「エディット・ピアフ」を観る2007/10/04

映画は時代が入り組んでいるので、慣れるまで前後がわかりずらかったりしますが(私には)、フランスの大歌手の一生は人並みではなかったです。
昔から何故か彼女の歌が好きでした。
映画にもでてきましたが、アメリカのジャズ歌手ビリー・ホリディと彼女がどうしてもダブってしまいます。
二人とも不幸な少女時代を過ごし、歌手として成功し、麻薬やアルコールに溺れ死んでいきます。
ピアフ、47歳、ビリー、44歳でした。
ビリー・ホリディの曲では人種差別を歌った"Strange Fruit"が有名ですが、私はアルバムの"Lady in Satin"の中の"You don't know what love is"が好きです。
エディットやビリーの歌には、彼女たちの人生そのものが出ていますね。

エディットは大道芸人の父と町角で歌を歌っていた母との間に生まれます。
母に捨てられ、母方の祖母の所にしばらくいましたが、兵隊になっていた父に連れられ、売春宿をやっている祖母にあずけられます。
父が除隊した後は、大道芸をする父についてあちこちを放浪することになります。
父と別れ、町角で歌っているときに、運命の出会いがあります。
ナイトクラブの持ち主のルイ・ルプレーに見出され、彼の店で歌うことになったのです。
しかし、それも長くは続かず、ルイは何物かによって殺され、ピアフは共犯者ではないかと疑われてしまい、彼女が歌うと、罵倒が飛ぶようになりました。
その時に手をさしのべてくれたのが、レイモン・アッソ。
彼はピアフの歌を芸術にまで高めたのです。その後の彼女の活躍は言うまでもありません。

アメリカで公演をしているときに、運命の恋人、ボクサーのマルセル・セダンと出会います。
妻子のあるマルセルとは結婚することも、彼を独占することもできません。
しかし二人は付き合いを深めていきます。
1949年、NYにいたピアフはマルセルをNYに呼びつけますが、マルセルの乗った飛行機は墜落してしまいます。
やがてピアフはモルヒネ中毒になり、40代だと思えないような容貌に変わり果てていきます。
歌を歌い続けることだけが唯一の生きていく糧になります。

生まれはどうしようもないことです。
ピアフが貧しくとも暖かい家庭で育っていたのなら、別の人生があったでしょう。

「水に流して Non, je ne regrette rien 」がとても印象的に使われていました。
「いいえ、私は何も後悔していない 私に人がしたよいことも 悪いことも 何もかもどうでもいい」
もう一度フランス語を勉強し直そうかとも思いました。(アテネフランセに一年間通ったのに、フランス語忘れてる・・・)
ポターのように、よかったわね、という人生だけではなく、エディットのような壮絶な人生もありですね。
どちらかというと私はピアフの人生はごめんですがね。

コメント

_ Loki ― 2007/10/06 00時47分56秒

自分は悲惨な目にあいながら、美しい歌で人を
癒したんですよね、すごい人生。
そういう役割をになう人もいるわけですね。
私は実力ないから気楽な人生にしてもらいます♪

_ CoCo ― 2007/10/06 17時28分30秒

Lokiさん、こんにちは。
そうですね。
私も有名にならなくていいから
お気楽人生がいいです!

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