「リトル・フォレスト」を観てから読む2022/03/13

『リトル・フォレスト』は五十嵐大介による漫画です。
五十嵐さんが岩手県衣川村で実際に生活したときの実体験をもとに描かれているそうです。


漫画は2巻で、主人公は女の子です。
私は映画の方を先に観ました。
映画は「リトル・フォレスト 夏/秋」と「リトル・フォレスト 冬/春」に別れています。


いち子は東北の小さな集落・小森にある古い一軒屋に母の福子と暮らしていた。
しかし五年前に福子はいち子を置いて、いなくなってしまった。
それから都会に出て、スーパーでバイトをしながら男と暮らしていたが、都会になじめず、男とも上手くいかず、いち子は逃げるように小森に帰って来た。
近所には幼馴染みのキッコや2個下の後輩・ユウタが住んでいる。

小森では畑や田んぼで農作業をしながら、自給自足に近い暮らしをしている。
すべて福子に教えられたことだ。
薪を割り、パンを焼き、米サワーやグミのジャム、干し芋、干し柿、自家製のヌテラやウスターソースなどを作り、鴨を締め、クルミをつぶし、栗を煮る。
身体を動かし、汗をかき、自分で食べる物を用意する。

いち子は福子はずぼらだと思っていた。しかし自分で何もかもやることになってから、福子が料理に一手間かけていたことに気づく。
そんな頃、福子から手紙が届く。

いち子はキッコと喧嘩をしてしまう。
キッコから他人とちゃんと向き合ってきたのかと聞かれ、自分は向き合えなくて、小森に帰ってきたのだと思う。

集落の集まりの後、ユウタにも言われる。
いち子は一番大事なことから目をそらしている。それを誤魔化すために一生懸命とりつくっているのではないか。本当は逃げているのではないかと。
ユウタは小森で生きていくと決めている。
しかし自分はまだ小森で生きていくと決意できていないと思う。

福子の手紙を読み返し思う。自分は母にとって本当に家族と言えたのだろうか。
母も自分と同じように悩んでいたのかもしれないと。
「人生は螺旋そのものかもしれない」。
いち子は小森から出て行くことを決意する。

五年後、廃校になった分校で、小さな森の春祭が開かれる。
そこには…。

映画は漫画を忠実になぞって作られています。
主人公のいち子は漫画ではショートカットでワイルドですが、映画では橋本愛で、おとなしめ。ちょっと雰囲気が違うかも。
実際、女性一人で機械も使わず、畑や田んぼをやっていけるのかと思いました。
相当な体力と農業の知識がなけらばやれないでしょうね。
私なら三日ももたないわぁwww。
でも自然がとても綺麗で、畑や田んぼをやらなくてもいいんなら、住んでもいいかなと思いました。
それでももって一年かな(恥)。
とにかく料理の場面が多く、どの料理も美味しそうでした。
実際に橋本さんが作っているそうです。

最後に好きな言葉を。

「自分自身の身体で実際にやったことと、その中で感じたこと、考えたこと、自分の責任の中で話せることってそれくらいだろ。そういうことをたくさん持っている人を尊敬するし、信用もする。何もしたことがないくせに、何でも知ってるつもりで、他人が作ったものを右から左に流してるやつほど威張っている。薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのにうんざりした」

ユウタの言葉です。都会の会社でこういう人たちばかりと出会い、失望し、彼は小森に帰ってきたのです。

韓国でも映画化したそうです。内容が違うようですが、韓国の田舎がどういう感じか、そのうち観てみようと思います。

ボーと観ているだけでも心の洗われる映画です。
映像と音が綺麗でした。

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