西條奈加 『六つの村を越えて髭をなびかせる者』2022/02/16

江戸時代に九度蝦夷地に渡った実在の冒険家・最上徳内(1754年ー1836年)を描いた小説。


高宮元吉の父は無学な百姓だった。しかし元吉は生来、本が好きで、片時も本を離そうとはしなかった。そんな元吉を父は陰ながら支え、十歳になる元吉に、なけなしの金で買った数学を初歩から教える指南書『塵劫記』を与えた。
この時、元吉は必ず学問で身を立てようと決心する。

父は元吉が二十六歳の時に亡くなった。
一周忌を済ませてから単身江戸に上がり、元吉は煙草屋に奉公。その後御殿医の家僕となり、奉公しながら湯島に私塾を開いている関流の算学家・永井右仲に師事し算学を学ぶ。
29歳で本多利明の住み込みの内弟子となり、『音羽塾』に住まう。

時は江戸中期、老中・田沼意次が実権を握っていた。
幕府はロシアの北方進出に対する備えや蝦夷地交易などを目的に、蝦夷地見聞隊を派遣することにする。
利明は普請役の青島俊蔵の従者として随行することになるが、病のためと偽り、徳内を代役に推薦する。
元吉は名を改め、最上徳内とする。

天明五年二月(1785年)、蝦夷地見聞隊は江戸を立つ。

徳内は広大な蝦夷地と和人とは違う文化を持つアイヌの姿に魅了される。
アイヌと交流し、言葉を覚え、親しくなっていくが、その反面、松前藩には危険人物と見なされるようになる。

天明六年(1786年)、徳川家治が死去し、田沼意次が失脚する。老中となった松平定信は蝦夷開発を中止としたため、徳内たちは江戸に戻る。
天明七年(1787年)、徳内は再び蝦夷地へ行き、寺に住み込み入門するが、松前藩に正体が発覚して蝦夷地から追放される。
陸奥国野辺地に住んでいる時に、商家の島谷屋の娘・おふでと結婚する。

寛政元年(1789年)、クナシリ・メナシの戦いが起る。
真相調査のため派遣された青島は徳内を同行させ、西蝦夷方面から東蝦夷方面を廻り調査をする。
江戸に戻った青島は調査書を提出するが、幕府から背任を疑われ、徳内と共に入牢する。
利明らの働きかけにより、徳内は無罪となるが、青島は罪に問われ牢内で病死。

その後、徳内は普請役となり、たびたび蝦夷地へ行くこととなる。
生涯で合わせると九度に渡り蝦夷地を踏査し、千島やカラフトにも渡った。

幕府や松前藩のアイヌや徳内の上司・青島に対する仕打ちには腹が立ちました。
いつの世も、弱者に対する扱いは変らないのですね。

冒険家としての徳内はすばらしいのですが、彼はアイヌの人たちの扱いに対して、幕府にどういう働きかけをしたのでしょうか。
「アイヌ民族は、ゆっくり衰退していく運命にあったが、徳内は彼らに親しみ、交わり、そして愛した」だけなのですかね。
徳内は長生きをし、出世をしたのですが、彼と関わりのあったアイヌの人たちのその後が気になりました。