね。
構築しようとしている企業があるそうですが、私にはどうも無理があるように思います。
若い経営者がつくったベンチャー企業などにはあるのかもしれませんね。

企業経営はできない私ですが、自分自身の働き方を考えさせられました。
「ワオ!」という体験、してみたいしさせてみたい、かな。

人の上に立つ人に是非読んでもらいたい本です。

*トニーのインタビューが載っていました。ここをクリック。