再度、桜を見に行く🌸2025/04/04

晴れたので、毎年行っている善福寺緑地に桜を見に行ってみました。


雨のため桜は散り始めているようです。


携帯のカメラではこれぐらいしか撮れません。


明日、別のところに犬連れで行こうかと思っていますが、どうでしょう。


ほどほどに見て戻ってきましたが、わんことお散歩に行った近くの公園の桜が満開でした。


兄をスリングに入れて、写真を撮ってみました。


相変わらず横を向いています。


なんとか前向きが撮れました。
でも、看板と手が写ってしまい、桜は何輪かしか写っていませんww。

どうやってもわんこと写真はうまくいかないようです。

井の頭恩賜公園の桜2025/04/03

雨が降っていましたが、外出したついでに井の頭恩賜公園に桜を見に行ってきました。
雨でも人が多いのは仕方がないですね。
外国の方も来ていました。


鴨が集まっていました。


雨でもスワンボートが沢山浮いています。


スワンボートは人気なんですね。


雨で桜が散っているようです。


桜でない花が満開でした。
ピンクのコブシです。
コブシはハクモクレンよりも花が小さいのですね。
何回調べても忘れてしまいますww。

明日は晴れるようなので、兄わんこを連れて花見に行って来ましょうか。
別に弟を連れて行ってもいいのですが、弟は知らない場所が苦手で、挙動不審になってしまうのです。


「ママ、失礼です。ぼくは兄よりもいい子で、写真を撮る時はお座りをするのに」

残念ながら、桜はお座りしたら写りませんねぇwww。

読んだ時代小説シリーズ2025/04/02

読んだ文庫本が溜まっているので、いつものようにまとめて紹介します。
まず、私の好きな二つのシリーズ。


知野みさき 『南天の花 神田職人えにし譚』
縫箔師・咲の周りではおめでたが続く。しかし、桝田屋の美弥の義母から志郎の浮気疑惑を相談されたり、職人仲間の修次が女といっしょにいたと言われたりと、いろいろとつまらぬ噂話をわざわざ伝えに来たりする人がいる。そんな時に、昔の男、雄悟と出会う。
一方、仕事の方は順調だ。人形の着物の注文がくる。それが縁で、咲は戯作者・魔魅団三郎の秘密を知る。
しろとましろの双子の兄弟子の豆太郎という謎の人物が現れる。
修次は古い知り合いの喜兵衛の余命が短いことを知り、彼の娘を探している。
やっと娘は見つかるが、喜兵衛に会いたがるかどうかわからない。娘が武家に嫁ぐと聞き、喜兵衛は修次に簪を、咲に筥迫(はこせこ:着物を着たときに胸元に入れて持つ小間物入れ)を頼む。

いつものように、咲と修次の間に進展はありません。
咲は修次のことを職人仲間としか思っていないような感じですねぇ。
こんな調子で続いていくのでしょうか。
筥迫は普段着物を着ても持っていない人の方が多いですよね。
調べてみると、刺繍が映えそうな、今の化粧ポーチみたいなものです。
着物を着た花嫁さんが持っていそうです。

篠綾子 『十五夜草 小烏神社奇譚』
ある日、寛永寺の住職に仕える侍の田辺がやって来る。寺に首のない幽霊が現れたという。早速竜晴は寛永寺に行き、魔除けの呪を施す。
その夜、その霊が小烏神社に現れる。霊は天草四郎で、天海大僧正を訪ね、乱のさなかに呪詛を行ったかどうか訊きたかったという。
竜晴は行っていないと答え、四郎に忘れ草を渡す。しかし、仲間の悪霊が現れ、四郎を連れ去ってしまう。
ある日、茅の輪の件でやって来た大輔と花枝が夜の町に首なし男の幽霊が徘徊しているという話をする。竜晴は刀剣の付喪神である獅子王とおいちに夜回りを頼み、見つけたら小烏神社まで連れてきてほしいと頼む。
七月になり、父親の墓参りに行って来た泰山が墓守の鬼を連れて帰って来る。
墓守が首なし男の幽霊に会っていたので、竜晴は次に見かけたら小烏神社に案内するように頼む。泰山は墓守と会って以来様子がおかしい。どうも墓守から予知能力を授かったようだ。
その頃、竜晴は夢の中で何者かに早く目覚めるようにと命じられる。
無事に天草四郎は昇天するが、平将門公の首塚に関する気になることを話していく。
十月に鷹狩が行われる。ところがその後、首塚が暴かれ、伊勢貞衡が平将門公の霊に憑かれてしまう。
急いで竜晴は貞衡の屋敷に行こうとするが・・・。

最終巻だそうです。
賀茂家に伝わる使命が明かされ、付喪神たちが本性を現します。
よくできた時代物ファンタジー小説でした。
終わるのは残念ですが、西国でのお話で竜晴たちに会えることを願っています。
最後に10巻すべてを載せておきます。

ちなみに十五夜草とは「紫苑」のことで、花言葉は「君を忘れない」。
「思い草」とも言われていたようです。
反対の「忘れ草」は「萱草(かんぞう)」のようです。

①『弟切草 小烏神社奇譚』
②『梅雨葵 小烏神社奇譚』
③『蛇含草 小烏神社奇譚』
④『狐の眉刷毛 小烏神社奇譚』
⑤『猫戯らし 小烏神社奇譚』
⑥『吾亦紅 小烏神社奇譚』
⑦『梔子の木 小烏神社奇譚』
⑧『龍の髭 小烏神社奇譚』
⑨『幽霊草 小烏神社奇譚』
⑩『十五夜草 小烏神社奇譚』(本書)

鴨川に行く②(佐久間ダム親水公園&道の駅保田小学校)2025/04/01

朝日を見ようと5時過ぎに起きたのに、見られませんでした。


春は朝日が見られない確率が高いのでしょうか。
雨が降っていないので、よしとしましょう。

ホテルのエレベーターの前に撮影スポットがあるので、11月の時のようにヨーキー弟を座らせてみました。


桜といっしょに。


立派なベッドですね。
どうです。ちゃんとお座りして前を向いています。
なんで昨日、兄と撮影する時に後ろを向いたのか訊いてみると、一人前にこう言っていました。

「ぼくは、兄とは共演NGです」

ちょっと生意気ですね。


朝食を食べてから浜辺をお散歩をして、ゆっくりチェックアウトをしました。
曇りですが、予定通りに桜を見に行きましょう。
行った先は佐久間ダム親水公園です。


ダムのようですが、そうは見えませんね。


向こう岸に桜が咲いています。


曇っているので、あまり綺麗に見えません。


とっても寒いので、甘酒(麹で作ってあるので、アルコール分がない)とお花見団子を買いました。


お花見団子はすあまを丸めたもののような、ほんのり甘い味がしました。


犬がいるので、外で甘酒をすすりました。寒いです。

「ぼくたちは寒くても甘酒は飲めません」by ワンコズ


次の目的地に行こうと走り出した時に、花が満開の場所を見かけたので、湖をグルッと回って行ってみようと思ったら、通行止めで回れませんでした。
次に天気がいい時にまた来てもいいかも。

行きに見つけた「道の駅 保田小学校」に寄ってみました。


元小学校の敷地を利用しているみたいです。


直売店や飲食店の他に宿泊施設があります。
パンを買いたかったのですが、人が並んでいて混んでいるようなので、止めました。
犬がいると、お店に入れないのが難です。

ドッグランがあります。


犬がいません。今のうちに使いましょう。
受付に行って、使用許可書に記入して許可証をもらいます。
小型犬にはちょうどいい大きさのドッグランで、下が芝生なのがいいです。
わんこたちは嬉しそうに走ったりクンクンしたりしていましたが、パパが兄のことを心配して、しばらくしたら走るのを止めさせました。
何しろ膝に故障がありますから。
その代わりに弟が大活躍しました。
滅多にドッグランで走ることがなかったのに、「おいで」と呼びかけると、走って来ます。


兄はパパに抱かれて、走る弟を見てイヤイヤをしています。走りたいんです。
弟はママのところまで一直線に駆けてきます。


見てください。凛々しくなった末っ子です。
ママ、嬉しいわwww。
何度も「おいで」と言うと走って来ました。

直売店で野菜を買って帰って来ました。
雨は降りませんでしたが、ちょっと寒くて、残念な旅行でした。
でもヨーキー弟がたくましくなったのが見られてよかったです。

しばらく雨模様ですが、今週末あたりにいつもの場所へ花見に行きたいです。
もちろん、電車に乗れないわんこたちは連れて行きません。

「ママ、ずるいです」by ワンゴズ

鴨川に行く①(大山千枚田の桜と天津神明宮)2025/03/31

桜を見に千葉の方へ行って来ました。
ホテルか何かのインスタで大山千枚田の桜がオススメと書いてあったので、11月にも行ったのですが、また行ってみました。
(*11月の様子はこちら


今回は田んぼに、水が張られています。
右側の木は桜ではなくて、アンズの木です。もう花が散っています。


思ったほど桜の木は多くないです。


久しぶりに見たタンポポ。


兄は車が苦手です。
海ほたるが満車だったので、外に出られず、君津PAまで乗っていたので、兄は車の中で吐いていました。
それでも外に出ると元気一杯で、グイグイ歩きます。
坂道もものともしません。


桜が咲いているところまで行ってみました。


わんこたちはなかなかジッとしてくれません。


桜はどこ?


お座りと言っても、お座りせず。前を向いてくれただけましです。


パパがお水をあげようとしているのに、無視をするわんこたち(笑)。
まだホテルのチェックインまで時間があったので、天津神明宮に行ってみることにしました。
千枚田から30分ぐらいかかりました。


ここの鳥居は伊勢神宮と同じタイプのものだそうです。
境内はペットを連れて行けないので、パパとママは別々に拝んできました。


鳥居を入って左側に県指定天然記念物「まるばちしゃの木」があります。


この木かしら?


私の前に拝んでいる女性が長くて、何を拝んでいるのかしら。
そんなことを思ってイライラしたせいか、おみくじを引くと、「小吉」でした。
アララ。
気にせず、これからよくなると思いましょう。


パパが戻るまで暇なので、わんこたちと黄色い花を撮ろうとしたら、珍しく二匹ともにお座りしました。
しかし・・・。なんでヨーキー弟は後ろを向いているのでしょうか。

ホテルにチェックインし、お部屋で自由にさせると、弟はすぐに座っているママのところに来て、膝の上にのります。
弟はジャンプ力があるので、椅子に飛び乗ります。
兄は椅子にはのれないので、ママが椅子の上にのせてやります。
弟は自分で椅子から下りますが、兄は下りれません。


兄はママたちが何をしているのか気になるみたいです。
見栄えが悪いのですが、絶対にお部屋で粗相をさせないように、しっかりとマナーベルトをし、いつも取れないようにガムテープでとめています。


二匹がママの脚の上にのり、寝ています。重いんですが。
早めに餌を食べさせ、パパママは食事に行きました。


とても春らしい先付けです。


海のそばなので、お刺身が新鮮で美味しかったです。
明日は天気が悪そうで。どこに行きましょうか。

原田ひ香 『月収』2025/03/29



「第一話 月収四万円の女 乙部響子(66)の場合」
乙部響子は一年前に離婚してひとり暮らしをしている。
娘の時衣は結婚していて、孫がひとりいるが、婿があまり口出しをするなという感じだ。
離婚した時に賃貸アパートを借りようとして断られ、不動産屋にたきつけられて三百万で家を買ってしまう。
年金は四万円だが、国民健康保険料と介護保険料を払うと三万円になる。
わずかな貯金が残り少なくなり仕事を探そうと思っているが、何ができるのか。
ある日、家に全身刺青の若い男がやって来る。

「第二話 月収八万円の女 大島成美(31)の場合」
大島成美は鳴海しま緒というペンネームで、三年前に純文学系の文学新人賞を取った。
派遣社員として働いているが、年収が二百万円台だったため、単行本が売れ、七百万ほどの現金が手に入って嬉しかった。
しかし、それからがいけなかった。
作品を書いても書籍にはならないのだ。
自分は職業作家にむいていないのではないかと思い始める。
そんな時に、同年代の小説家に誘われて出席したパーティで実業家の鈴木菊子に出会う。

「第三話 月収十万円を作る女 滝沢明海(29)の場合」
滝沢明海は一流自動車メーカーの子会社に勤め、新規事業の美容家電の企画と試作の仕事についている。
だが、母親は明海の仕事を理解せず、転職しろと文句を言う。
なにしろ働いたことのない女で、離婚した後も元夫のキャッシュカードを使っているのだ。
このままで行くと母親の介護をしなければならなくなる。
そんなのは嫌だ。仕事は続けたい。
先立つものは金だ。
明海は五年だけ新NISAで投資をしようと思い立ち、独身寮に入り、住居費を節約することにするが・・・。

「第四話 月収百万の女 瑠璃華(26)の場合」
瑠璃華はデートクラブに所属し、パパ活で稼いでいる。
20代のうちに一億稼ごうと決めている。
ある日、マネージャーから変わった依頼を紹介される。
鈴木菊子という小説家がご馳走するし、お金のサポートもするから、パパ活している女性の話を聞きたいというのだ。
何度か会い、食事をするが・・・。

「第五話 月収三百万の女 鈴木菊子(52)の場合」
鈴木菊子は武蔵小杉のタワーマンションに住んでいる。
夫が亡くなった時に、渋谷の一棟ビルと株や投資信託などの有価証券を受け継いだ。
それに自分の金融資産を含めて、ひと月に三百万ほどの金が入る。
しかし、何もすることがない。
いつものように、朝の株価チェックのあと、SNSを眺めていると、タケトという若い不動産投資家の物品援助を求める投稿が目に溜まった。
菊子はタケトに寄付をすることにするが・・・。

「第六話 月収十七万の女 斉藤静枝(22)の場合」
介護士の斉藤静枝は訪問介護の仕事をしているうちに、高齢者の部屋の「生前整理」を専門にする仕事を思いつく。
ある日、同じく起業をしようとしている友だちに誘われ、女性の起業を助ける会に参加してみた。
すると、前に会ったことがある鈴木菊子がいた。
会が終わった後、二人はいっしょにお茶を飲むことにするが・・・。

月収が異なる女性たちのお話ですが、それぞれに色々とあり、お金の多少を問わず人って満足することがないんだなと思いました。
特に身に沁みたのが、年金が四万円という乙部響子さん。
四万円じゃ、私暮らしていけないよ。
これから物価がどんどん上がっていくと、年金だけで暮らしていけるだろうか。
もっと暮らしを縮小しなくては、でも旅行には行きたいわぁ。
鈴木菊子さんなんか、悠悠自適の生活ができるのに、なんでと思います。
若い人たちをバックアップしていくのを老後の楽しみにしていくのでしょうかね。
斉藤静枝さんには頑張れとエールを送りたいです。
「生前整理」、してもらいたいですものww。

原田さんの本は明るくていいです。
これからの自分の生活を考えさせられるお話でした。


<お花見と美味しいお料理>
お花見にはまだ行っていませんが、お花見箱膳というものを食べに行ってきました。



一の膳と二の膳にご飯と汁物がついていました。


桜が五分咲?
夜桜は携帯で撮り難いですね。
明日は晴れるらしいので、犬連れで花見にでも行きましょうか。

岩井圭也 『夜更けより静かな場所』2025/03/28

六編からなる短編集。


「真昼の子」
夏季休暇中に暇をもてあました大学三年生の遠藤吉乃は父親の兄、茂の営む古本屋<深海>を訪れた。
伯父におすすめの小説を訊くと、ロシアの作家が書いた『真昼の子』を勧められた。
読んでみると面白くて、一晩で読んでしまった。
次の日も<深海>を訪れ、似たような小説か同じ作者の小説を読みたいと伯父に言った。
それから吉乃は<深海>に通うようになる。
ある日、伯父に読書の楽しみを共有できる機会がないことを愚痴ると、伯父は読書会を開いてみようと言い出す。
読書会は深夜〇時から二時までで、メンバーは伯父さんと吉乃を含めて六人。
課題図書は『真昼の子』。
吉乃には恋人がいた。その恋人はゼミの准教授で、妻子がいた。
『真昼の子』を読んでから吉乃のこころは変化していく。

「他人がどう言おうと、自分にとって大切だと思える一文に出会うためにわたしは本を開く」

「いちばんやさしいけもの」
真島直哉は元野球部員。プロを目指していたが、イップスになり、野球を止めたが、退部届けは出していない。親にも言っていない。
同級生の吉乃のことが好きだ。彼女が読書会のことを話しているのを聞きつけ、読書会に押しかけた。
彼が選んだ課題図書は絵本、『いちばんやさしいけもの』。

「能力と生きる価値の間には、いっさい関係がない」

「隠花」
安井京子は非正規の図書館司書で<深海>の常連客。
新卒から勤めているのに、月給は18万円から上がらない。
母から家に帰るなら、家は売らないと言われたので、それなら売れと言うと、男はいないのか、元夫とはどうなのかと訊かれる。
彼女が選んだ課題図書は詩集「隠花(いんか)」。

「自分を信じている限り、花は萎れない。誰だってそうだ」
「幸せではないが、もういい」

「雪、解けず」
中澤卓生はグラフィックデザイナーで、<深海>の常連客。
実の父親は病気の母を捨て、子を置き去りにした。
その父からSNS経由で会いたいと連絡が来る。
彼が選んだ課題図書は歴史時代小説「雪、解けず」

「登場人物への共感は、必要でしょうか」

「トランスルーセント」
国分藍は元ヴァイオリニスト。7歳でヴァイオリンを始め、大学でプロになれないことを悟り、音楽教師になるが、学級崩壊し、一年で辞めた。
緩い<深海>でバイトとして働き始めてから三年が経つ。
ある日、店主の遠藤から楽譜を渡される。
それは戦後日本を代表する作曲家が書いた無伴奏ヴァイオリン曲<トランスルーセント>の自筆の楽譜で、販売価格が二百万というものだ。
今度の読書会で弾いて欲しいというのだ。
三年間、ヴァイオリンに触れていなかったが、国分は弾くことにする。

「美しい音だけが音じゃない。がむしゃらに生きていれば、雑音も出るし騒音も立つ。それが当たり前なのかもしれない」

「夜更けより静かな場所」
吉乃は最後の読書会から八カ月経つが、伯父とは会っていなかった。
就職の内定がなかなかもらえず、やっともらえたのが七月で、それから卒論の執筆で忙しかったからだ。
久しぶりに<深海>に行き、片付けていると、伯父が書いた自伝『夜更けより静かな場所』が見つかる。
初めて知る伯父の過去・・・。

「居場所は必ずしも探すものじゃない。自分でつくったっていいはずだ」
「誰もが、選択と偶然の連続を生きている」

吉乃は「小さな選択」をする。


岩井圭也の本を読んでいないと思っていたら、読んでいました。
最後の鑑定人』とか『プリズン・ドクター』のようなミステリを書いていたのですが、今回はミステリではありません。
意外でしたが、とても好きなお話です。
読書会に参加したことがありませんが、こんな読書会なら参加してもいいかもしれませんね。
課題図書は架空の本ですので、探さないようにしましょう。
もしあるなら、私は『真昼の子』を読んでみたいです。

簡単に言うと、本の中の登場人物たちが本や楽譜などを通し、自分を見つめ直し、ある選択をしていくというお話です。
最後の伯父さんのした選択はよくわかりませんでした。
理由のない、漠然としたものからそうしたのでしょうかね。(ネタバレになるので詳しくは書きませんが)

特に本好きな方におすすめしたい作品です。

米子に行く③(米子城下町散歩)2025/03/26

次の日の朝、ホテルでゆっくり朝食を食べ、9時過ぎに出かけました。
結構、朝から食べてしまい、お昼は食べませんでした。

鳥取のガイドブックを買ってみてみましたが、びっくりしたことに米子市については地図のみで詳しい情報が全く載っていません。
この頃のガイドブックにはグルメとショッピングしか載せないのでしょうか。
みんなネットで調べるようになっているので、紙のガイドブックも地図もなくなるんでしょうね。
仕方ないので、ネットで調べてみました。
帰りの飛行機が混んでいて、早い時間のしか取れなかったので、2時間ぐらいしか時間がありません。
お寺が好きなので、寺町付近に行ってみることにしました。

国道9号線を三の丸を通り過ぎて歩いていくと、賀茂神社天満宮があったのに、私は中に入らずに通り過ぎてしまいました。
何でお参りしなかったのか、今になって後悔しています。
しばらくすると、鳥取大学医学部付属病院があります。
この病院は2つも大きな駐車場がある、立派な病院です。


建物が古くなったので、建て替えの話が出ていて、隣にある泰山公園の土地が使われるようです。


チラッと道路からのぞいてみた泰山公園。ここも時間がないので、中に入りませんでした。

何故米子市に鳥取大学医学部と附属病院があるのかというと、第二次世界大戦中に軍医が不足し、軍医養成のため医専増設を文部省が考えたからです。
この時、鳥取市は昭和18年に起きた大地震で壊滅的な被害を受け、余裕がなかったため、米子市が適地であるとされ、昭和20年に米子医学専門学校が開校されたそうです。(鳥取大学医学部HP「医学部の歴史」より)

ずっと歩いていくと加茂川にぶつかります。
加茂川に沿って歩いていくと、立派なお屋敷がありました。




住宅以外に長楽軒と松風庵などもあるようですが、一般公開はしていないようです。
後藤家は石見国浜田の出身で、戦国末から近世初頭に米子に来住し、江戸時代に廻船問屋として財をなしました。
明治期に後藤家の養子になった後藤快五郎が山陰鉄道の建設に尽力し、「山陰鉄道の父」と言われているそうです。


加茂川はもともと外堀だったみたいです。
加茂川沿いに土蔵が沢山あったそうです。


土蔵も壊されてなくなっているようです。


加茂川にかかる京橋。
加茂川と京橋。京都と何か関係があるのかしら?


お地蔵さんがいました。
「橋守り地蔵」で交通安全祈願のお地蔵さんです。
上に白い紙と赤い紙が貼ってあります。
これは「札打ち札」といい、身内に不幸があったとき、霊を慰め、浄土に着かれるまでお地蔵さんにお守りいただくように、7日ごとに7回札を貼ります。
おしまいの四十九日目には赤札を貼り法要を行うという風習なのだそうです。
安永の初め頃に宮大工の彦祖伊兵衛が、加茂川で亡くなった子どもたちの供養のために、川や橋のたもとに36カ所の地蔵札所を奉納し、祠堂を建てたのが始まりだそうです。
旧加茂川の地蔵は平成28年に「地蔵信仰が育んだ日本最古の大山牛馬市」の構成文化財として日本遺産に認定されたそうです。
お地蔵さんは二千体以上あるそうです。
この辺りにお地蔵さんがいくつかあるそうなので、探しながら歩いてみましょう。


米子には京都と同じように町家があります。
この船越家の住宅は主屋、土蔵2棟、裏門からなる町家だそうです。
船越家は江戸時代初期に備前岡山から移り住み、代々船問屋を営んできた有力商人だったそうです。
米子には約700の町家が残されていますが、壊される傾向にあるそうです。
ホテルにしたり、お店にしたりしてでもいいので、保存してもらいたいですね。
米子の町家は京都のとは違い、入ったら土間があり、吹き抜けになっていて、大きな神棚があるそうです。
竃は外にあり、坪庭ではなく、庭園があったりと、京都のよりは大きいみたいです。


裏門と二つの蔵。左側の蔵には窓がありますが、戦時中に人に貸し、部屋として使っていたそうです。


京橋を渡ると、「橋番地蔵」があります。「お許し祈願」のお地蔵さまです。
京橋の袂に刑場があり、罪人が百叩きの刑を受けた後に泣いてお詫びして帰ったそうですww。
お地蔵さまは閻魔様ですからね。
このお地蔵さん、よくみると、丸い石のままです。ただの石でもお地蔵さんにしちゃうんですね。


「米子まちなか観光案内所」も町家で、旧外江屋店舗(旧海産物問屋)だそうです。
中に入ると、お土産物や飲み物などを売っています。蕎麦なども食べられるそうです。ガイドも一時間2000円でしてくれるそうです。
町家を改築しているので、右奥に行くと町家らしい大きな神棚と明かり取りがあります。


正面の神棚。


左側の神棚。何かを入れる引き出しかと思いました。


振り返るとこんなものがありました。


「げぎょ」といって、「防火のまじないを込めた屋根飾り」。
本当に米子城のものか?という感じですね。


道を見ると、真っ直ぐではなく、ズレています。


「鹿島小路」。「小路」は「しょうじ」と読みます。この辺に沢山小路があります。(参考:「なつかしの小路と町家めぐり」)
鹿島家は岡山から行商に来ているうちに定住した、米屋、質屋と手広く営んだ豪商で、ここら辺の土地を持っていたようです。
米子城の小天守再建の費用を肩代わりしたのですが、お金は戻らず、その代わりに下贈された鯱(しゃちほこ)が残されています。
鹿島茶舗が本家だそうです。

寺町の方に行ってみましょう。


立派な門のお寺は心光寺です。
本堂は焼失後、昭和49年に再建されたようで、コンクリート製です。


鐘楼も立派です。
このお寺は庭園が有名で、豪商のお墓もあるそうです。


ここにもお地蔵さまがいました。
「心光寺地蔵」です。子安祈願だそうです。ぼけてますが(恥)。


この通りにお寺が九つほど並んでいます。


アラ、お地蔵さまじゃないのに、札打ち札が貼ってあります。
石ならすべてがお地蔵さまなんですかあwww。


「妙善寺小路」。
米子を代表する小路だそうです。
町家、お地蔵さん、お寺、鳥取大学医学部、米子城が見えるからです。


「与太郎地蔵」。新転祈願です。
毎年8月23日の地蔵盆の宵祭りに、近くの遊園地に移されますが、いつもちゃんと戻ってくるので、新転祈願なんだとか。


明治元年創業の駄菓子屋の「岡本一銭屋」。
江戸末期の町家で、二階建てに見えますが三階建てで、大正時代の一銭硬貨をあしらった看板です。


享和元年(1801年)創業の老舗のお茶商、ながた茶店。
つし二階、漆喰壁、虫子窓、うだつなど良質な町家だそうです。


かわいらしい「つなぎ地蔵」。良縁祈願だそうです。
この地蔵の制作は安来市の石彫刻家清水洋一氏で、後ろの詩句は仏教詩人板村真民氏のもの。


江戸時代に木綿問屋を生業にした豪商の坂口家住宅
そういえば心光寺にお墓があり、米子市寄贈の燈籠がありました。


門の屋根から松が顔を出しています。


向かい側も坂口家の住宅のようで、この門は戦後、天皇陛下が坂口家にご宿泊した時以来、開かずの門になっているそうです。


右奥が坂口合名ビルで、地方財閥坂口平兵衛が昭和6年に本社ビルとして建てた近代洋風ビルです。


町家はレストランや飲み屋、ショップなどになって使われているようです。
このお店、女性に人気らしいです。次回に行ってみましょうかね。

最後に2つ、お地蔵さんに会って来ました。


「出現地蔵」。立て直し祈願のお地蔵さまだそうです。
木下薬局の徳子さんが7歳の時に、観世音菩薩のお告げを聞き、加茂川の井戸を掘り下げたところ、お告げとおりの地蔵尊が現れたそうです。


最後は「咲(わら)い地蔵」。
もともとは左端のお方が祀られていたそうです。
笑い人生祈願といって、とてもいいお地蔵さまですね。
このお地蔵さまは心が広くて、どんなお地蔵さまでも受け入れるそうです。
出現地蔵さまから拒否された方もここにいらっしゃるとか。
一番人気でしょうかね。
笑いが多い人生になるように、拝んでおきました。

ここで時間がなくなったので、ホテルに荷物を取りに行って空港に向かいました。
初めての米子でしたが、十分楽しめました。

<注意事項>
米子のバスは現金のみで、運賃箱に入れてしまうとお釣りが出ません。
知らずに入れてしまい、「お釣りは出ません」と運転手さんに言われてしまいました。
忘れずに両替しましょう。


お土産物を並べて写真を撮ろうとしたら、食いしん坊の兄がやって来て、蒲鉾の匂いをかいでいましたww。


買って来たのは、夫用の辛口のお酒としじみと羊羹などです。
何故かお座りした兄。
兄には何もありません。ごめんね。
でも君はママが帰って来ても塩対応だっだもんね。
弟はものすごい勢いでママに抱きつき、匂いをかいでいましたよ。

今度はどこに行こうかしら。
ひとつ行きたいところがあるんだけど。
「ママ、いい加減にしてください」by ワンコズ

*米子について詳しく知りたい方はこんなHPを見つけたので、見てみて下さい。

米子に行く②(米子城跡)2025/03/25

2022年に放送されたNHKの「日本最強の城スペシャル」で米子城は「絶景日本最強の城」に選ばれたそうです。
とにかく景色がよさそうなので、足立美術館に行った後の夕暮れの頃に行ってみました。(参照:米子城公式ホームページ
(*以下の文で間違いがあったら教えていただけると嬉しいです)

まず、国道9号線から城跡を見てみます。


三の丸の整備をしているようです。
ここでは昭和25年に鳥取県産業観光博覧会が開催され、その後昭和28年に泰山野球場が作られたようですが、今はありません。


駐車場とトイレ、そしてガイダンス用の建物が建っています。


本丸が見えます。
左側に行き、1つ目の角を曲がり歩いていくと城の入り口があります。


立派な石垣です。


左側に幟が見えたので行ってみると、大正14年に市民の浄財によって創始された四国八十八か所霊場があり、200体余の石仏が城山を八の字に取り巻く園路沿いに設置されているそうです。
廻ると一時間半ぐらいかかるそうですが、霊験あらかただそう(たぶん)。
さて、暗くなる前に本丸まで行きましょう。


入ってすぐに枡形石垣があります。


虎口。


二の丸からみた枡形石垣。


石段を上って行きます。すると右側に二の丸跡に移築された旧小原家長屋門があります。


小原家は、鳥取藩の米子預かりであった主席家老、荒尾氏の家臣で100~150石取りの中級武士だったそうです。(米子市HPより)


もともとの門は身分不相応に大きいということで、三分の一の大きさになったそうです。
写真の右手にテニスコートがありますが、このテニスコートはなくなるそうです。


二の丸跡から見た三の丸。
長方形に形づくられたものは発掘された米蔵跡で、長さ30メートル、幅6メートルの規模だそうです。
十棟以上あったようですが、二棟だけ復元するのでしょうか?


二の丸跡にこんな石(?)が並んで二つありました。
これは鳥取県産業観光博覧会の時に作られた滑り台の跡らしいです。

ここから一気に本丸まで上って行きます。
久しぶりの山登りで息が上がってしまいました。
15~20分程度で、それほど長く上っていないのにねぇ。
上る途中に県の準絶滅危惧種に指定されているカザグルマという植物が咲く場所があるようです。


番所跡でお休みしました。
遠くに高島屋の看板が見えます。この頃、デパートは経営難でなくなる傾向ですが、人口が14万人ちょっとなのに、米子市には高島屋と天満屋の2つもデパートがあるそうです。
鳥取県にはあと鳥取市に丸由百貨店があるだけだそうです。

本丸の中心の天守郭には、戦国末期に吉川広家が築城した三重四階の小天守と、慶長七年頃(1602年)、駿府から入城した初代米子藩主中村忠一が作った四重五階の大天守があったそうです。


見晴らしがいいですね。
少し日が落ちて来たようです。


五月初旬から下旬、七月下旬から八月上旬に八尋鼻と萱島の間に夕日が落ちるので、綺麗な太陽の道、オレンジロードが見られるそうです。(米子市HPより
何やらここは米子のデートスポットなのかしら?
カップルが多いです。


大山(だいせん)が見えるはずですが・・・。
ダイヤモンド大山っていうのもあるようです。
2月20日ごろと10月22日ごろの気象条件がいい時に、大山から朝日が昇るのが見られるそうです。


下を見ると、急な斜面になっています。(写真ではわかりませんがねww)
敵が登ってこれないようになっているそうです。


もう一つの天守郭があった方へいくと、土台が残されています。


撮るつもりはないのですが、カップルがどこにでもいます。


ここも・・・。
部屋の大きさとかが何となく推測できますね。


ここにも・・・。
三の丸を見下ろしてみました。


飯山(采女丸)。


内膳丸。


見えている建物は鳥取大学医学部附属病院です。
弓ヶ浜半島を見てみると、山がありません。


実はここは日本最大の砂州なんだそうです。
じゃあ砂はどこから来たのかというと、中国山地や大山から崩れて来た砂もありますが、たたら製鉄の砂鉄を採るため山を崩して鉄穴流しをした際の排砂が半島の砂の供給源にもなったそうです。

そろそろ日が沈むかと思って見ると、残念。太陽が雲の中に隠れてしまいました。


町の夜景。


そろそろ帰らないと、足元が危ないです。
絶景でした。また来たいです。
今度は朝日を見たいです。

そうそう、米子城にまつわる、悲しいお話があります。
戦国時代末期の天正19年(1591)頃、毛利一族の吉川広家が築城を始めたのですが、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後に、国替えの命を受け、広家は岩国に飛ばされ、米子の領主となった中村一忠が米子城を慶長七年(1602)に完成させました。
その後、城主は代わり続け、寛永9年(1632)からは鳥取藩主主席家老の荒尾成利が米子城預かりとなり、明治2年(1869)に藩庁に引き渡されるまで代々荒尾氏が管理していたそうです。
明治3年(1872)に、米子城が位置する山は士族らに無償で払い下げられましたが、明治6年(1875)年に米子城は取り壊されてしまったそうです。
取り壊された木材は当時の30円で古物商に売られ、風呂の薪として売り出されたなんていう説があるそうです。
なんとも残念なことですね。
(参考:「山陰を代表する米子城!完成したのは戦国時代後・・・名城に相応しくない残念な最後とは」、「米子城を極める!(現地ウォーク)資料」)

ホテルに帰って、この日、唯一のまともな食事をしました。


ご馳走様でした。
歩いた歩数は13418歩で、約9.36キロ歩いたようです。

米子に行く①(足立美術館)2025/03/24

足立美術館が人気があると聞き、一度行ってみたいと思っていました。
そこで思いきって、行ってきました。
飛行機は出雲空港と米子空港のどちらかの空港を使います。
出雲と松江には大学時代に行ったので、米子空港を使うことにしました。
米子空港はANA、出雲空港はJALなんですね。

米子空港から米子駅までリムジンバスに乗りました。
飛行機は満席に近いぐらいだったのに、リムジンバスに乗る人は少なく、今はレンタカーを借りる人が多いようです。
ホテルに荷物を置いて、米子駅から安来駅まで行き、安来駅前から足立美術館への無料シャトルバスに乗りました。
山陰線の普通列車は一時間に一本です。シャトルバスはこの時間に合わせて運行しています。
帰りの無料シャトルバスの整理券は、美術館に入ってすぐのところにありますので、チケットを見せる前に取っておきましょうね。


入り口から入ると、見える景色です。


庭は自由に写真を撮っていいのですが、絵画や陶芸などは撮影禁止です。
通路に漆芸の素晴らしいものが展示されています。



創設者の足立全康翁が庭を案内しています。


魯山人館。
現在、開館55周年記念特別企画「北大路魯山人」を魯山人館と新館でやっています。
足立美術館が所蔵する魯山人の書、篆刻、陶芸、絵画、漆芸の500点が一度に見られます。
はっきり言って、多すぎて、流すように見ていくしかなかったです。
新館まで見る人は少なく、特に新館の二階は人がいなくて、ゆっくり見られます。
椿鉢と行灯が欲しかったですww。
お皿など、見ただけでは私には良さがわかりませんが、料理を盛った写真があり、魯山人の器は料理を盛ってこそのものだと思いました。
紹介されている魯山人の言葉も含蓄のあるものでした。
魯山人の年表を見ていて気づいたのですが、魯山人って6回も離婚しているんですね。自由人ですかね。


枯山水庭。
喫茶室「翆」ではお茶代千円でこの庭をずっと見ていられます。





池庭。


喫茶室「大観」で食事やスイーツを食べられます。
魯山人館と開館55周年記念特別企画「横山大観の軌跡」を見た後で疲れたので、私はケーキセット(1100円)を頼みました。


「生の額絵」。
人がいつもいるので、こんな感じになってしまいます。



「生の掛軸」。



「横山大観の軌跡」では横山大観の絶筆「不二」が初公開されています。
私は富士山の絵よりは自然を描いた絵の方が好きです。
「春風秋雨」とか「冬之夕」、「紅葉」etc.なんかがいいです。


絵葉書を買ってきたので、「春風秋雨」の桜を載せておきます。
そろそろ桜の季節ですから。

足立美術館の庭は、私は一度見たので、満足しました。
あくまでも私の個人的な感想ですが、足立美術館の庭は整い過ぎた、管理されつくした庭という感じでした。
言ってみれば「陽」の庭ですかね。
もっと「陰」の、俗にいうわびさびの世界観を持っている庭の方が私の好みです。
日本人よりも外国人、特に西洋人好みの庭のように思いました。


帰りに安来駅の中を見てみると、かわいい人形がありました。
全く失念していたのですが、安来は安来節の安来だったのですね。