「並河靖之 七宝 明治七宝の誘惑―透明な黒の感性」@東京庭園美術館2017/03/07



空いているかと思ったら、意外と人がいました。
単眼鏡を持っている人が結構いて、小さな模様を見る時には便利だなと思いました。


七宝焼きはブローチとかペンダントのような小さな装身具に使われているものだとばかり思っていました。
明治時代には外貨をかせぐため、花瓶や壺、たばこ入れなど色々な物に使われていたのですね。

並河は元武士で明治になってから中国の泥七宝を基に明治6年頃から七宝製作所を起こしたそうです。

七宝焼きには有線と無線があり、並河は有線で、もう一人の有名な七宝家の濤川は無線です。
無線とは七宝釉の間に金属線の仕切りをつけない技法のことです。
濤川惣助が考案したものだそうです。

並河の七宝の初期はこれが七宝と思うほど、暗い色調のぱっとしないものです。


バックの色が絵を殺しています。欲しいとは思いませんね。

明治14年頃、取引のあったストロン商会から品質が悪く、色彩も鈍く、図柄も七宝に適していないと契約を破棄されます。
気の毒に思ったストロン商会が並河を勉強させるために東京で開かれている内国勧業博覧会に連れ出し、尾張七宝の質の高さを見せたそうです。
奮起した並河は全ての職工に暇を出し、自分と新たに雇った5人で再出発したということです。

この後の七宝はすばらしいです。


バックの色が黒へと変化しています。
黒は色を、特に花の色を鮮やかに描き出す作用があるようです。


こういうブルーもいいですね。


私が一番気に入ったのは、このお皿です。

残念ながら大正12年、七宝の海外輸出量が減少したため(9割が海外需要)、大きな損失を抱える前に工房を閉鎖することにしたようです。
最後の頃にはぼかしが入った遠近感ある絵画のような作品が作られています。


こんなに素敵な作品が残されているのに、それを継ぐものがいなかったということが残念です。

京都に並河康之七宝記念館があるようなので、今度京都を訪れることがあったら行ってみたいと思います。

庭が半分解放されていました。


茶室と池。


七宝作品を見た後に歩いて恵比寿のガーデンプレイスまで行ってきました。
「俺のBakery & Cafe」で食パンを買いたかったからです。
1時過ぎに行ったのに、パンが残っていました。
俺の生食パン(1000円)を買いました。
その後、5分ぐらい待ってカフェに入りました。
ローストビーフのオープンサンドとクロックマダムの黒トリフ風味、飲み物を頼み、二人で半分ずつ分けて食べました。

とっても量が多く、夕飯はいらないほどです。
こってりとしているので、パンが美味しいかどうかは不明。
味は普通でした。
ローストビーフは脂身が多いようです。


カフェから出てからも生食パンと山型の食パンは売っていました。
平日は並ばなくても買えるようです。
焼くとどうなのか、明日食べてみます。

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