葛西臨海公園に行く ― 2025/06/22
パパが急に葛西臨海公園に行こうと言い出したので、行ってみました。
兄犬は車に乗ったとたんに、クレートの中は嫌だと言うように甘え声を出します。
しばらく無視をしていましたが、吐いたら大変なので、抱いてあげました。
葛西臨海公園にはずっと前に電車で行ったことがありますが、まったく覚えていません。たぶん水族館に行ったはずです。
第一駐車場は大きくてどこにでも止められますが、日陰がありません。
大観覧車がすぐそばに見えます。

蓮池の方は木陰がないようなので、別の方へ行ってみました。

できるだけ日陰を歩くことにしました。

サクラ並木かな。わんこたちにはちょうどいい具合に日が当たらないので、歩いていきましょう。

兄は歩くのが好きなのでグイグイ行きます。
弟はママが後ろにいると、ママが近くまで来るまで動こうとしないことがあります。
この時も踏ん張って動こうとしませんでした。
橋があります。
海が見たいので葛西海浜公園事務所の方へ行ってみましょう。

アラ、パークトレインが走っています。
誰も乗ってませんねぇ。
パパは自販機で飲み物を買って飲んでいます。

わんこたちは早く野原で走りたいみたいです。
(ママが携帯を向けるとそっぽを向くのはお決まりのことですww)

弟は何でかわかりませんが、草を食べたいみたいです。
兄は野原と言えば、走れると思っています。
靭帯が切れているはずなのですけどね。
どうなのかと思ったら、走れるようです。でも、走らせません。
また怪我をしたらダメですから。
(奥に見える建物が葛西海浜公園事務所です)
葛西渚橋を渡って西なぎさに行ってみましょう。

向こうに東京水辺ライン発着所があるようです。
ディズニーランドのシンデレラ城が見えます。

風が強く、日が波に当たってキラキラしています。

兄はママのスリングに入れ、弟はパパが抱きます。
兄は嫌がらずにスリングに入っています。犬も風が気持ちいいのかしら。

気温は高いようですが、風が強いので涼しいです。

潮干狩りをしているようです。
遠くに東京ゲートブリッジが見えます。

これから人が増えるとすごそうです。
しばらく潮風に吹かれていました。

ねむの木があります。ねむの木は水辺に多いのでしょうか。

人が増えないうちに帰りましょう。

この公園はいい撮影スポットなんでしょうか。
モデル(といっても素人っぽい)を使い写真を撮っている人が何組かいました。

意外と暑くなかったらしく、わんこたちはあまり水を飲みません。
今回は右側しか行かなかったので、涼しくなったらまた来て、左側の水族館やカフェの方へ行ってみましょうね。
大きい公園で駐車場も広くてよかったのですが、唯一残念なのが、トイレが汚かったことです。
この頃、どこに行ってもきれいだったのですが。
10時を過ぎると公園が混んでくるようです。
帰りの車の中で兄を抱いていました。
すると全く酔わないようです。
これからは兄を抱いて車に乗るようにしましょうか。
ママが大変ですけど。
トリミングの日 ― 2025/06/14

アジサイが満開の中、トリミングに行って来ました。
トリマーさんのご家庭の都合で一週延びました。

兄犬は姿勢よく、モクモクと歩きます。
ヨーキー弟はあっちに行ったり、こっちに行ったりと家族で歩くと落ち着きがありません。
今回はブラッシングがしやすいように、兄の耳と足、尻尾の毛を短くしてもらいました。
これで毎日のお手入れがしやすくなると思います。
歯磨きは、歯磨き粉というおやつをもらう時間だと思っているので、兄は大丈夫です。
弟はとにかくお手入れが嫌いなばっちいわんこで、歯磨きもトリミングも嫌いです。
歯磨き粉を歯全体につけるだけはしようと頑張ったら、やっとしばらく歯磨きを我慢できるようになりました。
みなさん、どうやっていますか?

トリミング後の兄犬です。
足の毛がないと、足がすごく細いんですね。見慣れないので、笑ってしまいました。

犬は若い頃とそれほど見かけが変わらず、うらやましいです。

弟も少し耳と足の毛を短くしてもらいました。

弟は兄と違って、写真を撮るときに指示に従います。

おやつが欲しくて前に乗り出す兄。

後ろにいる弟は何で舌を出しているのでしょうねww。

やっぱりちょっと短くしずぎたみたいですねぇ。
そのうちちょうどよくなるでしょう。

弟は3.5kg、兄は3.2kgでした。
二匹共に耳が汚れていると言われました。
私が見ても汚れているのかどうかわかりません。
年寄りになると耳垢がたまりやすくなるのかしら。
これで兄のお手入れで、ママもわんこもストレスがなくなるでしょう。
兄犬、13歳になる ― 2025/06/12

お誕生日カードを作ってみました。
左側が我が家に来たばかりの姿で、右側が10歳を超えた頃の写真です。
比べて見てもあまり変わっていませんね。
犬の13歳は人間では68歳だそうです。
若い頃に比べるとヨタヨタしますし、今まで大丈夫だったことを嫌がるようになりました。
特にスリッカーブラシに毛が引っかかるのが嫌みたいです。(ママが雑?)
今週末のトリミングでは耳と尻尾と足の毛を短くしてもらいます。
できるだけよい老後を過ごしてもらいたいですものね。
では、今日の実際の姿をお見せいたしましょう。

この頃ママが寝るときに起きれなくて、朝に寝床にやって来ることが増えました。
横になって寝ているのを写そうとすると、気づかれてしまいました。

いつもはこんな感じで寝ています。

「ママ、何か用事がありますか」と訊いてきます。(トリミングが先週できなかったので、ボサボサですねぇ。ちょっと痩せたみたいです)
もう起きて遊びましょうか。

プレゼントのおもちゃを気に入ったようです。
弟に取られそうになりましたが、音がしないので、弟は興味をなくしたようです。

口にくわえるのにちょうどいいです。
ママが取ろうとすると咥えます。
弟の持って来いも疲れますが、兄の取ってみろも疲れます。
体力のないママです。

頑張ってケーキを作ってみました。
サツマイモとカボチャにプレーンヨーグルトを塗りました。
どうやったら上手く塗れるのでしょう。ヨーグルトはスプーンにくっついてきて、塗っても剥がれます。
やけになって、途中で止めてカッテージチーズと肉のふりかけをかけました。
食べさせる時にパパが買ってきたスイカをのせました。
弟と半分にしたのですが、飾り付けが難しいです。
とにかく美的センスのないママですwww。
美味しいのかガッツいていました。
スイカ、後で食べたら不味かった。
馳月基矢 『拙者、妹がおりまして ①』 ― 2025/06/09

「第一話 つき屋始末」
亡父の跡を継ぎ、手習所の師匠を務めている白瀧勇実には、六つ下の妹の千紘がいる。
千紘は明るく活発でせっかちで、好奇心旺盛な性格。
一方、勇実は出不精で、温厚でのんびりしている。
千紘は現状で満足している兄をふがいなく思い、おせっかいを焼くが、勇実は勇実でそんな千紘を幸せにしてやらねばと思っている。
勇実の手習所は白瀧家と境を接した、剣術道場を営む矢島家の離れを使わせてもらっている。
白瀧家と矢島家は家ぐるみの親しい付き合いをしていて、勇実は矢島家の嫡男の龍治とは親友同士だ。
そんなある日、外出から帰った千紘が勇実と龍次に煮売屋のつき屋が十両用意しろと脅されているという話をする。
話を聞いたら最後、有無を言わせず、すぐに勇実と龍次は千尋につき屋に連れられて行き、つき屋のために一肌脱ぐことになる。
「第二話 恋心、川流れ」
勇実が千紘と龍次といっしょに両国の花火見物に行くと、武家の娘が船から落ちるのに遭遇する。
勇実は娘を助けに大川に飛び込み、千紘と龍次は船を出して、二人を船に引き上げる。
娘はしばらく白瀧家で預かることになるが、名が亀岡菊花ということはわかったが、何も話そうとはしない。
困った勇実は山蔵親分に素性を探るように頼む。
「第三話 神童問答」
勇実の手習所に母親に連れられて乙黒鞠千代という男の子がやって来る。
まだ七つで、他の手習所から幼いからと断られ続けているというが、母親は聡い次男坊の鞠千代を学問で身を立てさせてやりたいのだ。
勇実は断ろうとするが、話を盗み聞きしていた千紘が現れ、余計なことを言い出し、結局、引き受けることになる。
「第四話 道を問う者」
小普請組支配組頭の酒井孝右衛門が尾花琢馬を連れてやって来る。
勘定所で働いてから後に手習所の師匠になった勇実の父の源三郎が亡くなって三年が経つが、尾花は勇実に勘定所の仕事をしないかというのだ。
このことがきっかけとなり、勇実は己の行くべき道について考え始める。
一巻目なので、登場人物の紹介という感じです。
とにかく千紘が口喧しくて、何事にも首を突っ込んでくるという女性で、苦手なタイプです。兄妹というと、こういう感じにならざる得ないんでしょうか。
ステレオタイプではないですか。
それでも手習所の子供たちや勇実や龍次、尾花などの男性群が好印象なので、読み続けていけそうです。
<この頃のわんこたち>
兄犬はやっと胃腸の調子がよくなり、今は水でふやかしたドッグフードにトッピングで食べています。体重も3キロ台に戻りました。

トリミングが延期になったので、モジャモジャです。
近頃、スリッカーブラシを嫌がります。
次回から毛がからまないように、耳と尻尾、足の毛を短くしてもらうことにします。
未だにママのベッドの上で横になって寝ていますが、真ん中ではなくて足元の左端で寝るようになりました。

元気で変わり映えしないのがヨーキー弟。
アヒルちゃんがとうとう壊れてしまったので、新しいアヒルちゃんを買いました。
このアヒルちゃんはお値段のわりに(600円程度)長持ちします。
歯が丈夫で、すぐにおもちゃを鳴らなくしてしまうわんちゃんがいる方は試してみて下さい。
紫陽花が咲き始めました。 ― 2025/05/25

クレチマスも沢山種類があり、こんなに濃い紫のもあるんですね。
そろそろ梅雨になりそうな雲行きですが、紫陽花たちも出番を待っています。

ピンクのものやら、

青いのやら、

紫のは大分咲いていますね。

雨が止んだので、涼しいうちにお散歩に出かけます。

兄の尻尾にOOちがつくようになったので、短く切りました。
ママが切ったので不揃いです。トリマーさんに綺麗に揃えてもらいましょうね。
お散歩が終わってから、ママとパパはお食事に出かけました。

スープとサラダ、パン、ドリンクはビュフェで好きなだけとり、メインはローストポークのピカタです。美味しかったです。
そして、今週のおやつは、MARIE BELLEのクッキーです。

かわいいリボンと花びらが三枚ついてきました。

真ん中のクッキーが結構堅いので、食べる時に気をつけてくださいね。
左下の真ん中にジャムの入ったクッキーが一番好きです。
ご馳走様でした。
近江泉美 『教授のパン屋さん ベーカリーエウリカの謎解きレシピ』 ― 2025/05/21

薔薇が満開で、どこかのバラ園に行きたくなりますが、混んでいるのでしょうね。
近所のお庭で我慢しますわ。

熱くなったので、わんこたちが水を飲むようになりました。
兄は普通のドッグフードじゃなくウエットフード+野菜類になると痩せ始めたので、ドッグフードを水でふやけさせてやるようにしました。
吐かないかと心配でしたが、大丈夫でした。
アスリートのヨーキー弟はソファに飛び乗っていたのですが、この頃やらなくなりました。
兄は6月で13歳、弟は8月で11歳。お年なのです。
札幌にある美味しそうなパン屋さんのお話かと思って読んでみました。

おれこと福丸あさひは仕事が休みの日に気分転換としてパンの食べ歩きをしている。
昔、おばあちゃんが『フクマルパン』というパン屋を営んでいたので、おやつといえばパンだった。
ある休日に福丸はパン屋巡りをしようと札幌市時計台の方へ歩いていた。
すると幻のベーカリーといわれている、神出鬼没の移動式パン屋<ベーカリーエウリカ>の看板を見つける。
<ベーカリーエウリカ>の店主は、四、五十代の濃いグレーのスーツを着た英国紳士を思わせる男性だった。
早速、クランベリーとクリームチーズのパンを買い、その場で食べてみると、「ふつう」だった。
つい声が出てしまい、「ふつう」とは何だと店主に絡まれている時に、警察がやって来て、尋問される。
着ていた派手なパーカーのせいで、昨晩、観光客にケガをさせた犯人と思われたのだ。
困っていると、紳士にパンを改良するアイデアを授けてくれるなら、無実の証明をしてやろうといわれる。
お願いすると、紳士は何だかんだとパンと工学の蘊蓄をたれ、脱線するので、ただの変人かと思っていると、三つの質問をしてきて、答えを聞いた後に見事に福丸が無実であることを証明する。
その上、驚いたことに、福丸の職業まで当ててしまう。
この紳士は亘理一二三という国立大学工学部の教授で、大学に副業申請をして、パン屋を営んでいた。
紳士は「工学とパンはよく似ている」といって説明するのだが、福丸にはちんぷんかんぶん。(私もw)
このことが縁となり、紳士がホームズであさひがワトソンという関係ができあがり、パンと工学を組み合わせ、推理し謎を解いていく。
クリームパン、チョココロネ、ちくわパン、あんパンと美味しそうな日本のパンが出てきます。
私は北海道出身ですが、ちくわパンは食べたことがないです。
1983年に札幌市豊平区の「どんぐり」というパン屋さんが開発したそうで、このお店は今もあるそうです。

こんな感じのパンらしいです。(写真はフジパンのHPよりお借りしました)
フジパンは明太マヨのようですが、元祖はツナマヨみたいです。
ちなみに「エウリカ(Eureka)」とはギリシャ語で「わかった!」、「発見した!」という意味です。
いかにも亘理教授がつけそうですね。
シリーズ物らしいので、次も美味しいパンが出てくるでしょう。
お腹が空いていると、無性にパンが食べたくなるので、気をつけて読んでくださいね。
修善寺に行く ― 2025/05/06
昨年の連休にどこに行ったのか記憶にないので、ブログをみてみると、立川に行っていました。
一時間ぐらいで行けたのでよかったのですが、今回、よく考えずに修善寺まで行ってしまいました。
そもそも美容院の店長さんが修善寺のホテルの食事がすごくいいと薦めてくれたのが始まりです。
ちょうどドッグフレンドリールームが空いていて、決めちゃいました。
しかし、連休中は止めた方がよかったです。
3時間ぐらいで着けるかなと思っていたら、4時間以上もかかってしまいました。
途中までナビ子(使えないカーナビゲーションのことをこう呼ぶ)は高速には乗らずに下の道で行くように指示します。
一時間ぐらいの間隔でコンビニでトイレを借りつつ犬を外に出せたので、下の道でもよかったのですがね。

高速に入ってすぐのPA(名前を忘れたw)に犬がくつろげる場所がありました。
やや狭いけど、犬用ゴミ箱があってありがたいです。
ここまでは兄犬はご機嫌でした。
なんとかホテルに着きました。
最後が山道だったので、兄は車酔いのためか機嫌が悪く、いつもは吠えないのにクレートの中で吠えています。
抱くと静かになったのですが、ホテルの従業員の女性は犬が嫌そうでした。

粗相をしないように部屋に入るとすぐにおしめをします。
へや中をかぎまわる兄犬。やっと落ち着いたようです。
この後、静かにクレートの中で寝ていました。
残念なことに、床が滑るようですし、犬がドアから出ないようにするフェンスもありません。
ここより軽井沢の同じ系統のホテルの方が犬連れにはお薦めですね。
夕食は、メインが八種類(かな?)の中から選べ、後はビュッフェです。

私は鹿肉、夫はTボーンステーキ(写真)を頼みました。
ビュッフェは品数が少なかったですが、味はまあまあでした。
どうも期待しすぎたみたいですww。
次の日は修善寺温泉に行ってみました。
修善寺温泉は1200年前に弘法大師が発見した温泉だそうです。
鎌倉時代には「源氏興亡の哀史を秘めた舞台」になりました。
修禅寺の横の駐車場(500円)に入れました。
まず、修禅寺に行きます。
私は「修善寺」だと思っていたのですが、「修禅寺」なのですね。
曹洞宗の禅寺なので、「禅」なのかしら。

天気がよくて、暑いくらいです。

川が流れていて、右側にとっこの湯の河原湯(足場)が見えます。

修禅寺に向かいます。人が多そうなので、兄はママのスリングに、弟はパパが抱きます。
修禅寺は平安時代の807年に弘法大師空海により開創されたそうです。

山門から入ると左側にトイレがあり、お百度石と鐘楼堂があります。
手水舎には温泉が流れているそうです。

本堂。
「だるま石」を見るのを忘れました。

壇信徒会館の前のお地蔵さま。

ここにもお地蔵さまがいます。

米子に行ってからお地蔵さまが気になります。

弘法大師像。

藤の花のご朱印。
隣に日枝神社があるので、行きました。
ここも弘法大師の建立だそうです。

鳥居をくぐると、巨木があります。

木のパワーをもらいました。

境内に夫婦杉があります。ここは子宝祈願の神社です。

逆光でしたw。

自販機?見てみると、絵馬を売っています。
社務所が開いていないことが多いのでしょうかね。

県の天然記念物の「一位樫」。

朱塗りの虎渓橋を渡って指月殿に行きます。
コーヒーの匂いが漂う場所をすぎて斜面を上っていきます。

十三士の墓。
鎌倉幕府2代将軍源頼家の家臣で、頼家が暗殺された後に謀叛を企てたのが発覚して殺されたか、殉死したそうです。

源頼家の墓。

お願い石。持ち上げると重かった。願は叶わないのか・・・。

なんか色々とありましたww。
みなさん、右側に行かずに斜面を上っていきます。
私は上るのが嫌なので、古い建物の方へ行ってみました。

伊豆最古の木造建築物といわれている、暗殺された頼家の冥福を祈って母政子が修禅寺に寄進した「指月堂」があるではないですか。
みなさん、ここを見ないで何を見に行ったのでしょう。
禅宗式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が安置されています。
右手に蓮の花を持っています。

竹林の小径に行くと、人気らしく、人が増えます。

半鐘かな。

狭い範囲に橋が2つかかっています。
若い人が多いですね。
最後に源範頼の墓に行きました。

源範頼は源頼朝の異母弟で、義経の異母兄だそうです。

のどかな風景です。
一時間ぐらいで全部を回りました。
犬がいないとお店にも入れるので、二時間以上はかかるでしょうね。
お昼のために持って帰られる食べ物がないかと探したのですが、ないです。コンビニで何か買いましょう。
一服してから歩き足りないわんこたちのために、ホテルのドッグランに行きました。
ドッグランから富士山が見えました。

ドッグランは斜面で、狭いので、大型犬は物足りないでしょうね。

そろそろおやつを欲しがっているようです。

パパ、下さい。
兄がいつもおやつをくれるママの方を見ています。

パパ、早く、下さい。

兄はお行儀よくお座りしていますが、待てない弟は・・・。

おやつを平らげた弟はサッサと去ります。
ちゃっかりしてますねぇ。
風が強かったのですが、ベンチに座っていると、気持ちがいいです。
緑が多いと癒されますね。
部屋でしばらく休み、夕食に行きました。
昨夜よりも人が多いのか、ビュッフェを食べ終わったのにメインがなかなか来ません。
やっと届いたお肉は焼き過ぎ。残念。

食事後に外に出てみると、富士山が見えました。
翌日は小室山に行ってから帰ることにしました。
しかし・・・。

10時半頃に着いたのに、道路まで並んでいます。
聞いてみると、リフトに乗るまで45分から一時間かかるとのことです。
わんこたちがいるので、諦めました。
車酔いし始めたのか、兄の機嫌がメチャ悪いです。

つつじ園の方に行ってみましたが、つつじは咲き終わり、少ししか咲いていません。

つつじが咲くときれいでしょうね。
始めは家に三時ぐらいに着ける予定だったのに、とんでもありませんでした。
走っているうちに渋滞にはまってしまいました。

大磯PAには犬用ゴミ箱がある、犬が休めるスペースがあります。
子どもも遊んでいました。
車から下りると兄は元気になります。

他の犬が来始めたので、そろそろ車に戻りましょう。
結局、また渋滞にはまり、家に着いたのは五時近くになりました。
家に帰ってからの兄の便が緩くなっています。
実は持っていったウエットのドッグフードを開けると水がこぼれてきたのが気になっています。別のお店で買った時は全く水っぽくなかったのです。
通販で買ったドッグフードの保管が悪かったのかもしれないので、しばらく別の物を食べさせて様子をみます。
修善寺はちょっと遠かったです。
次は連休は避けて、二時間以内で行けるところにします。
トリミングの日 ― 2025/04/28

お散歩をしていると、クレチマスの昇龍という品種が咲いていました。
ピンク色がかわいいです。

この紫のものは大きいのも小さいのも、よく咲いていますね。

トリミング前のボサボサですが、パパに協力してもらい、お座りさせて写真を撮ろうとすると・・・。

兄が吠え始めました。犬が現れたからです。
他の犬がいない時間帯に散歩をしているのですが、仕方ありません。
写真は諦めました。

少し暑かったので、お水を飲ませます。
ペットボトルにつけた水飲みが壊れてしまったので、不便ですが、代わりが届くまでコップを使います。
さて、トリミングに行って、サッパリしたわんこたちです。

ちょっとお疲れ気味のヨーキー弟。

おやつを見せると可愛らしく笑ってくれました。

「お疲れさま」と声をかけたくなるような兄。人生の悲哀を背負ってます。

おやつを見ると舌を出し、目がキラキラ輝きますww。

もっとください、と前に乗り出す兄。

兄が怖いので、小さくなっている弟。

兄が弟を押しのけて前にやって来ました。
トリミングをしに獣医さんまでいく間にう○ちをした兄ですが、ちょっと緩かったのが心配です。
柔らかくした野菜と一緒にウエットの餌をやっているのですが、二三週間ごとに便が緩くなります。
暑かったり寒かったりと気温が一定しないからでしょうか。
兄は今年の六月に13歳、人間の年齢では68歳です。
見た目はあまり年寄りに見えませんが、体は弱っているのでしょうね。
固形のドッグフードをやらなくなってから、体重が減って3キロになってしまいました。
朝夕以外におやつと称して食べさせているのですが、量を増やしてもいいかも。
それでも元気なので、大丈夫だとは思いますが、血液検査をしたので、その結果を見てから食べ物を再度考えようと思います。
ちなみにドッグフードをガッツリ食べている弟は3.2キロです。
彼も血液検査の結果次第で、食べる餌を変えるか、量を増やすか考えますわ。
フィラリアの検査が陰性だったので、五月から予防薬を飲ませます。
おやつタイプなので、薬だと思っていないみたいですwww。
東扇島東公園に行く♪ ― 2025/04/19
昨年、川崎の工場夜景を見に行った時に行った東扇島東公園に行って来ました。
二日前に、ママがいなくてパパのいる時に兄わんこが吐いたらしいので、ちょっと心配でしたが、二匹を連れて行きました。
兄は何回車に乗っても車酔いするみたいです。
今まではクレートに入れていたのですが、今回、初めてママが兄を抱いていました。
人工海浜側の駐車場が空いていたので、そこに車を停めました。
(駐車料金:三時間まで200円、硬貨か千円札のみ)

こんな風に砂浜があります。意外と人が少ないです。
夏にはもっと人がいるのでしょうね。
砂浜には犬は入れませんので、気をつけて下さい。
釣りも禁止です。

左側に磯みたいなものがあり、潮干狩りができるみたいです。

天然のアサリが採れるらしいです。

わんこたちは車から降りれば元気いっぱいです。
初めての所に来たので、落ち着きのないわんこたちです。

ママが急いで先に行き、振り返って写真を撮ろうとすると、気づいたわんこたちは横を向いてしまいました。
お座りと言っても無視されましたww。

デッキを歩いて行こうとすると、犬の吠え声が聞こえてきました。

スリングに入っていた兄が反応して吠え始めたので、浜辺の方に戻り、パパに二匹をあずけて、ママだけ公園を回ってみました。

多目的広場では小学生のサッカーの練習か試合をしていました。

草地ではディスクドッグ競技会が開かれるようで、人間がフライングディスクを投げる練習をしていました。
犬たちはテントの中で競技会が始まるのを待っています。
まっすぐ行くとヘリポートや芝生広場、バーベキュー広場がありますが、行かずにドッグランを見に行きました。

ドッグラン(わんわん広場)が二つあります。こちらは小型犬用です。

中・大型犬用のドッグラン。
ドッグランを使用するには登録が必要です。登録を考えている人はこちらをご覧下さい。
朝の9時過ぎでしたが、小型犬は結構いましたが、大型犬は2、3匹しかいませんでした。
時間が経つにつれ、犬たちが続々とやって来ます。
残念ながら、うちの兄犬のように他の犬が苦手な犬にはこの公園は向かないかも。
潮風デッキの方へ行きます。

このデッキから対岸の工場夜景を見ました。

夜はこんな感じです。

夜になると・・・。

アラ?違う所?
高い煙突の左側にあった煙突がなくなった?

横に汐入の池があります。

船があるので、そっちに行ってみると、途中で立ち入り禁止になってしまいました。
デッキを歩いてわんこたちのいる方へ戻ります。

船がやって来ます。

二隻が行き交います。
トイレが広くてきれいで、管理人がよく巡回していますので、安心して使える公園です。
中脇初枝 『天までのぼれ』 ― 2025/04/05
ママとわんこたちと、パパママとわんこたちでお散歩する時は道が違います。
今日はみんなでお散歩。
桜をわざわざ見に行かなくても、満開の桜が見られました。

桜でも一本の木に赤白二色のものがあります。

「源平咲き」というそうです。
椿も赤白二色の「源平咲き」がありました。

もとは赤色で遺伝子の突然変異で白い花が咲くようになったそうです。

自然って不思議ですね。

「ママ、知らなかったの?」
日本で最初に婦人参政権を要求した民権運動家の楠瀬喜多のお話です。

天保7年(1836年)、喜多は米穀商を営む西村屋の父、儀平と母、もとの長女として生まれる。
背がのびず、歩くのも人より遅く、一度に二つのことができない質だった。
六つの時に八つと歳を偽り、小僧の吉乃丞といっしょに手習いを始める。
そこで一生の友である、山内家家臣徒士、池添吉右衛門の娘、あやめと出会う。
喜多は読み書きや算術、縫い物などが得意だった。
だが弟が生まれたので、手習いはやめ、琴や三弦を習いに行くが全く才能がなかったので、再度、手習いに行くことにする。
そこで猪之助と男衆の實と出会う。
猪之助は家禄が二百七十石の士格である馬廻の乾家の惣領であったが、身分を偽って喜多が学ぶ手習い塾にやって来た。
猪之助は字を書いたり読んだりが苦手なのを隠していた。
しかし、人が読んだのを覚え、すらすら言うことができたので、誰も気づいていなかった。
聡い喜多はそれを見抜いていた。
喜多は實から頼まれ、猪之助に字を教えることになる。
喜多は男子のように四書五経を学びたかったが、おなごであるので、劉向列女傳を学ぶように言われる。
喜多の気持ちを知った實は論語を喜多に貸してくれた。
劉向列女傳を読んだ喜多は論語との違いに驚く。
やがて喜多の親が猪之助の素性を知ることとなり、猪乃助は手習い塾を去る。
猪之助を見かけなくなってから一年以上経ったときに、喜多は土俵にいる猪之助を見かける。
その時に實に話しかけられ、借りていた論語を返す。
すると、實はまた猪之助に手習いを教えて欲しいと頼む。
喜多は月に一回、十日に要法寺でいっしょに手習いをすることにする。
あやめは美貌で有名で、十九になり、御用人の山崎の惣領、厳太郎に嫁ぐことになる。
山崎家は厳格な家だったため、あやめは自由に家の外へは出られず、嫁入りの日から、二人は会うことはなかった。
喜多ははなび(生理)がないため、嫁にいけずにいた。
猪之助は喜多に嫁にきてくれと言うが、喜多は自分は石女だからと断る。
母のもとは喜多が望めばどこへでも嫁がせたいと思っていた。
寅の大変(1854年の安政南海地震)が起こる。
喜多は家族とはぐれるが、實と遭遇し、助けられる。
この時、喜多は實に対する自分の気持ちを知る。
猪之助は免奉行加役になり退助正躬という名を名乗り、祝言を挙げたので、喜多をめかけとして欲しいと言ってくる。
喜多の気持ちを知る母のもとは自分の寿命が短いことを悟り、實に喜多のことを頼む。
喜多と實のことを知った退助は、喜多に幸せになってほしい、實には親以上の恩があると言い、身を引く。
1854年に結婚してからも實は退助に付いていき、喜多と過ごす時は少なかった。
1874年に實が亡くなり、喜多は西村屋の戸主になる。
戸主であるからと高知県区会議員選挙に行くが、おなごは選挙人になれないと言われ、投票できなかった。
納得できない喜多は税金を納めるのを止め、県庁に抗議文を送る。
それ以来喜多は立志社の政談演説をかかさず聞きに行き、自由民権家と交流し、彼らの世話をするようになる。
出家した喜多は売り飛ばされそうな娘を買って、女子師範学校に通わせたり、家や土地を売り、貧しくて学校に行けない子どもの授業料を肩代わりしたり、育院を作ったりした。
本の中の喜多の言葉。
「わたしは自分で仕合わせになるき」
「思う人ひとりを思いきれんで、天下国家の何がわかるいうがでしょう」
「ほんまの権利いうものは、その人がその人らしゅうに生きることができる、いうことでしょう」
「世界はどこかにあるのではなくて、自分のいるところから広がっていくのが世界だ」
本を図書館に返してしまいメモを見て書いたので、間違った記述があったら、すべて私の間違いです。
400ページ以上もある大作で、中ごろまで面白く読んでいたのですが、實が亡くなってからの後半が私には読みずらかったです。
NHKの朝ドラに”民権ばあさん”として出てきたらしいのですが、ドラマは見ていないので知りませんでした。
高知は、様々な偉人を生み出した土地なのですね。
喜多が生きていた時代をちゃんと学ばなければと思いました。
板垣退助は自由民権運動の人としてしか認識していなくて、自由民権運動がどんな思想をもとにしているのかも知りませんでした。
退助はいい人だったようですが、それでも子を産めない喜多といっしょになるために、子を作るために他の女性と結婚し、喜多を妾に欲しいなんてねぇ…。
この頃はそういうものだと言われても、納得できません。
この本を読んで、伊藤博文のことがますます嫌いになりましたww。
政治的駆け引きなんでしょが、やり方が汚いです。
女性に対してもひどい奴だったようですし。
喜多の実家の商売は車力の人夫頭だったという説もあるようです。
退助と手習い塾で出会ったこと、退助が読み書きできず、他の者に手紙を書かせていたこと、夫の實が退助の男衆だったことなどは本当のことなのでしょうか。それとも中脇さんの創造なのでしょうか。
ネットで調べてみてもわかりませんでした。
日本が近代国家に変わろうという時に、喜多のような女性がいたことに驚きました。
分厚くて手に取るのを躊躇してしまいそうな本ですが、女性問題に興味がある方は是非読んでみて下さい。
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