北森 鴻 『深淵のガランス』2011/06/10



文庫本で読んだのですが、単行本の表紙の方が好きなので載せておきます。

花師と絵画修復師、二つの顔を持つ男、佐月恭壱シリーズ一作目です。二作目の『虚栄の肖像』の方を先に読んでしまいました。
『虚栄の肖像』で、佐月は足の靭帯を悪くしていたのですが、そのわけがわかりました。修復師って危ない職業には思えなかったのですが、お金がからむと色々とあります。荒事も出てきちゃうんです。

二作目と同様に短編が3つ。
①長谷川画伯の絵の下に絵が描いてあり、何故下の絵を封印したのかを探る話
②洞窟内壁画修復をしている時に持ち込まれた分割絵にまつわる話
③最後に若き佐月が現れます
①と②には狐さんが出てきます。
佐月の手足のように働く男、前畑こと善ジイが狐さんのことを色々と言っています。
「あのお方の仕事には、面倒がつきまとう」
「余計に注意しなきゃ。あのお方はさ」
こう言いつつ、佐月が用意してくれという物をよろこんで用意しちゃうのが善ジイです。

洞窟内壁画修復なんていうのも佐月はやるんですね。普通の絵画とは違う技法が必要なような気がしたのですが、基本を知っていれば同じなんですね。
使っている絵の具を解析して、同じものを採取しなければならないのですが、昔の洞窟絵ですから探すのも命がけ。シンナバー原石なんて、そんなもの知らないわ。どうも朱色に使われるようです。熱すると亜硫酸ガスが出るので、扱うのも危険です。

読んでいてわかったのは、絵の売買の世界も骨董と同じなんです。お金のため私利私欲が絡まり、ドロドロとした人間関係と騙し騙されの世界が繰り広げられます。
恐ろしい。

「絵画の修復という作業には、文化財の保護という美名とは別に、どこに暗い陰が潜んでいるかわからない一面がある。悲劇と喜劇の境目がよく見えない仕事ともいえる。贋作と知らずに修復を施し、それがマーケットに真作として流通したがために、贋作師の汚名をかぶせられ、消えていった修復師の悲劇。稚拙な修復師によってオリジナリティーが失われ、複製にされてしまった名画の喜劇。そこに第三者の思惑が入り込むと、事態はますます複雑になる。思惑が邪であれば、なおさらのことだ。累が修復師にまで及ぶことも少なくはない。絵画本体のみならず、その周辺にまで目配りを必要とするところに、この仕事の難しさがある」

花師としての佐月について北森はこう書いています。

「佐月恭壱の花あしらいには一点の澱みもない。華道ともフラワーアレンジメントとも違う。独自の美意識によって花は器と一体化してゆく」

私が好きなアレンジは、あるバーのママさんが「使い古された笊(ざる)」を花器に見立てたのに、佐月が早咲きの河津桜一輪だけを生けたものです。
シンプルだけどイキです。
利休のワビサビにも通じるような気がします。

何度も言います。佐月シリーズの続きがないのは悲しいです。


追記:スペイン北東部カタルーニャ自治州が文化や人文科学の分野で活躍した人に贈る第23回カタルーニャ国際賞が村上春樹に授与されました。
村上氏は授賞式でスピーチをし、その原稿がありました。
私は彼が3月11日以降何も発言していなかったのを不思議に思っていましたが、やっと口を開いてくれました。

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