米澤穂信 『黒牢城』 ― 2021/09/25
米澤穂信、初の歴史ミステリー小説です。
黒田官兵衛は知っていましたが、荒木村重のことは知りませんでした。
どんな人なのか調べてみました。知っている人は端折って読んでくださいね。
荒木村重は戦国から安土桃山時代の武将で、池田家を乗っ取り、三好家に仕えていたのですが織田家に鞍替えします。しかし天正6年(1578年)10月、突如織田信長に反旗を翻し、有岡城に籠城。秀吉から降伏の説得に派遣された小寺官兵衛(黒田官兵衛)を土牢に幽閉します。
この時のことがこの小説に描かれています。
この後のことを知ると、村重のことは嫌いな武将の一人となりました。
天正7年(1579年)9月、家臣や妻子を残し、わずかな供を連れ有岡城を脱出し、尼崎城に向かいます。
信長は尼崎城や花隈城を開城して降伏すれば、有岡城に残っている妻子や一族郎党を助命するという提案をしますが、村重はこれを拒否。信長は荒木一族や重臣の家族たちを次々と処刑していき(約670名)、村重は「一族を見殺しにした男」として後生まで批判を浴びたそうです。
この後、村重はのうのうと生き長らえ、信長の死後、堺に戻り居住します。千利休らとの親交を深め、茶人として利休七哲(十哲?)の一人として名をあげられています。
後に秀吉への悪口がバレ、処刑されるのを怖れて出家し、天正14年(1586年)に52歳で死去します。
「浮世絵の祖」と言われている岩佐又兵衛が、唯一生き残った村重の息子だそうです。
武将なら一族郎党のために自らの命を差し出せよと言いたくなりました。
黒田官兵衛は有岡城陥落後、家臣らに救出され、その後、秀吉と家康に仕え、慶長9年(1604年)に京都で亡くなります。享年59歳でした。
側室をもたず、生涯一人の女性を愛した愛妻家だとか。
村重よりも官兵衛の方が魅力的ですわ、笑。
有岡城に立て籠もった荒木村重は毛利からの援軍を待っていました。
その間に城内では次々と怪事件が発生し、考えに行き詰まった村重は官兵衛にこれらの事件のことを話します。
官兵衛は村重に謎を解く手がかりを与えていきます。
城内に籠もっているうちに、だんだんと家臣の士気は下がり、彼らの心中を把握できなくなっていく村重。
誰が寝返り、敵と通じているのか、疑心暗鬼になる村重。
終いには心を許せる家臣が一人もいなくなり、皮肉なことに官兵衛しか話し相手がいなくなり、孤独な村重。
そんな村重を傍観しながら、官兵衛は密かに策略を練っていたのです…。
第一章から第四章までそれほどではなかったのですが、終章で真の主人公がわかり、俄然面白くなり、官兵衛と村重の駆け引きにワクワクしました。
本当にこんな話をしていたのではと思わせるところが読書の醍醐味ですね。
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