梓澤要 『方丈の孤月 鴨長明伝』2022/05/05



鴨長明というと、『方丈記』を書いた人というだけで、どんな人なのか知りませんでした。なんとなくお坊さんで悟りを開いた偉い人みたいかなと思っていたのですが、結構偏屈な世をすねた人だったみたいです。

鴨長明は平安時代末期から鎌倉時代前期の歌人・随筆家。本来は「ちょうめい」ではなく「ながあきら」と読むそうです。
賀茂御祖神社(下鴨社)の神官・鴨長継の次男として生まれます。
母は長明が三歳の時に亡くなりました。
父の長継は十七歳という若さで下鴨社正禰宜惣官となります。
長継は人付き合いの上手い、明るい人だったようですが、長明は口数の少ない陰気な性格の子どもでした。
それでも歌の集まりと琵琶の稽古だけは熱心に通っていたようです。

十八歳頃に長継が病のため職を辞して引退。代わりに又従兄にあたる鴨祐季が正禰宜になります。長継は祐季に息子らの養育を頼み、後を継いで正禰宜になれるように導くと神前で誓わせます。
長明は父の命により、下鴨社社家一族の本家・菊宮家の娘・修子の婿になります。
長明が二十歳頃に長継は亡くなり、長明は後ろ盾を亡くし「みなしご」になります。その上菊宮家には馴染めず、その鬱憤を晴らすために歌の集いに積極的に出るようになります。
その後河合社の禰宜職推挙に落選。祐季が長継との密約を無視し、自分の息子を推挙したからです。

不幸は続くもので、父が亡くなってから五年後に兄の長守が突然亡くなります。
長明二十三歳。ここで一念発起…しません。

家司の右近のいう言葉が長明のことをよく表しています。
「好きな歌と琵琶には異常なほど熱中して勤めもおろそかにする」
「お家のことでちょっといやなことがあるとすぐ逃げて、何事もなかったかのようにとりつくろう。自分には関係なかったかのようにとりつくろう」
「僻みっぽくて、依怙地で、自尊心ばかり強い、つくづく面倒なお方だ」

平安から鎌倉へ時代が移り変わり、大火事、大飢饉、大地震、疫病などの災禍が起こり、長明の愛人が出産で亡くなり、菊宮家から追い出されたりと不幸が続きますが、長明は和歌では認められ、勅撰歌人になり、後鳥羽院に和歌所寄人に任命されます。彼が栄華を極めた時でした。
しかし後鳥羽院が長明を河合社の神官に推挙しようとすると、同族の鴨祐兼に反対され、実現しなかったことから世を拗ねてしまい、長明は『新古今和歌集』の編纂を途中で投げ出し、出家してしまいます。(五十歳頃)

和歌だけでも認められているのですから、それで満足すればいいのに、よほど神官職に未練があったのですね。
それなら熱心に仕事をすればいいのに、しもせず、なんかよくわからない人です。
おぼっちゃん気質でしょうかね。
ままならない人生でも、本人次第でどうにかなったように思えるのですが。
彼の性格だと言ってしまえばお終いですけど、笑。

最期は『方丈記』で書かれている日野の終の棲家で六十二歳で亡くなります。
色々と不平不満の多い人生でしたけど、それなりに満足して亡くなったと思いたいです。
この本を読んでから再度『方丈記』を読むと、前とは違った読み方ができそうです。

今とは違い神官が出家するのってこの時代にはアリなんですね。

<今日のわんこ>
暑そうだったので、いつもより早めに出かけました。


相変わらず競って飲んでいます。


今日は90度ですね、笑。


珍しく、二匹でそろって飲んでいます。


今日は機嫌がいいのか、兄は携帯を向けても前を向いていました。(お見苦しいスネを見せてしまって、すみませんwww)。