濱野ちひろ 『聖なるズー』2020/08/21

本屋大賞にノンフィクション本大賞があるのを知っていますか。
2018年に新しく作られた賞です。
その中で面白そうな本を図書館などで借りて読むようにしています。
プレイディみかこさんは昨年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で大賞を取りました。
前に紹介した『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』は今年の候補作品です。
今回の本も候補作品のひとつです。


表紙を見ると、題名に「ズー」があるので動物園か犬の写真ですから犬に関するノンフィクションかと思いますよね。
そう思って読み始めると、最初から違和感に囚われます。
プロローグから著者の赤裸々な性暴力の開示なのです。
これは一体何?と戸惑い、この本は私の考えたような、心温まる動物たちの本ではないことに気づきました。

この本は濱野さんが京都大学の大学院で専攻している、文化人類学におけるセクシュアリティ研究に関する論文の副産物です。
テーマは「動物性愛」。
本によると現在「動物性愛とは、人間が動物に対して感情的な愛着を持ち、ときに性的な欲望を抱く性愛のあり方を指す。動物性愛は性的倒錯だとする精神医学的見地と、動物性愛は同性愛と同じように性的指向のひとつだとする性科学・心理学的見地」とに分かれているそうです。

私は動物に性的欲望を抱く人がいることにびっくりしました。
小説で人形や女性の足などに欲望を感じるフェティズムを描く作品を読んだことはありますが、実際に動物に欲望を感じる人たちが存在するとは考えてもみませんでした。

全世界で唯一、ドイツに動物性愛の団体「ZETA/ゼータ(寛容と啓発を促す動物性愛者団体)」があるそうです。
ゼータは2009年に発足し、メンバーは30人程度でほぼ全員がドイツ在住のドイツ人で男性が圧倒的に多く、主な活動目的は、動物性愛への理解促進、動物虐待防止への取組みなどです。
彼らは自らを「ズー」と称します。
濱野さんはこの団体のメンバーと連絡を取り、「動物性愛者は、どんなふうに自分のセックスと向き合っている」のかを知り、自分の愛とセックスの問題を捉え直そうと考えたのです。

濱野さんは最初はメールで問い合わせ、その後、ビデオ通話、そしてドイツへと赴き、ズーたちと会い、何日か彼らの家に泊まり込み、生活を共にしていきます。
その中で彼らから話を聞いていきます。
勇気がありますね。こういう話は懐に飛び込んでいかないと、なかなか聞けませんものね。
彼らのパートナーは犬(大型)が多いようです。犬は一番身近な動物ですから。

彼らのことをアブノーマルだと切り捨てることは簡単です。
でも立ち止まって考えてみるのも必要だと思います。
ズーの動物への接し方を濱野さんは新しい愛し方のひとつと捉え、ズーであることとは、「動物の生を、性の側面も含めてまるごと受け止めること」であるそうです。
「動物」を「人間」にしてもいいですね。
人は異性を愛の対象と考えることが多いけど、同性の場合もあるし、動物の場合もあるし、ロボットだっていいし、別に人を愛さなくても・・・。
それでいいんじゃないと思える、そういう柔らかな感性がこれから必要かもしれませんね。
そういう世の中になると、生き易くなるでしょうね。


どう考えても、パートナーにはなり得ない2匹です。


永遠の3歳ですもの。
犬の去勢についても問題提起されています。去勢はあくまでも人間側の都合ですよね。

私自身、馳さんの本の後に読んだ後だったので、ちょっと落ち着きが悪く、戸惑っています。
犬をソウルメイトと思えるということは、少なからず犬をパートナーと認めているということですが、性的なことは絶対にないとは言えないですよねぇ。
気づいていないだけってこともあるかも・・・。

こういうことに強い拒絶反応を起こす方は、くれぐれも気をつけてお読みください。

追伸:論文はこちら

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