「日々是好日」を観る ― 2020/10/20
私は「ひび」と読んでいましたが、「にちにち」なんですね(恥)。
(ネタバレあり)
1993年20歳で大学生だった典子はおっちょこちょいで真面目で努力家の子。
そんな彼女は「一生をかけられるようななにかを見つけたい」と思っていました。
でも、本当にしたいことがわかりませんでした。
そんなある日、母との何気ない会話からお茶を習うことになってしまいます。
たまたま遊びに来ていた美智子も一緒です。
茶道は典子や美智子には初めて経験する世界。
彼女たちは何かを習うごとに「何で〇〇するんですか」と聞きます。
武田先生は口ごもりながら「お茶ってそういうものなのよ」と返します。
「お茶はまず形なのよ。はじめに形を使っておいて、その入れ物に後から心が入るものなのね」。
何でも頭で考えようとするのが私たち現代人の悪いところかもしれませんね。
茶道や華道、武道など道のつくものは常に形から入りますから。
大学卒業後、美智子は希望通り貿易商社へ入社しますが、典子は就職に失敗し、出版社でバイトをすることになります。
美智子は三年後には会社を辞めて、実家に帰って見合い結婚をします。
未だ宙ぶらりんの自分を持て余す典子は、出版社の入社試験を受けることにしますが、駄目でした。
武田先生はそんな美智子のために、試験前日のお稽古にわざわざだるまの掛け軸を用意してくれていました。
30歳になった典子はまだ茶道を続けています。
そんな折、武田先生に「手がごつく見える、10年以上茶道をしているんだから、そろそろ工夫しなさい」と言われ、ここにも私の居場所がないと思ってしまいます。
その頃典子は長年付き合っていた彼の裏切りを知り、別れたばかりだったのです。
失恋のショックから三ヶ月お稽古を休み、久しぶりにお稽古に行くと、武田先生は典子をそれとなく気遣ってくれます。
例えば・・・。
庭には万作の花が咲いています。
「「万作」は「まず咲く」がなまって「万作」になったのね。一年のうちで一番寒い時に咲く花もあるのね。これから春に向かうのよ」
掛け軸は「不苦者有智」。
「苦と思われざる者は智あり」(映画ではこう読んでいましたが、他の読み方は「智有れば苦しからず」)
意味は「どんな逆境にあっても、知恵が有ればそれを乗り切ることができる」。
「ふくわうち」とも読めるので、節分に使われるようです。
お菓子は「下萌え」。
冬枯れの地面から草が芽吹いている様子を表現しています。
武田先生は典子にこう言います。
「いつ止めてもいいじゃない。ただ美味しいお茶を飲みにくればいいじゃないの」
33歳になった典子は一人暮らしをします。
ある日、めったに電話をしてこない父から電話があり、近くに来ているので寄ってもいいかと言うのですが、用事があったので断りました。
それからしばらくして父は亡くなります。
武田先生のことと自分の悲しみを重ねる典子でした。
2018年、典子はまだ茶道を続けています。
典子はこう思います。
「こうして同じことができることが幸せなんだなぁ」
「世の中にはすぐわかるものとすぐわからないものの二種類がある。すぐにわかるものは一度通りすぎれば、それでいいけれど、すぐにはわからないものは長い時間をかけて少しずつわかってくる」
彼女に武田先生が言った言葉は、「教えることで教わることがいっぱいあります」。
典子は「ここからが本当の始まりなのかも」と思うのでした。
始めは何も知らない普通の女の子だった典子が、挫折、失恋、身近な人の死などを経験することによって、お茶を通し季節の移ろいや人生の意味を知っていきます。
「日々是好日」とは、日にはいい悪いはない、いい悪いは客観的なものであって、そう思うのは自分である。
ただひたすらに、ありのままに生きていけば全てが好日となる。
などという意味かと思います。
「一期一会」にも通じる言葉ですね。
もう正座ができなくなった私なので、茶道は学べませんが、自分ながらに季節を感じながら生きていきたいなと思いました。
そうそう、茶道は就職してから習ったことがありますが、先生が高齢で忘れっぽくなり、色々とあり、止めてから習っていません。
手順を思い出しながら映画を観ていましたが、表千家と裏千家ではやり方が違うようです。
映画に出てきた「聴雨」という言葉が美しいと思いました。
漢詩で「聴雨寒更盡 開門落葉多」(「あめをきいて かんこうつく もんをひらけば らくようおおし」)から来ている言葉だそうです。
私の考えていたものとはちょっと違いました。
フェリーニの「道」が所々にでてきます。
まだ観ていないので、いつになるのかわかりませんが、そのうち観てみます。
小学生にはわからないだろうなぁと思いました。なんでお父さん、観に連れて行ったのかしら?
お父さんが感動したから、娘にも見せたかったのかしら?
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