宮部みゆき 『楽園』2007/11/18

『楽園』のテーマは悲しいものです。何故『楽園』という題名を付けたのでしょうか?

『模倣犯』で活躍したジャーナリスト、前畑滋子は事件後、しばらくは書くことができないでいました。
やっと何とか書けるようになり、知り合いのフリーペーパーのライターをやり始めます。
そこへ、荻谷敏子という中年女性がやってきます。
彼女の息子は12歳の時に交通事故で死んだのだけれど、彼の描いた絵の中に不思議な絵があり、ひょっとしたら彼には人の心の中を見る超能力があったのではないか、是非それを探ってもらいたいというものでした。
疑問視しながらも、母親の熱心さに断り切れず、息子の絵を見てみたのですが、その中にあの山荘の絵が…。
そこには犯人と警察、彼女しか知らないはずのドンペリの瓶が描かれていたのです。
彼には見えていたのかもしれない。
そう思った滋子は、1枚の絵に関する事件を調べていくことにします。
その事件とは、親が非行を繰り返す娘を殺し、その死体を16年間も家の下に埋めておいたという事件でした。
近所の火事で家が半焼し、娘の死体が見つかるかも知れないと観念し、警察に自首したのです。
その家には、少年が絵に描いたのと同じこうもりの風見鶏がついていました。
少年は誰の心の中を見たのでしょうか?

「身内のなかに、どうにも行状のよろしくない者がいる。世間様に後ろ指指されるようなことをしてしまう。挙句に警察のご厄介になった。そういう者がいるとき、家族はどうすればよろしいのです?そんな出来損ないなど放っておけ。切り捨ててしまえ。前畑さんはそうおっしゃるのですか。
誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、得ることのできない幸福がある」

「それでも人は幸せを求め、確かにそれを手にすることがある。錯覚ではない。幻覚ではない。海の向こうの異国の神がどう教えようと、この世を生きるひとびとは、あるとき必ず、己の楽園を見出すのだ。たとえ、ほんのひとときであろうとも」

この楽園のことは、唐突に思え、私にはよく理解できませんが、どこまで親は子どものことで責任を負うべきなのか、と考えさせられます。
犯罪者の家族は、ささやかな幸せさえ許されないのでしょうか?

最後に泣かされますが、それが宮部の考える、救いなのでしょうか?

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