アルボムッレ・スマナサーラ 『現代人のための瞑想法』 ― 2007/10/02

今日『アエラ』を買って読んでいると、「スリランカから来た僧」という記事がありました。
あれ、もしかして・・・と思い、家に帰ってから見ると、やはりこの本を書いた僧でした。
こういうのをcoincidenceというんですかね。
彼、アルボムッレ・スマナサーラ氏は在日27年にもなる、テーラワーダ仏教の高僧です。
テーラワーダ仏教とは釈迦の時代に書かれたパーリ語教典に基づく根本仏教とのことだそうです。(全く私にはわかりませんわ)
彼が何故日本にいるのかというと、「日本人はみんな、糸の切れた凧のようで、どう生きればいいのか分からないでいる。お坊さんも、仏教を知らないから誰も助けてあげられない。じゃ、教えてあげようかな、と思ったわけです」(『アエラ』より)
彼は印税も、講演料も謝礼も給料も一切受け取らないで、生活はお布施によるそうです。
昔の僧の生き方を実践しているのですね。
「心は、いつでも汚れる方向へ組み立てられています。放っておけば、心はどうしても汚れてしまいます。悪い方向へ行きます。よく、「ありのまま」という言葉が使われますが、心は、自然のままに、ありのままに放っておけばどんどん墜落して、どんでもない方向へ行ってしまいます」
「心はつねに悪いわけですから、つくるポテンシャル、エネルギーもけっしてよいわけではありません。結局、よくよく考えると、我々は見るたびに、聞くたびに、悪い業、悪業をつくっています。」
「人間の思考は問題です。考えるから怒る、考えるから嫉妬する、考えるから落ち込む・・・。思考で心が汚れるのです。思考が煩悩なのです。・・・思考が多ければ多いほど、人の悩みが多いのです。」
びっくりしました。スマナサーラ氏は我々の心を悪と言い、感情も悪と言うのです。
彼は美しい音楽は、「音」「音」と念じるか、「聞こえる」「聞こえる」と念じなさいと言います。
ただ事実を念じれば、心は完全にきれいなままなのです。
う~ん、人間に感情があるからいいんだと思ってました。
「こころがあばれそうなとき、事実を念じる」これは使えますね。
人に叱られたり、悪口を言われたり、喧嘩したりするときに、相手が言うことに対して「音」「音」と、念じると、感情の世界は生まれなくなって、心のなかはきれいな「空」の状態をつくるそうです。
これが「ヴィパッサナー瞑想」なんだそうです。
こういう訓練を続けていくと、ものごとはどうやって生まれて、どうやって消えていくのか、ものごとが生まれると、人はどんな感情をつくって、人にはどんな苦しみが生まれるか、その過程がみえてきて、過程が見えてくると、どんどん心が完全たる解脱の境地を獲得するようになるのだそうです。
この「ヴィバッサナー瞑想」を徹底的に、一日十二時間から十五時間ぐらい実践すれば、二週間ほどで悟りの世界がわかるんだそうです。
でもね、この悟りは第1段階の悟りだそうで、悟りにも段階があるのですよ。
そうですよね。そんなに簡単ではないですよね。
「立つ瞑想」、「歩く瞑想」、「座る瞑想」と三種類の瞑想のやり方がでてきますが、ご飯を食べたり、部屋の掃除や片付けをするときも、実況中継で行い、思考、妄想をやめるようにするなら、それは瞑想だとのことです。
日常生活すべてを瞑想にしていくというのも、おもしろそうですね。
いえいいえ、瞑想とか堅苦しく考えずに、「思考を停止する実践」をしていくといいかもしれません。
今からやりましょう。「妄想」「妄想」・・・。
あれ、もしかして・・・と思い、家に帰ってから見ると、やはりこの本を書いた僧でした。
こういうのをcoincidenceというんですかね。
彼、アルボムッレ・スマナサーラ氏は在日27年にもなる、テーラワーダ仏教の高僧です。
テーラワーダ仏教とは釈迦の時代に書かれたパーリ語教典に基づく根本仏教とのことだそうです。(全く私にはわかりませんわ)
彼が何故日本にいるのかというと、「日本人はみんな、糸の切れた凧のようで、どう生きればいいのか分からないでいる。お坊さんも、仏教を知らないから誰も助けてあげられない。じゃ、教えてあげようかな、と思ったわけです」(『アエラ』より)
彼は印税も、講演料も謝礼も給料も一切受け取らないで、生活はお布施によるそうです。
昔の僧の生き方を実践しているのですね。
「心は、いつでも汚れる方向へ組み立てられています。放っておけば、心はどうしても汚れてしまいます。悪い方向へ行きます。よく、「ありのまま」という言葉が使われますが、心は、自然のままに、ありのままに放っておけばどんどん墜落して、どんでもない方向へ行ってしまいます」
「心はつねに悪いわけですから、つくるポテンシャル、エネルギーもけっしてよいわけではありません。結局、よくよく考えると、我々は見るたびに、聞くたびに、悪い業、悪業をつくっています。」
「人間の思考は問題です。考えるから怒る、考えるから嫉妬する、考えるから落ち込む・・・。思考で心が汚れるのです。思考が煩悩なのです。・・・思考が多ければ多いほど、人の悩みが多いのです。」
びっくりしました。スマナサーラ氏は我々の心を悪と言い、感情も悪と言うのです。
彼は美しい音楽は、「音」「音」と念じるか、「聞こえる」「聞こえる」と念じなさいと言います。
ただ事実を念じれば、心は完全にきれいなままなのです。
う~ん、人間に感情があるからいいんだと思ってました。
「こころがあばれそうなとき、事実を念じる」これは使えますね。
人に叱られたり、悪口を言われたり、喧嘩したりするときに、相手が言うことに対して「音」「音」と、念じると、感情の世界は生まれなくなって、心のなかはきれいな「空」の状態をつくるそうです。
これが「ヴィパッサナー瞑想」なんだそうです。
こういう訓練を続けていくと、ものごとはどうやって生まれて、どうやって消えていくのか、ものごとが生まれると、人はどんな感情をつくって、人にはどんな苦しみが生まれるか、その過程がみえてきて、過程が見えてくると、どんどん心が完全たる解脱の境地を獲得するようになるのだそうです。
この「ヴィバッサナー瞑想」を徹底的に、一日十二時間から十五時間ぐらい実践すれば、二週間ほどで悟りの世界がわかるんだそうです。
でもね、この悟りは第1段階の悟りだそうで、悟りにも段階があるのですよ。
そうですよね。そんなに簡単ではないですよね。
「立つ瞑想」、「歩く瞑想」、「座る瞑想」と三種類の瞑想のやり方がでてきますが、ご飯を食べたり、部屋の掃除や片付けをするときも、実況中継で行い、思考、妄想をやめるようにするなら、それは瞑想だとのことです。
日常生活すべてを瞑想にしていくというのも、おもしろそうですね。
いえいいえ、瞑想とか堅苦しく考えずに、「思考を停止する実践」をしていくといいかもしれません。
今からやりましょう。「妄想」「妄想」・・・。
コメント
_ Loki ― 2007/10/03 17時50分14秒
_ CoCo ― 2007/10/03 18時55分11秒
あれ、Lokiさんの行った瞑想合宿って
ヴィッパサナー瞑想だったのですか。
結構簡単にできそうですが、
ついつい音楽に浸りたくなったり
美味しい物を味わいたくなって
「音」や「噛む」など念じるのを
忘れてしまいます。
悪業は離れがたいですね。
ヴィッパサナー瞑想だったのですか。
結構簡単にできそうですが、
ついつい音楽に浸りたくなったり
美味しい物を味わいたくなって
「音」や「噛む」など念じるのを
忘れてしまいます。
悪業は離れがたいですね。
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ヴィッパサナー瞑想とてもよかったですよ、
悟りはしませんでしたが(笑)。
日常生活が瞑想になるとすごい、とらわれない
サラサラの心になりそうです。