曽野綾子 『人間の分際』2015/09/26



夫がこの本が売れているらしいので買ってきてくれというので買ってきましたが、彼は読んだのかどうか?
彼女の書いた小説やエッセイなどの中から題名に合う文を抜粋している本です。
まえがきを読むとすべて終わりという感じがしないわけではないですが(笑)。

私たちは学校に通っている間に何度「やればできる」と言われてきたでしょうか。
「あなたはやればできる人なのに・・・」
「僕はやればできるけれど、やらないだけ」
なんて何回も言われたり、言ったりしてきたでしょう。
でも、やれるかどうかは才能のひとつ。
やってできるかどうかも才能のひとつ。
だれもがこの才能があるとは限らないのです。
それなのに、「やればできる」という信仰が世の中にありますよね。

曽野さんは「自分に与えられた量や質の限度を知りなさい」と言っています。
限度を知るためにはある程度努力してやってみなけりゃわからないですがね。
やらないでこれが私の限度と決めつけるのは早急すぎますから。
色々とやってみて、「身の丈に合った暮らし方」を見つけ、するというのが分際というのだそうです。
「分際を心得て暮らせば、それはその人にとって最高の生涯の一つの形」。
不幸な人は「身の丈に合った暮らし方」をしていない人なのでしょうね。
「「人並み」や「流行」を追い求めて死ぬ愚か者」」と曽野さんは書いていますが、そうならないようにしますわ。

他にもこう考えるといいなと思ったのが、「うまくいかない時は「別の道を行く運命だ」と考える」ということです。

受験で失敗したり、就職がうまくいかなくて、第二志望や第三志望の学校や会社に行かざるをえない時、運命を受け入れて、その学校や会社に自分がやるべき任務があったんだろう、「拾っていただいてありがとうございました」ぐらいの気持ちで一生懸命やるといいそうです。
こう考えると、気持ちが軽くなりますね。

他にもなるほどと思ったものがあります。

「人生はどこでどうなるかわからないから、それを待ったほうがいい」
「他人の言葉で不幸になってはたまらない」
「私たちは、世の中でいつも、外界の考えや意見にさらされていますが、そもそも人間としての答えが違えば、考え方も違うものなのです。ですから、他者の言うことにいちいちそれほど傷つく必要はないと思います」

曽野さんはキリスト教徒なので、キリスト教的考えが所々にありますが、そんなこと気にせずに、自分の気持ちにあったものを取り入れるといいと思います。
たぶん私が紹介したものは私の今の状態に必要なもので、他の人が選ぶのは別のところになるでしょう。

前に読んだ曽野さんの本の紹介文を読んでみて、時の流れを感じました。
今の私はその頃の仕事を辞め、今はパートをしてますから、人間関係に悩むこともなくなっています。
正社員の頃は辞めるという選択をなかなかできませんでしたが、今は「嫌なら辞めればいい、別の仕事があるさ」と考えてしまう自分がちょっと怖いですがね。


横たわる死骸(笑)。


写真を撮られても動きません。
どっちかというとクッションの上でひっくり返っている寝方の方が好きですが。