井上ユリ 『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』2017/01/16



米原さんの妹、ユリさんは井上ひさしさんの再婚相手だったのですね。
初めの奥さんとは色々とあったようで、DVが評判になっていましたが、ユリさんの時は大丈夫だったのでしょうか。
余計な心配をしてしまいます。

米原家は食いしん坊な家系で、みんな食べるのが早く、ある中華料理店で食べた時に、あまりにも食べるのが早すぎたので、料理がまだでていないと思われて、二度同じものを食べたことがあるとか。すごいですねぇ。

お茶大を出たお母様は勉強や仕事が好きで、家にいないことが多かったようです。
お母様がいないのでお父様が料理を作ってくれたそうですが、さすが共産党員ですね。
女は家庭に入り、男が働くという意識はなかったということですものね。

ユリさんは食べるのが好きで、なんでも食べたそうです。
その一方、万里さんは慣れないものは食べなかったそうです。
姉妹でも違うんですね。

ユリさんは北海道の大学を出た後、理科の教員をやっていたのに辞め、専門学校で和食を学び、イタリア料理の修行にイタリアに行きました。
帰国後は自分の店を持ちたいと考えたのですが、資金が足りず、とりあえず料理教室を開き、今に至るようです。
ユリさんは自分の好きなことを追及する人なのです。

一方、万里さんは建築を学びたいと思っていたのですが、叶いませんでした。
二浪して外語大学に入り、ロシア語を専攻し、ロシア語の通訳をやるようになりました。
本人は通訳を嫌々やっていたようですが、後にペレストロイカ特需で随分稼いだそうです。うらやましいですわ。
彼女、一重が嫌で、まぶたを二重に見えるように黒く塗っていたり、香水も普段から使っていたようです。
おみやげに買ってきた黒パンに香水の匂いがついていて、ユリさんは食べられなかったと書いています。つけ過ぎですね。
服装も個性的で、じゃらじゃらとアクセサリーをつけていて、亡くなった後に知り合いの方々に形見としてあげても、大量に残ったそうです。
姉御肌の人かと思っていたら、意外とグジグジ考える人だったとか。
お友達になれるかどうかはわかりませんが、本当に個性的なかわいらしい人だったようです。

ふと考えると、万里さんは56歳という若さで亡くなっています。
今生きていると66歳?
彼女が今生きていたら、どんなエッセイを書くのかしら?
読んでみたかったです。

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