フィンランド旅行③ーラーセポリ博物館とムーミン美術館 ― 2024/08/01
【第四日目】
二日間、ヘルシンキ市内を回ったので、この日はヘルシンキ郊外へ行くことにしました。
友人が大好きなヘレン・シャルフベックの絵がある、小さな博物館まで行きました。
博物館はラーセポリ博物館(Raaseporin Museo / Raseborgs museum)といい、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)という町にあります。
*(フィンランド語/スウェーデン語)
友人が交通機関を調べてくれたので、わたしはただ着いて行くばかりで、楽ちんでした。
VRアプリで電車の切符もバスの切符も買えました。
あまり電車やバスがないので、気をつけないと接続が悪く、帰りが遅くなります。
ちょうどヘルシンキからの電車が全線改良工事をしていたため、ヘルシンキからカリス(Karyaa/karis)までバス(片道10ユーロ)、カリスからローカル線(片道 3.40ユーロ)に乗り、タンミサーリ(Tammisaari / Ekenäs)まで行きました。
バスも電車も好きな座席に座れました。
田舎の風景が見られて、楽しかったです。
タンミサーリ駅から博物館(入館料12ユーロ)まではGoogleさんに頼りましたが、わたしの携帯では案内人が道から外れていて、不思議でした。
詳しい経路を知りたい方はこちらをご覧下さい。
ヘレン・シャルフベック(1862年ー1946年)の絵はシャルフベック館にあります。
絵の他に彼女が使用していた杖とかイーゼルとかもありました。
英語の説明書きがなかったのが残念です。
軽く彼女の生涯を紹介しときますね。
1862年にヘルシンキに生まれる。
3歳の時に階段から落ち、足が不自由になり、一生杖をつく生活をした。
小学校に通えず、家庭教師に教わる。
11歳の時に絵の才能が認められ、フィンランド芸術協会の素描学校で学ぶ。
1880年、≪雪の中の負傷兵≫がフィンランド芸術協会に買い上げられ、奨学金を得ると18歳でパリに行き、画塾アカデミー・コラロッシで学ぶ。
≪雪の中の負傷兵≫ 1880年 アテネウム美術館蔵
1889年、≪快復期≫で国際的な名声を得る。
≪快復期≫ 1888年 アテネウム美術館蔵
1890年にフィンランドに帰国。ヘルシンキの素描学校で教鞭を執る。
1902年に療養をかねてヒュヴィンカーへ引越し、母と暮らすが、その後15年間、家に引き籠もって制作に集中する。
1914年、フィンランドを代表する9人の美術家のひとりとして、フィンランド芸術協会から自画像を依頼される。
≪黒い背景の自画像≫ 1915年 アテネウム美術館蔵
1918年、内戦が勃発。タンミサーリに二週間滞在する。
1920年、フィンランド大統領から高位勲章の白薔薇勲章を授与される。
1923年、母が死去。
1925年、タンミサーリに引越す。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1939年、第二次世界大戦が始まり、フィンランドは冬戦争に突入し、シャルフベックはタンミサーリから北のテンホラにあるポルカの農場に疎開する。
1944年、スウェーデンのサルトショーバーデンの療養ホテルに定住する。
晩年には自画像連作を描いて、1946年1月23日83歳で死去する。
大きな失恋をパリ時代とヒュヴィンカー時代に二回ほどしたようです。
写真が写せないので、どういう絵があったのか紹介できませんが、わたしが一番印象に残ったのが、彼女の自画像です。彼女は40点以上の自画像を描いたそうです。その中に彼女は自分の悲痛な思いを込めているのかもしれません。
入り口の壁に若い頃から順番に自画像の写真が並べてありましたが、晩年のものは…ハリーポッターに出てくるヴォルデモート卿かと思えるほどです(失礼)。
ショップとカフェがあったので、カプチーノを頼み、しばし庭でくつろぎました。
両側に犬連れの方々がいて、右側のわんこはご主人様がやって来ると、嬉しくて飛び上がっていました。か・わ・い・い。
ランチがまだだったので、駅までの帰り道の途中にあるカフェに入ってみました。
海老ののったオープンサンド(紅茶とともに7.50ユーロ)を食べました。
カフェの横から海が見えたので、行ってみることにしました。
石の教会が見えました。
通り過ぎていくと、パターゴルフをしている人たちがいます。
水辺に行くと、犬を連れて水の中に入っていく女性がいました。
わんこは水が好きなんですね。
もう一匹やって来ました。
お姉さん、スカートが短くて、お尻が見えていますよ。水着かな?
わんこがブルブルすると大変です。
浜辺になっていて、海水浴をしている人もいるようです。
空が晴れ渡っています。
ガレージセールかな?色々と古いいらなくなった物を売っていました。
海辺にはヨットが沢山停めてあります。
乗ってみたいですねぇ。
ヘレン・シャルフベックの絵も浜辺もよくて、ずっとここにいたかったです。
帰りは電車からバスに乗り込み、無事にヘルシンキまで戻って来られました。
【第五日目】
この日はタンペレ(Tampere)のムーミン美術館(Muumimuseo)に行きました。
前日にVRアプリで特急列車の切符を買っておきました。今回は座席指定しなければなりません。行きと帰りの運賃が違います。
1時間半で着く電車もあったのですが、少し運賃が高かったので、2時間ぐらいかかる電車にしました。行き、22.90ユーロ、帰り、23.90ユーロ。
ひょとすると、もっと前に予約するともっと安かったかもしれません。
わたしたちの前の座席にテーブルがありました。
長距離の電車には二階席や食堂車があり、犬禁止の車両もあります。
電車に乗っていて気づいたのですが、フィンランドの白樺って北海道のに比べると細いですね。寒いと白樺も大きくなれないのかしら?
ヘルシンキでは晴天で汗をかくぐらいの天気が続いたのですが、なんとタンペレではザンザン降りの大雨に遭いました。
ゴアテックスのスニーカーとポリエステルの服とパンツをはいていたので、わたしはそれほど被害はなかったのですが、友人はスニーカーがグッショリ濡れて、大変でした。
駅からムーミン美術館の道のりが遠く感じました。
この大きなタンペレホールの中にムーミン美術館はあります。
右側がホールの入り口です。
ムーミン美術館の入り口。
大雨にもかかわらず、ムーミン美術館(14.50ユーロ)には沢山人がいました。
人気なんですね。
美術館にはムーミンの挿絵の原画やスケッチ、5階建てのムーミン屋敷、本のワンシーンのミニチュアなどが展示されていて、日本語でもムーミン作品の朗読が鑑賞できます。
狭い部屋に人が多くて、わたしは疲れが出たのか、あまり見る気になれず、ほどほどに見て、お腹が空いていたので、カフェで食事をしながら友だちを待ちました。
そうそう、ムーミンの銅像は見に行きましたよ。といってもホール正面の左側にポツンとにありましたけどね。
かわいいムーミンです。
少し大きくしてみましょうか。
握手ができますね。
ショップは小さく、それほどムーミングッズが置いてなくて、残念でした。
帰る時には晴れていて、行きのわたしたちが歩いている時だけ雨が降ったようです。
帰りの道はあっけなく、こんなに駅から近かったのかと思うほどでした。
この後、パイプオルガンのコンサートに行くので、タンペレの町は見ずにヘルシンキに戻りました。
フィンランドの電車を載せておきます。
猫の絵が描いてあった電車です。猫はこの地方のマスコットなのかしら?
7時からヨハンネス教会(Johanneksenkirkko)でパイプオルガンのコンサートがありました。
この教会に行くにはソコスデパートの横にあるLasipalatsiから10番のトラムに乗ります。
トラムのJohanneksenkirkko駅からすぐの所にある、ルーテル派教会で、フィンランド最大規模の石造教会だそうです。
スウェーデンの建築家が多くの装飾や窓材料をスウェーデンから輸入して建てたそうです。
入り口の上、座席の後ろ側にパイプオルガンがあります。
コンサートは10ユーロで一時間でした。今回はパイプオルガンとバリトンの共演です。
<Program>
RICHARD WAGNER オペラ「さまよえるオランダ人」序曲
リヒャルト・ワーグナー 「ヴェーゼンドンク歌曲集」より
「天使」、「悩み」、「夢」
「タンホイザー」
ヴォルフラム:
Blick ich umher
Pilgerchor
Wie Todesahnung... O du mein
holder Abendstern
OSKAR MERIKANTO Rukous (祈り)
オスカル・メリカント Suvi-illan vieno tuuli (san. Eino leino)
(夏の夜の風)
Häähymni (婚礼讃美歌)
Juhana Kotilainen , baritone
Arttu Selonen, organ
プログラムに英語がない上に、「タンホイザー」のことをよく知らないので、ヴォルフラムの歌う歌をドイツ後のまま書いています。(どなたか教えて下さい)
Oskar Merikanto(オスカル・メリカント)はフィンランドの作曲家だそうで、フィンランド語の訳を載せました。
オルガニスト(前)もバリトン(後)の方も若いですね。バリトンの人の声がよかったです。
多彩なパイプオルガンの曲を聴きましたが、たまには正統派のバッハなども聴きたくなりました。
帰りにダンスをしている人たちを見かけました。
遠くから撮ったので、よくわからないかもしれませんが、昔のフォークダンス風の踊りでした。
楽しそうでいいですね。
この日は帰ってからハプニングがありました。
フィンランド旅行④ーオーディとイッタラ&アラビア ― 2024/08/02
【第六日目】
昨夜からバスルームのシンクの水が流れなくなりました。
友人は次の日にイギリスに帰るので、頼んでフロントに電話をしてもらいました。
すると、係の者は帰ってしまったので、明日の10時に部屋にうかがわせると言われました。
次の日、本当に来てくれるのかわからなかったので、10時過ぎに友人がフロントまで直接行きました。
そうするとしばらくして係の人が来てくれました。
水が流れる音がしたので、これで大丈夫。そう思って私たちは出かけました。
この日は14時頃に友人が空港に行くというので、アモスレックスの近くにあるムーミンショップに行った後にオーディ(Oodi)に行くことにしました。
アモスレックスの天窓
オーディはフィンランド独立100周年記念事業として2018年にオープンした公共図書館です。
「オーディは、フィンランドの新しい時代の幕開けを象徴するとともに、ヘルシンキ市や国の図書館全体を代表するシンボルであり、またその名のとおり、「フィンランド文化」「読書」「言語・表現の自由」「平等」「民主主義」へのOodi(頌歌・賛歌)を体現しているということである。また、2019年8月には、国際図書館連盟(IFLA)からPublic Library of the Year 2019を受賞し、世界中から注目を集めている」
ホテルの窓から見えていたのは、オーディの裏側でした。
なんとも不思議な建物です。
全面に木が使われています。
1階にはレストランや誰でも使えるチェス盤が置いてあり、映画館もあります。
2階は窓が少なく、3Dプリンターやミシン、拡大印刷機、音楽スタジオ、キッチン、ゲームルーム、個室、ミーティングルームなど様々な学習活動や作業ができるスペースがあります。
三階が十万冊(思ったよりも少ないです)の蔵書があるという図書館です。
椅子が多く、どこにでも座って本が読めます。
テラスがあり、市民よりも観光客が多いんじゃないかと思うぐらいで、そこにいる人たちは日光を浴びてくつろいでいます。
カフェもあります。
本を運ぶロボットを見かけました。この後ロボットは左側の駕籠の下に入っていきました。
こんな感じで本を運んでいます。(斜めってしまったw)
この先にみんなが行きたがる、端っこがあります。
高所恐怖症気味のわたしはちょっとブルブル、笑。
ここのガラスは透明ではありません。
こんな感じです。
らせん階段がありました。美しいです。
素晴らしい施設の何時間でもいられる図書館です。
少し早いですがオーディのレストランでランチを食べました。
ビュッフェランチが11時からで、13.50ユーロ。
ショウガの入ったスープと大きいミートボールとサラダです。
外の席で食べていると、雀たちが寄ってきました。
パン屑でも探しているのでしょうか。
しばらくするとカモメが飛んで来ました。
高いところから餌がないか見張っています。
警官たちもやって来ました。
オーディの前の広場で何かイベントがあるようです。
一旦ホテルに帰って、友人は荷物整理をします。
わたしも一緒に帰り、少し休み、空港へ行く友人と別れてから一人でイッタラ&アラビア・デザインセンターに行きました。
RautatieasemaからArabia行きの6番のトラムに乗って、Arabiankatuで降ります。ここのミュージアムは平日11時からです。
2、3分歩くと見えて来ました。
ここが入り口です。
この通路を歩いて行くと、左側にイッタラ&アラビアのショップ、右側にカフェと他のメーカーのショップがあります。
ミュージアム(無料)にはエレベーターで8階まで上ります。
受付の女性がイッタラ&アラビアのショップの15%割引券をくれました。写真は自由に撮っていいそうです。
写真の展覧会をしていました。
ずらっと年代順に並んだイッタラのカップとコップたち。
反対側にアラビアの製品が並んでいます。
今売っているものとは絵柄が違いますね。
ムーミンもいました。
イッタラとアラビアの製品の変遷がよくわかる展示でした。
ショップにはヴィンテージ品があると聞いていたのですが、あまりなかったです。
ムーミン製品はここで買うよりも日本のアマゾンの方が安いみたいで、ムーミンフィギュアは2600円ぐらいで買えます。円安の影響でしょうか。
別のお店で木のムーミン一家を見つけました。残念なことに、ムーミンだけがいません。ムーミンが一番人気なんですね。
カフェでアイスラテを飲んでまったりしてから中央駅まで戻り、スーパーに寄ってホテルに戻りました。
ここで悲劇が起ります、笑。
シンクの水が流れていなかったのです。
五時を過ぎていたので、修理の人は帰ってしまっていますが、フロントに言いに行きました。
するとフロントの女性が来てくれて、排水溝クリーナーみたいな道具を使って直そうとしてくれましたが、全くつまりが取れません。
後二日泊まるので、部屋を変えてくれと交渉すると、変えてくれました。
今度の部屋は同じ階ですが、見晴らしが悪く、シャワーだけの部屋です。
しかし、部屋の掃除は行き届いていて、バスルームの歯磨き用コップには埃よけが被せてあります。前の部屋と掃除する人が違うのでしょうかね。
排水は前よりも段違いにいいです。もっと早く言えば良かった…。
ホテルは中央駅からすぐなので立地はよく、フロントの方々もいいのですが、設備が古く、掃除がいい加減なのが残念でした。とはいっても、わたしたちは全く気にしていなくて、次も泊まるかもしれません。
そうそう、シーツが四日間変わらなかったのは、頼まなかったからかしら?
日本とは違うことがあるので、何でもわからなかったら訊いてみた方がいいですね。
今回の反省点としますww。
フィンランド旅行⑤ーアアルト三昧の日 ― 2024/08/03
【第七日目】
家の食卓テーブルと椅子はアルヴァ・アアルトがデザインしたものです。
何年か前の引越しの時に食卓テーブルを買いに行って出会ったのが、アアルトがデザインしたテーブルでした。
お店では食卓ではなく、事務机として使っていたのですが、売り物かどうか尋ねると、使用していたものなので何%か割引きして売ってくれるというので、一緒に椅子も頼みました。
その後、スツールも買い、植木鉢置きとして使っています。
何年経っても飽きないデザインは流石です。
そんなわけで、アアルトに関係する場所は見ておきたいと思いました。
アアルト自邸(Alvar Aallon kotitalo / Alvar Aalt huset )とアアルトのアトリエ(Studio Aalto | Alvar Aalto's office)にはガイドツアーがあり、ツアーに参加しなければ中は見られません。
わたしはアアルト自邸は12時、アトリエは14時半で予約しました。
Alvar Aalto Museumもあるようですが、ユバスキュラというタンペレよりも遠いところにあるようです。
アアルトについて詳しく知りたい方はこちらのアアルト財団のHPをご覧下さい。
簡単にアアルトの紹介をしておきます。
アルヴァ・アアルト(本名:Hugo Alvar Henrik Aalto)はフィンランドが生んだ20世紀を代表する建築家、都市計画家、デザイナーです。建築から家具、ガラス製品などの日用品もデザインしています。
1940年代のアルヴァ・アアルト
(*写真はアアルト財団のHPよりいただきました)
「モダニズム建築においては単に理念中心の建築家ではなく、その人間的、有機的なアプローチで知られている」(リネア建築企画「アルヴァ・アアルトを訪ねて」より)
「モダニズムに自然の要素を取り入れ、人々の暮らしをより良くする建築や家具デザインなどを追及した」(神奈川県立美術館、「アルヴァ・アアルトーもうひとつの自然」展より)
1898年、フィンランド大公国、クオルタネで生まれる。
1903年、家族と共に、ユバスキュラに移るが、その後アラヤルヴィに移り住む。
1916年-1921年、ヘルシンキ工科大学で建築を学ぶ。
1923年、ユバスキュラで建築設計事務所を開設。建築家リストのトップに名前が来るようにAlvar Aaltoにしたと言われている。
1924年、建築家のアイノ・マシシオと結婚。ハネムーンで行ったイタリアに生涯にわたる影響を受ける。
1927年、トゥルクの農業組合本部とヴィープリの図書館の建築設計競技で一等を獲得し、事務所をトゥルクに移す。
1928年、パイミオのサナトリウムでコンペの一等を獲得し、国際的な建築家として知られるようになる。
1933年、事務所をヘルシンキに移す。
1939年、ソ連軍がフィンランドに侵攻。戦時中は戦後の復興計画を練りながら過ごす。
1946年ー1948年、アメリカのマサチューセッツ工科大学の客員教授を務め、MIT寄宿舎やベーカーハウスの設計をする。
1946年からはドイツ軍により破壊されたサンタクロースの町、ロヴァニエミの復興にかかわる。
1946年、妻アイノ死去。これまでの作品はアイノとアルヴァと署名していたという。
1952年、建築家エリッサ・マキニエミと再婚。
1963年ー1968年、フィンランド・アカデミー会長を務める。
1976年、ヘルシンキにて死去。没後の仕事は妻のマキニエミに引継がれる。
参考:「アルヴァ・アアルトの建築10選」
アアルト自邸に行くにはソコスデパート横のLasipalatsiからMunkkiniemi行きの4番のトラムに乗ります。
ちゃんと切符は事前に買っておきましょうね。
わたしはここで初めて検札官に出会いました。途中の駅から乗って来て、一人一人チェックしていきます。本当に検札しているんだ、とびっくりしてしまい、帽子を忘れてしまいました(嘘よww)。
アアルト自邸はLaajalahden aukioで降ります。徒歩三分ぐらいです。
晴天で暑い日だったので、スーパーで水を買いましたが、炭酸水入りだったら嫌なのでレジのお兄さんに訊くと、わざわざ水のある場所まで来てくれて、これだよと手渡してくれました。ありがとうございます。
フィンランドの人ってホント、親切です。
少し時間が早かったので、アアルト自邸の隣にあるMunkkiniemi Libraryにお邪魔しました。
アアルト・コーナーがあり、アアルトに関する日本語の本もありました。
オーディとは違い、日本のどこにでもある図書館風です。
クーラーがなく、扇風機はありましたが、暑くて久しぶりに東京の暑さを思い出しました。
10分前ぐらいにアアルト自邸に行くともう参加者が来ていました。
早く来たら庭を先に見るといいでしょう。右側から入れると思います。
庭から見た自邸
60代ぐらいの女性が出てきて、名前を確認してから中に入れてくれます。
彼女が説明をしてくれました。
(古いカメラと腕の悪いわたしが写真を撮ったので、残念な写真ばかりですが、雰囲気だけでも味わってください)
アトリエ
ここの奥の席でアアルトは仕事をしていたようですが、後にスタジオに移ったようです。
階段から見たライブラリー
リビング
ピアノのそばにあったテーブル
リビングから見た庭
ダイニング
二階のリラックスホール。女性はガイドさん。
アノイのお母さんの肖像画(?)
寝室兼子供部屋
未亡人になってから使用した寝室
主寝室
ゲストルーム
ホテルでも思ったのですが、フィンランド人の体格のわりにベッドが小さいです。
バスルーム
テラスから見た庭
ダイニングとキッチンはアイノのデザインだそうです。
大建築家のわりにこじんまりした家に住んでいたんだなとか、こんな家に住みたいなぁというのが、わたしの感想ですww。特に窓の緑が印象的でした。
建築関係の人が書いたアアルト自邸のことは下記をご覧下さい。
写真も美しく、説明も詳しいです。
ガイドツアーは約一時間(説明30分、自由見学30分)です。
スタジオ見学まで時間があるので、浜辺にあるCafé Torpanrantaに行き、ランチにしました。
アアルト自邸から歩いて7分ぐらいです。
サーモンサンドイッチとアイスラテ(14.20ユーロ)を頼んで、外の席でくつろぐことにしました。
なんて言えばいいのかわからなかったので、写真に撮り、見せました。
ライ麦パンにサーモンが挟んであります。ライ麦パン、結構腹持ちがいいです。
とにかく日が当たると暑いです。
フィンランドの気温は20度から25度ぐらいですが、思ったよりも湿気が多く、陽向にいると汗が出てきます。
スタジオ見学まで少し早いので、浜辺を歩いてみることにしました。
アラ、またカオジロガンかしら?
ここら辺は高級住宅地らしいです。
お散歩するにはいい所です。
紫陽花のような花が咲いていました。
カフェからアアルトのスタジオまで約8分です。
最初に庭を見ておきます。
段々になっていて石が円形に置かれています。ここで大学の講義をやることがあるそうです。近くにアアルト大学がありますものね。
今度は若い女性のガイドさんです。
名前を確認してから、中のダイニングに案内されます。
実際に使われているダイニングのようです。左側にキッチンがあり、右側にテーブルと椅子があります。真四角の部屋ではなく、台形です。人が座っているので、写せませんでした。
天井には窓があり、布がかかっていました。落ち着くダイニングです。
製図室
昔使われていた道具
アトリエ
アトリエ
右側の女性がガイドさんです。
タイルの色見本
テーブルや椅子の脚の部分
打ち合わせ室
参考:
*富田秀雄建築アトリエ、アルヴァ・アアルト自邸とかアルヴァ・アアルトアトリエと検索すると削除されている記事が出てきます。
このガイドツアーもガイドの説明、30分、自由見学、30分です。
ここでアアルトのデザインの鍋敷きを買いました。
これを見せられたら、鍋敷きだと分かる人がいるかな?
地図を見ていて、わたしは近くにあるディドリシュセン美術館(Didrichsenin
taidemuseo)が気になりました。
個人の別荘を美術館にしたようで、近くにドイツやハンガリーの大使館があります。
次回フィンランドに来ることがあったら、行ってみたいです。
スタジオ・アアルトの次は行こうかどうか迷っていたのですが、ついでにアカデミア書店のカフェ・アアルトに行くことにしました。
トラムのTiilimäkiからKatajanokka行きの4番のトラムに乗り、Ylioppilastaloまで行きます。
この日は検札によく会う日で、帰りもまた検札に会いました。
それほど人が乗っていないのに、検札する意味があるのかしらね。
観光客らしき家族が電車から降ろされていました。切符を買っていなかったのかもしれませんが、罰金は取られていないみたいです。
アカデミア書店は結構大きな書店です。フィンランド語はわからないので、本は買いませんでした。
二階にカフェアアルトがあります。普通のカフェでは先に注文してお金を払うのですが、ここは席に座って待っていると注文を取りに来ます。
日本語のメニューがあって驚きました。それほど日本人が来るのかと思って見回すと、三人の女性たちと一家族いました。
シナモンロールかケーキか迷ったのですが、ケーキを食べていなかったので、ラズーベリーケーキとアイスラテ(15.30ユーロ)を頼みました。
書店側。天井が吹き抜けになっています。
アイスラテはコーヒーの苦みがきいていて、わたしには苦手な味でした。
シナモンロールを持ち帰りできないか訊いてみたら、ダメでした。
他に何か言っていたのですが、ボソボソ小さい声なので聞き取れず、面倒なので適当に相づちをうっておきましたww。
ケーキのせいか、お腹がすかないので、スーパーでいつものサーモン寿司を買って帰りました。
今日で旅行記を終わろうと思ったのですが、後一日、お付き合い下さいませ。
フィンランド旅行⑥ー最終日 ― 2024/08/04
【第八日目】
いよいよ最終日になりました。
飛行機は17時40分発。混んでいると嫌なので、二時過ぎに空港へ行くことにしました。
最後にどこに行こうかと決めかねていましたが、結局、またオーディに行って時間を潰すことにしました。
11時頃にホテルをチェックアウトし、荷物を預けてからオーディに行きました。
すると、二日前に準備をしていた広場でイベントが始まっていました。
警備員がいる入り口から入り歩いていくと、「LITTLE ITALY」という看板が出ていました。
ピザなどのイタリア料理を売っていたり、空気で膨らませたイタリアの史跡などがあります。
ここはステージで、そのうち演奏を始めるのでしょう。
コロッセオでしょうか?子ども達が跳ねて遊んでいます。
google lensに訊くとミラノのドゥオーモらしいです。
アウグストゥスの凱旋門らしいです。
お菓子も量り売りで売っていましたが、持って帰ると潰れそうなので止めました。
写真を見てわかるようにヘルシンキはずっと天気がよく、暑いぐらいです。
朝はリンゴだけだったので、オーディのレストランでランチを食べることにしました。今考えると、外でピザを食べてもよかったのにね。
休日だったので、二種類のビュッフェがあり、サーモンスープかポテトです。
サーモンスープ(12.50ユーロ)を頼みました。
フィンランド旅行はサーモンスープで始まり、サーモンスープで終わりました。
みんな具をたっぷり取っていたので、釣られて具だくさんにしてしまいました。
Storyのスープよりもあっさりした感じです。
このスープもちょっとしょっぱかったです。これにパンとコーヒーがつきます。
食べ終わってから、オーディの中に入り、三階のテラスに行ってみました。
日陰の席があったので、座って本を読みました。
様々な観光客が来て、外を見ています。
上から見たリトル・イタリーの様子。あまり人が来ていないみたい。
しばらくすると集団で人がドッと来たので、テラスを諦め、中に入って本を読むことにしました。
テラスの反対側にはパソコンができるスペースがあります。
主にテラス側は観光客、その反対側は市民が利用できるように住み分けしているみたいです。
棚は低く、車椅子の人でも本が取れるようになっています。
日本では予約した本は図書館の人に頼みますが、ここでは予約本は予約用の棚に置いてあり、自分で探して自動貸出機で手続きをするようです。
ここでゆっくり本を読みます。
そろそろフィンランドにさよならを言う時間になりました。
ホテルに荷物を取りに行きます。
引換券をくれていたのですが、日本のホテルとは違い、自分でスーツケースを取りに行きます。
中央駅から空港まで電車で行きます。
飛行場には早く行きすぎた感じで、すぐに全ての手続きが終わり、時間が余ってしまいました。
空港にムーミンショップとムーミンカフェがあると聞いていたのですが、わたしが歩いていた範囲には見当たらず、探すのも面倒だし、買いたい物もないので、ラウンジで本を読んでいました。ムーミンカフェはどこにあったのかしら。
帰りの飛行機の隣の席の人はハンバーガーを持ち込み、その上機内食も食べ、よく食べる女性でした。スペイン人かな?
飛行機は13時55分に着くとなっていたのに、13時10分頃に着きました。
スーツケースはすぐに出てきました。
フィンランドは日本と同じように安全な国で、交通機関は時間通りです。
HSL(ヘルシンキ公共交通)とVR(国鉄)のアプリは絶対に使って下さい。非常に便利です。
クレジットカードだけで現金を使わずにすみます。
トイレも駅とかデパートとかカフェでできますので、心配な方、大丈夫ですよ。
チップもいりません。
そうそう、美術館のトイレなどが男女いっしょで、男の人がいて驚きました。
トイレ自体が大きいので、あまり気になりませんでした。
食事も日本人の口に合うと思います。といっても、わたしは大した物を食べていないんですけどね、笑。
まだ円安で、海外旅行なんてという感じかもしれませんが、もしどこかに行きたいと思ったら、フィンランドを是非、第一候補にしてみてください。
久しぶりのトリミング ― 2024/08/05
ママがいない間、パパが面倒をみていたわんこたち。
パパが苦戦したのは、歯磨きとブラッシングです。
いつもママがやっているので、慣れないパパがやるとわんこたちは嫌みたい。
気むずかし屋の兄にパパは手を噛まれたみたい。パパの歯磨きは痛かったのかな。
(噛まれたパパよりも兄を心配するママwww)
次に旅行に行く時はわんこたちを預けた方がよさそう。
パパは兄犬だけを預けてくれと言っていますが、ヨーキー弟はやんちゃなんですけど。面倒みられるのかしら?
先週、暑い中、カートに乗せてトリミングに行って来ました。
一ヶ月半ぐらい切っていなかったので、ボサボサでした。
おやつがもらえると思ってやって来た兄。
ところが兄を押しのけて登場するヨーキー。
おやつを見ると、兄は行儀良く伏せをします。
弟も伏せをさせます。
伏せをしても自分のアピールを忘れないヨーキー。
おやつを見ると、思わず立ち上がる弟。
兄は伏せをしたままで早く食べたいのか、珍しく舌を見せています。
おやつをくれとアピールしまくるヨーキー弟。
弟の陰からおやつがもらえるのかと心配そうにママを見る兄。
ママはこういう兄が可愛いくて、こそっとおやつを多めにやってしまいます。
ママがいない間にパパが餌を多めにやっていたらしく、兄、3.5㎏、弟、3.6㎏になっていました。
兄は太ると足に悪いので、少しダイエットさせます。
さて、ママはやっと念願の鰻が食べられました。
昨年よりも値上げしていませんか?上で我慢しました。
鰻は美味しいです。でも、東京に帰ってきてから、また胃の調子が悪くなりそうな感じがします。
冷たいものの飲みすぎかも。熱いお茶を飲んで、暑い夏を乗り切りましょうかね。
恩田陸 『spring』 ― 2024/08/07
人気の本で、図書館では今日見たら400人以上の人が予約待ちしています。
萬春(よろず はる)はバレエの神に愛された少年。
八歳でバレエと出会い、十五歳で海を渡った。
彼は唯一無二のダンサーであり振付師でもある。
「Ⅰ 跳ねる」
春と同じくバレエダンサーの深津純が語る、彼と春とのワークショップでの出会いから春の初期の振付のお話。
「Ⅱ 芽吹く」
春の母の弟、稔が語る、春の幼い日とバレエとの出会い、そして旅立ち。
「Ⅲ 湧き出す」
バレエを止め、作曲家になった美潮が語る春との仕事のお話。
「Ⅳ 春になる」
春が語る、恋人との出会いと別れ、創作への思い。
期待が強すぎたのか、お話の内容が予想外れで、ちょっとガッカリ。
三章当たりから飛ばし読みをしました。
なんなんだろう、振付の場面が多過ぎだからだろうか。
バレエ好きははまるんだろうか。
感想は人それぞれ。わたしには合わなかった。
わたしはバレエは好きなんだけど、それほどピンとこず、読まなくてもよかったかも。
<今月のおやつ>
わたしの好きなシヅカ洋菓子店の「No.54 Summer Biscuits」。
右からパッションフルーツジャムサンド、レモン、ダブルカカオ、ライ麦、5フルーツ、アーモンド。フルーツのいい香りがします。
「しあわせのお菓子」です。
岩井圭也 『科捜研の砦』 ― 2024/08/08
『最後の鑑定人』の主人公、土門誠の科捜研時代のお話。
「科学警察研究所」、科警研は千葉県柏市にある警察庁の附属機関で、新手法の開発や警察業務に関する研究、技官の指導法に比重をおいている。
「科学捜査研究所」は各都道府県警察本部の刑事部に設置され、管内で発生した事案に関する鑑定が主である。
科捜研には<鑑識の神様>と言われている科捜研副所長の加賀正之警視と彼の直下で働いている技官、土門誠がいる。
この二人のタッグは<科捜研の砦>と言われている。
「罪の花」
科学警察研究所でスーパーインポーズ法の鑑定手法の開発をしている尾藤宏香は千葉県警からの依頼で身元がわからない白骨遺体の鑑定をすることになる。しかし、児玉という刑事は科学捜査研究所の土門誠にも発見現場周辺の状況から遺体の身元推定に役立つ情報を探索してもらっていた。
尾藤は同年代で全国の警察組織に名を轟かせている土門に対し、妙な対抗意識を持つ。
そんな尾藤のところに土門から聞きたいことがあるとメールが届く。
早速、土門に電話をするが、「科捜研の砦」と言われている彼に興味を持った尾藤は彼と共に現場に赴くことにする。
「路側帯の亡霊」
交通捜査課の三浦耕太郎は転落事故の鑑定を科捜研に依頼していたが、なかなか報告が上がってこなくて苛ついていた。
事故は三人の大学生が飲んだ勢いで、コンパクトカーに乗り、限界までスピードを出す度胸試しをしていて、カーブでハンドルを切りすぎて、ガードレールに突っ込み、一人が死亡、二人は首や腰の打撲というものだった。
馬鹿な大学生が酒を呑んで起こした、よくある事故だと思う三浦だったが、土門は証言と一致しない箇所があるという。
「見えない毒」
東洋工業大学理学部講師、菅野真衣は土門がX線回析装置を借りにくるのに立ち会う。いつもとは違い、土門は特殊な事例なので菅野の力を借りたいという。
案件はITエンジニアで一人暮らしの二十代の男性の死因特定だ。
急性心臓死の可能性があるが、二十代の若者には珍しい死因だ。
食事に毒物が混入していたおそれがないか、調べても原因物質は見つからなかった。
土門は亡くなった男性の部屋から見つかった正体不明の粉末が気になり、X線回析装置で分析をしようと思ったらしい。
菅野は事件性がないと思われる遺体の死因に、土門がこれほどまで執拗に追及する理由が気になり、土門に訊く。
「神は殺さない」
尾籠宏香は室長から呼び出される。警視庁からの至急の案件を担当してもらいたいというのだ。
東京都北区の木造アパートから火が出て、出火元の二階の部屋から男性一名の遺体が見つかった。
出火原因は寝たばこ、死因は一酸化炭素中毒と推定された。
しかし、遺体には一酸化炭素中毒で特徴的な鮮紅色の死斑が観察されなかった。
警視庁は「事件性はなし」として処理しようとしたが、土門はこの判断に反対し、血液分析を行うべきだと主張した。だが、土門の提案に加賀副所長が難色を示した。
尾藤は土門の真っ当な提案に何故加賀が反対したのか、そして、科捜研には土門がいるのに、何故科警研で遺体の死因特定をするのか、訝しく思う。
室長によると、亡くなった人は加賀と何らかの関係があったというが…。
なんと土門が結婚します。
相手は気になりますよね。内緒ですが、わたしはなんとなく予想がつきました。
それにしても土門の結婚生活は不思議な感じです。こんな感じで続くのか。
そういえば『最後の鑑定人』に彼の妻は出てきてましたっけ?
土門や加賀の隠された過去が出てきて、それが事件に関係してきます。
特に最後の「神は殺さない」は、あくまでも科学を信じ続ける土門の矜恃がよくわかるお話です。表には出さないけど、どれほど心の中で苦しみ泣いていることか。
「私が科捜研を辞める時が来るとしたら、それは科学を信頼できなくなった時です」
「人は嘘をつきますが、科学は嘘をつきません」
こう言っていた土門が科捜研を辞めて民間の鑑定所を開設したのは、この事件があったからかもしれませんね。
『最後の鑑定人』を読んでいなくても大丈夫ですので、興味を持った方は読んでみて下さい。
堂場瞬一 『ロング・ロード 探偵・須賀大河』 ― 2024/08/09
「ロング・ロード」だと「長い道」と思ってしまいますが、「LONG」ではなくて「WRONG(間違った)」なので、お間違いなくww。
須賀大河は36歳、元弁護士の私立探偵。190㎝の長身なので、人目につきやすく、よくスポーツは何をしていたのと聞かれる。
高校では将棋部で、大学では司法研究会と答えると、嫌な顔をされる。
ある日、大学の同級生で巨大IT企業「ZQ」の社長、春山遼太郎から十二年ぶりに連絡を受ける。
社内に怪文書が出回ったので、調べて欲しいというのだ。
春山は社外にも社内にも大きなトラブルはないという。
大河はひょんなことで出会ったITコンサルタントの真野由祐子に頼み、会社の廊下に監視カメラを設置してもらう。
上手く犯人の画像を手に入れることができるが、写っていたのは男らしい人物だが、顔はわからない。
しばらくして犯人が金を要求してくる。
大河は警察に相談するようにアドバイスするが、春山は頑なに警察の介入を拒否する。
大河は金を持っていき、金を取りに来た犯人を捕らえようとするが、逃してしまう。
諦めたのか、犯人からの連絡が途絶え、春山は犯人がわからないままに調査を打ち切るが、大河は独自に調べていく。
するとZQ創業直後から勤めていた営業部員が殺される。
一体春山は何を隠しているのか。
大河は春山の過去を探っていく。
残念ながら、相変わらずしょうもない話を書いているなという感じです。
「ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドの系譜に連なる、正統派私立探偵小説」とか「ハードボイルド」とか、書いてて空しくなりませんか。
大河君(といいたくなるほど)、良い子なのはわかります。でもそれだけです。
彼よりも出てくる女性群の方が魅力的です。
堂場さんの作品に登場する女性はあまり魅力のある人が少ない傾向にありますが、今回は違います。
ITコンサルタントの真野由祐子やZQ社長室長の伊佐美真梨、人気女優で春山の恋人の遊佐莉子の三人は素敵な女性です。特にわたしは真野さんが気に入りました。
彼女たちに比べると、春山なんてクソみたいな男です(失礼)。
今回は堂場さんの理想の女性が書かれているのでしょうかねww。
シリーズ化すると面白くなるのかもしれないので、次に期待ということで。
日本にハードボイルドは似合わないと思うのはわたしだけでしょうかねw。
「魂のまなざし」を観る ― 2024/08/10
フィンランドの画家、ヘレン・シャルフベックについて調べていると、映画があるのがわかりました。
日本では2022年に公開されていたのですね。ちょうどコロナ禍だったので、気づかなかったのかもしれません。
1915年から1923年の8年間のヘレンを描いた作品です。
AmazonのPrime Video で見られます。
ネタバレがありますので、嫌な方は読まないようにしてください。
最初はインタビューから始まります。
インタビュアーがヘレンに、女流画家にふさわしくないのに何故戦争や貧困を描くのか質問します。
1910年代のフィンランドが男性社会であったということですね。
ヘレンは自分は女流画家ではなく一人の画家だと言っています。
こういう男性中心の画壇の風潮が嫌で引き籠もったのかもしれませんね。
1915年、ヘレンはヒュヴィンカーに引き籠もり、母と暮らしていた。
生活は苦しいのだが、制作意欲は衰えず、主に自画像を描いていた。
自画像は彼女にとって不可能への挑戦だった。
ある日、二人の男がやって来る。
画商のヨースタ・ステンマンと森林保護管で作家で、絵を学んでいるというエイナル・ロイターだ。
ユースタはヘレンの絵の買い付けに来たのだ。
エイナルはヘレンの絵のファンだという。
絵はユースタの言ったように売れ、個展も成功裏に終わる。
個展から得た販売手数料をヘレンの兄のマグナムは家族で分け合おうと言う。
しかし絵は自分が描いたのだからとヘレンが反対すると、兄は女の物は男の物だと言い、母は世間体が悪いとヘレンに言う。
エイナルはヘレンに描くところを見たいと言って、アトリエに来るようになる。
一緒に絵を描いたり、ドライブしたり、お茶を飲んだりして親しくなる二人。
エイナルはタンミサーリに別荘があるので、行かないかと誘う。
ヘレンとエイナルはタンミサーリに行く。
浜辺でお茶を飲み、話し、絵を描く二人。
ヘレンのエイナルへの思いが募っていく。
ヘレンはエイナルの絵を描く。
タンミサーリから戻っても二人の関係に変化はない。
仕事で何週間か出かけても、エイナルは手紙をめったにくれない。
ヘレンが勧めた旅なのに二週間も手紙が来ないことに苛立っているヘレンに、母は言う。
「この家の女は男で泣かない」
やっとエイナルから手紙が来たと思ったら、それは婚約を告げる手紙だった。
ヘレンはアトリエをメチャクチャにする。
母はそんなヘレンに「40歳が近付くと人は家庭を欲しがる」と諭すが、ヘレンは「私はどうなるの?私の家族はどこ?」と尋ねる。
母が冷たく言う。「彼が若いことを見ないようにしたから」だと。
ヘレンは「二度と口出ししないで。もし口出ししたら、ぶちのめす」と言い放つ。
ヘレンは失恋のショックから心臓が弱り、入院する。
病院から家に戻るが、母との関係は最悪になる。
油絵を描かずに金になるラグの編み図を描けと言う母。
母は兄、マグナムとの同居を拒んだ。娘と母は一緒にいるべきだからだ。
そんな母にヘレンの怒りが爆発する。
「兄ばかり可愛がったのに、母親失格の偽善者め」と罵倒すると、母は「マグナムのところにいくわ。描く場所が増えていいでしょう。エイナルと一緒に描けばいい」と言って出ていく。
しかし、しばらくすると戻ってくる。
母を連れてきた兄はヘレンの描いた女の絵が気色悪いと文句を言い、母は腹いせに売れない絵を描いていると言う。
そんな母にヘレンは「追い出されたのを引き取ってやったんだ」と言い返す。
やがて母は具合が悪くなり、寝付き、亡くなる。
一方、ヘレンは彼女との友情は貴重だから失いたくないと言うエイナルと仲直りをする。
彼は間違いを犯したと言うが…。
それからも二人は友人関係を続け、ヘレンはエイナルに1100通もの手紙を書いたという。
ヘレン、53歳、エイナルは19歳下の34歳。
こんなに歳の差のある男女に恋愛関係はあり得るのか。
エデット・ピアフのこともありますから、あり得ますが、エイナルはあくまでも映画での印象ですが、人の感情に鈍い人という感じです。
ヘレンの気持ちを知っているのか、いないのか。
ヘレンを画家として崇拝し、尊敬しているのはわかります。
でも女性としては…という感じなのでしょうね。
ヘレンの母親役の女性がその存在だけで偏屈な性格の老女を表していました。
こんな母親とは一緒に暮らしたくないですね。
この頃は母親のような考え方をみんなしていて、なんでも男性が優先されるのが当たり前の社会だったのですね。
母にしてみれば自分とは違い社会的に認められた画家である娘に対する嫉妬のようなものもあったのでしょう。
ヘレンの鬱屈した気持ちがよくわかります。
彼女の描く自画像が彼女の心の有り様を描く術だったのでしょう。
映画としては凡庸ですが、ヘレンの絵の描き方や装い、美しいフィンランドの景色などが見所の映画です。
わたしが訪れたタンミサーリの浜辺をヘレンも歩いていたのでしょうか。
そんなことを思わさせられた映画でした。
世界バレエフェスティバル 【ガラ】 ― 2024/08/12
今年は抽選に当たることが多く、といっても2回中2回ですが、三年毎に開かれる世界バレエフェスティバルのガラ公演に当たりました。
ずっと前にガラを見たいと思って調べてみたら、普通では買えなかったような?
今回の席はよさそうなので、期待して見に行ってきました。
何年ぶりのバレエでしょうか。
知らないダンサーもいます。ザハロワさんは引退したのかしら?
2024年8月12日14時開演
【第一部】
序曲 「戴冠式行進曲」
マリアネラ・ヌニェス 眠れる森の美女より
ワディム・ムンタギロフ 第三幕のグラン・パ・ド・ドゥ
大橋真理
アレッサンドロ・カヴァツロ コンセルト・アン・レ
ヤスミン・ナグディ ロミオとジュリエットより
リース・クラーク 第一幕のパ・ド・ドゥ
シルヴィア・アッツォーニ
アレクサンドル・リアブコ アダージェット
オニール八菜
ジェルマン・ルーヴェ シルヴィア
「眠れる森の美女」の終幕や「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場の音楽を聴くと幸せな気分になります。ガラ公演の最初に相応しい演目ですね。
大橋真理とオニール八菜は今回初めて踊るのを見ました。
日本人ダンサーは一流ダンサーの中に入っても遜色ない状態になりましたね。
オニールさん、つまづいてしまい残念でした。
【第二部】
菅井円加
アレクサンドル・トルーシュ スプリング・アンド・ファールより
ジル・ロマン
小林十市 ブレルとバルバラ
ドロテ・ジルベール
ユーゴ・マルシャン ジゼル
マッケンジー・ブラウン
ガブリエル・フィグレド 悪夢
ディアナ・ヴィシニョーワ
マルセロ・ゴメス ル・パルク
永久メイ
キム・キミン 海賊
菅井円加のローザンヌで一位入賞という報道を覚えています。あれから色々とあったのでしょうが、今やハンブルグ・バレエ団のプリンシパルです。すごいです。
隣に座ったロシア人女性が話しかけてきて、円加さんのことを褒めていました。
ここ十年ぐらいの間で日本人ダンサーの技術が向上したと言っていました。
小林十市の踊りを見たかったのですが、後半ジッと座っていただけでした。
着物を羽織っていたのは、何か意味があったのでしょうか?女性のパートを踊っていたのかしらね。
私が気にいったのが、ドロテ・ジルベールが踊った「ジゼル」です。ウィリそのものでした。
ロシア人女性が好きなのがディアナ・ヴィシニューワだそうです。
「ル・パルク」はパリ・オペラ座の演目だと思っていたのですが、色々なバレエ団で踊られているのですね。”解放”のパ・ド・ドゥを踊りましたが、実を言うと「ル・パルク」はわたしには難解で、よく分からない演目です。
ゴメスとはABTでパートナーを組んでいて、ベストパートナーだったそうです。
永久メイとキム・キミンも初見です。マリインスキー・バレエでは東洋人もプリンシパルになれるんですね。キム・キミン、噂に聞いていましたが、いいかも。
【第四部】
エリサ・バデネス
フリーデマン・フォーゲル カジミールの色
ダニール・シムキン レ・ブルジョワ
サラ・ラム
ウィリアム・ブレイスウェル シンデレラ
ロベルト・ボッレ
アレクサンドル・リアゴロ 作品100ーモーリスのために
マリーヤ・アレクサンドロワ
ヴラディスラフ・ラントラートフ ドン・キホーテ
「カジミールの色」で急に喉のイガイガに悩まされ、よく見られませんでした。
シムキンの「レ・ブルジョワ」は二回目か三回目。昔は鞠のようにポンポン飛んでいましたが、今は勢いが少し衰えたけど、円熟味が加わったかな?
「シンデレラ」は全幕見たことがありますが、この王子と踊るシーン、覚えていません。踊り自体は地味ですね。
「作品100ーモーリスのために」はサイモン&ガーファンクルの「Old Friends」
と「Bridge Over Troubled Water」で踊ります。懐かしかったです。
最後の「ドン・キホーテ」は定番です。
マリーヤ・アレクサンドロワとヴラディスラフ・ラントラートフは覚えていませんが、キャリアが長いので、ひょっとして見たことがあるかも。
私を、オレを見てと自信満々に踊っているところがいいですww。
【第五部】
ファニー・ガラ
「ラ・バヤデール」のパロディ。
男性ダンサーがトウシューズを履いて踊ります。
練習したのかしら。それとも彼らだったら簡単にできるのかな。
楽しんでやっていますね。
普通は一糸乱れぬ影の王国が、そろっていないのは仕方のないことですね。男性ダンサーはアラベスクなんてしないもの。
人の顔を覚えられない人なので、誰が誰だかわたしには分かりません。
「ボレロ」を次々とダンサーたちが踊る場面があり、面白かったです。
そういえば「ボレロ」はべジャールに踊るのを許されなければ踊れませんよね。
こんなに許されたダンサーたちが勢揃いしているのって、すごいことですね。
横にジル・ロマンと小林十市がいたような・・・。
小林さんは「ブロンズ・アイドル選手権」の司会をしてくれました。
マッケンジー・ブラウンがタップを、菅井円加が男性のパを披露。
タップをしたのに1点なんて、かわいそうでした。
素晴らしくうまいプリマ(男性)がいたのですが、ガブリエル・フィゲレドという噂が。
すごいダンサーばかりなので、誰がよかったなんて、わたしのようなバレエを観るのが好きなだけの人間にはいえません。
ただ永久メイとオニール八菜のトラ(ラムちゃんにも見えましたが)がとってもキュートでした。
今回の席は前の人の頭が全然気にならなくて、最高の席でした。
次回、バレエを見ることがあったら、同じ席にしようと思いました。
三年後もガラに当たることを念じておきますわ。
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