南杏子 『いのちの停車場』2020/06/17



東京の救急救命センターで副センター長として働いていた白石咲和子は、62歳の時にあることの責任を取らされ、退職を余儀なくされる。
もともと年齢的に限界を感じていたこともあり、それほど迷いはなかった。
故郷の金沢には老いた父が一人で暮らしていたので、金沢に戻ることにした。

金沢に帰った日から「まほろば診療所」で訪問診療の医師として働き始める。
というのも古い知りあいの診療所医師である仙川徹が足を折ってしまい、まだ歩けず診察に行けないからだ。
救急救命センターの仕事と比べると、訪問診療は一日5軒で難しい手技もないはずだと軽く考えていたら、とんでもなかった。
老老介護、半身麻痺のIT社長、6歳の小児癌少女、膵臓癌の元厚生労働省統括審議官など、様々な背景を持った患者を診ることになる。

咲和子は、仙川を始め事務の玉置亮子、看護師の星野麻世、後から加わることになった退職原因の元バイト事務員・野呂聖二などのスタッフに支えられて訪問診療を続けていく。
しかし父親が骨折し、手術を受け、入院してしまう…。

終末期を迎える患者と寄り添う家族、それぞれに苦悩があります。
特に家族はどんな状態であろうが、生きていて欲しいと思うものです。
でもその人の命はその人のもの。
自分が患者だったら、患者の意思を尊重してもらいたいとは思うのですが、家族の思いを思うと、自分の意思を通せないこともありますよね。
咲和子は父親から「積極的安楽死」を頼まれます。
咲和子がくだした答えは・・・。

「庇護を求める弱き存在のために、自ら日陰を作って立つ―それが医療者というもんだ」(p.317)

仙川のあるべき医療者についての言葉です。

四谷三丁目さんの「医療の現場から」を読むと、コロナに関わっている医療者に逃げるという選択もありと言いたくなりました。
無理をしないで、命を大事にしてください。

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